第23話「帝国軍内の不和」

 統一暦一二〇五年七月十六日。

 ゾルダート帝国中部グリューン河南岸付近、リンゲラ村。ゴットフリート・クルーガー元帥


 エーデルシュタインを出発して半月。

 ゾルダート帝国軍の精鋭である第二、第三軍団は皇国の都リヒトロットの南を通過し、リンゲラ村という北公路ノルトシュトラーセ沿いの農村に入った。


 ここで一日休養を摂りつつ、万が一リヒトロット皇国軍が決戦を挑んできた場合に迎え撃つためだ。


 俺は一個大隊を率い、グリューン河に近づき、皇国の様子を見にきていた。

 第三軍団長のザムエル・テーリヒェンや俺の直属である第二軍団第一師団長カール・ハインツ・ガリアードは反対したが、皇国軍が打って出る可能性は低く、俺の意見を無理に通させてもらっている。


 リンゲラ村から北公路を北東に十キロほど行くと、皇都の西を守るダーボルナ城がある。


 北公路はダーボルナ城で我が国と皇国に分断されているため、人通りはほとんどない。


「もうそろそろグリューン河ですぜ、大将」


 俺の護衛兵長である偉丈夫、デニス・ロッツがいつものだみ声で話し掛けてきた。

 ロッツは俺が将軍の頃、つまり師団長に昇進した頃からの付き合いで、五年ほど一緒にいる。


 学はないが、騎兵としても歩兵としても超一流の使い手だ。気に入らないことがあれば、俺が相手でも文句は言うが、安心して背中を預けられる戦友であり、気安く話し掛けてくれる貴重な存在だ。


 彼の言葉を聞いて北に視線を向けると、うっすらとダーボルナ城の楼閣が見えていた。


「そうだな」


「それにしても誰もいませんな。俺たちを追い払いに、騎兵を繰り出してくると思ったんですがね」


 ロッツの言葉に頷く。

 我が軍がこの辺りまで来ていることは皇国軍も把握しているはずだが、彼の言う通り、斥候隊すら姿を見せない。


「まあいい。無駄な戦闘をするつもりはないからな。グリューン河沿いを偵察しにいくぞ」


 そう言って西に馬首を向けた。

 グリューン河は北にハルトシュタイン山脈があり、南はリスホーフ平原と呼ばれる緩やかな丘陵地が広がっている。


 南岸は北岸ほど高くはないが、水面まで二十メートルほどの高さがあり、水面に向かって急な斜面が作られている。


 そのため、川面を見ようと思ったら結構近づく必要があり、敵の待ち伏せを警戒しながら川岸に接近していった。


 川面が見えると、ハルトシュタイン山脈が映り込む緑色の緩やかな流れがあった。漁師が魚を獲っているのか、小舟が数艘浮かんでいるだけで、敵の大軍が接近しているという緊張感は見られない。


 また、皇都に物資を運び込む商船が何隻も通過しているが、水軍の軍船は一隻も見当たらなかった。


「皇国の奴らは意外に肝が太いんですかね。それとも危機感って奴がないのか、どっちなんですかね」


「どこから攻めるにしても準備で二日や三日は掛かるからな。その間に水軍を回せばいいと思っているんだろう」


 そう言うものの、ロッツと同様に、俺も皇国軍の動きに違和感を持っている。

 少なくともこれまでは我々が大軍で接近すれば、迎撃態勢を整えるために対岸からでも分かるほど右往左往していたためだ。


(やはり王国が情報を流しているようだな。王国軍情報部とやらが我が軍が出撃したという情報を皇都に持ち込んだのだろう……)


 このことはずいぶん前から想定していた。

 リッタートゥルム城付近での偵察隊に対する情報操作を見れば、グライフトゥルム王国軍の情報部が優秀であることは明らかだ。


 それにマクシミリアンに対する情報操作でも分かるように、エーデルシュタインに王国の間諜がいることは間違いない。諜報局は必死に探しているが、未だに手がかりすら見つけられていない。その間諜が皇都に連絡したのだろう。


 グリューン河を見ながら西に進み、昼過ぎにリンゲラ村に戻った。

 陣に戻ると、テーリヒェンが出迎える。


「異常はありませんでしたかな」


「ああ、問題なかった。ただ敵の動きが気になる。一時間後に師団長を私の天幕に集めるつもりだが、卿には少し先に来てもらいたい。師団長より先に協議しておきたいからな」


 俺の言葉にテーリヒェンが顔をほころばす。


「承りましたぞ。では、後ほど」


 そう言って弾むような足取りで自分の陣に戻っていった。


(単純な奴だな……)


 そう思うものの、テーリヒェンは俺と同格の軍団長であり、この先別行動を採るようになるから、俺の指示に疑問を持たれては困る。そのため、必要以上に彼に気を使っているのだ。


(だが、面倒なことだ。ケプラーならこんなことはしなくてもいいのだが……)


 第三軍団第一師団長のウーヴェ・ケプラーなら能力的にも全く問題がないが、テーリヒェンには大軍を指揮する能力がない。


(まあ、ナブリュックでは偽装攻撃を繰り返すだけだから、指示を間違えようがないし、ケプラーも俺の意図は理解しているから文句を言うこともないだろう……)


 若干の不安要素はあるが、楽観視していた。


 テーリヒェンが天幕に現れたので、皇国軍の動きについて俺の考えを説明した。


「……つまり、皇国は王国の情報部から情報をもらい、それで我らの動きを知ったから、いつものようなバカ騒ぎにはなっていないと」


「そういうことだ。恐らく王国のグレーフェンベルクが事前に手を打ったのだろうな。奴には何をしてくるのか分からんところがあるから、念のため注意しておくべきだろう」


「グレーフェンベルクですか。確かに法国を叩きのめした手腕は瞠目に値しますが、殿下の敵ではありますまい」


「卿にそこまで評価されると気が楽になる。だが、油断だけはしないでくれよ」


 そう言ってテーリヒェンの気持ちを引き締めるが、グレーフェンベルクが何をするにしても、最速でも九月に入ってからになるからあまり気にしていない。


 なぜなら、彼らがこの作戦のことを知るのは早くても半月後であり、そこで知ったとしても手を打つまでに更に一ヶ月程度は時間が必要となるからだ。


 こちらが多少手間取ったとしても、その頃には皇国の水軍を壊滅させているから問題にはならない。


 父である皇帝コルネリウス二世や弟のマクシミリアンはラウシェンバッハという若者を気にしているが、最新の情報では謹慎処分を受け、領地に引きこもっていると聞いている。


 千里眼といわれているそうだが、仮にこの状況を今現在知っているとしても、何の役職にも付いていない二十歳の若造がやれることはたかが知れている。王都のグレーフェンベルクに連絡を取るにしても時間が掛かるし、問題になることはないだろう。



 師団長たちが集まってきたので、今後の方針を再確認する。


「大きなトラブルがなければ、目的地ナブリュックにはあと一週間で到着できる。皇国軍の動きが多少気になるが、警戒すべき将もいないし、戦いが始まれば目の前の戦いに集中せざるを得ん。油断は禁物だが、過度に警戒する必要はないだろう」


 俺の言葉に第三軍団の第一師団長ウーヴェ・ケプラーが手を挙げた。

 俺が頷くと、ケプラーはその髭面をしかめて話し始めた。


「皇国軍の動きに不審な点があるなら、閣下がナブリュックで全軍の指揮を執った方がよいのでは? 別動隊は我が師団に任せていただけまいか」


「またそのことを蒸し返すのか! クルーガー卿の策でいくと決まったのだ! 師団長が口出すことではない!」


 テーリヒェンが感情的に口を挟んできた。


「状況は刻一刻と変わるのですぞ。決まったこととはいえ、状況の変化に応じて対応することは当然だと考える。第一、クルーガー元帥も……」


 ケプラーもやや強い口調で反論し始めた。


「まあ、待て」


 そう言ってケプラーの発言を遮る。


「将軍が俺のことを心配してくれるのは嬉しいが、俺が囮となることで敵の水軍を引き付けることは作戦の要の一つでもある。確かに皇国軍の動きに不審な点はあるが、作戦を変更するほどの危険は感じぬ。これは将軍も同じではないか?」


「確かにそうですが……」


「ならば、敵の思惑がもう少し見えてから検討してもよいだろう。テーリヒェン元帥も俺のことを考えて意見してくれたことには感謝しているし、卿の考えにも賛同するが、軍議の場で意見を封じるような発言は控えてくれるとありがたい」


 テーリヒェンは俺が気を使ったことに満足したのか、笑みを浮かべて頷いた。


「承りました。ケプラー将軍、先ほどの小官の発言は不適切だった。軍議の場では積極的な発言を頼む」


 何とか丸く収まったが、この二人の関係が我が軍の弱点になり得ると頭が痛くなる。

 最悪の場合はケプラーが言う通り、俺が全軍の指揮を執り続ける必要があるだろう。


 翌日、我が軍は西に向けて進軍を再開した。

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