第13話「謀略の効果」
統一暦一一九八年二月十日。
ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。コルネリウス二世
目の前にいる軍務尚書シルヴィオ・バルツァーが、いつも通りの感情の起伏を感じさせない声で報告を行っている。
「……ルーツィア・ゲルリッツ軍団長からの報告では、エーデルシュタイン周辺で輜重隊が襲撃を受け、輜重兵及び護衛約三百名、荷馬車約百輌が失われたとのことです。襲撃者は皇国の手の者と思われますが、未だに討伐できておりません」
旧皇国領の占領政策について、軍務尚書と内務尚書から説明を受けているところだが、その内容に苛立ちを抑えられない。
「ルーツィアは何をしておるのだ! 内務府もだ! エーデルシュタインを占領して何年経つと思っている! 未だ新領土を掌握できぬとは!……」
旧リヒトロット皇国領である南部鉱山地帯を占領して四年以上の時が流れている。しかし、未だに皇国軍の別動隊が蠢動し、更に民衆も我が帝国の支配を完全には認めておらず、彼らへの支援を密かに行っていた。
また、鉱山の作業員や加工場の職人たちの罪に問えない程度の不服従や怠慢行為は後を絶たず、占領政策は遅々として進んでいない。
占領した当初、反抗心はほとんど見えず、すぐにでも同化政策は終わると思っていた。しかし、年を追うごとに現地民の反帝国感情は強まっており、何らかの謀略が行われていることは明らかだ。
国内の治安を守る内務府の責任者、内務尚書であるハンス・ヨアヒム・フェーゲラインは余の言葉を受けて恭しく頭を下げる。
「陛下の宸襟を騒がせたこと、臣の不徳の致すところ。いかような処分でも甘んじてお受けする所存」
フェーゲラインはもうすぐ五十歳になる冴えない中年男にしか見えないが、既に十年近く内務尚書を務めており、その手腕は余も認めるところだ。殊勝な言葉だが、余に更迭はできぬと高を括っており、慇懃さが鼻につく。
「謝罪の言葉は不要だ。具体的にどうするつもりか説明してくれ」
余が不機嫌そうにそういうと、フェーゲラインはもう一度恭しく頭を下げた後、説明を始めた。
「それでは我が考えを説明いたします。実行犯の追及は当然として、根本から正さねばならぬと愚考するところ。原因は第二軍団の兵たちの綱紀が緩み、民に不信感を持たせたことが発端であり、徹底した調査と綱紀粛正を厳にすることが必要かと」
余が口を開く前にバルツァーが発言を求めて手を挙げた。
余が頷くと、バルツァーは左目のモノクルを軽く持ち上げた後、話し始める。
「フェーゲライン殿のお考えにおかしな点がございます。第二軍団の綱紀が緩んでいるとのことですが、第二軍団の軍規違反者は非常に少なく、特に民とのトラブルは月に数件程度しかございません。そのトラブルも住民側から一方的に絡まれたものが多いというのが実情なのです。この状況で更なる綱紀粛正とおっしゃるが、具体的にどうすればよいのか、お答えいただきたい」
バルツァーの鋭い舌鋒にもフェーゲラインは怯むことなく答えていく。
「軍務府及び第二軍団がすべてを把握しておらぬのではありますまいか。我が配下の者が調査したところでは民の多くが第二軍団の兵の不埒な行いに不満を持っております。特に若い女性への暴行行為は毎日のように起きていると噂が流れておりますぞ」
「それが真実ではないと言っているのです。ゲルリッツ第二軍団長は兵士のほとんどを町の外の野営地に駐屯させ、治安維持のための巡邏隊のみが町に入っている状況です。そのような状況で婦女暴行など起きようはずがない」
バルツァーの言っていることは正しいだろう。
「第二軍団は余が育てたのだ。あの軍団の兵が命令を守らず民に手を出すとは考えられぬ。真に兵たちが悪さをしておるのか?」
余の質問にフェーゲラインは小さく首を横に振る。
「内務府で調査した限りでは暴行事件に明確に関わった兵は三名のみ。そして、その者たちはすべて公開で斬首とされております。しかし、それはどうでもよいのです」
「どうでもよいとは……聞き捨てなりませんな」
バルツァーが即座に指摘する。
「言っては悪いですが、事実はさほど重要ではないのです。民たちがそう信じていることが問題なのです。彼らが第二軍団は危険ではないと思うような施策を講じなくては意味がありません」
バルツァーも無能ではないため、すぐにフェーゲラインの言いたいことを理解し、反論の言葉を吐かない。
「内務尚書の言わんとすることは理解した。その上で問う。卿は綱紀粛正だけで民が納得すると考えているのか? 一度拗れた感情は容易には修復できぬが」
「陛下のおっしゃる通りでしょう。ですが、ここで民を締め付けては更に事態を悪化させかねません。民を慰撫すればいずれ効果は表れます。短兵急な行いこそ控えるべきかと」
「しかし、それでは第二軍団の士気が下がってしまいます。民衆の支持が得られぬのは第二軍団だけが問題ではありますまい。内務府の役人が賄賂を要求するとの噂もあったはず。これについてはどう対処されるおつもりか」
その報告については聞いていなかったため、フェーゲラインを睨む。
「フェーゲラインよ。バルツァーの申すことは事実か? 余のところに報告が上がってきておらぬが」
そこでフェーゲラインの表情に焦りが浮かぶ。
「現在詳細な調査を行っております。事実が判明次第、直ちに報告と対処を行う所存……」
その言葉にバルツァーが口を挟む。
「事実は問題ではないと先ほどおっしゃった。そうではないかな、内務尚書殿」
「そ、それは……」
バルツァーの逆襲にフェーゲラインは焦りを隠せないでいる。
「まずは内務府から派遣されている役人を刷新するか、直ちに総督府を設置するか、そのような大胆な策が必要ではないかと思うのですが、いかがか」
総督府は我が帝国独特の制度で、遠方の行政区に総督府を置き、行政と軍を管轄させるというものだ。これは帝都ヘルシャーホルストが我が国の北東に位置しており、新たな領土に直接指示を出すことが距離的な問題で難しいためだ。
この制度は中央集権体制から逸脱することになり、総督府が独立する危険をはらむ。そのため、総督と軍を統括する護民官は数年単位で定期的に入れ替え、地元との結びつきを制限することにしている。
エーデルシュタイン周辺も本来なら総督府が置かれてもおかしくなかったのだが、民衆の支持が得られないため、未だに設置されていない。これは重要な税収源であるため、慎重を期したためだ。
「し、しかしですな……今それを行えば混乱が生じることは必定。今少し様子を見る必要が……」
「第二軍団への対応とずいぶん異なるようですな。民衆の不満を和らげるためには必要とおっしゃったのではなかったですかな」
冷笑を浮かべたバルツァーの言葉に、フェーゲラインが口を開こうとしたが、余が先に割り込む。
「バルツァーよ。その辺りでやめよ」
「御意」
バルツァーは無表情で頭を下げる。
「内務尚書よ、内務府の役人については早急に調査し対処せよ」
「仰せのままに」
フェーゲラインはそう答えて頭を下げる。
「第二軍団には一層の綱紀粛正を行うこととする。また、皇国軍の残党どもについては輜重隊への護衛を増やし、無駄な損害を受けぬように対処せよ」
二人が執務室から出ていくと精神的な疲労に襲われる。
(軍務府と内務府の確執は以前からあったが、ここに来て更に強まった気がする。皇国への侵攻作戦が遅れていることが原因なのだろうが……)
帝国は傭兵団が基になっていること、国を広げるために常に戦っていることから、軍の発言力は大きい。
一方で内政によって国を支える内務府は、常に予算不足に悩まされ、軍と財務府に強い不満を持っている。その結果、軍務府と内務府の間には以前から軋轢はあった。
(バルツァーもフェーゲラインも無能ではない。ルーツィアも同様だ……)
ルーツィア・ゲルリッツは余の士官学校時代の同期であり、付き合いは二十年以上だ。猛将と呼ばれているが、戦いだけの猪武者ではないことはよく分かっている。
(嫌な予感がするな……奇襲を受ける前のような首の後ろがピリピリ来るような感じだ……もしこれが意図的に仕組まれたものだとしたら……いや、それはあり得ぬ。指導的な立場にあった者はすべて捕らえるか、追放してある。フェーゲラインからも扇動している者がいるという報告はない……)
それでも余は嫌な予感が消えなかった。
(
現状でも皇国内での諜報活動のために百名程度雇っているが、それらを動かせば皇国内の情報が滞る可能性があった。そのため、調査を行うなら新たに雇うという選択肢しかない。
その後、枢密院に間者を使った調査の提案を行った。
枢密院は元老と呼ばれる元尚書や引退した元帥などで構成される皇帝の諮問機関だ。諮問機関ではあるが、皇帝の言葉を否定することができるほどの権威を持つ。
枢密院議長である元財務尚書、エメリッヒ・クルシュマンが張り付けたような笑みを浮かべて、余の提案を否定してきた。
「
クルシュマンの言うことも一理ある。
それに指揮官となる
「無論理解している。だが、エーデルシュタインと南部鉱山地帯を今のまま放置すれば得られるはずの税収が入ってこぬ。先行投資だと割り切り、早急に民の支持を得る方がよいと判断したのだ」
「民の支持を得るのに間者が必要というのが理解できませぬな。暴動が起きているわけでもなく、反乱の兆候もない。根拠をお示しいただけませんかな。それがなくば、我ら枢密院も承認できませぬ」
確かにクルシュマンの言うことにも一理ある。今回の件は余の直感に従っているだけで、物証は何もないのだから。
しかし、余には確信があった。
「ここで手を打たねば年単位で侵攻作戦が遅れることになる。これは必要なことなのだ」
「話になりませぬな。どうしても必要とお考えなら、陛下の資産をお使いになることです。その結果、何者かの陰謀であったと判明したのであれば、国庫から補填させていただきます」
クルシュマンの言葉に苛立つ。
帝室であるクルーガー家は質実剛健を旨とし、余分な資産などない。宮殿である白狼宮ですら、二十年以上も補修されずに使っているほどなのだ。一億マルクを超えるような予算を組めるはずがない。
「どうしても出せぬと……」
「申し訳ございませんが、帝国の未来のために無駄な支出は認められませぬ」
クルシュマンは余裕の笑みを浮かべているが、他の思惑があることは明白だ。
こいつは枢密院議員の任期制限の撤廃を目論んでおり、それを余に認めさせようと渋っているに過ぎない。
枢密院議員の任期は五年で一度だけ再任が認められる。そのため、最大でも十年しか元老として影響力を発揮できず、力のある者はこの制限を取り払いたいと常に狙っているのだ。
この制限を撤廃することは元老による傀儡政治に繋がり、皇帝及び帝室の権威失墜となりかねない。皇帝である余としては絶対に認められないことなのだ。
相手の思惑は分かるが、手の打ちようがない。
「よかろう。皇国侵攻作戦に支障が出ることになるが、枢密院の決定には従おう」
「それがよろしいかと」
クルシュマンは勝ち誇ったような表情を浮かべている。
「だが、これだけは覚えておけ。枢密院にも責任があるということをな。栄えある帝国の元老が責任逃れをするとは思わぬが、今回の決定で損害が発生した場合は元老たちの責任を追及するからな」
「ご随意に。小職も元老としての責務を果たす所存ですので」
「その言葉、忘れるな」
言質を取ったことで満足するしかないと諦める。
結局、一年経った統一暦一一九九年の半ばになっても、事態は改善しなかった。それどころかエーデルシュタイン周辺では、皇国軍の別動隊による襲撃事件が更に増加し、展開している第二軍団、第三軍団への補給にも支障が出るようになっている。
それだけではなく、我が息子、皇子たちの後継指名争いが異常なまでに激化している。
確かに第一皇子ゴットフリートと第二皇子マクシミリアンはいずれも秀でた才能を示しているが、まだ二十歳になるかならないかという段階で、死者が出るような騒ぎも起きた。
ここに至って余にははっきりと分かった。
誰かが帝国に混乱を与えるため、糸を引いているのだと。しかし、その者がどこに属し、どの程度の能力を持っているのかは全く掴めていない。
但し、ある程度予想は付いていた。
内務府の治安部隊の手に余る組織は三つ。いずれも魔導師の塔で
このうち、
シュッツェハーゲン王国はともかく、国力が劣るグライフトゥルム王国やグランツフート共和国が支払えるとは思えない。
可能性があるシュッツェハーゲン王国だが、これまでこのような手を使ってきたことはなく、突然方針転換するというのも考え難い。
そうなるとグライフトゥルム王国が
グライフトゥルム王国が
余はこの不穏な空気を打ち払うべく、グライフトゥルム王国への侵攻作戦の検討を命じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます