第37話「軍務卿レベンスブルク侯爵:前編」

 統一暦一二〇七年三月一日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王宮内。マルクス・フォン・レベンスブルク侯爵


 臨時の御前会議が召集された。

 招集したのは宮廷書記官長であるマルクトホーフェンだ。


「此度集まっていただいたのは、王国騎士団長に関することです。現在、騎士団長のグレーフェンベルク伯爵は重い病に冒され、立つことすらままならぬと聞いております。王国騎士団長は王国の守りの要。戦場に立てぬ者に預けてよい役職ではないと愚考いたします」


 マルクトホーフェンの言葉にフォルクマーク陛下が驚きの表情を見せる。


「それは真のことなのか? 確かに参内することが減ったし、会った時にはやつれていると思ったが……」


「真でございます。軍務卿のところにも話が来ていると思うが、いかがか?」


 そう言って私に話を振ってきた。


「確かにグレーフェンベルク伯爵から後任人事について相談を受けている。但し、私の見たところ、まだ任に耐える状態であり、急ぐ必要はないと考えているが」


 軍務次官のエッフェンベルク伯爵から情報が来ており、第三騎士団のホイジンガーに引き継ぐ準備を行っていると聞いている。


「では、後任についても検討しているということでよいかな?」


 マルクトホーフェンが静かに聞いてきた。


「無論だ。後任には第三騎士団長のホイジンガー伯爵が、爵位、能力、忠誠心において相応しいと考えている」


 そこで宰相のメンゲヴァイン侯爵が発言する。


「ホイジンガーであれば問題ない。陛下、小職は全面的に軍務卿の意見に賛同いたしますぞ」


 ホイジンガーがマルクトホーフェンと距離を置いていると知っているため、宰相はすぐに賛成に回った。


「お待ちいただきたい」


 陛下が頷く前にマルクトホーフェンが割り込む。


「何か問題があるのか?」


 陛下が訝しげに問う。


「はい。そもそも王国騎士団長はグレーフェンベルク伯爵に対する褒賞であり、引き継ぐという考え方自体がおかしいのではありますまいか」


 マルクトホーフェンは陛下の目を見つめながら淡々と答えた。

 エッフェンベルクが会議前に伝えてきた通りの展開だ。


「確かにそうかもしれぬ」


 陛下はマルクトホーフェンの視線に耐えかね、頷いてしまう。


「軍務卿はどう思われる? ホイジンガーに王国騎士団長という名誉ある地位を与えるだけの功績があるとは思えぬのだが」


「私もマルクトホーフェン殿の意見に同意する」


 私が賛意を示したことで、マルクトホーフェンは驚き、目を見開いている。


「ま、待て。王国騎士団長が不在になれば、誰が王国軍を率いるのだ?」


 宰相が慌てた様子で口を挟んできた。

 その問いにマルクトホーフェンが答える。


「シュヴェーレンブルク騎士団時代と同じく、陛下が騎士団長のいずれかに総司令官の命を与えればよいでしょう。以前はそれで問題がなかったのですから」


「上手くいっていたというが、フェアラート会戦では大敗北だったではないか」


 私の指摘にマルクトホーフェンは僅かに動揺した。


「一度の敗北で決めつけるのはいかがなものか。グレーフェンベルクは陛下の命を受けてヴェストエッケを守っているのだ」


「それはグレーフェンベルクが稀代の軍略家であり、独自に指揮命令系統を明確にしたからだ。フェアラート会戦では名将と呼ばれていたワイゲルト伯爵ですら失敗しているのだ。指揮命令系統を曖昧にしたまま戦場に赴けば、あの時のような大敗北を招きかねぬ」


「では、どうすればよいとお考えか。軍務卿は先ほど小職の意見に賛同されたが」


 そこで私は小さく頷き、話を進める。


「軍のことなのだ。軍事を司る軍務卿が総司令官となればよい。職制上は第一から第四騎士団長の上位者でもある。それに普段から騎士団と関わっているし、騎士団長とは緊密な付き合いがあるから、戦場での連携にも齟齬は出ぬ」


 これはエッフェンベルクが献じてきた策に沿った論法だ。

 軍務卿は王国全体の軍政に関する権限を持つ。その軍務卿が軍を率いる権限を持てば、王家直属の王国騎士団のみならず、平時から各貴族領騎士団にも命令権を持つことができる。


 しかし、このような提案をマルクトホーフェンが呑むはずがない。


「軍務卿の権限が強くなりすぎますな。やはり陛下に都度任命していただく方がよいでしょう」


 予想通り、反対してきた。


「平時から備えておかねば、王国は滅ぶことになる。陛下も敵が攻めてきてから任命するのであれば、不安に思われよう。フェアラート会戦では宮廷の実力者であったルドルフ卿が推薦したワイゲルト伯爵が、大敗北を喫したのですからな」


 そう言って陛下に視線を送る。


「そうだな。軍務卿の意見には聞くべきところがある」


「しかし……」


 マルクトホーフェンが反論しようとしたが、それを遮って提案を行う。


「王国騎士団は王国軍の要。それを率いる者は都度任命するのではなく、平時から任命しておくべきでしょう。私は王国騎士団長を正式な役職とし、グレーフェンベルクの辞任に合わせ、ホイジンガーを新たな王国騎士団長に任命すべきと考えます」


「小職は軍務卿に賛同いたしますぞ、陛下!」


 メンゲヴァインが大声で賛成する。

 マルクトホーフェンは反論の糸口がなく、僅かに私を睨みつけるが、すぐに笑みを浮かべた。


「軍務卿の意見は理に適っております。小職も軍務卿の意見に賛成いたします」


 その言葉を受け、陛下も頷かれた。


「それでよい。これでこの議題は終わりだな」


 その後、別件を一件審議し、御前会議は終わった。


 軍務省に戻ると、エッフェンベルクが待っていた。


「どのような結果となりましたかな?」


 そう聞いてくるものの、表情は明るく、私が成功したと確信しているようだ。


「卿の考え通りに進んだ。マルクトホーフェンもぐうの音も出ずに、我が軍門に下ったぞ。卿もなかなかの策士だな」


 エッフェンベルクは笑みを浮かべて首を振る。


「私が考えたわけではありません。我が娘婿マティアスが考えたこと。マルクトホーフェン侯爵があっさり折れたのも彼が細工したからです」


「なるほど。さすがはマティアスだな」


 マティアスとは軍務省設立に向けて動いていた時に、何度も話し合っており、彼の知略の凄さは充分に理解している。


 エッフェンベルクが最初からマティアスの名を出さなかったのは、私が失敗した時のことを考えたためだろう。失敗した時には自分が責任を負い、マティアスに対する信頼度が下がらぬように配慮したのだ。


「しかし、何をしたのだ? マルクトホーフェンはあまり悔しげな顔はしておらなかったが」


「マティアスの話では、マルクトホーフェン侯爵の派閥に重要な役職が一つ減るという噂を流したようです。いずれ自分たちが騎士団を牛耳るようになるのだから、名誉ある職が無くなるのは問題だ、一時的にホイジンガーに預けてはどうかとでも、配下の者に言われたのでしょう。一応事前に聞いていましたが、ここまで上手くいくとは、私も思っておりませんでした」


 エッフェンベルクは苦笑気味に話した。


「なるほど。それならばマルクトホーフェンが悔しがらぬはずだ。だが、よいのか? グレーフェンベルクが復帰できねば、ホイジンガーがマルクトホーフェンに対応せねばならんが」


 私はホイジンガーとそれほど懇意にしているわけではないが、彼が政治家向きでないことは理解している。そのため、野心家であるマルクトホーフェンと対峙しても大丈夫なのかと不安に思っていたのだ。


「その点は問題ありません。今提案している参謀本部ができれば、総参謀長にマティアスが就任します。そうなれば、ホイジンガー伯爵の傍らに、彼が常にいることになるのですから」


「それならば安心だな。だが、マティアスの爵位継承が認められねば、総参謀長とやらになれぬではないか? 爵位のことは宮廷書記官長であるマルクトホーフェンに権限があるが?」


「私は聞いておりませんが、何か考えがあるようですから問題はないでしょう」


「ならばよい。それにしてもあのマルクトホーフェンを手玉に取るとは恐ろしい知略だな。彼が野心を持つようなことがあれば、王国はすぐに乗っ取られるのではないか?」


 ここ数ヶ月で思ったことは、マティアスが優秀過ぎて恐怖すら感じるということだ。


「それはありませんな」


 エッフェンベルクは断言する。

 私はその理由を詳しく聞くことにした。

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