第14話「イリス」
統一暦一一九八年七月一日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、エッフェンベルク伯爵邸。イリス・フォン・エッフェンベルク
シュヴェーレンブルク王立学院初等部の二年に進級して半年ほど経った。今日から八月三十一日までの二ヶ月間、学院の夏休みに入る。
今回の休みでも故郷エッフェンベルクに帰ることが決まっていた。昨年の夏休みは帰省したものの、お父様が騎士団改革に掛かりきりで、領地を見て回ることもなく終わってしまい、退屈な日々を過ごした記憶しかない。
しかし、今回は楽しみがある。それはマティアスが同行すること。
去年の夏休みは一ヶ月近く会えなかったから、彼と一緒じゃないと楽しくないということは嫌というほど分かっている。理由は分からないけど。
マティアスが同行することは彼が言い出したことで、その話が出た時、とても心が躍ったわ。彼も私たちと一緒に居たいと思ってくれていることが分かったから。
でも、その話が出た時、兄様が反対した。
「身体は大丈夫なのか? 領地までは馬車だが三日ほど掛かるし、うちにいる
余計なことを言わないでと思ったけど、兄様の懸念は理解できる。
「その点は大丈夫だよ。偶然なんだけど、ネッツァーさんもエッフェンベルクに行くらしいんだ。騎士団改革の仕上げを見たいということでね。だから父上たちも認めてくれているよ」
マルティン・ネッツァー氏は彼の主治医でもある上級魔導師だ。私たちに
こうして夏休みに入った今日、領地に向けて出発した。
馬車はエッフェンベルク家の物で、お父様が寄こしてくれた護衛二十騎が周りを固めている。
マティアスは彼のメイドのカルラとネッツァーさんと一緒にやってきた。その後ろには二人の護衛らしい騎士が馬を引いている。
領地持ちの子爵家の嫡男の護衛がたった二人でいいのかと思ったけど、領都エッフェンベルクは比較的安全だし、道中も我が家の護衛が二十人もいるから問題ないと判断したらしい。
彼らの他にも同行者がいる。
王国騎士団の騎士長、クリストフ・フォン・グレーフェンベルク子爵様だ。
グレーフェンベルク子爵様は昔からよく知っており、“クリストフおじ様”と呼んでいる。おじ様もネッツァーさんと同じく、騎士団の状況を視察するらしい。
出発するとどちらも親がいないことから、いつものように気兼ねなく話す。
「王都から出るのは久しぶりだ」
私と兄は学院に入る前には年に二回くらい領地と王都を行き来していたし、去年も夏休みに帰省しているから一年ぶりだけど、健康に不安があるマティアスは学院に入った後は、ほとんど王都から出たことがなかった。
「この辺りは麦畑が広がっているんだな……丘に植えてあるのは何の野菜なんだろう……」
いつもは落ち着いているマティアスが外の風景を見て楽しそうに話している。
その姿が新鮮だった。
私も楽しかった。
彼と一日中一緒にいるのは初めて。学院では授業があるし、休みの日も半日くらい一緒にいるけど、その大半が剣術の鍛錬であまり話ができない。
こんなに一緒に居て、たくさん話ができるのは初めてだった。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、何事もなく七月三日のお昼過ぎにエッフェンベルクに到着した。
既に連絡が入っていたのか、領主館までの道沿いに多くの人が並んで私たちに手を振ってくれる。
「ラザファム様! イリスお嬢様! お帰りなさい!」
「エッフェンベルク伯爵家、万歳!」
そんな声が響き、私たちは開けた窓から手を振り返していた。
「凄い人気だね。驚いたよ」
マティアスの言葉にネッツァーさんも頷いている。
「他の貴族に同行したことがあるけど、これほど熱狂的に歓迎する土地も珍しいね。エッフェンベルク家が善政を敷いていることがよく分かるよ」
「そうなのですか?」
私と兄はこれが普通だと思っていたから逆に驚いている。
領主館に入ると、お父様とお母様、弟のディートリヒが出迎えてくれた。
その夜はマティアスとネッツァーさんの歓迎会ということで、私たち家族だけでなく、主だった家臣たちも参加するパーティーとなった。
他には騎士団の指導をしてくださっているグランツフート共和国軍の将軍、ゲルハルト・ケンプフェルト閣下と、クリストフおじ様が同席している。
「あの王立学院の首席から第三席までの俊英が集まるとは凄いものだね」
クリストフおじ様はそう言ってきた。
「ラザファムとイリスは学問だけでなく、四元流の初伝も受けていますからもっと凄いと思いますよ。来年には中伝を受けられるのではないかと言われているほどですし」
マティアスがいつも通りの優しい笑みを浮かべて説明する。
「ほう、その年で初伝を受け、来年にも中伝とはなかなかのものだ」
武人という言葉がよく似合うケンプフェルト閣下にそう言われると照れてしまう。閣下は四元流を極めた達人として有名だから。
そんな感じで和やかに歓迎会が行われた。
翌日は旅の疲れを取るということで領主館にいる予定だったけど、兄様がケンプフェルト閣下にお願いし、稽古をつけてもらうことになった。もちろん私も参加する。
マティアスはいつも通り、訓練場の端で見学しているわ。
素振りで身体を温めた後、閣下に稽古をつけてもらう。
と言っても実力差がありすぎるので、閣下が構えている剣に打ち込むだけ。
それでもとても勉強になった。
閣下は剣を中段に構えて立っているだけなんだけど、もの凄く大きく見えた。いつも指導をしてくれる我が家の騎士、ハラルド・クレーマンも強いと思っているけど桁が違う感じ。
閣下の木剣に打ち込んだだけなのに、肘まで痺れるほどの衝撃を受けている。あとで兄様に聞いたら無意識のうちに“硬気”を使っているのだろうということだった。
“硬気”は
私たちにはまだ使えないけど、達人になると全身鎧より硬い膜に覆われ、ほとんどの攻撃が利かなくなるらしい。
それから閣下にいろいろと教えてもらったけど、自分の力不足に凹んだ。これは兄様も同じだった。
「ケンプフェルト閣下に教わるほどの腕じゃないな。閣下の下で修行をしたらもっと強くなれる気がするんだけどなぁ」
私も同感だったが、閣下は九月に入ったら祖国に戻られることが決まっており、無理な話だと分かっている。
「二人ともよい師について真面目に修行をしているようだ。ここにいる間で時間があれば稽古をつけてやろう。今後も精進するようにな」
私と兄様は驚き、一瞬の間の後、同時に頭を下げてお礼を言った。
「「ありがとうございます! よろしくお願いします!」」
閣下は私たちを見て微笑んでいた。
それから時間を見て閣下に稽古をつけてもらったが、それ以外にも驚くべきことがあった。
それは騎士団の訓練を間近で見ることができたこと。
昨年の夏はまだ新しい訓練が始まっておらず、数十人ほどの兵士が隊長の命令に従って素振りをしているだけだったけど、今年は違った。
エッフェンベルクの町近くの草原で行われるのだけど、騎士団の実戦部隊である二千五百人全員での演習ということで、迫力が違ったから。
全体を見やすくするため、五メートルくらいの櫓が組まれ、その上から演習の様子を見る。その場にはクリストフおじ様とケンプフェルト閣下がいらっしゃった。
その横には今回の計画案を作った
私と兄様、マティアスの三人は邪魔にならないところから見学させてもらう。
騎士団は百人くらいの集団ごとに固まり、全体としては四角い陣形を作っていた。
彼らの進行方向の五百メートルくらい先には、標的らしい丸太が何百本も突き刺してある。
準備が整ったのか、全員が私たちの方を見て一斉に武器を掲げた。
それを合図に演習が開始され、カーンという高い鐘の音とパパパーンという軽快なラッパの音が響く。
その合図で一斉に兵士たちが動き出した。隊ごとに左右に開くように動くが、隊の形を崩すことはなく、私はその一糸乱れない動きに感嘆の声を漏らしていた。
「凄いわね」
「僕もそう思う。去年までとは大違いだ」
私と兄様は圧倒されていたけど、マティアスだけは違った。彼は自分で用意していた望遠鏡を覗きながらメモを取っていたのだ。
「第二槍兵大隊第三中隊が遅れている。最初の指示を聞き間違えたのかな……第一弓兵大隊は位置取りが悪い。少し逸っている感じか……騎兵大隊の動きはいいな……」
そんな独り言を呟いている。
彼のことは少しだけ気になったけど、やっぱり騎士団の方に目が向く。
カンカンカンと鐘が三回鳴った後、少し間が空き、カーンというひときわ大きな音が響く。
それを合図に槍兵たちがその場で止まり、一斉に槍を構えた。
更に槍兵の後ろに横陣を作っていた弓兵たちが同時に止まり、矢を番えて待機する。
騎兵たちは槍兵の右側に並び、ぴたりと止まっていた。
そして、ラッパがパーン・パンという感じで鳴ると、弓兵が一斉に矢を放った。
千本の矢が弧を描いて飛んでいく。それは一枚の帯のように見えるほど揃っていた。
私と兄様は声を上げる余裕すらなく、その光景に見入っている。
「なかなかよいですな。問題はこの後の動きですが」
ケンプフェルト閣下がクリストフおじ様に話しかけている。
矢を放った弓兵たちが一斉に左右に広がっていく。更に槍兵たちも槍を構えたまま前進を始めていた。
「今回は合図がなかったわね」
「そうだね。最初から決まっていたのかな」
私たちがそんなことを話していると、クリストフおじ様が教えてくれた。
「旗を使った合図で動いているんだよ。騎兵のところをよく見てごらん」
言われた通り騎兵隊を見ると、大きな旗を抱えた騎兵二騎おり、旗を左右に大きく振っている。
「あそこにはカルステン殿がいて指揮を執っているんだよ。彼の命令を音と旗によって伝達しているんだ。他にも伝令も使われているけどね。今回は旗だけで命令を伝えているようだな」
「凄いですね。でも、さっきは音だけで完璧に動けていたと思うのですが」
兄様が質問する。私も同じことを思っていた。
「敵がいないから音は遠くまで届くけど、敵が騒いでいたり、兵士たちが興奮していたりしたら聞き漏らすこともあるんだ。命令の伝達は最も重要なことだからね。夜には松明を使った合図もあるし、少人数では笛を使うこともある。確実に命令が届くようにいろいろとやっているんだよ」
なるほどと思った。
「マティアス君。何か感想はあるかな」
ケンプフェルト閣下が小声で質問する。
「そうですね……」
マティアスはそう言って少し考えた後、ゆっくりと話し始めた。
「素晴らしいと思います。これならば野戦でも充分に活躍できるのではないかと思いますね。ただ……」
そこで彼は口ごもった。
「何か気になる点があれば言ってほしいのだが」
閣下の言葉にマティアスは笑みを浮かべて頷く。
「では遠慮なく言わせていただきます。弓兵第一大隊ですが、少し気負い過ぎている気がします。最初の合図でも他の大隊に比べ、前に出すぎていました。その結果、他の弓兵大隊がそれに釣られて僅かに動きを乱していました。もっとも私には戦場での経験がありませんから、この程度は充分許容範囲なのかもしれませんが」
全然気づかなかった。兄様を見るけど、私と同じなのか小さく首を横に振っている。
「確かにそんな感じだったな……理由は分かるかな」
「今回は王都から来られたグレーフェンベルク子爵閣下とネッツァーさんが見ています。いいところを見せようと隊長が逸ったのではないでしょうか。もっとも途中で気づかれたようで、一斉射撃からはきちんと補正していました。ですから問題ないと思いますが、実戦でも同じようなことが起きると困りますので、大隊長に注意を促した方がよいかもしれません」
「さすがによく見ている。他に改善点はあったかな?」
「私が気づいたのはこれくらいですね。あとで野営地の様子は見に行きたいですけど」
二人の会話を聞き、マティアスが今回の計画案の作成に関与していることを閣下が知っていると確信した。
その後、演習は無事に終わった。
お父様やクリストフおじ様は満足そうな顔でネッツァーさんと話している。
私と兄様は初めて見た本格的な演習に興奮していた。
「凄かったわ。エッフェンベルク騎士団はやっぱり精鋭なのね」
「僕もそう思う。でも、ケンプフェルト閣下の指導でここまで来たのなら、共和国軍はもっと凄いということか……」
最後の方は少し暗い表情になっていた。
「そうでもないぞ」
ケンプフェルト閣下の声に私たちは振り向いた。
「今回の改革案は画期的なものだ。俺が戻り次第、我が国でも導入するが、これほどの練度の部隊は、我が国はもちろん、帝国にもないだろう」
閣下の言葉に兄様の表情が明るくなっていた。
「やっぱりエッフェンベルク騎士団は精鋭なんだ……よかった……」
私も嬉しかった。
でも兄様とは違う意味で。
今回の改革案はマティアスが作ったものだ。彼は全部じゃないと言っているけど、多分ほとんど作っているはず。それが名将と名高いケンプフェルト閣下に認められたのだ。そのことが嬉しかった。
でも疑問が浮かぶ。
閣下やクリストフおじ様のような優秀な方でも作れないような計画を、どうやって思いついたのだろうということ。
最初に見たのは一年以上前のことだから、まだ十三歳になったばかりのはず。
そんな子供に騎士団の改革案なんてできるものなのだろうか。
そう考えると、彼のことが少しだけ怖くなる。本当に私たちと同じ
でも、考えるのはそこでやめた。
彼が何者であってもいい。一緒にいられるのなら……。
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