番外編第十二話「弟子ダニエル・モーリス:後編」

 統一暦一二一三年十月二十日。

 ゾルダード帝国東部帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮内。ダニエル・モーリス


 皇帝マクシミリアンに旧皇国領での投資計画について説明をしようと白狼宮にやってきた。

 計画の説明に入る段階で、皇帝の雰囲気が変わった。それまでの柔らかな感じから冷徹さが前面に出てきたのだ。その圧力に手に汗を掻く。


「計画では我が国が主体となって投資し、商会は運営のみを行うことになっている。今回の計画は確実に儲かるものだ。リーデル商会が自ら行えば、より多くの利益が得られるのではないか?」


「陛下のご認識の通りです。私がモーリス商会以外の商人組合ヘンドラーツンフト所属の商人であり、膨大な投資を低利で受けられる立場であれば、独自に投資を行ったでしょう」


 皇帝の顔に疑問が浮かぶ。ここまでは思惑通りだ。


「モーリス商会以外の組合所属の商人であれば? モーリス商会では成功しないと考えているということか? あれほどの資金力があれば成功すると思うのだが?」


「今回投資を行うのは旧皇国領でございます。実際に見てまいりましたが、貴国に対する反発は予想以上でした。帝都のリーデル商会はもちろん、貴国に積極的に協力しているモーリス商会が表に出た場合、地元民の協力は得られないでしょう。それどころか、妨害される可能性も高いと考えております」


「確かにそうだが、それを言ったら我が国が前面に出ても同じではないか?」


 想定通りの問いが続く。そのため、遅滞なく答えることができる。


「未来永劫、旧皇国領を完全に統治する気がないというのであれば、その通りです。ですが、陛下は旧皇国領を完全な帝国の版図とすべく、さまざまな手を打っておられます。貴国が行う融和策の一つとして認識していただければ、携わる総督府の役人の皆さんのやる気も変わってきますので、成功率が高まると考えております」


「うむ。分からんでもないな」


「我がリーデル商会はノウハウを提供することで確実に利益を上げることができます。そして、貴国は金銭の他に住民との融和という利益を得られます。両者が利益を享受するだけでなく、民は産業の復活という利益に加え、世界最高の産地という栄光をも取り戻すこともできるのです。そして、我が商会の名を旧皇国領で売ることができ、今後の商売にプラスになります」


 そこで皇帝は納得したのか大きく頷いた。


「なるほど。リーデル商会では成功率が低いが、我が帝国が本気になれば成功率は高まる。それに成功すれば、我が国、商会、民のすべてにメリットがある。だから、我が国が主体となるべきだということだな」


「ご賢察の通りでございます」


 感触は充分だと思ったが、そこで皇帝が笑みを消す。


「よくできた話だ。これが成功するならばだがな」


「どういう意味でしょうか?」


 想定外の質問に、思わず聞き返してしまった。


「五年で黒字化を目指すということだが、旧皇国領の民衆の我が国に対する反発は酷いものだ。そなたの師、ラウシェンバッハは今でもいろいろと手を回しているようだからな。この計画ではリスクを負うのは我が国だけだ。リーデル商会はコンサルティング料として毎年膨大な金を得られるし、モーリス商会も我が国が債務不履行にさえ陥らなければ、安定的に金利を得られる。一方我が国は失敗すれば国が傾きかねぬ膨大な金を投資せねばならんが、成功の見込みはそなたの言葉のみだ。千里眼の謀略であったら目も当てられぬ」


 その言葉で謁見の間の空気が凍る。マティアス様に煮え湯を飲まされてきた軍人が多いためだろう。私の隣ではハンネス殿が青い顔で震えていた。


「陛下のご懸念は理解いたします。父と違い実績もなく、マティアス様に師事してきた者をすぐには信用できないということでしょう。私を信用できないということであるのならば、この計画は白紙にしていただきたいと思います。疑念を持たれたままでは、貴国の役人も私どもの指示には従わないでしょうから、失敗することは目に見えておりますので」


 言っていることは間違いない。帝国が主体となるのだから、役人が自ら動くことになる。その際、私の計画に従わなければ、優秀な内政家がいない帝国政府では大失敗に終わるだろう。


「ほう。我が国だけでは失敗すると言いたいのだな」


「はい」


 自信をもって頷くと、皇帝が不快そうな表情を強める。


「その理由はなんだ? 我が国の役人はそこまで無能ではないぞ」


 ハンネス殿は更に震え上がっているが、“シャッテン”のユーダ・カーン殿に胆力を鍛えられているので、この程度では怯まない。


 ユーダ殿はマティアス様のお傍に仕えるなら、常に冷静に対処できるようにと、恐怖を克服するための訓練をしてくれたのだ。あまり思い出したくない訓練だが、そのお陰で数百年生きる凄腕の暗殺者の殺意を受けても冷静さを保てるようになった。


「ではお答えいたします。貴国の役人の方がどの程度優秀なのかは私には分かりません。ですが、商売と国を運営することでは全く違う能力が必要です。特に新規事業を立ち上げる場合、それまでの役所での経験は邪魔になるだけです。役所は前例に従って業務を回すことが多いですが、その前例がないのですから」


「うむ。分からんでもないな。だが、役人すべてが前例に従うわけではあるまい」


 凄みを利かせてもあまり意味がないと思ったのか、皇帝は表情を緩めている。


「その通りですが、そのような方もノウハウはお持ちではないでしょう。どこに投資すれば最も効率が良いか、もっと具体的に言えば、資金調達、生産計画、輸送計画、販売戦略などを的確に立てられるような方がいらっしゃるなら、成功すると思いますが、資金調達一つ取って見ても貴国の現状を見る限り、不安を感じざるを得ません。まして、全く未経験の生産や販売などを失敗せずにできると考える方が不自然だと思います」


 辛辣な言い方だが、これも事実だ。ヴァルデマール・シュテヒェルト内務尚書が生きていれば、帝国の財政はここまで悪化しなかっただろうが、現在の財務府や内務府の役人たちでは歳入の不足分を借金で賄うことしかやっておらず、年々悪化している。


「言いたいことを言うではないか。確かにそなたの言う通りだが、そこまではっきりと言われると余も不快だ。余の忍耐力を試すようなことはせぬことだな」


 そう言って再び睨みつけてくる。先ほどまでと違い、本気で不快に思っているようだ。

 一瞬、言い過ぎたかと思ったが、ここで引いたら意味がないと腹を括る。


「ご不快にさせたことに対しては謝罪いたします。ですが、多額の投資を必要とする提案を行っているのです。正しい認識を共有することを拒まれるのであれば、この提案は取り下げ、以後一切貴国には関与いたしません」


「ほう……」


「我が師マティアス様はこうおっしゃいました。事実を正しく認識することが計画を成功させる最初の一歩であり、間違った認識から立てた計画はその時点で失敗することが決まっていると」


 これは本当に言われたことだ。

 マティアス様は情報分析の達人であり、その重要性を誰よりも分かっておられる。計画の前提となる情報分析には特に気を付けられ、私たちが計画を立てる時も必ず前提となる事実を確認されていた。


「千里眼のマティアスの言葉か。なかなか含蓄があるな。卿もそう思わぬか、ペテルセン?」


 そこでワインを飲んでいたヨーゼフ・ペテルセン元帥に話を振る。


「真にその通りですな。適度な熟成を経た赤ワインのような味わいのある言葉です」


「ハハハハハ! モーリスよ。あれほど脅したのにまだ余の忍耐力を試すか。この宮殿で千里眼の名を出すとはなかなかの胆力よ!」


 先ほどまでとは打って変わって陽気な表情だ。どちらが演技かは分からないが、一筋縄ではいかない人物だということはよく分かった。


「その胆力、見事である! 千里眼の弟子であれば、ここは敵地と言っていい。それでもそれだけのことを言い、平然としている。今は亡き、シルヴィオ・バルツァー軍務尚書に匹敵する胆力だ。どうだ? 商人など辞めて、我が部下とならんか? 一年以内に内務尚書、もしくは財務尚書にしてやるぞ」


「ありがたいお言葉です」


 そう言って頭を下げる。


「ですが、今はまだ何も成しておりません。陛下の恩情で尚書となれたとしても、口先だけの孺子こぞうと思われ、心から認める方は少ないでしょう。誰もが認める実績を上げた後に、再び声を掛けていただければと思います」


 ここで断れば皇帝の心証を悪くすると考え、野心家であることを匂わせておいた。


「その言やよし! ハハハハハ!」


 豪快に笑った後、私の目を見つめる。


「ライナルト・モーリスにも支店長のヨルグ・ネーアーにも断られたが、そなたは余の帝国に価値を見出してくれたようだな。今の言葉、覚えておこう!」


 その後、旧皇国領での投資計画について承認された。


 白狼宮を出た後、ハンネス殿がげっそりとした顔で愚痴を零す。


「寿命が縮みましたよ。あの陛下を怒らせるようなことを言うなら先に言っておいてください。いつ処刑台に連れていけと言われるのかと心臓が止まりそうでした」


「陛下は本気でおっしゃっていませんでしたから、何も問題はありませんでしたよ。それよりも無条件で認められたことは大きいです。すぐにでも正式に契約を結び、中部と西部の総督府に話を持っていかなければなりませんから」


 そう言って励ましながら、リーデル商会に向かった。


■■■


 統一暦一二一三年十月二十日。

 ゾルダード帝国東部帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮内。


 ダニエルたちが退出した後、マクシミリアンはペテルセンを連れて執務室に入った。


「卿はどう見た? ラウシェンバッハの命を受けて謀略を仕掛けにきたとも考えられるが」


 ペテルセンは小姓から受け取った白ワインのグラスを揺らしながら、首を横に振る。


「それはありますまい。ラウシェンバッハに弟子を死地に送り込む非情さはありません」


「確かにそうだな。だとすれば、あの者の独断ということか」


「私もそう考えます」


「謀略の可能性があると思うが、卿の考えはどうだ?」


 ペテルセンはグラスを置き、少し考えた後、肩を竦める。


「難しいところですな。あの計画に従えば、帝国に利益をもたらすことは明らかです。故意に失敗させるということも考えられますが、そのことが発覚すれば、モーリス商会に損失を補填させればよいだけです。その程度のことはあの若造にも分かっておるでしょう」


「あれほどの大言壮語を吐いたのだ。モーリス商会の名を汚すようなことはすまい。だとすれば、これはラウシェンバッハとは関係ないということだな」


「そこまでは分かりませんな。あの千里眼殿は何をするか分からぬ恐ろしさがありますから」


「確かにその懸念はあるが、我が国に利益をもたらすことは明らかだ。どのような謀略に使うのか、全く想像ができん」


「全く厄介な相手です」


 ペテルセンはそう言って苦笑する。


「監視を強化した上で、優秀な若手の官僚を派遣し、我が国の落ち度で失敗したと言わせぬようにしよう。上手くいけば、モーリスの息子が言うように旧皇国領の民心が得られよう。ラウシェンバッハにどのような思惑があろうと、利益を得てしまえばよいのだからな」


「おっしゃる通りですな。もっとも、あの絶望的な旧皇国領の酒を以前のような至高のものに戻せるのであれば、私は悪魔にでも協力いたしますが」


 その言葉に皇帝は苦笑した。

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