番外編第十三話「皇帝マクシミリアン」

 統一暦一二一四年十二月二十五日。

 ゾルダード帝国東部帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮内。皇帝マクシミリアン


 リヒトロット皇国を亡ぼしてから二年が過ぎた。

 しかし、旧皇国領の民は未だに余に忠誠を誓うことなく、反抗的な態度は改まるどころか、更に悪化している。


 その裏に“千里眼アルヴィスンハイトのマティアス”こと、マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵がいることは間違いないが、有効な手を打てずにいる。


(ラウシェンバッハが“叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”の塔にいる間は手が出せぬ。だが、奴は我が国に謀略を仕掛け続けている。何とかせねばならんが……)


 総参謀長であるヨーゼフ・ペテルセン元帥が諜報局を使って対応しているが、謀略ではラウシェンバッハに一日の長があり、後手に回り続けている。


 特に旧皇都、リヒトロット市付近では毎日のように中部総督府の関係者への襲撃が起き、総督府軍が右往左往している状況だ。

 何度か誘き出して叩く作戦を実行しているが、一度も成功していない。


 また、昨年の秋にリーデル商会のダニエル・モーリスが提案してきた旧皇国領での酒造産業の再建計画も順調とは言い難い状況だ。


 これに関してはリーデル商会側に責任はなく、総督府の役人の落ち度がほとんどで、三ヶ月ほど前にダニエル本人が現地を離れ、わざわざ余に文句を言いに来たほどだ。


『我々の計画を理解されていない方が多すぎます』


 怒りを抑えている感じがありありと分かり、嫌な予感がしたが、聞かないわけにはいかなかった。


『何があった?』


『総督府の役人は旧皇国領の民衆を見下しています。私どもが融和を図ろうとしても、居丈高に命令するだけで、歩み寄ろうとする姿勢が見られません。特に職人は気難しい人が多いのです。そんな職人を相手に素人である役人が一方的に命令すれば、反発が起きることは火を見るよりも明らかなのです。その程度のことも理解できない方が多すぎます』


 その言葉に余とペテルセンは愕然とした。


『真にそのようなことをしているのか? 優秀な者を厳選して送り込んだのだ。そのようなことはあり得ぬ。ラウシェンバッハの謀略ではないのか?』


 この計画を承認した後、若手の優秀な官僚を中部と西部の総督府に送り込んだ。その際、この計画の重要性を理解させており、民の反発を受けるようなやり方をするとは思えなかったのだ。


『我々が職人や農家の人たちを説得して協力させようとしているのに、役人がぶち壊しているのです。それも比較的高い地位の方がです。マティアス様が総督府の上層部を懐柔した結果であるなら、謀略と言えるかもしれませんが、そのようなことがあり得るとお思いですか?』


 怒りを覚えているためか、最後は皮肉を言ってきたほどだ。


『五年で結果を出すと約束いたしましたが、その前提条件は貴国が全面的に協力してくださるということだったはずです。その貴国が協力どころか妨害するのですから、契約の見直しをお願いせざるを得ません』


 その言葉にペテルセンが反論する。


『君が言っていることが事実であるなら止むを得ないが、君がラウシェンバッハのためにあえて遅らせていることも考えられる』


 その言葉にダニエルが強い口調で反論してきた。


『私には商人としての矜持がございます! それに従い、最善を尽くしております! もし疑われるのであれば、調査してください! その結果、我々が故意に計画を遅らせているという証拠が見つかれば、どのような処罰でも甘んじて受けます!』


 ペテルセンが諜報局を使って調べさせた。そして、その結果が数日前に届いた。

 報告の内容はダニエルの言った通りで、総督府側がリーデル商会の助言を聞かず、強引に計画を推し進めようとしていたというものだった。


 役人たちの言い分は、“帝国の資金で行う計画に商人がでしゃばってくるのが気に入らない”というものだった。その愚かな考えに余は呆れ、総督と関わった役人を更迭した。


「これで計画は一からやり直しですな。それどころか、リーデル商会から追加の資金が必要だと言ってきております。しかし、これもラウシェンバッハの仕業でしょうな」


 白ワインの入ったグラスを持つペテルセンがそう言ってきた。


「役人たちの思考を誘導した形跡ある。噂を使った情報操作は奴の得意とするところだからな」


 諜報局が調べた結果、役人たちがよく利用する酒場で、帝都の商会に対するネガティブな話がよく聞かれたとあった。これはラウシェンバッハの手の者が流したものだろう。


「第四軍団設立と南部の街道整備に危機感を持ったのでしょうな。我が国に少しでもダメージを与え、王国への侵攻を少し遅らせようと考えたのでしょう」


 今年の七月に第四軍団を設立すると発表した。

 財政的には非常に厳しいが、旧皇国領の治安を維持するためには総督府軍では力不足で、正規軍団を派遣し、蠢動する旧皇国軍の残党を排除しようと考えたのだ。


 既存の第二軍団か第三軍団を派遣してもよかったのだが、あえて第四軍団を新設した。

 その理由だが、流民対策だ。


 四年前に大流行した疫病、“赤死病”は、我が帝国に大きな傷跡を残した。

 帝国全土で経済が悪化し、一旗揚げようと比較的景気がよかった帝都に流れ込む民が急増した。


 その数は三年で七万人ほど。それ以前にも徐々に人口は増えていたことから、十年前に比べて一・五倍にまで膨れ上がっている。


 しかし、いくら帝都でも急激に流入する民すべての雇用を生み出すことはできない。

 その結果、帝都の周辺に流民が浮浪者として住み着き、治安が悪化していた。


 それを解消するために、健康な男子を半ば強制的に兵士として採用した。兵士になるか、家族ごと農奴として北部に送り込まれるかを選ばせたのだ。給与を与えられた彼らが金を落とすことで雇用を生み出し、浮浪者は大きく減らそうと考えたのだ。


 現在、新たに採用した兵士は第二、第三軍団に配属されて訓練を受けている。当然、兵士に余剰が出るため、来年の年明けに軍団を再編し、第四軍団として正式に発足させる。


 雇用を創出したことによる効果は出始めており、浮浪者は大きく減った。

 しかし、三万を超える兵を無為に帝都に置いておけば、その分の食料の輸送コストが掛かる。そのため、浮浪者対策が一段落したところで、穀倉地帯である旧皇国領に第四軍団を派遣することにしたのだ。


 また、南部のエーデルシュタインに駐屯している第三軍団の第二師団には南部高山地帯で活動する非正規部隊に対応しつつ、密かに大陸公路ラントシュトラーセに抜ける道の建設を行わせている。


 エーデルシュタインから大陸公路の間にはベーゼシュトック山地があり、商人たちですら滅多に使わない道しかない。当然大きな町もなく、大軍を運用することは不可能だ。


 しかし、ここを通ることができれば、南の大国シュッツェハーゲン王国とグランツフート共和国に直接侵攻が可能だ。


 シュヴァーン河という天然の障壁があり、ラウシェンバッハが守るグライフトゥルム王国より、勝利は容易だ。恐らくラウシェンバッハは気づいているだろうが、一個師団一万の兵士が街道の整備に当たっているから、さすがの千里眼も手を出しようがないようだ。


 第四軍団は発足後、中部総督府のあるリヒトロット市と西部総督府があるフックスベルガー市に駐屯させる予定だ。第四軍団にはグリューン河流域の治安を守らせるだけでなく、グライフトゥルム王国にも圧力を掛ける。


 これらの計画にラウシェンバッハは危機感を持ち、旧皇国領で嫌がらせを行っているのだろう。


「しかし、金が掛かりますな。モーリス商会からの融資に頼りすぎていることが気になります」


 ペテルセンの言う通り、第四軍団設立と街道の整備で更に資金が必要となり、モーリス商会から多額の借金をしている。


 それだけでは当然足らないため、通貨を大量に鋳造させた。

 もちろん単純に通貨を増やせば、その価値が下がり、物価が高騰することは理解している。


 しかし、旧皇国領では帝国マルクが満足に流通しておらず、それを促すという目的もあった。そのため、帝国マルクの価値が極端に下がることはないと判断している。


「頭が痛い話だが、来年にはレヒト法国が事を起こすはずだ。それに合わせて、王国を切り取れば、商都を手に入れることができる。商人組合ヘンドラーツンフトが傘下に入れば、税収は大きく増えるだろう。王国を切り取れなくとも、軍団を派遣すれば、皇国軍の残党も大人しくならざるを得ぬし、民たちも諦めるはずだ」


 レヒト法国の北方教会領の白狼騎士団長が来年の一二一五年の半ばにグライフトゥルム王国に侵攻すると通告してきた。それを利用し、我が国が国境に兵力を集めれば、西の端から攻め込む彼らが有利になるためだ。


「法国の手腕に期待ですな。千里眼殿を倒してくれれば最高ですが、そこまで行かずとも、王国の戦力を削ってくれれば重畳でしょう」


「そうだな。ただ法国の連中に任せるだけでは芸がない。我々の方でも多少は動くべきだろうな」


 余がそう言うとペテルセンも大きく頷いていた。

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