第32話「疑心暗鬼」

 統一暦一二〇六年十二月十日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、マルクトホーフェン侯爵邸。ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵


 ラザファム・フォン・エッフェンベルクの結婚式から屋敷に戻ってきた。

 一昨日にバスティアン・フォン・シェレンベルガーが拘束されたことで、あまり派手には動かなかったが、一応やれることはやっておいた。


(ラウシェンバッハはやはり侮れんな。最後は彼らの間に亀裂を入れてやろうと仕掛けたが、見事に切り返された……)


 そして、シェレンベルガーのことを思い出した。


(あのラウシェンバッハを相手によくやった方だが、伯爵に剣を向ければ、言い訳のしようがない。そのようなことが分からなくなるまで、追い詰められたのだろうな……)


 そこで私にもまだ運があると思い直す。


(考えようによってはよかったかもしれん。追い詰められたとはいえ、あのような暴挙に出る者を腹心にすれば、こちらが足を掬われかねぬからな……)


 シェレンベルガーが役に立つようなら、王都から追放したことになっているエルンスト・フォン・ヴィージンガーの代わりに、腹心として手元に置くことも考えていた。


 ラウシェンバッハの反撃にもある程度は対応できていたと考えていたし、私が何を望むのかを理解しつつ、独自に判断して動いていた。そのことを評価していたのだ。


 グレーフェンベルクが死んだ後に、伯爵位を与えて恩を着せれば、忠実な家臣となっただろう。しかし、あれほど簡単に冷静さを失うようでは、付け込む隙を与えるようなものだ。


(まあいい。私自身にダメージはなかった。それどころか、よい情報をもたらしてくれたのだからな……)


 シェレンベルガー自身は愚かにも退場したが、奴がもたらしたグレーフェンベルクの健康問題に関する情報はどうやら本物で、今後大いに役に立つと考えている。

 また、ホイジンガー伯爵に関する情報も充分に使えるものだった。


(剛毅さを持つ武人という評価に目が行き、保守的で思ったより器が小さいということに気づいていなかった。この情報をもたらしてくれたお陰で次の手が打てる……)


 私はその情報を知ると、積極的に動いた。

 ホイジンガーとラウシェンバッハの間に楔を打ち込むべく、ホイジンガーの周りにラウシェンバッハの悪評を流したのだ。


 更にシェレンベルガーが暴発した後、彼が暴挙に出たのはラウシェンバッハが執拗に追い詰めたからという噂を流した。これは事実であり多くの者が信じている。


 ほとんどの者は騎士団を裏切ったシェレンベルガーを破滅させたことで、ラウシェンバッハの活躍に喝采を送ったようだが、保守的なホイジンガーはシェレンベルガーが罠に嵌められたという噂を聞き、眉を顰めたという話が伝わってきた。


(シェレンベルガーの情報が正しかったことが裏付けられた。惜しむらくはもう少し騎士団内部の情報を吸い上げておくべきだったな……)


 王国騎士団の上層部に関する情報は積極的に収集しているが、ラウシェンバッハの手の者のガードが固く、表層的なものしか手に入っていない。


(シェレンベルガーが動いたのは、ラウシェンバッハに対する嫉妬であることは明らかだ。これは他の者たちにも使える……)


 若年のラウシェンバッハを重用し過ぎていると参謀たちが不満を募らせているという噂は以前から流している。これも事実であり、シェレンベルガーに対して同情的な考えを示す者も出ていた。


 この噂だが、私自らが流している。

 王国騎士団の若手貴族の勧誘の際に、彼らの不満を聞く形で自然に流していたのだ。


『ラウシェンバッハが有能であることは否定せんが、二十歳を過ぎたばかりの若造を重用し過ぎるというのはいかがなものかと常々思っているよ。君はどう思うかね?』


 多くの者は否定的な意見を言ってきたが、一部の者は不満を伝えてきた。


『私も同じように感じたことがあります。確かに有能ですし、あの先を見る能力は非凡という言葉で表していいのかと思いますが、我々の考えも少しは聞いていただきたいものだと思っていますよ』


『聞けば十代半ばの頃から寵愛していたそうではないか。まあ、あの見た目なら仕方ない部分もあるのだろうが……』


 このように自然な形でラウシェンバッハとグレーフェンベルクを貶めていた。


(それにしても侯爵たるこの私が、このような雑事までせねばならんのはいただけぬな。早急に優秀な腹心を得ねば、ラウシェンバッハに押し切られてしまう……)


 コルネール・フォン・アイスナーとエルンスト・フォン・ヴィージンガーを王都から追放した関係で、私の手元にはまともに使える人材がいない。


 そのため、人材の獲得に乗り出したが、全く上手くいかない。

 我がマルクトホーフェン侯爵家に属する者から探したが、騎士団に送り込んだ若手を見れば分かるように、貴族の若者は特権意識ばかりで無能な者しかいなかった。


 もちろん、シェレンベルガーのように自ら売り込んでくる者もまだいるのだが、そのいずれもが現状に不満を持つだけで、私の欲する能力を有していないのだ。

 アイスナーがエルンストを育ててくれるのに期待しているが、それだけでは芸がない。


(そろそろ貴族に拘るのをやめるべきかもしれん。優秀であれば、私の力で男爵になら引き上げられる……)


 元々騎士階級であっても優秀であれば登用するつもりだったが、我が派閥の場合、騎士爵は子爵や男爵の家臣であることが多く、主君に遠慮して自ら手を上げてこない。


(そう言えば皇帝は一介の教官を元帥に引き上げていたな。それでも元からいた重臣と軋轢は見られないと聞く。それどころか能力があれば出世ができると若手を中心にやる気になっているらしい……どうせ手が足りぬのだ。多少能力がある程度でも使った方がよいかもしれん……)


 私はこれまでのように選りすぐるのではなく、ある程度の能力があれば積極的に登用していこうと方針を変えた。


 方針を変えてから二週間ほど経ち、年を越す前に数名の騎士階級の若者が配下に加わった。しかし、成功とは言い難い状況だ。


 王都の屋敷にいる者はアイスナーの部下であり、元々騎士階級の者が多かった。そのため、子爵や男爵がいる領都の屋敷とは違い、大きな軋轢は生まれないと思っていたのだが、この短期間で派閥ができつつある。


 新たに採用した者たちは、これまで騎士階級の者を全く重視していなかった私が、自ら声を掛けたことから特権意識を持ち、いずれ排除されるであろうアイスナーの部下を軽んじてしまった。


 その結果、二つの派閥ができ、反目し合っている。

 人を使うということは難しいのだと思ったが、あることが頭に浮かんだ。


(これはラウシェンバッハの謀略ではないのか?)


 奴は敵の内部に亀裂を入れ、反目させて力を削ぐという方法をよく使う。

 ヴェストエッケではレヒト法国軍の鳳凰騎士団と神狼騎士団の間にあった僅かな隙を突き、協力し合わないようにして力を奪っている。


 帝都でもマクシミリアン派とゴットフリート派を反目させ、内乱の一歩手前まで追い込んでいた。


(我がマルクトホーフェン家に奴が仕掛けてこないはずがない……だが、どうすればよいのだ? 元からいる家臣しか使えぬとなると、エルンストを早期に呼び戻すしかない…… しかし、エルンストでは力不足だ……)


 新たな部下は今一つ信用できない。

 裏切るつもりはないのだろうが、知らず知らずのうちにラウシェンバッハの謀略の手先となっている可能性が否定できないからだ。


 ラウシェンバッハの謀略の恐ろしさは、本人が自ら考えて行動していると思い込まされることだ。そのため、忠誠心の高い者でも謀略の手先となり得るが、それを本人に問い質しても確認ができないのだ。


(恐ろしいものだ。この私がラウシェンバッハの罠を恐れて動けぬようになっている……しかし、この問題を放置するわけにはいかぬ。何とか信用できる部下を手に入れねば……)


 私は知らず知らずのうちに疑心暗鬼に陥っていた。

 今更ながらにラウシェンバッハの恐ろしさに気づいた。


(マクシミリアンがラウシェンバッハのことを警戒していたが、頭が切れるだけの若造に何を恐れるのだと思ったものだ。しかし、今になってようやく実感した。奴も今の私と同じような恐怖を感じたのだろう。だから相談できる相手を見つけた瞬間、強引に引き上げたのだ……)


 私も皇帝と同じように腹心を得るべく、人材を探し始めた。

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