第34話「後事の相談」

 統一暦一二〇七年二月二十一日。

 グライフトゥルム王国王都近郊ランペ村、士官学校内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 士官学校で講義を行っていた時、執事姿のシャッテン、ユーダ・カーンが静かに近づいてきた。


「急ぎお知らせしたいことがございます」


「分かりました」


 すぐに頷くが、学生の前で聞くべき話ではないと考え、即座に教室を出る。


「グレーフェンベルク伯爵が騎士団本部で倒れられたそうです。現在ネッツァー上級魔導師が治療に当たっておりますが、一時は意識がなくなり危険な状態であったそうです。その伯爵よりマティアス様に至急お会いしたいとの伝言がまいりました。いかがいたしましょうか?」


「閣下が私に……分かりました。すぐに向かいましょう」


 そう言って教室に戻り、急用ができたので自習にする旨を伝え、急いで教室を出た。

 最近の伯爵は激しく痩せ、素人の私が見てもいつ倒れてもおかしくないと思うほど、病状は進行していた。


 別の教室で講義を行っていたイリスにも連絡がいったようで、慌てた様子で合流する。


「クリストフおじ様が倒れられたって……大丈夫なのかしら……」


 彼女は伯爵が不治の病に冒されていることを知らないが、深刻な病気だと薄々気づいており、不安そうな表情を見せている。


「そうだね……」


 そう言ったものの、それ以上何を話していいのか分からず、すぐに用意されていた馬に乗る。


 士官学校のあるランペ村は王都まで六キロメートルと近く、馬を使えばすぐだ。

 王都の西門をくぐり、すぐ近くにある騎士団本部に向かう。


 本部に入るが、まだ伯爵が倒れたという情報が広まっていないのか、特に緊張している様子は見られない。


 騎士団長室に入ると、マルティン・ネッツァー氏が簡易寝台で横になっているグレーフェンベルク伯爵の診察を行っていた。


 人払いをしたのか、常に傍にいる参謀長のエルヴィン・フォン・メルテザッカー男爵や副官の姿もない。


 伯爵は青白い顔で宙を見つめていたが、私が入ってきたことで弱々しい笑みを浮かべた。


「遂にこの時が来たようだ。もう少し時間が欲しかったのだが……」


「どういうことなのですか、クリストフおじ様?」


 事情を知らないイリスが不安そうな顔で聞くが、何となく察している様子が窺える。それでもそれを信じたくないと思い、硬い笑みで聞いた。


「私は大賢者様でも治せない不治の病に冒されているそうだ。恐らく今年の夏は越えられない」


「う、うそ……でも……」


 幼い頃から親族のように付き合いがあるイリスは、手を口に当て言葉を失っている。


「急ぎお呼びとのことでしたが、今後のことを協議するということでしょうか」


「そうだ。マンフレートとコンラートも呼んでいるが、まずは君と話をしておきたいと思ってね。ネッツァー医師のお陰で今は話ができるが、この状態も長くは続かないらしいから」


 倒れた割には意識がしっかりしているのは、治癒魔導が効いているかららしい。

 そこでイリスが気づいたようだ。


「あなたは知っていたの? クリストフおじ様が不治の病だということを」


 私が答える前に伯爵が謝る。


「すまない、イリス。マティアス君は君に隠し事はしたくないと言ったのだが、私が止めていたのだよ。君が知れば悲しむだろうから」


「当たり前です! おじ様は私にとってお父様やお母様と同じ大切な家族なんです!」


 涙を流しながら興奮気味に叫んでいる。


「イリス、一度落ち着こう。まずは閣下の話を聞かないといけないから」


「で、でも……分かったわ」


 不治の病と知り混乱したが、気丈な彼女はすぐに落ち着きを取り戻す。


「それでお話は閣下の後任をどうするかということですね」


「そうだ。まあ後任にはマンフレートしか選択肢はないのだが、彼と君との関係が悪化していることが気になっている。昔から真面目な奴だったが、もう少し融通が利くと思ったのだがね」


 マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵は第三騎士団の団長であり、王国軍の実質的なナンバーツーだ。

 現在伯爵位にある団長は彼しかおらず、グレーフェンベルク伯爵の後任にほぼ確定している。


「マルクトホーフェン侯爵に上手くやられました。それよりも話というのは、ホイジンガー閣下の王国騎士団長就任をスムーズに行うためには、どう動くべきかということでしょうか?」


「その通りだ。私が倒れたという情報はマルクトホーフェンに流れるだろう。既にシェレンベルガーが私の体調不良を伝えているから、すぐに動くはずだ」


「そうですね。侯爵なら王国騎士団長という役職自体を無効にしてくるでしょう。閣下の功績に報いるだけの名誉職であり、大きな功績を挙げたわけでもないホイジンガー閣下が就任するのはおかしいとでも言って」


 そもそも王国騎士団長という役職は、帝国との戦いで大勝利を収めたグレーフェンベルク伯爵に対する褒賞として作られたもので、名誉職という扱いだ。


「その可能性が高いと私も思っているよ。しかし、王国軍の指揮命令系統を考えた場合、全軍を統括する王国騎士団長の存在は必要だ。同格の騎士団長では団長間の関係が悪化すれば、指揮権を認めないという事態にもなりかねんからな」


 伯爵の指摘は的を射ている。

 今は王国騎士団の団長にマルクトホーフェン侯爵派はいないが、今後もそれが続くとは限らない。グレーフェンベルク伯爵が退任することで、侯爵派が入ってくる可能性の方が高いとすら思っている。


「外堀から埋めていきましょう」


「どういう意味かな?」


「マルクトホーフェン侯爵派の貴族にとっても、王国騎士団長というポストは魅力的なはずです。そのポストを一時的なものにしていいのかと揺さぶりを掛ければ、侯爵も自派閥から脱落者を出さないために妥協せざるを得ません。特に閣下という強力なライバルがいなくなるのであれば、以前のように王国騎士団を牛耳ることも可能だと思わせれば、王国騎士団長を存続させる方向に舵を切るはずです」


 マルクトホーフェン侯爵派は十年前のフェアラート会戦まで、当時のシュヴェーレンブルク騎士団を牛耳っていた。


 しかし、侯爵派の重鎮であったワイゲルト伯爵が大敗を喫し、侯爵派の将の多くが戦死したことと、グレーフェンベルク伯爵が積極的に侯爵派を排除したことから、騎士団に対する影響力が弱まっている。


「そうだな。十年前のことを覚えている者は多いだろう。ならば、やってみる価値はある。問題はマンフレートだな。彼はこのような策謀を望まないだろうから」


「ホイジンガー閣下にも納得していただかなくてはならないと思っています。私に対する感情はともかく、王国軍のトップになるなら清濁併せ呑む度量が必要です。きれいごとだけでは、王国を滅亡の道に向かわせることになるのですから」


「その通りだ。それについては私から説得しよう。君には情報操作を頼みたい。やってくれるな」


「承知しました」


 この間、イリスは一言もしゃべっていない。

 視線を向けると、ボソリという感じで呟く。


「クリストフおじ様を助ける方法は本当にないの?」


 私はかぶりを振る。


「残念だけどないんだ。大賢者様が無理だということは、誰にもできないということだから」


 彼女の目から涙が溢れてくる。


「どうして……」


 顔を伏せて嗚咽を上げる。


「人はいつか死ぬんだ。それが少しだけ早くなったというだけだ。いや、戦場で散ることを考えたら、長く生きられたのかもしれない。だから、悲しむ顔は見せないでくれ」


 伯爵は達観したような表情でイリスを慰める。


「でも……」


「残された時間は少ないから、君にも手伝ってもらうぞ。王国を守るために生きてきた私の人生を無駄にしないために」


 その言葉でイリスは目に力が篭る。


「分かりました。おじ様が亡くなられるその日まで、私は泣きません。そして、おじ様が成そうとされたことを引き継いでいきます」


 その宣言に伯爵は優しく微笑んだ。

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