第35話「後継者として:前編」

 統一暦一二〇七年二月二十一日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク郊外、騎士団演習場。マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵


 王都郊外で行っていた第四騎士団との合同演習中、王国騎士団長のクリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵が倒れたという情報が飛び込んできた。


「そ、それは真か!」


「はい。すぐに“叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”の治癒魔導師を呼び、今は意識を取り戻しておられますが、閣下にお話ししたいことがあるとおっしゃっておられます。ご足労をお掛けしますが、至急騎士団本部にお戻りいただけないでしょうか」


 意識が戻ったということは一時意識不明になるほど悪かったということだ。ここ一ヶ月ほどは痩せ方も尋常ではなく、急いで本部に戻ることにした。


 第一連隊長であるベネディクト・フォン・シュタットフェルトに指揮を任せ、私はコンラート・フォン・アウデンリート子爵と共に王都に戻った。

 コンラートと馬を並べているが、話をする雰囲気ではなく、黙々と馬を進めている。


 騎士団長二人が演習を途中で切り上げて本部に戻ってきたことに、多くの騎士たちが驚いていた。しかし、特に説明をすることなく、騎士団長室に向かう。


 団長室に入ると、簡易寝台に横たわるクリストフの姿が目に入った。横には治癒魔導師と参謀長であるエルヴィン・フォン・メルテザッカー男爵、そして、マティアスとイリスがいた。


 私たちより遠い場所にいた二人の方が早く到着していることに違和感を持つが、すぐにクリストフの下に駆け寄る。


「倒れたと聞いたが、大丈夫なのか?」


「ああ。今は小康状態だそうだ。まあ、回復する見込みはないのだがね」


 自嘲気味に伝えてくるが、その言葉に驚きを隠せない。


「回復する見込みがないだと……どういうことだ」


「以前から分かっていたことだ。ネッツァー医師とマティアス君の勧めで大賢者様に診ていただいたが、治る見込みはないそうだ。もってあと半年だ」


 余命半年と聞き、目の前が暗くなる。


「本当なのか? いや、お前がこのようなことで嘘を吐くとは思わんが……マティアス、君はこのことを知っていたのか?」


「はい。大賢者様に診ていただいた昨年の十月から知っていました」


「なぜ言わぬ!」


 彼の行き過ぎた秘密主義に、思わず怒鳴り声を上げてしまう。


「私が止めたからだ」


 マティアスが答える前に、クリストフの冷静な声が割り込む。


「だからと言って、このような重大事を黙っていたとは許し難いことだ!」


「そう喚くな、マンフレート」


 クリストフは苦笑しながら私を窘める。


「なぜだ? 聞いていれば、お前の仕事を肩代わりできたのだ。それほど私は頼りないか?」


「そうではないんだ。彼は偶然知っただけだし、私が誰にも話すなと強く口止めしたのだ。だからこのことを知っていたのはネッツァー医師と大賢者様、そしてマティアス君だけだ。私の家族もまだ知らぬことだ」


 家族にすら教えていないということに衝撃を受ける。


「どうしてそこまで隠さねばならんのだ」


「マルクトホーフェン侯爵に知られるわけにはいかなかったからだ。特に軍務省と参謀本部が作られるまでは極力弱みを見せたくなかった。そのお陰で軍務省設立は上手くいった。まあ、参謀本部は間に合わなかったがな」


「侯爵をそこまで危険視せねばならんのか? 彼も王国貴族なのだ。帝国や法国という強力な敵国があることは分かっておろう。国内で争っている場合ではないと理解していると思うのだが」


 私はクリストフとマティアスが、マルクトホーフェン侯爵を敵視し過ぎていると常々思っていた。そのことは彼らにも伝えているが、こんな状態でも敵視する姿勢に疑問をぶつける。


「侯爵は国のことなど考えてはおらんよ」


 クリストフは吐き捨ているようにそう言うと、厳しい表情で話を続ける。


「彼は帝国にも法国にも脅威など感じていない。ヴェヒターミュンデ城とヴェストエッケ城があれば、守り切れると無邪気に信じているからな。だから、自分の権力を強めることにしか興味がないんだ。そんな奴に私が病気だと、それも余命一年以下だと知られてみろ。喜んでこちらを引っ掻き回してくる。シェレンベルガーが裏切った時のことを思い出せば、君にも分かるだろう」


「確かに侯爵には自己中心的なところがある。だが、きちんと話せば理解してくれるはずだ」


 彼の言葉に頷くが、それでも腹を割って話もせずに決めつけるのはどうかと思っている。


「士官学校を骨抜きにしようとしていることは聞いているだろう。奴が考えるような組織にすれば、必ず騎士団は弱体化する。能力ではなく、身分で指揮官を決めるようなやり方は君も賛成できないだろう」


 その話は聞いていたし、何を馬鹿なことをとも思っている。


「それはそうだが……」


「手を拱いていれば、グレゴリウス殿下が玉座に座るかもしれんのだ。そうなれば、あのアラベラが国政に口を出してくることは間違いない。君はそれを許せるのか?」


 第二王妃のアラベラ殿下を呼び捨てにしているが、気持ちは分かる。第一王妃マルグリット様を亡き者にし、フリードリッヒ殿下とジークフリート殿下を暗殺しようとしたのに、マルクトホーフェン侯爵の縁者ということで罪を問われていない。


 信賞必罰は国のよって立つところであり、それを蔑ろにしている国王陛下に対しても強い不満がある。


「侯爵が野心家であり、協力してこないとしても、必要以上に敵視し謀略を仕掛けているのではないか?」


 クリストフは病気で倒れたとは思えぬほど強い視線を私に向けた。


「ならば君に問うが、マルクトホーフェン侯爵派の若造たちが、再び隊長として送り込まれてもよいというのか?」


「それはない。あのような者たちを騎士団の隊長として認めることはできん」


 ヴェヒターミュンデの戦いの前のフェアラート攻略戦で、マルクトホーフェン侯爵派の若い隊長たちが見せた醜態は、今でも腸が煮えくり返るほどの怒りが湧いてくる。


「あの時マティアス君が彼らを放逐する策を練ってくれなければ、騎士団はどうなっていたと君は考えているのだ? 君は謀略を嫌うが、奴らのような者を排除するのに正論で何とかできると、本気で考えているのか?」


「それを言われると返す言葉がない。ああでもしなければ、侯爵が介入してきたという君の考えは理解できるからな。だが、すべてを謀略で片付けようとするのは私の性には合わん」


 この言葉は正直な思いだ。

 私は武人であって政治家ではない。まして謀略を嬉々としてやる策謀家ではないのだ。


「ならば、必要であるなら謀略も厭わぬということだな?」


「そうだ」


 その答えに迷いはない。

 戦場では汚いと言われようが、騙し合いをせねば、敗者となるからだ。


「それを聞いて安心したよ。正直、私の後を継ぐのは君しかいないと思っているから。君がマティアス君を忌避し、私が育ててきた王国騎士団を侯爵にボロボロにされては、堪ったものではないからな」


 その言葉に驚きを隠せない。


「私が君の後を引き継ぐだと……無理だ。君も知っている通り、私は政治に向いておらん。王国騎士団長として、侯爵たちを相手に宮廷でやりあうなど無理な話だ」


「確かに君には難しいかもしれないな」


「その通りだ……」


 私が言葉を紡ぐ前にクリストフが口を開く。


「だが、私とて最初から政治が得意というわけではなかった。マティアス君が適切に助言してくれたから、今のような形に持っていけたのだ。全面的に彼の意見を採用しろとは言わん。私もすべてを彼の言う通りにやったわけではなかったからな。彼の言葉に耳を傾けさえすれば、君でも充分にやっていけると私は確信しているよ」


 確かにマティアスの助言があれば、上手く立ち回れるかもしれない。


「それが必要だと、お前は考えているということか」


「そうだ。私の遺言だと思って聞いてくれ」


「不吉なことを言うな!」


 私の叫びにクリストフは苦笑するが、軽口を叩くことになく話し始めた。


「私は愛する祖国が亡びに向かうと不安に思いながら死にたくはない。私の遺志を継いでくれた者が祖国を守ってくれるから何も問題はないのだと、心安らかに死出の旅に出たいと思っている」


 口調は自然体だが、私の目をしっかりと見つめており、死を覚悟した者の遺言だということは私にも十分理解できた。

 その遺言に応えるしかないと腹を括る。


「分かった。私個人の思いよりも王国の安全の方が重要だ。マティアス、イリス。君たちの力を貸してくれ。クリストフの想いに応えるために」


「「はい」」


 二人は同時に頷いた。


「これで一つ懸念が減ったよ。コンラート、エルヴィン。君たちにも頼みたい。私を支えたように、マンフレートを支えてやってくれ」


「「了解しました」」


 二人は目に涙を浮かべながら答えた。


「少し疲れたようだ。あとのことはマンフレート、君に任せるよ」


 クリストフはそう言うと、静かに目を瞑った。

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