第38話「軍務卿レベンスブルク侯爵:後編」

 統一暦一二〇七年三月一日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王宮内。マルクス・フォン・レベンスブルク侯爵


 グレーフェンベルク伯爵の後任人事に関する御前会議を終えて、軍務省の執務室に戻り、軍務次官のカルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵と、マルクトホーフェンへの対応について話し合っていた。


 その話の中で、マティアス・フォン・ラウシェンバッハの優秀さに恐ろしさを感じ、彼が野心を持ったら危険ではないかと聞いたが、エッフェンベルクは問題ないと断言した。


「卿は問題ないと断言するが、ラウシェンバッハ家の兵士は獣人族が多いと聞く。三万人以上の獣人が忠誠を誓っているそうだが、マティアスほどの知恵者が彼らを使えば、王国騎士団とて太刀打ちできぬだろう」


 エッフェンベルクは私の問いに、余裕の笑みを浮かべて答えていく。


「確かに獣人族がマティアスの指揮下で蜂起すれば、王国は危機的な状況に陥らせることは容易ですな。いえ、それ以前に彼が野心を抱けば、武力を使わずとも王国を手に入れることでしょう。彼ならば我々の想像もつかない手を使ってくるでしょうから」


 大胆な発言に私は慄いた。


「ならば、危険ではないのか?」


「いいえ。彼は野心を持っていませんし、王国を愛しております。冷徹な策士と言われていますが、友を裏切ることは絶対にありません。幼い頃から彼を見ている私はそう断言できます」


 エッフェンベルクはマティアスと十年近い付き合いがあることを思い出した。


「卿が断言するなら問題はないのだろう。それよりもホイジンガーが王国騎士団長に就任するなら、後任の第三騎士団長を早急に決めねばならん」


「マンフレート殿の推薦通り、第一連隊長のシュタットフェルト伯爵でよいのではないかと。クリストフ殿の内諾も得ていると聞いております」


 ホイジンガーは自身の直属の部下である第一連隊長のベネディクト・フォン・シュタットフェルト伯爵を推薦してきたらしい。


「よかろう。では、私からシュタットフェルトを推挙しておく。マルクトホーフェンも反対はできぬだろう」


 シュタットフェルトはマルクトホーフェンに与しているわけではないが、グレーフェンベルクに心酔しているわけでもない。

 また、筆頭の第一連隊長ということで第三騎士団を引き継ぐには最適だ。


「では、そのようにマンフレート殿には伝えておきます」


 それだけ言うと、エッフェンベルクは部屋を出ていった。

 一人になり、マティアスのことを考え始めた。


(グレーフェンベルクが倒れたと聞いた時には焦ったが、今日のことを思えば、マティアスさえいれば、マルクトホーフェンに報復することは可能だ。そのためには彼を我が腹心とした方がよいかもしれん。ラザファムを使って、それとなく誘ってみるか……)


 私は今後の計画を練っていく。


(まずはマティアスを我が腹心とする。そして、マルクトホーフェンを彼の謀略で抑え込み、ラザファムが騎士団長になるまで待つ。ラザファムとマティアスのコンビなら、マルクトホーフェンでは手も足も出まい。そうなってから、父上が受けた屈辱をそっくりそのまま与えればいい……)


 我が娘婿のラザファム・フォン・エッフェンベルクは非常に優秀な男だ。

 兵学部を首席で卒業した秀才ながら、剣の達人でもある。また、ヴェストエッケでは敵の支配地域に僅かな手勢で潜入し、見事に撹乱を成功させるなど、大胆さも見せた。


 他にも部下の掌握は見事なもので、精鋭である第二騎士団の中でも一二を争う優秀な大隊であると聞いている。


 そして重要なことは、知力、武力、胆力、魅力に秀でるだけでなく、誠実さを持ち合わせている点だ。


 ここ最近では、我がレベンスブルク侯爵家は寄り子であった子爵らからも軽んじられていた。


 しかしラザファムはシルヴィアを娶りたいと申し込んできた時、武の名門であり日の出の勢いがあるエッフェンベルク伯爵家の嫡男でありながら、私に十分すぎるほどの敬意を払ってくれた。


 彼の立場であれば、落ち目の我が家に対して強気に出てもおかしくはなかった。エッフェンベルク伯爵家と縁を繋げられれば、侯爵家としての力を取り戻すことも不可能ではなく、私の方から断るという選択肢はなかったからだ。


 それから何度も話をしているが、誠実さだけでなく、政治面でも優秀で、私に適切な助言を何度もしてくれた。


 ラザファムなら十年と経たないうちに王国騎士団長に就任するだろう。そして、親友であるマティアスと組めば王国軍を掌握し、無能な宰相を操って、マルクトホーフェンを政治的に排除することも夢ではない。


(そのためにはマティアスを手元に置かねばならん。エッフェンベルクの話を聞く限り、マティアスは冷徹でありながらも友人や親しい者を見捨てることができない者らしい。ラザファムと共に私の復讐のために働いてもらうには、彼の信頼を勝ち取る必要がある……)


 今のマティアスと私の関係は、マルクトホーフェンという共通の敵がいるというだけだ。


(それでは弱い。ラザファムに一度相談してみるか……)


 そして、翌日ラザファムを自宅に招き、その話をした。

 彼は話を聞くと厳しい表情で黙り込んだ。


「問題があるのか?」


「はい。マティ、いえ、マティアスは義父上のおっしゃる通り、家族や友人を大切にする男です。彼が王国を守ろうと考えたのも、私や妹を守りたいからという理由でした」


「お前やイリスを守りたいから王国を守る? どういう意味だ?」


 理由が分からず質問する。

 王国を守ることで二人を守ることになるというのは、当たり前のように聞こえたからだ。


「一度彼に“君ほど優秀なら王国が滅ぼされても、帝国に恭順の姿勢を見せれば出世できるのではないか”と冗談で聞いたことがあります。その答えが“自分はいいが、ラザファムやイリスは王国を守るために最後まで戦うだろう。私は君たちと死に別れるつもりはないよ”というものでした。彼は私たちが死ぬまで戦うのだから、一緒に王国を守ると言ってくれたのです」


 エッフェンベルクの二人なら王国に最後まで忠義を尽くすから、帝国に降伏することはない。彼が王国を守ろうとした動機が本当にそれだとしても、何が問題なのか分からなかった。


「なるほど……それは分かったが、何が問題なのだ?」


「彼は私利私欲で王国を危険に晒す者を極端に嫌います。義父上がマルクトホーフェン侯爵を排除するために内戦も辞さないとお考えなら、マティアスは絶対に味方になりません。彼なら今でもマルクトホーフェン侯爵を排除することはできるでしょう。ですが、今マルクトホーフェン侯爵を排除すれば王国が大きく混乱し、敵に付け入る隙を与えることになります。ですから彼はやらないのです」


「つまりだ。王国を守るという目的に反することを私が考えているのなら、彼は協力どころか、私を排除しに掛かるかもしれぬということか」


 ラザファムは首を横に振った。


「そこまですることはないでしょう。ですが、義父上の行動を邪魔するくらいはしてくるでしょうね」


「ではどうすればよい? 親友である君なら分かるだろう」


 ラザファムは僅かに考えた後、話し始めた。


「まずはマルクトホーフェン侯爵に報復するというお考えを、一旦捨てる必要があります」


「復讐するなと言うのか! それは無理だ!」


 マルクトホーフェンへの報復は我が父の遺言であり、簡単に諦められるものではない。


「報復を諦めろと言っているわけではありません。それを目的にしてはならないと言っているのです」


 彼の言っている意味が理解できない。


「よく分からんな」


「報復を目的とすれば、王国を守るというマティアスの目的と反する可能性があります。まずは王国を守るということを第一に考えて行動していただければ、野心家であるマルクトホーフェン侯爵とは自然と敵対することになりますから、結果として報復できるということです」


 何となく分かってきた。


「つまりだ。マルクトホーフェンは王国に仇なす存在だから、王国のために動けば自然と奴と敵対する。そうなれば、マティアスの協力も得られると。そういうことだな」


「その通りです。正直なことを言えば、私も義父上が復讐に囚われ、王国に仇なす恐れがあるなら、この身を挺してでも止めなければならないと考えていました。義父上が屈辱を感じておられることは充分に理解しているつもりですが、復讐に囚われることはご自身を不幸にすることに繋がるのではないかと懸念しています」


 その真摯な言葉に私も自然と頷く。


「そうかもしれんな。父上もルドルフと権力闘争に明け暮れ、その結果没落したのだ。王国を支える侯爵家の当主としての責任を果たすことを考えていれば、あのような結果にはならなかっただろう」


「ありがとうございます」


 ラザファムは本心から喜んでいるようで、満面の笑みを浮かべている。


「言いにくいことだっただろうが、よく言ってくれた。これからも頼むぞ」


「分かりました。このことはマティアスにも伝えておきます。彼も義父上が復讐のみに目が行っているのではないかと危惧しておりましたから」


 その言葉に苦笑する。


「さすがは“千里眼のマティアス”と言ったところか。既にお見通しだったわけだな」


 ラザファムは私の言葉に曖昧に笑みを浮かべるだけだった。


「では、王国のために君だけでなく、マティアスにも協力してもらうぞ。そのことも伝えておいてくれ」


「承りました」


 その後、ラザファムと今後のことを話し合った。

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