番外編第十一話「弟子ダニエル・モーリス:前編」
統一暦一二一三年十月二十日。
ゾルダード帝国東部帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮内。ダニエル・モーリス
私は今、帝都にある宮殿、白狼宮にいる。
これから帝国軍の予算を減らすための策を実行するためだ。
マティアス様が最も警戒している人物、皇帝マクシミリアンに謁見することに緊張している。マティアス様を殺そうとした人物に会うということで自分が冷静でいられるのか、そのことが気になっていたからだ。
今回の策は兄フレディと共に考えたものだ。
旧リヒトロット皇国領の産業振興を名目に、帝国の金を投入させ、軍事費を削減させることを目指している。
産業振興の目玉はリヒトロット市周辺のワイン造りとグリューン河流域での蒸留酒造りの復活だ。
元々リヒトロット市周辺ではワイン造りが盛んで、特に白ワインは高級品として珍重されていた。また、グリューン河流域の蒸留酒は長期熟成のものが多く、職人たちは誇りをもって仕事をしていた。
しかし、長引く戦乱で最大の顧客、皇国貴族たちが求めていた高級品の需要は大きく落ち込んだ。
その状況にマティアス様は目を付けられた。
不安を感じていた職人たちに対し、自由で安全な生産地を紹介するという触れ込みで声を掛け、旧皇国領内の優秀な職人を大量に引き抜いた。
その結果、旧皇国領内の酒類の生産量は大きく落ち込み、更に品質も以前とは比べ物にならないほど落ちていた。
その生産地に大量の投資を行い、かつての名産品を復活させ、雇用と税収を生み出す。そして、経済を活発化させることで、帝国の支配を認めさせるという計画だ。
そのためにまずマティアス様が作られたラウシェンバッハ子爵領での酒造計画書を見ながら、子爵領の醸造所と蒸留所、ブドウ畑などを視察した。
子爵領では醸造所と蒸留所がそれぞれ四つずつある。また、エンテ河西側にブドウ畑を作り、多くの生産者に与えている。そのために、三年間で計五千万
ビールは一二〇八年から本格的に販売し、ウイスキーは一二一二年頃から若い熟成の物が販売されている。後発のワイン造りも順調で昨年から市場にも出回り始めており、酒造関係の収支は、単年度での黒字化に成功している。
非常に順調だが、視察した結果、ラウシェンバッハ子爵領だからできた可能性が高いと分かった。
まずビールやウイスキーだが、原料である大麦を格安で仕入れられていることが大きい。仕入れ先は旧リヒトロット皇国領のグリューン河流域が多いが、グランツフート共和国やレヒト法国の価格を見て、安いところから大量に仕入れている。
これが可能なのは、仕入れを担当する我がモーリス商会が
そのため、ヴィントムント市近郊の酒造場に比べ、原料価格は三割以上安い。
この他にも輸送に使う樽や蒸留所で使う燃料も格安で仕入れられている。これは子爵領西部の獣人族入植地から木材が仕入れられるからだ。
森には
他にも子爵領では新規事業の税を免除する制度があり、税金分も安くできる。
更に大きな点は大消費地であるヴィントムント市が最短一日で運べるほど近い点だ。また、ラウシェンバッハ市も発展しており、地産地消の点でも有利で現金化しやすい。
これらの有利な点をマティアス様は当初から理解しておられ、この事業を始められたのだ。
そのため、このままスケールアップしても失敗する可能性が高いが、今回は帝国の資金を垂れ流す策であるため、短期間で資金回収できない方がいい。
但し、長期間赤字が続けば投資自体が取りやめられるため、ある程度儲けられることを示す必要がある。具体的には醸造は五年程度で単年度黒字化を目指す。蒸留酒については高級路線を狙うといって、長期熟成を主とするので単年度黒字は十年以上先として計画する。
計画の規模はラウシェンバッハ子爵領の二十倍、総額で十億組合マルク(日本円で約一千億円)、帝国マルクでは二十億マルクとしている。これだけの金を三年で投資するのだ。
ちなみに帝国マルクだが、マティアス様の策によって、以前は一帝国マルク=〇・六組合マルクだったものが、一帝国マルク=〇・五組合マルクにまで下落している。
リーデル商会の商会長、ハンネス殿と共に謁見の間に入っていく。
ハンネス殿は五十歳になる肥満気味の男だが、常に明るい表情で親しみやすい人物だ。しかし今日は、皇帝に謁見するということで緊張し、常に汗を拭いている。
「ダニエルさんは凄いですな。私など緊張しすぎて倒れそうですよ」
「私も緊張していますよ」
そう言って笑う。
「本当に私は何も説明しなくてよいのですね」
「ええ。最初に挨拶だけしていただければ、あとは私がすべて説明します」
「よろしく頼みますよ。陛下のご機嫌を損ねたら大変なことになりますので」
「ご安心ください。私はこれでもライナルト・モーリスの息子です。陛下も私を罰して父の機嫌を損ねるようなことはしないでしょう。ですから、堂々としていてくだされば問題ありません」
これは強がりでもなんでもなく、事実だ。
帝国への最大の出資者モーリス商会を敵に回せば、帝国経済はたちどころに行き詰まる。そのことは皇帝も理解しているから、不敬罪に問われるようなことさえしなければ、恐れることはない。
謁見の間に入っていくと、二十人ほどの男が左右に立っている。軍服姿が目立つところが帝国らしいと思った。最も玉座に近いところにワイングラスを持った男がいる。
その先には数段上がったところに玉座があり、笑みを浮かべた三十歳くらいの男が私たちを見ていた。
玉座から十メートルほどのところで立ち止まり、片膝を突いて頭を大きく下げる。
「リーデル商会の商会長ハンネス・リーデルと申します。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「頭を上げよ。余がマクシミリアンだ」
よく通る声だが、感情らしきものは感じられない。
ゆっくりと頭を上げると、笑みを湛えて私を見ていた。
「そなたはモーリスの息子と聞くが、真か?」
「初めて御意を得ます。ライナルト・モーリスの次男、ダニエルと申します」
「ほう、思ったより若いな。歳はいくつになる?」
「来月、十九歳になります」
「商都の麒麟児、千里眼の弟子と呼ばれるだけのことはあるな。余を前にしても動じた様子がない」
思ったより明るい声だ。この謁見を楽しんでいるように見える。
「計画の概要は既に聞いている。我が国にとって有益な提案だと余も考えている」
そこまで言ったところで、声音が少し変わった。
「だが、ラウシェンバッハの弟子が何の思惑もなく、我が国に利益をもたらすとは思えぬ。納得いく答えが聞けねば、モーリスの息子といえども捕えて拷問にかける。そなたは何を考えて余の前にきたのだ?」
この問いは想定内だ。だから、焦ることなく、慎重に答えていく。
「ではお答えいたします。確かに私は兄と共にマティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵様に師事いたしました。陛下のお耳に入るほどの名声が得られたのは、マティアス様のお陰と思っております。ですが、あの方より最初に言われたことがございます」
「ほう、それは何だ? 千里眼のマティアスが何を言ったのか、興味がある」
こう言えば、皇帝が興味を持つと思っていたが、大成功だった。しかし、そのことは表には出さず、真面目な表情を崩すことなく説明していく。
「はい。まず私が何を目指すのかと問われ、父のような商人になりたいと答えました。その答えに対し、マティアス様は“商売の目的は利益を求めること。それを忘れるようであれば、私が教えることはない”とおっしゃられました」
「確かにそうだな。利益を求めぬ者は商人ではない。そなたの父も我が国に投資をしているが、着実に利益を上げている」
「マティアス様もそのことをおっしゃいました。しかし、それだけではありませんでした」
「千里眼は何を言ったのだ?」
皇帝は更に興味を持ったのか、少し前のめりになって聞いてきた。
「利益を求めても政治を利用してはいけない。政商と呼ばれた者は必ず身を滅ぼしていると」
「面白いな。確かに政商と呼ばれた者はその後に没落しているな」
皇帝は楽しげに頷いている。
「はい。商売に政治を利用しようとすれば、いずれ政治に利用されることになる。そうなると、他のお客様や取引先が損をすることになる。それでは長続きしない。だから、政治とは距離を置くべきであると、教えていただきました。もちろん、政治に関する知識は必要であり、軽視していいということではありません。あくまで政治家の思惑に左右されるなという教えでした」
「うむ。確かにモーリス商会はそう言った観点で商売をしている。余の弱みを的確に突いてくるが、不当な取引は決して求めてこぬ。余にも商会にもそして民にも利益があるような提案をしてくる。そのお陰で我が国は危機を乗り越えられたと言っても過言ではない」
「もったいないお言葉です」
「では、今回の提案も帝国にも商会にも民にも利益があるというのだな」
鋭い視線を向けられるが、はっきりと「はい」と答える。
「ではいくつか聞きたいことがある」
私は皇帝の次の言葉を緊張しながら待った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます