第49話「フェアラート攻略:その三」

 統一暦一二〇五年八月三十一日。

 ゾルダート帝国西部フェアラート近郊。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 フェアラート攻略戦の二日目が終わった。

 昨日、今日と城壁に接近したものの、敵の攻撃が思った以上に激しく、城壁に取り付くことができなかった。


 昨日は命令を無視した隊長たちがいたこともあるが、兵の損失を抑えるために無理をしなかったことが大きい。


 そのため、我が方の損害は戦死者が五十名程度、負傷者が三百名程度と、一万の兵が攻撃に参加した割には非常に軽微だ。また、負傷者は治癒魔導師によって復帰している。この損害もマルクトホーフェン侯爵派の隊長たちがいなければ、更に抑えることができただろう。


 無理をしなかった理由はまだある。

 一つには指揮官と兵士により多くの実戦経験を積ませるためだ。


 私自身は前線で戦ったことはないが、矢が飛び交う中で上官の命令を的確に実行することは演習では得られないほど経験を積める。今回は敵が少ないことから、盾で急所を守りつつ前進すれば、致命傷を負う可能性は低く、経験を積むのに最適らしい。


 他にも守備側の矢を消耗させ、攻撃手段を奪うことで降伏を促すことも考えている。

 少ない兵で長大な城壁を守るためには、矢を放ち続ける必要があるが、矢は消耗品であり無限に撃つことはできない。


 一人の弓兵が一分間に一本使うだけでも、千人の弓兵がいれば一時間に六万本の矢が必要となる。仮に百万本の矢があったとしても、十七時間で枯渇することになるのだ。


 投石器も同様だ。投石に使う石は予め用意しているが、それが尽きれば町の中で補充することは難しい。


 矢や石が尽きれば、白兵戦にならざるを得ないため、数で圧倒できる。そのことは敵も十分に承知しているから消費を抑えようとするが、攻撃が緩めばこちらは前進するから、敵も極端な節約はできない。


 シャッテンが調べた矢の在庫から、どれほど節約しても明日中には矢が尽きる。

 その状況になってから降伏を呼びかければ、こちらの損害は少なく、更に住民に被害を出すことなく、フェアラートの町を確保できる。


 マルクトホーフェン侯爵派の隊長たちだが、特に命令違反が酷かった者十名が降格処分となった。すべて最下級の兵士とし、前線に立たせている。


 彼らは自尊心こそ強いが、命のやり取りをしたことはない。そのため、最前線に立たされれば、恥も外聞もなく逃げ出すと思っていたが、その通りの展開となった。


 怖じ気づいて後方に下がったので、不名誉な敵前逃亡の罪を問える。これにより騎士団から放逐することが容易になった。


 本来なら敵前逃亡は騎士団長の権限で処刑が可能だ。しかし彼らはここでは処刑せず、王都で処分する。王都の門に入る際には檻に入れ、敵前逃亡や民間人への暴行未遂など、不名誉な罪で訴えられた者たちという説明書きを付ける予定だ。


 また、彼らを含む、マルクトホーフェン侯爵派の隊長たちについては、口ばかりで役に立たない連中だったといろいろなところで噂を流すつもりだ。これで王国中にマルクトホーフェン侯爵派の行状が知れ渡ることになるだろう。


 そして、帰還と共に王国騎士団から正式にマルクトホーフェン侯爵に対して抗議を行う。その際には命令違反だけでなく、敵前逃亡するような者を推薦してきたことは利敵行為だと訴える。


 国王の前で正式に抗議すれば、貴族社会に広がることは自明で、これにより中立派のマルクトホーフェン侯爵の軍事力への恐れは緩和されるはずだ。また、マルクトホーフェン侯爵も対応に奔走するだろうから、騎士団への干渉を防ぐことができる。


 降格された元隊長たちだが、彼らが戦死しないよう、両騎士団長には下士官を近くに配置するよう昨夜のうちに依頼してあった。


『彼らの近くには軍曹とベテランの兵士を配置し、常に監視をお願いします』


 第三騎士団長のマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵は意図が分からず、理由を聞いてきた。


『奴らを監視? 文句は言うだろうが、何もできんと思うが』


『万が一戦死しそうになったら最優先で助けてほしいのですよ』


 更に意図が分からず、首を捻っている。


『奴らが死んでくれた方がスッキリするのだが、マルクトホーフェン侯爵に遠慮しているのか?』


『いいえ。彼が醜態を晒してくれれば、それをもってマルクトホーフェン侯爵派の貴族を貶めます。彼らは口では勇ましいことを言っても、最前線に立ったら怖気づいて逃げ出したと。ですので、間違っても戦死されたら困るんです。名誉の戦死などと言われては不本意ですから』


 そこでホイジンガー伯爵も納得し、大笑いした。


『ハハハ! 確かに奴らなら逃げ出そうとするはずだ。それに背中を見せれば、いい的になる。そんな状況でも戦死したら名誉の戦死だと遺族は言い張るだろう。それを阻止して恥を掻かせるというのだな。いいだろう! 俺自身が隊長と軍曹にこのことを伝えておく。奴らは絶対に無傷で生かしておけとな。ハハハ!』


 同じように第四騎士団長のコンラート・フォン・アウデンリート子爵にも伝えると、辟易していた彼は喜んで了承してくれた。


 軍曹たちはきちんと仕事をしてくれたようで、元隊長たちは醜態を曝したものの、怪我一つなく拘束されている。



 そして、九月一日。

 昨日同様、朝食後に攻撃を再開した。


 二日続けて夜襲を掛けなかったのは、実戦経験が少ない両騎士団では命令が伝わりにくい夜では損害が大きくなると懸念したからだ。


 これまでと同じように盾を構えた兵士が、ゆっくりと前進していく。


「昨日までより自信を持っている感じね」


 イリスの言葉通り、一昨日はおっかなびっくりという雰囲気で、昨日もまだ硬さが見えたが、今日はどの辺りで攻撃が激しくなり、どう対応したらいいのかが分かっているため、迷いがない。


「演習と実戦では違うけど、演習通りに動けばいいと分かれば、充分な訓練を受けた兵ならすぐに順応できる。問題は前線の隊長たちだ。過剰に自信を持つと高揚しすぎて、司令部からの命令を聞き逃す可能性があるからね」


 このことは騎士団長たちに伝えてあり、こまめに伝令を出すなどしてしっかり対応している。


 昼過ぎになり、総司令官であるクリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵も前線の視察に出た。


「今日中に陥落させることは難しそうだな。まあ、相手の心を折ることを目的としていることは分かっているが、もう少し積極的に攻めれば今日中に落とせるんだが……もどかしいものだな……」


 伯爵の言う通り、力攻めを行えば、今日中に陥落させることは難しくない。

 その場合、数百人単位で損害が出るだろう。


「第三、第四騎士団のいい訓練になっていますよ。それに今日中に第二騎士団が到着しますから、気長に攻めましょう」


 これほど余裕があるのは、本来の敵である帝国軍第三軍団が、百キロメートル先のタウバッハの町に未だに留まっているためだ。


「そうだな。それにしても君の目論見通り、降格した連中は怖気づいて城壁に辿り着く前に逃げ出したそうだな。一人や二人は蛮勇を見せて強引に城壁に取り付く者もいるかと思ったのだが、君の予想通りだな」


 その言葉に苦笑が浮かぶ。


「こんな予想が当たっても嬉しくないですが」


「呆れたものね。王国貴族としての矜持すら示せなかったのだから」


 イリスが辛辣に批判する。


「私にとってはこの方がありがたいよ。情報操作が楽になるからね」


 私たちの会話を聞いていた伯爵が笑いながら付け加えてきた。


「降格されなかったマルクトホーフェン侯爵派の隊長たちは必死になっているらしいぞ。少しでも反抗的な態度を取ったら、一兵卒として最前線に送られると思って命令に忠実に従っているそうだ。それに部下たちの顔色も窺い始めている。特に軍曹には媚びを売り始めているらしい」


 王国騎士団の各隊には軍曹が必ず配属されている。彼らには指揮官を解任するような権限はないが、問題が起きた場合、真っ先に彼らに意見を聞く。そして、その意見を騎士団長や連隊長は尊重するから、隊長たちは少しでも心証を良くしておこうと思ったのだろう。


「本当に情けないわね……戦いを何だと思っているのかしら」


 イリスは呆れ顔だ。


「敵前逃亡を図った奴らはマルクトホーフェン侯爵に、我々の横暴を訴えるつもりでいるらしい。侯爵もこんな情けない奴らから言われても迷惑なだけだろうに」


 伯爵はそう言って笑っている。


「このことは上手く利用したいと思っています。ですが、今は目の前の戦いに集中すべきでしょう。幸い馬鹿なことをしでかす隊長もいなくなったようですから」


「そうだな。しかし、相変わらずだな、君は。第三軍団との戦いの前に、私では思いつかぬ方法で見事に不安要素を消したのだから」


 その言葉には曖昧に微笑んでおいた。


 陽が沈み始めたところで本日の戦闘が終了する。

 野営の準備が始まるが、緩んだ感じはない。

 これは一昨日、敵襲の可能性がないと高を括って油断していた部隊に懲罰を与えたためだ。


 確かにフェアラート守備隊が夜襲を掛けてくる可能性は皆無だし、近くに他の帝国軍はいない。油断しても問題はないように思えるが、戦場では何が起きるか分からないため、緩んでいる部隊には厳しく当たっていた。


 戦闘が終了した後、第二騎士団が到着したという知らせが司令部に届いた。

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