第15話「将来のこと」

 統一暦一一九八年八月二十日。

 グライフトゥルム王国エッフェンベルク伯爵領、領主館。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 エッフェンベルク伯爵領に来て一ヶ月半が過ぎた。

 夏休みを利用してラザファムとイリスの実家に遊びに来たつもりだったのだが、思ったより仕事が多かった。


 当初、エッフェンベルク騎士団改革の進捗の確認はすぐに終わると思っていた。

 グランツフート共和国の名将ゲルハルト・ケンプフェルト将軍と、王国軍の若手のエース、クリストフ・フォン・グレーフェンベルク子爵が指導しており、私が確認することなどないと思っていたためだ。


 しかし、蓋を開けてみると、細かな確認が毎日のように舞い込んできた。

 そのほとんどは既に結論が出ているようなものだったが、問題は各階層の指揮官の教本だった。


「司令官用の教本なのだが、この部分の説明が理解しづらい。もう少し詳しく書けぬか」


 普段は見せない、やや疲れたような表情を浮かべたケンプフェルト将軍が教本の当該ページを指さす。彼が示してきたのは戦争の目的と目標の設定についてだった。


「“戦争は政治目的を達成するための一つの手段”というのは何となく分かるのだが、どう説明してよいのかが分からぬ。例を挙げることはできないか」


「そうですね……」


 そう言って少し考えた後、自分の考えを説明していく。


「戦争は外国との戦争であっても国内における内戦であっても、政治の目的を達成するための手段に過ぎません。外国との関係で言えば、外交上の目的、例えばある領土を得ることを目的としていた場合、交渉で得る方法と武力を用いて占領するという手段が考えられます。その武力を用いて占領する行為が戦争なのです」


「それは分かるが、防衛の場合はどうなのだ? 単に攻められたから守るとしか思えぬのだが」


「防衛戦でも外交上の目的を達成するという点では何ら変わりません。武力侵攻に対し抵抗することで外交交渉に持ち込み、敵の狙いを妨げることが目的となります。ですので、外交上の目的を達成するために敵軍の撃破が必須なのか、それとも単に時間を稼ぐだけでいいのかで戦い方が変わってくるのです」


「……うむ。何となく分かってきたぞ。外交上の交渉を有利にすることが目的だと考えると、敵を撃破しなくとも同盟軍によって敵国を脅かすだけでもいいということか……」


 将軍は大きく頷いて納得する。その顔にはすっきりとしたと書かれていた。

 しかし、私はそれをやんわりと否定する。


「それほど単純ではありませんよ」


 再び将軍の顔に困惑の表情が浮かぶ。


「どういうことだ?」


「仮に敵国の戦争目的が国富の増大、すなわち領土や国民の獲得であれば、交渉に持ち込む戦略は間違いではありません。ですが、もし内部の統制、つまり国内の不満を解消するためであれば、相手は妥協することなく攻め続けます。撤退すれば政権が不安定になって、そのまま内戦になってしまうかもしれませんから。ですから、相手が何を求めて戦争を行っているのかを理解することは重要なのです」


「なるほどな……よく分かった」


 こんな話だけならまだ対応できるが、戦術についてまで確認された。


「この小規模部隊による後方撹乱戦術という奴なんだが、やられたらヤバイということは分かる。だが、これを読んでも具体的にどうしたらいいのかがよく分からん」


 小規模部隊による後方撹乱戦術はいわゆるゲリラ戦のことだ。

 隊長クラスの教本にゲリラ戦術について書いているが、私は軍事の専門家でも何でもないので、概念的なことしか書けなかった。


 書いたことは他の戦術の説明と同じく、目的と目標、そして概念的な方法論だ。

 目的は敵の軍事作戦の妨害であり、敵の撃破ではないこと、目標はそのために何を狙うかで、輸送部隊や敵の兵站基地、そして軍や国の要人としている。


 方法論は敵に見つからないことを第一に考え、そのために地形や気象を把握すること、情報を得るために地元民と良好な関係を築くこと、安全な拠点を持つこと、襲撃後に撤退するルートを複数確保しておき、実行後は更に戦果が期待できても無理をせずに速やかに撤退することなどを書いておいた。


「具体的と言われても難しいですね。地形だけじゃなく、状況も千差万別ですし」


「確かにそうかもしれんな。だが、そもそもこれは成功するものなのか? 正面から当たっても勝てないような強い敵なのだろう? ならば、ちまちま攻撃しても埒は明かない気がするが」


 その問いには答えることができた。


「成功例ならありますよ。今現在、帝国と皇国との戦いで使われていますから」


 私の言葉に将軍が首を傾げる。


「そうなのか? 聞いたことがないが……」


「エーデルシュタイン周辺ではこの戦術を使って嫌がらせをやっています。既に五百輌以上の荷馬車を破壊し、帝国軍は補給に多大な労力を使わざるを得ない状況になって、西への大規模な侵攻作戦が停滞しています」


 このゲリラ戦術はフェアラート会戦での敗北後、グライフトゥルム王国からの提案で始められている。


 リヒトロット皇国軍にも同じような戦術を考えていた者がおり、意外にすんなり受け入れられた。また、闇の監視者シャッテンヴァッヘの間者を密かに投入して情報提供を行っているから成功率は高く、戦果は上がっている。


「確かに帝国軍の動きが鈍ったと聞いていたが、その理由がこの後方撹乱戦術って奴なのか……この撹乱部隊だが、どうやったら編成できるんだ?」


「それも難しい質問ですね……皇国では、指揮官はその地域に詳しい人、地元出身の武人の方がなっています。実戦部隊は山や森での行動に慣れている狩人イエーガーや自警団を中心に編成していますね。最初のうちは戦術を理解させるのに苦労したらしいですが」


 こんな話が毎日のように来たのだ。


 ちなみに既にラザファムとイリスの父、カルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵にも私のことはばれている。


 改革案の立案者の一人として紹介されたマルティン・ネッツァー氏がエッフェンベルク伯爵からの質問に耐えられなくなり、私のことを明かして直接答えられるようにしたためだ。

 話を聞いた伯爵が半信半疑という感じで私を見たが、話をして納得したという感じだ。


 騎士団改革の実行者クリストフ・フォン・グレーフェンベルク子爵は改革案を推進させる必要があり、最初期に私のことを話していた。何度か話をして私のことを気に入ったらしく、何度も個人的な参謀にならないかと勧誘されている。


 騎士団関係以外でもいろいろとあった。

 ラザファムとイリスと一緒に伯爵領を回ることで、この世界の町や農村を間近に見ることができたことだ。これまで病弱を理由に王都からほとんど出たことがなく、新鮮な経験だった。


 見て回って思ったことは、この世界は思いの外、進んでいるということだった。

 農業はノーフォーク農法に近い輪栽式で、当たり前のように牛馬を使っている。また、風車や水車もほとんどの村にも見られ、貧しい農村という印象は受けなかった。


 村の井戸には手押しポンプがあり、町では簡易ながらも上下水道が整備され、清潔感があった。


 この他にも料理もバリエーションがあり、どこにいっても満足できる質だった。

 元々王都にある子爵家ということで、実家の料理の質は高かったが、庶民料理まで調味料が豊富だということに驚いている。


 エッフェンベルク伯爵領だからというわけでもなく、グライフトゥルム王国やグランツフート共和国では珍しいことではないと教えてもらった。


 理由は千二百年前の理想の国家、フリーデン時代にインフラが整備され、そのノウハウが叡智の守護者ヴァイスヴァッヘによって継承されていることと、大陸公路ラントシュトラーセによる交易が盛んなためらしい。


 この小旅行では馬車ではなく騎乗で移動した。

 と言っても、私はほとんど馬に乗れないので、イリスと一緒に乗ったのだが、これも楽しかった思い出だ。


 日本で四十代半ばまで生き、この世界でも記憶を取り戻してから六年ほど経っているから、精神的には五十歳を過ぎている。その私から見たら十四歳の彼女は娘と言っていい。その彼女に私は女性として魅かれている。


 もちろん日本に生きていた頃に幼女趣味だったわけではなく、今の肉体に引きずられている気がしている。


 凛とした雰囲気を漂わせていることが多いが、話すと優しさを感じさせ、真面目だが年相応のはにかむような表情を見せる。そんな彼女を好きになっていたのだ。


 イリスとの関係についてはそろそろ真剣に考えないといけないと思っている。

 私も彼女も貴族であり、来年辺りには婚約者が決まってもおかしくないのだ。家柄的には子爵家の嫡男と伯爵家の長女という組み合わせは、それほど違和感があるものではない。


 特にうちは子爵家であっても領地を持ち、ここ最近では領地も繁栄してきていることもあって、家格的な釣り合いは充分に取れている。


 不安要素は彼女が何をやりたいと考えているかだ。

 今のところ、高等部の兵学部に入る気でいるようだが、その先ははっきりしていないのか教えてもらっていない。


 私自身も進路を決めていない。

 高等部には進学するつもりだが、ラザファムやイリスと同じ兵学部に入るのか、文官を目指して政学部に入るのか決めかねているのだ。


 私の体力では兵学部卒業後に騎士団に入ることは難しいと思っている。

 当初は健康になったことからもう少しなんとかなるかと思ったが、剣術はもちろんのこと、馬術も苦手なままだ。


 兵学部卒業者は騎士団入団後、指揮官になるが、剣をまともに使えず、馬にも乗れない私を部下である兵たちが認めないことは明らかだ。


 宰相府の軍事部門に文官として入ることも考えたが、現在の王国の政治体制では書類仕事に終始するだけで、実際の国防にほとんど関与できないだろう。


 もう一つの選択肢としては叡智の守護者ヴァイスヴァッヘに正式に入り、情報分析室で働くことだ。


 情報分析室なら魔導師マギーアでなくても役に立てるし、その情報を使って策を立てれば役に立てる可能性が高い。


 問題は父や母が認めるかという点だ。

 これでも一応子爵家の嫡男であり、学院の初等部とはいえ首席を維持し続けている秀才と見られている。


 つまり、子爵家の次期当主の座はほぼ確定ということだ。その子爵が王家と関係が深いとはいえ、平民である魔導師たちの部下になるということに、両親が難色を示す可能性は非常に高い。


 いろいろと悩んでいたが、今回の旅行で少しだけ方向性が見えてきた気がする。

 グレーフェンベルク子爵から騎士団に新たに設置する参謀職に勧誘されており、指揮官ではなく、参謀という選択肢が浮上してきたからだ。


 参謀は私が作った改革案にも記載されており、王国軍全体を管轄する参謀本部と騎士団ごとに設置する団長付きの騎士団参謀部を提案した。


 参謀本部は宰相府との関係もあり政治色が強く、また人材の確保も難しいため、設置までのハードルが高い。今の感じでは今後数年でできるとは到底思えない。


 騎士団参謀部は騎士団長の裁量で置くことができるから、グレーフェンベルク子爵がシュヴェーレンブルク騎士団の団長になれば、充分に可能性はある。


 王国軍改革にはシュヴェーレンブルク騎士団の増強、具体的には第一騎士団から第四騎士団までの四つの団を常設部隊とする計画がある。第一騎士団は王宮防衛の近衛隊が主であるが、実戦部隊である第二から第四騎士団のいずれかの団長に子爵が就任することは確実だ。


 改革自体がいつ始まるかは分からないが、私が高等部を卒業する四年半後であれば、少なくとも着手くらいはされているだろう。


 そんな話もあり、高等部の兵学部に入ることも視野に入れ始めている。

 そう考えるものの、座学はともかく、行軍や武術の授業は必須であり、卒業できるかという問題は残っている。


 いずれにしても来年の今頃には結論を出さないといけないが、今はこの楽しい旅行を楽しもうと、あまり深く考えていない。

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