第17話「対応策」
統一暦一一九八年十月十日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク。エッフェンベルク伯爵邸。クリストフ・フォン・グレーフェンベルク
ゾルダート帝国が我が国へ侵攻すると聞き、私は対抗するための策を考え始めた。しかし、有効な手が思いつかず、マティアス・フォン・ラウシェンバッハに相談を持ち掛けることにした。
本来であれば国防上の重要な機密であり、部外者に話してはいけないが、この情報は彼が入手したものだし、ネッツァー氏より彼の方が戦術にも詳しい。
学院が休みであったため、彼がいるであろうエッフェンベルク伯爵邸を訪ねる。予想通り、ラザファムたちと一緒におり、話をすることができた。
概要を説明すると、彼はいつも通りの笑顔を浮かべて話し始めた。
「まず帝国に悟られないようにすべきですね。そうしておけば帝国が目標を変えることはありませんから」
「目標を変える? 王国への侵攻を諦めて皇国を攻めるということかな」
「そうではありません。シュヴァーン河沿いにはヴェヒターミュンデ城の他にも拠点となり得る場所があるのではありませんか?」
「なるほど。リッタートゥルム城か……だが、あの場所は王国への侵攻拠点として使うには不便な場所だが?」
リッタートゥルム城はシュヴァーン河の中流域にある城で、ヴェヒターミュンデ城からは南東に二百キロメートルほどの位置にある。
シュティレムーア大湿原の南側に当たり、行軍の障害になるものは少ないが、道が整備されておらず、大きな町もないことから大軍を動かすルートには適していない。
「道や補給拠点の問題はありますが、それよりも王国側にとっては不味い状況になります」
そう言われてもすぐには状況が思い浮かばない。
「不味い状況?……具体的には?」
「帝国軍が自由に王国内に入り込めるということです。もしリッタートゥルム城を奪われた場合、王国側の防衛拠点をどこに置くかをお考えください」
彼に言われて考えてみると、
ヴィントムントが最前線となれば、そこに戦力を集中せざるを得なくなる。
その結果、ヴィントムントから東と南を放棄することになり、ヴェヒターミュンデ城は奪われ、更に同盟国であるグランツフート共和国との連絡線も断たれてしまう。
「確かに危険だ。だから敵をヴェヒターミュンデ城に向かわせるというのだな」
「ええ。但し、何せずに帝国軍を待つと、戦力差は三倍以上ですからシュヴァーン河を渡河され、ヴェヒターミュンデ城も陥落してしまいます。ですので、新たに結成される第二騎士団をレベンスブルクに入れ、そこで演習を行わせるのです……」
地図を思い浮かべながら彼の説明を聞いていく。
レベンスブルクはヴェヒターミュンデ城の西百キロメートルほどにある城塞都市だ。
帝国の侵攻により
「帝国の情報収集能力がどの程度かは分かりませんが、少数の部隊に分けてレベンスブルクに送り込めば、恐らく気づかれません。同様にヴェヒターミュンデ騎士団の増強部隊もレベンスブルクに送り込みます」
「なるほど。だが、それだけでは渡河されてしまうが」
私の問いは想定していたようで、ニコリと微笑むと、すぐに答えが返ってくる。
「シュヴァーン河ですが、渡河できるポイントが非常に少ないことが特徴です。これは河の西岸がシュティレムーア大湿原と繋がっており、徒歩ですら移動が困難だからです。そのため、ヴェヒターミュンデ城を中心に南北一キロほどの範囲が最も使われる場所ですが、六キロほど上流にあるタラレク村からは大湿原の中を通れる細い道があり、ここも渡河が可能ポイントになります」
対帝国戦を想定して王国東部の地形は頭に入れているつもりだったが、まだまだ知らないことが多いと痛感する。
「大湿原の中に村があるとは知らなかったな。ということは、そのタラレク村というところから渡ってくる可能性が高いということか」
マティアス君は小さく首を横に振る。
「必ずしもそうとは限りません。私ならタラレク村から渡るように見せかけておいて、王国側の戦力を分散させます。城兵は三千ほどですから少しでも減らせられれば、それだけで有利になりますから。その上でヴェヒターミュンデ城の一キロほど上流から歩兵を送り込みます。城攻めで騎兵は役に立ちませんので」
「一キロか……弓はもちろん、弩砲や投石機の射程からも外れているから、戦力を分散させられたら打って出なければならん……なるほど、確かにその場所が最も可能性が高いな……」
ヴェヒターミュンデ城には大型の弩が百基ほどあり、城壁の上に設置できる。また、城内には投石機もあるが、いずれも有効射程距離は三百メートルほどしかない。
彼は更に笑みを浮かべながら、説明を続けていく。
「敵が渡河を開始する前まで敵の工作員は泳がせておきます。情報も適宜送れるようにしておき、敵の油断を誘うのです。帝国軍が第二軍団の一個師団を送り込んでくるという話ですが、目的が第二軍団の名誉挽回ならば、司令官は軍団長であるルーツィア・ゲルリッツ元帥でしょう。彼女は優秀な戦術家ですから、情報を重視するはずですので……」
敵の司令官のことまで考えていることに驚きを隠せない。
「……そして、敵が動き始めたところで城からの民間人の出入りを禁止します。こうしておけば敵に情報が流れることはありませんし、敵が動き始めた後なら工作員が情報を送ってこなくなっても不審に思われることはありません。その後、密かにヴェヒターミュンデ城に増援を送り込みます……」
「なるほど……」
彼の説明に圧倒され、そう呟くことしかできなかった。
「それと同時に弓兵主体の二千ほどの部隊をタラレク村に派遣します。ヴェヒターミュンデ城への増援はヴェヒターミュンデ騎士団の増強分の二千名と第二騎士団五千名ですから、城には八千の兵が残ることになります」
ようやく彼の考えが理解できた。
「敵に上手くいっていると思わせるために二千か……そうなると城の中に一千しか残っていないと敵は判断するということだな」
「その通りです。敵はそれを見て本格的に渡河を開始するでしょう。タラレク村が本命ならそこで弓兵による狙撃で敵を押しとどめます。今回の渡河作戦では恐らく丸太を組んだ筏を連結した浮橋を使うはずですから、弓での攻撃は有効ですので」
フェアラート周辺にはシュヴァーン河を渡るための船がほとんどない。
以前は王国と皇国を繋ぐための浮橋があったが、フェアラート会戦の敗北後、浮橋は破却している。
そのため、現在あるのはヴィークというシュヴァーン河の渡し場にある十隻程度の渡船と、上流の村にある数隻の小型漁船くらいだ。
一万という大軍を渡河させるためには船を建造するか、仮設の浮橋を架ける必要がある。
浮橋も急遽集められた木材を使うはずだが、加工する時間がないため、丸太のまま使うしかない。
丸太を筏状に組んで橋を作るとしても、浮力は小さく安定性も悪いはずだ。身軽な者なら早足くらいで走れるかもしれないが、鎧を着た歩兵なら慎重に歩くしかない。
盾を持っているとはいえ、不安定な筏の上で防御することは困難なはずだ。
「君はタラレク村が本命ではないと考えているのだな。だが、無理やりでも渡河さえしてしまえば、細いとはいえ道があるのだ。奇襲効果は大きいと思うのだが?」
「タラレク村から西に延びる道は幅一メートルほどで、木の板を渡しただけのところも多いそうです。軽装の弓兵ならともかく、重装の歩兵や補給物資を運ぶ輜重兵には不安定すぎます。そこまで帝国が調べているかは分かりませんが、湿原の中ということは理解しているでしょうから、牽制に使う程度でしょう」
「つまり城の近くから敵本隊が渡河すると。しかし、川岸で迎え撃つなら我々も湿原の中を進まなくてはならないことになるが?」
「敵が渡り切るまで、手を出すことなく指を咥えて見ています。タラレク村に兵を送ったことが失敗であり、後悔しているかのように」
そう言って無邪気な表情で笑う。
「敵が渡り始めても動かないとすると、橋頭堡を築かれてしまうがどうするのだ?」
私が困惑の表情を浮かべてそう言うと、更に説明を続けていく。
「築かせればいいのです。敵が橋頭堡を築き、進軍の態勢を整えるのに最短でも一日、恐らく二日は掛かるでしょう。それから城に向かってくるとしても、工作員に期待しているでしょうから一気呵成には攻め掛かってきません。盾で矢を防ぎつつゆっくりと近づき、城門と城壁に取り付こうとするはずです。工作員が城門を開くのを待つために」
「確かにそうだな。敵には破城槌などの攻城兵器もないし、ヴェヒターミュンデ城の城壁をロープで登ることは難しいからな」
「はい。ですから敵が期待している通り、城内で火災が起きたように煙を上げ、更に城門を開けてやります。当然、敵は策が成功したと思い、雪崩れ込んでくるでしょう。我々は城門の内側で敵を待ち受け、各個撃破していきます。敵も馬鹿ではありませんから途中で気づいて撤退しようとしますが、湿原では迅速に動けませんから、弓で攻撃すれば大きな損害を与えることができます」
彼の考えは理解できたが、決定力に欠ける気がし、そのことを口にする。
「それで勝利は固いが、敵を殲滅することはできないのではないか。湿原とはいえ、敵は精鋭が一万だ。城壁から弓を射掛けるとしても盾で防がれてしまうだろう。それにこちらが打って出れば逆襲される恐れがある」
「最初から殲滅など狙わなければいいのですよ。今回の戦略目的は時間稼ぎです。つまりシュヴァーン河の渡河作戦が非常に難しく、皇国との戦争の片手間にできることではないと理解させることが目的なのです」
「確かにそうなのだが……敵を減らしておくことは重要だと思うのだがな……」
私の未練がましい言葉にマティアス君は苦笑いを浮かべる。
「まだ敵がどう動くかすら分かっていないのですよ。それに目的を見失い、別な目標を掲げることは敗北を招きます。戦争は政治目的を達成させるための一手段に過ぎないということをお忘れなく」
その言葉に私も苦笑いを浮かべる。
「君の言う通りだ。大勝利を得ることではなく、時間を稼ぐことの方が重要だということだな」
「はい。王国軍改革には十年近い年月が掛かりますから」
そう言ってもう一度微笑んだ。
私も微笑み返したものの、すぐに目の前の少年が恐ろしくなってきた。
彼は敵の司令官の能力を見据えた上で罠を張り、油断を誘って強敵である帝国軍を追い返す策を考えた。そして、その目的が最終的な勝利であることを忘れていない。
その冷静さ、いや、冷徹さに背筋に冷たいものが流れたのだ。
それからヴェヒターミュンデ城の城主、ルートヴィヒ・フォン・ヴェヒターミュンデ伯爵に面会し、マティアス君の策について話し合った。
伯爵とは王立学院の兵学部の同期だが、当時私は子爵家に生まれたものの庶子であったため、上級貴族である伯爵家の嫡男の彼とはほとんど面識がなかった。
当時の記憶では気位が高いという印象があったが、伯爵も帝国の動きに危機感を抱いており、私がヴェヒターミュンデ騎士団の増強の提案を行ったことから、最初から好意的だった。そして、私の提案を聞くと、即座に乗ってきた。
「さすがは王国騎士団の俊英だな。これほどの策を思いつくとは。私には想像もできんよ」
マティアス君の策であり否定したかったが、彼の名を出すこともできず、自分が考えたように見せるしかなかった。
「
「こちらこそだ。何といっても我が領地なのだからな」
こうしてヴェヒターミュンデ騎士団との共闘体制は確立できた。
私は来年の年明け早々に結成される第二騎士団の編成について考え始めた。
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