第28話「逆手」

 統一暦一二〇五年一月二十五日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンベルク、マルティン・ネッツァー邸。上級魔導師マルティン・ネッツァー


 ゾルダート帝国の帝都ヘルシャーホルストから驚くべき情報がもたらされた。

 皇帝コルネリウス二世がマティアス君を帝国軍士官学校の主任教官として招聘したいと言っており、オストインゼル公国経由で皇帝の親書が王宮に届くというものだ。


 この情報が王都に届けば、マティアス君が王国を裏切り、帝国に身を寄せようとしていると非難する声が上がるだろう。非難だけならいいが、最悪の場合は内通者として処断される。


 私の話を聞いたマティアス君は一瞬驚きの表情を見せたが、すぐにいつもの笑みを浮かべていた。


「帝国は私を嵌めようとしているみたいですね。大物になった気分ですよ」


 おどけてそう言っているが、彼の妻のイリス君は心配そうな表情を崩さない。


「どうするの? 国王陛下はともかく、マルクトホーフェン侯爵ならグレーフェンベルク閣下を貶めるために、この情報を使うはずよ。そうなったら、あなたに罪を被せてくることは間違いないわ」


 彼女の考えは間違っていない。

 彼を拷問にかけて証言を引き出せば、反マルクトホーフェン侯爵派のグレーフェンベルク伯爵やエッフェンベルク伯爵にも罪を着せることができるからだ。


「そうだね。手を打っておく必要があるかな」


 マティアス君はまだ余裕の笑みを浮かべているが、私は気が気ではなかった。彼のことは大賢者マグダ様から頼まれているので、こんなことで彼を失うわけにはいかないのだ。


「手はあるのか? マルクトホーフェン侯爵ならどのような言い訳をしても通用しないと思うが」


「恐らく大丈夫です。というより、帝国の策略を利用させてもらうつもりです」


 策略を利用すると言ったところで、私にも余裕が戻ってきた。彼はいつも通り、先を見据えて考えていたのだと安堵する。


「具体的にはどうするの? 手を打つと言っても時間は一ヶ月ほどしかないわよ」


 イリス君はまだ不安なようだ。


「王国軍改革で滞っているところを一気に解消させてもらう。具体的には王国軍士官学校と下士官養成校の設立を私自身が提案する」


「そう言うことね。確かにそれなら一石二鳥だわ」


 イリス君には理解できたようだが、私にはマティアス君が何を狙っているのか、全く理解できなかった。


「士官学校を作ることと、今回の件はどう関係するのだろうか?」


「私に帝国軍士官学校の主任戦術教官の椅子を用意すると、皇帝が公式に言ってくるのです。帝国の士官学校の主任教官は各科の教官のトップです。つまり、戦術科の長となる資格を持っていると宣言してくれました。その私が王国軍に士官学校を設立すると言っていたら、皆さんはどうお考えになるでしょうか?」


 私はその問いを聞き、頭の中で想像してみた。


「敵が引き抜きたくなるほど優秀な人物が提案したのだから、士官学校というものは有効なものだと理解するということかな」


「惜しいですね。イリス、君ならどう考える?」


 私の答えは合格点に達しなかったらしい。


「帝国が士官学校設立を妨害するために、先手を打ってきたと思うわね。士官学校のことは六年前の王国騎士団設立の時からある話だし、帝国が知っていてもおかしくはないわ。それに士官学校は王立学院の兵学部を母体にするはずだから、兵学部の助教授であるあなたを指名することで、妨害しようとしているとしか見えなくなるはず」


 なるほどと思った。さすがは王都の三神童と呼ばれただけのことはある。彼女もまた天才の一人だと感心した。


「ご名答。問題があるとすれば、タイミングが良すぎることだね。こちらが先手を打ったようにしか見えないから」


「その点は大丈夫じゃないかしら」


 イリス君は自信満々に答えるが、私にはそう思えなかった。


「どうしてかな? 皇帝が親書を送ったタイミングとマティアス君が提案を行ったタイミングが同じなら、帝都から何らかの方法で情報を得ているとバレてしまうのではないか。そうなったら長距離通信の魔導具の存在を知られることにもなりかねないが」


 イリス君は自信に満ちた表情で私の疑問に答える。


「昨年末にもグレーフェンベルク閣下から提案されていますし、この時期は多くの貴族が領地に戻るタイミング、つまりマルクトホーフェン侯爵がいなくなりますから、邪魔が入らないタイミングで彼自身が提案したと考えれば、違和感はありません」


 グライフトゥルム王国では年末に次年度の予算調整が行われ、年明けに国王によって決裁される。また、年末年始の行事も終わっているので、領地を持っている貴族は一度領地に戻ることが慣例となっており、ややこしい案件の説明をこのタイミングで行うことはよくあることだ。


「なるほど。確かに違和感は少ないな。しかし、士官学校と下士官養成校の提案を一ヶ月という短期間で作れるものなのかな?」


「その点は大丈夫です。既に素案は作ってありますし、グレーフェンベルク閣下にも説明はしていますから。あとは陛下や宰相閣下にお見せできるように、分かりやすく作り直すだけです」


 相変わらずの手際の良さだと感心する。


「先ほどの話に戻るが、イリス君が一石二鳥と言ったのは、帝国が邪魔をしてきたということを利用して、宰相に認めさせるということでいいのかな」


「その通りです。宰相閣下だけなら、帝国に利するようなことはしないですよねと説得すれば分かっていただけますので。マルクトホーフェン侯爵閣下が王都に戻ってこられる前に親書が届いてくれればよいと思っていますよ」


 恐らく今の笑みを浮かべながら、宰相であるクラース侯爵を脅すのだろう。


 マティアス君は一週間後の一月三十一日に、宰相に提案書を持っていったらしい。その場では淡々と説明しただけで、特に採否についての意見は出なかったと聞いている。


 この説明自体は説得するためのものではなく、あくまでマティアス君本人が、親書が届く前に提案を行ったという実績を作るものであるため、彼自身も積極的に説得しなかったようだ。


 ちなみにその提案書だが、私も見せてもらったが、いつも通りの素晴らしいものだった。

 士官学校は三年制で一学年の定員は五十名。戦術や戦史だけでなく、地理や歴史、算術なども必須教科となっている。


 一年と二年は座学と集団行動を学び、三年生になると、士官候補生として騎士団の中隊長の下で実地教育を受ける。


 また、現在の騎士団の隊長たちが受けるカリキュラムとして、上級戦術科というコースが用意されており、戦術だけでなく、兵站や人事に関する教育を受けることができるようになっていた。


 なお、シュヴェーレンブルク王立学院高等部兵学部から編入することを想定しており、その際の教育方針なども案として入っている。兵学部は士官学校設立後に史学部として歴史全般を学ぶ学部に変える提案となっていた。


 下士官養成校は定員五十名で半年コースとなっている。

 教育内容は部下への教育や物資の管理といった実践的なもので、騎士団で一定の評価を受けた兵士が推薦されて入学することを想定していた。


 これを見たグレーフェンベルク伯爵ら騎士団長たちは、すぐにでも採用すべきだと、宰相に迫ったという話まで聞こえてきている。


 特に下士官の養成は喫緊の課題らしく、学校という正式なものではなく、教育コースとできないか、マティアス君に検討するよう指示が出されたらしい。


 詳しくは聞いていないが、騎士団長の権限で教導隊という組織が作られ、そこで下士官を養成するという話になりそうだと聞いている。

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