第16話「グレーフェンベルク子爵」
統一暦一一九八年十月十日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク。グレーフェンベルク子爵邸。クリストフ・フォン・グレーフェンベルク
屋敷に戻ると、私はすぐに書斎に引き篭った。
そして、礼装を解くことなく、蒸留酒をストレートで煽り始める。そうしなければ、今感じている苛立ちを誤魔化せないためだ。
苛立ちの原因は王宮で行われた御前会議だ。
議題は王国軍改革の実施についてで、私とカルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵が説明し、一応着手は認められた。
一応と付けたのはすべての計画が実行に移されるわけではなく、シュヴェーレンブルク騎士団と国境を警備するヴェヒターミュンデ騎士団の増強が認められただけに過ぎないからだ。
シュヴェーレンブルク騎士団の増強も四個騎士団二万名にすることは了承されたが、指揮命令系統の改革は私が騎士団長となる第二騎士団しか認められなかった。
本来であれば、近衛騎士と衛士隊の第一騎士団はともかく、第二から第四騎士団の一万五千の兵力が近代化されるはずだったが、ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵らの反対で、一個騎士団のみとなったのだ。
侯爵たちも九月の半ばに行われたエッフェンベルク騎士団の見事な演習を見たはずだが、下級貴族や騎士だけでなく、平民までもが騎士団長になれ、上級貴族に対して命令できるという改革案に、理屈も何もなく感情的に反対した。
彼らは自分たちの権威を脅かすことにだけ目が行き、現在戦争状態にあるレヒト法国だけでなく、軍事国家ゾルダート帝国までもが我が国を狙っているという事実から、目を背けたのだ。
そんな連中が王国の舵取りをしていることに絶望しそうになるが、それでもカルステン殿と共に国王陛下を説得し、最悪の事態だけは免れた。とりあえず、これで満足するしかないと自分に言い聞かせているところだ。
(あの侯爵の勝ち誇った顔を思い出すと腹は立つが、とりあえず私の騎士団を戦えるようにできるし、ヴェヒターミュンデ騎士団に兵士を送り込めるようになった。問題は時間があまりに少ないことだ……)
先日、
ゾルダート帝国が我が国に対して侵攻作戦を計画しているというものだった。
最初に聞いた時、それが本当のことなのかと思った。そのため、疑問を口に出していた。
「ゾルダート帝国が我が国に侵攻? リヒトロット皇国への攻勢も下火になっていると聞いている。一応
私の疑問にネッツァー氏は頷いた。
「私も最初に聞いた時には同じことを思いました。北公路と主要な都市を抑えているとはいえ、防衛戦ならともかく、完全な支配地域から数百キロメートルもの距離がある王国に攻め入るはずがないと。ですが、集めた情報からは第二軍団の一個師団一万をもってシュヴァーン河を渡河し、ヴェヒターミュンデ城を攻略するという結論になりました。詳細は……」
詳しく聞くと、いくつかの根拠を示した。
まず皇国西部を攻略中の第三軍団が作戦を中止し、北公路上の都市への物資輸送を行っていることだ。皇国を欺くためだけに物資を運ぶことはあり得ない。
また、我が国との国境であるシュヴァーン河周辺で帝国軍の斥候隊が多く目撃されていること、シュヴァーン河の河口近くにあるフェアラート市に大量の木材が運び込まれていること、ヴェヒターミュンデ城に工作員が紛れ込んでいたことなどの事実を教えられる。
フェアラート会戦以前では考えられないほどの情報が提示されるが、理由が分からない。
「確かに渡河作戦を行う可能性は高いと思えるが、皇国を無視して我が国に攻め込む理由は何なのだ? フェアラート会戦の時は我が国と共和国が攻め入るという情報で動いたが、今回我が国は何もしていない。突然の方針転換の目的が分からぬな。皇帝は何を考えているのだろうか……」
以前の私ならそのようなことは考えなかったが、最近は敵の目的を意識するようになった。これはマティアス君が作った教本を読んだからだ。
「情報分析室が得た情報からの推定ですが、皇国領であったエーデルシュタインとその周辺の鉱山地帯の支配が上手くいっていないことに皇帝が苛立ち、我が国が謀略を行っていると考えたそうです」
「我が国が謀略? そんなことを誰がやっているんだ? 宰相府にそんなことを考えられる奴はいないと思うが?」
「証拠はないそうですよ。ただ皇帝の直感に従って兵を動かすらしいです」
ネッツァー氏はそう言って苦笑いを浮かべている。
「それはまた迷惑な話だな」
「もう一つ理由があるんですよ。今回派遣される第二軍団ですが、エーデルシュタイン辺りの住民からの評判が非常に悪いため、本国に戻されるそうなのです。ですが、落ち度もない軍団をそのまま更迭するのは兵たちの士気にも関わるからと、帰還前に大きな手柄を上げさせようという話もあるようなのです」
「手柄を上げさせるのに数百キロも進軍させるのか?」
「長年戦っている皇国より、長距離の遠征であっても王国の方が与しやすいと考えたようですね」
「まあ、フェアラート会戦での情けない敗北を考えたら分からんでもないが……」
「帝国の戦略は
ネッツァー氏の言いたいことはよく分かる。
ヴェヒターミュンデ城はリヒトロット皇国との国境の要だが、皇国とは長く平和な時代が続いたことから、数年前までは千名程度の兵しかいなかった。
フェアラート会戦後に三千名まで増強しているが、内部に工作員がいる状態で帝国軍一万が攻め掛かれば、あっという間に陥落するだろう。
「狙いはヴェヒターミュンデ城の確保か……本格的に我が国への侵攻を考えているということだな」
「そうみたいですね。シュヴァーン河の西側に強力な橋頭保ができることになりますから。それにヴェヒターミュンデ城に二千名ほどの兵を入れられたら、王国軍には荷が重いです。この他にも皇帝は王国が謀略を行っていると疑っていますから、我が国の謀略部隊がエーデルシュタインからヴェヒターミュンデに移動すると考える可能性が高いですね」
ヴェヒターミュンデ城は直径一キロメートルほどの円形に近い形の城塞で、高さ十メートルほどの城壁に囲まれている。城門は東西の二ヶ所しかなく、シュティレムーア大湿原に囲まれていることから内部に呼応者がいないと攻略することは難しい。
また、シュヴァーン河を渡り、リヒトロット皇国の皇都に向かうには
「しかしずいぶんと調べているものだな。情報分析室はやはり優秀だな」
「今回はマティアス君のお手柄ですよ。今年の春くらいから物資の動きがおかしいと気づいて、フェアラートとシュヴァーン河周辺を念入りに調査させたそうです。それで皇帝の意図に気づいてヴェヒターミュンデ城も調べさせたと聞いています」
「マティアス君か……やはり、すぐにでも私の参謀に欲しいものだな」
これは本気で思っていることだ。彼はまだ王立学院の初等部の二年生でしかないが、騎士団に入るのに年齢制限はないから、参謀でなくとも“小姓”として私の手元に置くことは十分可能なのだ。
「確かに傍において相談できればいいんでしょうけど、それをやると閣下に美少年好きの男色家というレッテルが貼られそうですね」
そこで彼の容姿を思い出し、苦笑する。
身長こそ年齢相応だが、その容姿には儚さがあり、長身の美少女が男装していると言っても疑われないほどだ。
「まあ、以前にも断られているから、今声を掛けても同じ結果になるのだろうが」
あの計画書と教本の作成者と知った後、いろいろと話をした。その後、本気で我が騎士団に入ってくれと勧誘したが、まだ将来何をしたいのか決まっていないからと断られている。
「子供に期待するのは情けなさすぎるからな。この事実を陛下にお伝えすれば撃退することは可能だろう」
その時は割と楽観していたが、今日の御前会議で失望することになった。
(帝国軍の侵攻作戦は来年早々と聞いている。騎士団の編成は間に合わないが、ヴェヒターミュンデ騎士団の増強だけなら充分に間に合う。だが、他にすることはないのか……思いつかんな……ならば、彼に聞いてみるか……)
私程度では何をしていいのか全く思いつかなかった。
そのため、マティアス君に相談を持ち掛けた。
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