第36話「後継者として:後編」
統一暦一二〇七年二月二十一日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、騎士団本部。マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵
王国騎士団長、クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵と話をした後、私は第四騎士団長のコンラート・フォン・アウデンリート子爵と第二騎士団参謀長エルヴィン・フォン・メルテザッカー男爵、そしてマティアス・フォン・ラウシェンバッハと妻のイリスと共に、私の部屋に移動した。
「まずは頭を整理したい。クリストフの病は本当に治らぬのだな」
「はい。大賢者様が診察され、余命一年以下、今年の初めには動けなくなると断言されました。ここまで動けていたのが奇跡だと思っています」
いつもの笑みを消したマティアスが淡々と説明した。
「クリストフ殿が不治の病……未だに信じられん……」
コンラートが頭を抱えるようにして呟いている。
「そうだな。私も同じ思いだ。だが、大賢者様が断言されたということは、変えようがない事実だということだ。それを踏まえて、今後のことを考えねばならん。マティアス、クリストフが王国騎士団長を辞任せねばならんのは自明だが、その影響はどの程度か、君の考えを聞かせてくれ」
マティアスは静かに頷くと、説明を始める。
「まずは国内外の状況から説明します。ゾルダート帝国は我が国を含め、今年中に軍事的な動きを見せることはないでしょう。皇帝マクシミリアンは軍の掌握に専念していますし、三年以内に皇都を攻略すると宣言していますから、我が国に軍を差し向ける余裕はありませんから」
メルテザッカーが質問する。
「軍を差し向けないだけで、謀略は仕掛けてくるということかな?」
「そうなるでしょう。即位の後に皇帝直属の諜報部隊を作ったようです。どの程度の実力があるかは分かりませんが、皇国への救援ができないように、既に我が国に対して何らかの謀略を仕掛けているはずです。まだ、影響は出ていませんが、油断はできません」
「既に動いているか……厄介だが、具体的に動きが見えるまで動きようがないな……帝国については分かった。レヒト法国はどうだ?」
私が質問すると、マティアスは小さく頷く。
「法王アンドレアスは教団を掌握しました。ですので、法国も無暗に戦争を仕掛けてくる可能性は低いと考えます。但し、我が国が混乱していると知れば、四年前と同じように軍を差し向けてくる可能性は否定できません」
「そうだな。だが、法国についてはヴェストエッケの守りを固めておけば、大きな問題にはならんだろう」
「その通りです。ですが、ヴェストエッケにはジーゲル将軍がいらっしゃいません。新たに司令官に就任したフランケル兵団長ですが、能力的には問題ありません。ですが、兵たちに絶対的な信頼感を与えていたジーゲル将軍より、兵の士気の面で不安があります。早急に救援できる体制は整えてありますが、騎士団の人事によっては楽観できません」
ハインツ・ハラルド・ジーゲル将軍は西の守護神と言われるほどの将だ。兵士たちの将軍に対する信頼は、信仰の域に達していると言っても過言ではない。
「確かにフランケルでは不測の事態が起きかねん。だから救援が必要だということは理解した。人事によってはということは、私の後任である第三騎士団長に誰がなるかで変わってくるということか?」
「はい。法国は前回の反省を踏まえ、更に大兵力を投入するはずです。それに対し、西部の雄、ケッセルシュラガー家の兵力は即応できますが、王都からの増援は必須でしょう」
この対応は以前からのものなので疑問の余地はない。
「そうだな」
「そうなった場合、閣下が王国騎士団長として、どの騎士団を率いていくかということになります。万が一、第三騎士団長が信用できない方になれば、アウデンリート閣下の第四騎士団を王都から動かせなくなります。そう言ったことも含めて、今回の人事は重要だということです」
「つまり、マルクトホーフェン侯爵が横槍を入れて、自分の派閥の者を強引に騎士団長にすれば、第三騎士団が侯爵のために王都を占領するかもしれんと言いたいのか? そのようなことが実際に起こるとは思えんが」
野心家と言われているが、ヴェストエッケを失えば、王国の半分が失われることになるのだ。そのような愚かなことを無能ではない侯爵がやるとは思えない。
「グレゴリウス殿下を王太子にするために、強引な手を使う可能性は否定できません。ミヒャエル卿はともかく、先代のルドルフ卿は以前から強引な手を何度も使っておられます。また、アラベラ殿下は自身で暗殺に手を染めるほど短絡的な方です。何をしてくるのか全く読めません」
確かに先代のルドルフやアラベラ殿下ならやりかねない。
「その可能性は否定できんな。先ほどの続きを頼む」
「はい。帝国と法国については油断さえしなければ問題ないでしょう。問題は先ほどの話にも出ましたが、マルクトホーフェン侯爵閣下がどの程度介入してくるかです。グレーフェンベルク閣下が騎士団長を辞任されれば、これを機に騎士団に手を伸ばしてくることは明らかです。これまで手を出さなかった改革派、すなわち反マルクトホーフェン派にも調略の手を伸ばしてくるでしょう」
「具体的には誰に手を出すと考えているのだ? その目途は付いているのだろう?」
マティアスは大きく頷いた。そして、意外な名を告げる。
「一番に思いつくのはホイジンガー閣下です」
私はその言葉を鼻で笑った。
「私に? あり得ぬ」
「そうでしょうか? 少なくとも私の悪評を流し、溝を作ろうとしてきております。これはグレーフェンベルク閣下が辞任された後のことを考えての布石でしょう」
その言葉に苛立ちが募る。
「君は私が裏切ると思っているのか?」
「裏切るというのは誰に対してでしょうか?」
マティアスは冷たい目で私を見つめている。
私は質問の意味が分からず憮然として答えた。
「クリストフに対してだ」
「では、マルクトホーフェン侯爵閣下が王国のために協力してほしいと手を差し伸べてこられても、その手を取ることはないということですか?」
「い、いや……」
その想定はしていなかったので答えに詰まる。
確かに今の状況で、マルクトホーフェン侯爵が王国のために協力してほしいと言ってきたら、信じた可能性が高い。
「マルクトホーフェン侯爵閣下の手を取った後、侯爵閣下が自派閥の方を第三騎士団長にねじ込んできたらどうされますか? 協力すると約束したことを違えるのかと問い詰められ、それを拒むことができますか?」
「……」
私には答えることができなかった。実際にそう言われたら、武人としての矜持に賭けて、違えることはないと言ってしまうだろう。
「この程度のことは謀略と言えるようなものではありません。ですが、人を誘導することは相手の性格を知っていれば、それほど難しくはないのです。組織の長となるのならば、何が最善なのかを常に意識しておく必要があります。また、相手がどのような目的を持ち、何を狙って、どのような手段を使うかを、常に想定して行動しなければなりません」
マティアスの言葉が重くのしかかってきた。
「騎士団の代表となるなら、深く考えて行動しろということか……クリストフは凄かったのだな。私には無理だ……」
「では、グレーフェンベルク閣下の遺志を継ぐことを諦めますか?」
マティアスはまだ冷ややかな目で私を見つめている。普段の優しい表情からは想像できないほど冷徹な表情に、私は僅かにだが慄いていた。
コンラートやエルヴィンも同様だ。唯一イリスだけは、彼と同じように冷徹な表情で私たちを見つめている。
ここに来て、クリストフがマティアスを重用した理由を理解した。
マティアスの有能さは理解していたつもりだが、どこか軽んじているところがあった。
我々のように前線で剣を振るうのではなく、優しい笑みを浮かべながら駒を動かすように指示を出すだけで、戦士としての強さがないと思っていたためだ。
しかし、彼は思った以上に強い人物だった。
尊敬するクリストフの死を前に、彼の遺志を継ぎ、祖国を守るという使命を果たすために、甘い考えが抜けない私を叱責している。
「これが政治に関わるということか……クリストフの想いに応えると、死を覚悟した彼の前で宣言したのだ。逃げることはしない」
そこでマティアスは初めて微笑んだ。
「ありがとうございます。閣下なら分かっていただけると思っていました」
その言葉で私の緊張も緩む。
「君がこれほど厳しいとは思っていなかった。これからもよろしく頼む」
「もちろんです。私はグライフトゥルム王国を守りたいと思っています。そのためであれば、どのような汚い策でも提案しますし、実行もします。すべての人から非難されようとも、王国を守りたいというグレーフェンベルク閣下の想いを遂げるためなら、ためらうことはありません」
その言葉で私は再び戦慄する。
今の言葉は私に対する宣言だからだ。
自分は目的のためなら後ろ指を指されようが、ためらわずに実行する。お前はどうなのだと。
「私も同じ思いだ。だが、君やクリストフほど頭が回らん。君の策を理解するには手間も時間も掛かる。そのことは忘れないでくれ」
「承知しました」
そう言ってマティアスは微笑んだ。
しかし、私には一抹の不安があった。
私はクリストフのように彼を理解できるのかと。
目的のためにどのような策でもためらわないと宣言する彼に付いていけるのかと。
そんな思いを胸に秘めながら、今後について協議を始めた。
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