第33話「静かな年の始まり」

 統一暦一二〇七年一月十日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 統一暦一二〇七年が明けた。

 予定通り、宰相と宮廷書記官長が交代し、軍務省が立ち上げられた。


 宰相にはオットー・フォン・メンゲヴァイン侯爵、宮廷書記官長にはミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵がそれぞれ就任している。


 軍務省のトップである軍務卿はマルクス・フォン・レベンスブルク侯爵が留任し、実務を担当する軍務次官にはカルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵が就任した。


 今のところ、マルクトホーフェン侯爵も宮廷を掌握することに専念しているためか、大きな動きは見せていない。

 但し、人材登用を積極的に行い、いろいろと声を掛けているらしい。


 もちろん、妨害工作は行っており、昔ながらの家臣と新たに登用した人材とが反目するような情報を流し続けている。


 但し、侯爵も指を咥えて見ているわけではなく、融和に力を入れており、逆に強力な家臣団ができるのではないかと脅威を感じ始めている。


 ラザファムたちだが、結婚式の後、互いの領地を回って年末に戻ってきたところだ。

 幸せいっぱいという感じで私も妻のイリスも喜んでいる。


 最も不安があるクリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵だが、年明けには動けなくなると言われていたが、現状では小康状態を保っている。

 但し、以前より顔色は悪く痩せており、イリスも薄々気づいているようだ。


 それ以外では私とマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵との関係が悪化している。これはマルクトホーフェン侯爵が流した噂に踊らされた結果だ。


『国内で政争に明け暮れている暇はないと思うが、君はマルクトホーフェン侯爵を危険視し過ぎるのではないか?』


『侯爵が王国のことを一番に考える方なら協力できますが、あの方はご自身のことしか頭にありません。そのことは閣下もご理解いただけていると思っていたのですが』


『それは分かっているが、君が手を出すから侯爵も過剰に反応しているのではないか?』


 こんな感じで私が先に手を出していると思い込んでいる。

 グレーフェンベルク伯爵の後継者であるホイジンガー伯爵との関係は早急に改善したいのだが、思っていた以上に思い込みが激しく、時間を掛けていくしかないと思っている。


 ゾルダート帝国でも動きがあった。

 年明けに第十二代皇帝マクシミリアンの戴冠式が行われたのだ。


 マクシミリアンは五月に即位してから積極的に国内の融和に努め、ある程度民衆の支持を得ている。また、軍も第一軍団長のローデリヒ・マウラー元帥を始め、三人の軍団長を完全に掌握した。


 四月頃の内乱が起きそうだった状況とは一変したが、それでも戴冠式を派手にやれるほどではなかったようで、先代のコルネリウス二世の戴冠式に比べ得ると、ずいぶん質素だったという報告を受けている。


 但し、これは合理主義者であるマクシミリアンの意向という可能性も否定できない。一昨年のリヒトロット皇国侵攻作戦の軍事費の負担が馬鹿にならず、来年以降に行われる再侵攻の予算確保のため、戴冠式の費用を抑えたのではないかという話もあるからだ。


 そしてもう一つ気になっているのは、総参謀長のヨーゼフ・ペテルセン元帥の動向だ。

 内務府にいる“叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”の情報分析室の協力者からの情報では、ペテルセン総参謀長は皇帝直属の諜報部隊を組織したらしい。


 組織の名は“オウレ”というらしいが、詳しいことは一切不明だ。一度、“闇の監視者シャッテンヴァッヘ”のシャッテンが探りを入れたが、“真実の番人ヴァールヴェヒター”の間者に見つかりそうになって諦めている。


 防諜を専門とするのか、それとも暗殺などを含めた謀略を担当するのかすら全く分からず、帝国に対する懸案の中でも大きなものとなりつつあった。


 そのため、帝国への謀略を手控えており、情報収集を主としている。これにより、帝国内は収まりつつあり、何らかの手を打たなければならないが、グレーフェンベルク伯爵の健康問題と後継者であるホイジンガー伯爵の謀略嫌いによって、積極的な手を打てずにいる。


 もっともガウス商会のカジノやモーリス商会を中心とした美食供給による堕落化計画は続けており、いずれも順調だ。


 私個人のことだが、年明けと共に家督相続の申請を出している。

 申請自体は受理されたが、取り扱うのが宮廷書記官長であるマルクトホーフェン侯爵であるため、何らかの動きが出るだろうと待ち構えているところだ。


 また、ラウシェンバッハ子爵家に関しては、騎士団の創設に向けて本格的に動き始めた。

 昨年増員した守備隊とシュヴァルツェベスティエン猟兵団イエーガートルッペから、士官候補を王都に呼び寄せ、士官学校の補助教員として教育を受けさせている。


 来年か再来年には騎士団を立ち上げるつもりだが、騎士団長には弟のヘルマンを考えており、彼にもそのことを話している。


『私が騎士団長ですか? 当分無理ですよ!』


 ヘルマンは現在二十歳で、王国第二騎士団の中隊長を務めている。

 身内の贔屓目を抜きにしても、指揮官としては堅実で部下の掌握も上手く、組織運営も苦手としていない。


『騎士団として戦うのは当分先だし、我が家に指揮官になれる人材はお前くらいしか思いつかないんだ』


『兄上がやれないのは分かりますけど、それなら義姉上がなられてもいいんじゃないですか? 参謀をやっていましたし、私より騎士団長に向いていると思いますよ』


 イリスを団長にすることも考えないでもなかったが、騎士団長になれば、領都に常駐することになり、王都にいる私とは離れ離れになる。


『私は無理よ。マティと離れ離れになるのは嫌だし、女性の騎士団長なんて王国では認められないわ。部下や他の貴族家から舐められてしまうから』


 イリスの言葉にヘルマンが小さく首を横に振った。


『少なくとも部下には舐められないと思いますよ。獣人族セリアンスロープが主力なんですから、義姉上を馬鹿にするような者がいたら、すぐに制裁を行うでしょう』


『その点に関しては同感だが、私としては人格的にも能力的にも全幅の信頼を置ける人物に、騎士団を掌握してもらいたいと思っているんだ』


 そこでイリスも説得に当たる。


『そうよ。ラウシェンバッハ騎士団は世界最強の軍隊になるわ。それだけの戦力をいつでも動かせるように準備しておくには、常に行動を共にしておかないといけないと思うの。私では王都と領都を行ったり来たりになるから、不測の事態に対応できなくなる可能性が高いから』


 彼女の言う通り、獣人族主体のラウシェンバッハ騎士団は単純な戦闘力なら最強となるはずだ。全員が五倍程度の身体強化を使え、精鋭と名高いレヒト法国の白狼騎士団やゾルダート帝国の第一軍団の近衛兵と比較しても、個々の兵士の戦闘力は桁違いに高い。


 それに加え、ラウシェンバッハ家に対して絶対的な忠誠心を持ち、死を厭わぬ兵士であることから、最後の一兵になるまで戦い抜くはずで、三倍程度の戦力差なら充分にひっくり返せると思っている。


『言わんとすることは分かりますが……』


『すぐに結論を出す必要はないが、考えておいてほしい。十年以内に我が国は大きな危機がやってくるはずだから』


『兄上がそうおっしゃるなら、私も真剣に考えておきます』


 ヘルマンは私の言葉に頷いてくれた。


 今年はグレーフェンベルク伯爵の死によって、王国に大きな混乱が起きるはずだし、私自身も大きな転換点となるだろう。そのための準備をいろいろと行っているが、まだまだ不足していると思っている。

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