第48話「フェアラート攻略:その二」

 統一暦一二〇五年八月三十日。

 ゾルダート帝国西部フェアラート東、王国第三騎士団野営地。中隊長ディトマール・フォン・リッケル


 日が傾き、撤退の合図である太鼓の音が響いている。

 今日の戦いが終わったのだが、我が中隊は昼前に後方に下げられており、関係はない。


 下げられた理由は聞いていないが、部下百名のうち、十五名が戦死し、四十名以上が負傷した。過半数を失うほど激しい戦いを演じたのだから、下げられてもおかしくはない。


 直属の上官である大隊長がやってきた。不機嫌そうな顔をしているが、私もこの男の顔を見ると不機嫌になる。たかが騎士階級のくせに上官なのだから。


「貴様の指揮権を剥奪する」


 唐突に発せられた言葉に頭が付いていかない。


「どういうことだ?」


「貴様は俺の命令を無視して突出し、十五名の兵士を無駄に死なせた。そんな奴に指揮を任せられるわけがなかろう!」


 こいつは貴族に対して不満を持っており、それを理不尽に私にぶつけてきた。


「ふざけるな! たかが十五人程度の平民の兵が死んだ程度で、私の指揮権を奪うだと……私はリッケル子爵家の嫡男だ! それを理解していないのか!」


「たかが十五人の命だと……俺の可愛い部下を殺しておいて……」


 大隊長は怒りに打ち震えながら、剣を抜こうとした。

 このままで斬り殺されると思ったが、後ろから声がした。


「そこまでにしておけ」


 振り返ると、そこには騎士団長であるマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵が立っていた。


「この者は私を殺そうとしました! こいつの指揮権を剥奪し、私に大隊の指揮を……」


「黙れ!」


 ホイジンガー伯爵は私の言葉を怒声で遮る。


「俺も大隊長と同じ気持ちなのだ。だが、総司令部からの命令によって、貴様のような屑であっても処刑できん」


 伯爵は怒りに満ちた顔で私を見ている。


「貴様は命令無視によって十五名の兵を無為に死なせた。それだけではない。タウバッハでは住民に対して横暴な態度を取り、我が騎士団の威信を地に落とした。他にも命令無視を何度も繰り返してきた……」


 それだけいうと、私の胸に付けている中隊長の階級章を奪い取り、兜の飾りを叩き折った。


「貴様にこれを付ける資格はない!」


 伯爵とはいえ、その横暴な行為に抗議する。


「何をするんですか!」


「黙れ! 貴様は第一連隊第二大隊第二中隊の兵士となる。つまり貴様が指揮していた中隊の最下級の兵士になるのだ! これは総司令官であるグレーフェンベルク伯爵が決めたことだ」


 伯爵は怒りに打ち震えた表情のまま、立ち去っていく。

 私は何が起きたのか分からず、茫然とし、彼を見送ることしかできなかった。


「閣下のお言葉を聞いたな! 貴様は中隊長ではなく、新兵と同格の最下級兵士だ。命令に違反すれば、兵士として罰を受ける。そのことを理解しておけ」


 大隊長が咆えるようにそう言った。


「待ってください! 私はリッケル子爵家の嫡男! このような理不尽な待遇を押し付けられるなら、騎士団を辞める!」


 大隊長は私の言葉を嘲笑う。


「ここで辞めても構わんぞ。その場合は敵前逃亡の罪で告発するだけだ」


 その理不尽な言葉に怒りが爆発する。


「何! 横暴だ!」


「戦場の最前線から、命令を無視して離脱するのだ。どう考えても敵前逃亡だろう。つまり国を守るという貴族の崇高な使命を放り捨てて、自分だけ助かろうとする卑劣な行為だ。そんなことをした貴様を、実家もマルクトホーフェン侯爵家も見捨てるに違いない。俺としては貴様が逃げ出してくれた方がいい。不名誉な罪で堂々と処刑できるのだからな」


 大隊長の言っていることに反論できなかった。

 この戦いが終わり、王都に戻るまで我慢するしかないと諦める。


 それから兵士たちのいじめが始まった。

 夕食を待っていたが、結局誰も持ってこず、そのことを言うと嘲笑われる。


「さっき夕食の合図があったの聞いていただろう。俺たちはその合図で配給を受ける。お前も中隊長だったのだから、そんなことは分かっていたはずだ」


「私に配給に並べというのか!」


「当たり前だ。というより、他の中隊長は自分で配給を受けに行っている。自分で食事を摂りにいかなくてよいのは連隊長以上だけだ。そんなことも知らなかったのか?」


 その言葉に反論できない。

 空腹のまま夜を迎えるが、天幕もなく、なかなか寝付けない。

 何とか眠りに就いたところで、乱暴に叩き起こされた。


「何をするんだ!」


 そこにいたのは小隊付きの軍曹だった。


「歩哨に立つ時間だ。さっさと立て!」


 潰れた鼻と鋭い目つきが月に照らされて、魔獣ウンティーアのように見え、思わずブルっと震えてしまう。

 仕方なく立ち上がり、軍曹に連れていかれた場所に立つ。


 怒りが湧き上がってくるが、疲れと眠気で身体がふらつく。

 立っていられなくなって座り込むと、どこからともなく軍曹が現れた。


「立て」


 そう言って強引に立たされ、頬をパンと叩かれる。


「これで眠くなくなっただろう。まだ眠いなら、何回でも撫でてやるぞ」


 抗議しようかと思ったが、そうすれば何倍も殴られると思い、首を横に振るしかできなかった。


 何時間立っていたのか分からないが、交替の時間になり、ようやく解放された。

 眠りに就いたが、すぐに朝を迎え、再び叩き起こされる。


 強い眠気と疲労を感じながらも、朝食を手に入れるため、兵士たちと一緒に並ぶ。

 何とか確保したが、塩味が濃いだけのスープと硬いパン、それに一片のバターだけだ。

 それでも空腹の私には美味く感じられた。


 装備の点検では軍曹から何度もダメ出しをされ、心が折れそうになる。

 それでも何とか整列し、小隊長の訓示を聞かされた。


「各自命令に従い、攻撃せよ。隊列を乱す者は厳しい処分を下す! 昨日のような無様な姿は見せるな!」


 そう言った後、私をちらりと見る。


「まあ、中隊長が変わったから、昨日のような無様なことにならんと思うがな」


 その言葉にはらわたが煮えくり返るほどの怒りを覚えるが、口に出す前に軍曹が目の前に現れ、何も言えなくなった。


 攻撃の合図が出された。

 周囲を気にしながら前進するが、最前列にいるため、矢が何本も近くを通り過ぎていく。


 城壁から五十メートルほどまで接近すると、更に攻撃は激しくなり、私の持つ盾にも何本も矢が刺さっていた。

 太ももに矢が掠めたところで、私の理性は吹き飛んだ。


「無理だ! これ以上前に出れば殺されてしまう!」


 そこから先は覚えていない。

 気づけば野営地まで戻っており、身体を確かめるが怪我は負っていなかった。何とか生き残れたと安堵の息を吐き出したところで、ようやく周囲を見る余裕ができた。


 まだ太陽は中天にも達しておらず、戦闘開始から一時間ほどしか経っていない。当然戦闘はまだ続いており、私はなぜここにいるのか疑問を感じていた。

 周囲には私と同じような降格処分を受けた元隊長たちが座っている。


 そこにホイジンガー伯爵が現れた。


「貴様らは敵前逃亡を企てた。本来ならすぐに処刑すべきだが、今回は拘束するだけに留める……」


 そこでニヤリと笑う。


「よかったな、貴様らの願い通り、敵に殺されることはなくなった」


 その表情と言葉に私は怒りを覚え、叫んでいた。


「私はそんなことを望んではいない!」


「ならばなぜ逃げようとしたのだ? まあいい。貴様らは王国軍の軍規に従って処分されることになるが、一応貴族だから王都までは送り届けてやる。その先のことは分からんが、国を守るために命を賭ける兵士たちとは違い、少なくとも王都には戻れるのだ。よかったな」


 それだけ言うと、その場を立ち去った。

 残された私は伯爵の言葉を理解し、目の前が真っ暗になった。


(このまま王都に送られれば、敵前逃亡という不名誉な罪で裁かれる。当然爵位の継承権も失うだろう。いや、敵前逃亡は斬首と決まっていたはずだ……)


 しかし、そこで希望を見出した。


(侯爵閣下が何とかしてくださるはずだ。我々に期待しているとおっしゃっていたし、今回のことは侯爵に敵対するグレーフェンベルク一派が画策した謀略であることは明らかだ。王都に入ったところで何とか連絡を取り、このことを伝えねばならん……)


 それからその場にいる私を含めた四人でそのことを話し合った。

 他の者たちも私の考えに同意する。


「侯爵閣下にこのことをお伝えし、グレーフェンベルク一派に痛撃を加えねば、腹の虫がおさまらん」


「そうだな……いや、この事実を使えば、グレーフェンベルクたちを排除できるのではないか。その提案を侯爵閣下に行えば、我らの株は上がる。これはよい機会かもしれん」


 私の意見に全員が同意する。


「リッケル殿の考えは一理ある。ならば、奴らに口実を与えないよう、王都まで大人しくしておらねばならんな」


「その通りだ」


 私はこの機を利用して、マルクトホーフェン侯爵家の中で成り上がろうと決意した。

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