第31話「ラザファムの結婚:後編」
統一暦一二〇六年十二月十日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王宮内。ラザファム・フォン・エッフェンベルク
今日は私とシルヴィアとの結婚の日だ。
夜明けと共に起床したが、昨夜は緊張して眠れず、今頃になって眠気が襲ってきている。
朝食を摂り、会場である王宮に向かう。
「思った以上に緊張しているようだが、大丈夫なのか?」
心配した父カルステンが馬車の中で聞いてきた。
「緊張はしていますが、大丈夫です」
そう言って無理やり笑みを作る。
控室に入るが、まだ式典までは一時間以上あった。しかし、マティアスとイリスを始め、多くの知り合いが尋ねてきたので、あっという間に時間が過ぎていった。
「ラザファム卿、お時間です」
書記官の一人が呼び出しにきた。
式典は王宮内にあるフィーア教の礼拝室で行われる。
私は礼拝所の扉の前で花嫁であるシルヴィアを待っていた。
「お待たせしました」
王宮の女官が声を掛けてきたので振り返る。
そこには純白のドレスに身を包んだシルヴィアの姿があった。
結い上げられた黄金の髪にはシンプルな銀の髪飾りがあり、俯き加減で蒼い瞳を私に向けている。
「美しいよ、シルヴィア」
「あ、ありがとう、ございます……」
彼女は侯爵令嬢とは思えないほど大人しく、晴れやかな場に出ることを怖がっている気がした。
「大丈夫。私に任せて」
「はい……」
私は彼女の腕を取り、扉の前に立つ文官に視線を送った。
「ラザファム・フォン・エッフェンベルク殿! シルヴィア・フォン・レベンスブルク殿! 入場!」
その言葉が終わると同時にゆっくりと扉が開かれる。
礼拝所には百人ほどの参列者が私たちの方を見て待っていた。
シルヴィアに向かって小さく頷き、ゆっくりとした歩調で歩いていく。
礼拝所の最も奥には国王陛下が待っていた。
いつものやる気のない顔ではなく、どこか優しげな表情だ。
私はよく分かっていないのだが、シルヴィアは叔母であるマルグリット殿下とよく似ているらしく、そのことで陛下は娘を見守るような気持ちになっているらしい。
それから儀式が進んでいくが、荘厳な雰囲気の礼拝所と隣に立つ彼女の美しさに気を取られ、あまり覚えていない。
「……今この瞬間より、両者は夫婦となった!」
神官の言葉で拍手が沸き起こり、そこで私も夢見心地から現実に引き戻された。
「これで君は私の妻だよ、シルヴィア」
「……はい。ラザファム様……」
優しい微笑みと共に名を呼んでくれる。
周りには多くの人がいたが、私には彼女しか見えなかった。
■■■
統一暦一二〇六年十二月十日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王宮内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
ラザファムの結婚の式典は順調に進んだ。
礼拝所での宣誓では美しい二人がステンドグラスからの柔らかな光を受け、神話のような壮麗さを感じさせた。
国王も第一王妃マルグリットの姪であるシルヴィアを可愛がっていたらしく、その様子に涙を浮かべていたほどだ。
私も見入っていたが、今回の運営の責任者でもあるため、のんびりとしている余裕はない。
式典が終わると、一時間ほどの休憩を挟んで昼食会となるが、国王も出席するため、料理や酒の手配で問題が起きないか確認が必要だった。
「マティアス卿、予定していた赤ワインが見つかりません。どういたしましょう……」
「料理が少し遅れているようです。出すタイミングを変えてもよいでしょうか?」
「ケッセルシュラガー侯爵家のご出席者が一人追加になると、今になって連絡がありました。いかがいたしましょうか?」
そんな話が絶えず舞い込んでくる。
「ワインはモーリス商会の運び込んだ荷物の中に紛れ込んでいるかもしれません。それを確認してください。ダニエル、君も一緒に行って手伝ってあげなさい」
「給仕たちにその旨を伝え、酒を積極的にお勧めして時間を稼ぐように指示してください」
「テーブルのセッティングを大至急行ってください。料理は予備として五人分余分がありますから、そこから回すように。フレディ、君から給仕長に念を押しておいてくれ」
そんな指示を出し続けていた。
フレディとダニエルのモーリス兄弟はラウシェンバッハ家の家臣として裏方に入っている。宮廷の文官より役に立つと思って連れてきたのだ。
「忙しいわね。兄様たちよりあなたの方が何も食べられないのではなくて?」
イリスが横で笑っている。
「君もすぐに忙しくなるよ」
彼女も女性控室で問題が起きた時に対応することになっている。
昼食会が終わると、国王が退出する。
本人は可愛い姪のためにその後も出席したかったようだが、国王がいつまでもいると皆が寛げないため、遠慮したようだ。
国王が退出した後、休憩に入るが、高齢の貴族はここで帰る者が多い。
私は休憩することなく、エッフェンベルク伯爵家の家臣に指示を出していく。
「お帰りになるお客様に引出物をお渡しするように。その際には必ずご本人用か確認すること」
身分によって内容が異なるためだ。
本来なら王都にいるエッフェンベルク家の家宰が行うのだが、大規模すぎて手が回らず、私が対応していた。
休憩は一時間ほどだが、私に休む暇はなかった。
園遊会が始まると、ようやく座ることができた。
とりあえず、国王がいる間に問題が起きなかったことに安堵していると声が掛かった。
「お疲れのようだね」
声を掛けてきたのは、クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵だった。
体調はよくないはずだが、健康不安説が流れている中、欠席すればそれを認めることになるため、無理をして出席している。
「いつも余裕がある君がそんな顔をしているのを見るのは、初めてかもしれないな」
「確かに戦場の方が余裕はあったかもしれませんね。ここでは自慢の千里眼も曇ってしまうようですので」
伯爵の笑みに、私も軽口で応える。
「マルクトホーフェン侯爵派の連中は何か仕掛けてきたかな?」
明るい表情は変えないまま、小声で聞いてきた。
「今のところ動きはないようです。
国王が出席するということで、“
「さすがにこの場で仕掛けてくることはないか。まあ、侯爵自身はいろいろと動いていたようだが」
「そのようですね。エッフェンベルク伯爵家の縁者にまで声を掛けていたようです。今のところ、それに乗る者はいなかったようですが、注意が必要だと思っていますよ」
マルクトホーフェン侯爵は敵対派閥の筆頭的なエッフェンベルク伯爵家の関係者にも積極的に声を掛けていると報告があった。その中には後日改めて会う約束をしている者もいた。
「政略結婚という形になったが、本人たちが幸せそうでよかった。見に来た甲斐があったというものだ」
伯爵の言う通り、ラザファムたちは本当に幸せそうで、見ている私も心が温まるほどだ。
園遊会が終わり、再び休憩に入るが、先ほどと同じように私に休む暇はなかった。
舞踏会は午後六時から始まるが、同じように疲れた表情のイリスと合流する。
「疲れたわ……義姉上がいてくれなかったら大変なことになっていたわ……」
女性控室でトラブルがあったらしく、姉のエリザベートと共に対応していたらしい。
「どこの店のドレスだっていいじゃない。私から見れば全部似たようなものよ。そんな自慢話で喧嘩になるなんて馬鹿馬鹿しいわ……」
元々仲が悪い者同士で衣装の自慢話になり、それが高じて言い合いになったようだ。
「お疲れさま。もう少しで終わるから」
舞踏会は王宮の大ホールで行われる。
楽師たちが奏でる音楽が華やかさを演出したところで、主役であるラザファムとシルヴィアが入場してきた。
「シルヴィア様はおきれいね。兄様も幸せそう」
「本当にそうだね」
二人が音楽に合わせて踊り始めると、その姿に私たち以外も見とれていた。
二人を見ていたら後ろから声が掛かる。
「なかなか見事なダンスではないか」
振り返るとマルクトホーフェン侯爵が立っていた。
「はい。私のような者でもそう思いますよ、侯爵閣下」
「貴様にはやられてばかりだったが、今後は王国のために手を取り合わねばならん。私も宮廷書記官長になるのだし、貴様も軍を通じて積極的に王国に貢献せねばならんのだから」
「そうですね。士官学校の主任教官として、王国を、そして民を守るために、これからも身を粉にして働きますよ」
侯爵が何を言いたいのか分からず、当たり障りのない返事をする。
「帝国も法国も大人しくなったとはいえ、我が国に対する野心を忘れたわけではないのだ。大国を相手に戦うのに、国内で争っていては敵に利するのみ。このようなことは貴様が一番分かっているのだろうがな」
あまりに常識的な言葉に一瞬目を見開いてしまうが、すぐにいつもの笑みを浮かべて答えていく。
「閣下のおっしゃる通りです。特に皇帝マクシミリアンは油断ならない人物ですから、王国内に裏切り者が出ないように注意しないといけませんが」
一応嫌味は言っておく。
「その通りだな。では今後はよろしく頼む」
そう言って右手を差し出してきた。
嫌らしい手を使うと思い、一瞬その手を取るのをためらった。ここで握手をすれば、私と侯爵が和解したように見えるからだ。
また、手を取らなければ、侯爵が申し出た和解を拒否したように見える。どちらにしても侯爵にとっては構わないのだ。
しかし、私はすぐにその手を取った。
「こちらこそ、よろしくお願いします。閣下が王国のため、
あえて“民”という言葉を強調しながら、周囲に聞こえるように声を張る。
侯爵は一瞬嫌な顔をするが、すぐに無表情になり、立ち去った。
その様子を横で見ていたイリスが獰猛な笑みを浮かべていた。
「侯爵閣下もなかなかやるわね。でも、私のマティを嵌めるにはまだまだ力不足よ」
これも周囲に聞こえるように言っている。
「いやいや、侯爵閣下も心を入れ替えて王国のために尽力するとおっしゃったんだ。そういう言い方はよくないよ」
この会話が広まれば、侯爵が私を嵌めようとして、逆に嵌められたという噂を流すことができる。
落ち着いたところで、溜息が出た。
「どうしたの、溜息なんて吐いて」
「いや、親友の結婚式なのに政争に明け暮れないといけないなんて不幸だなと思っただけだよ」
「そうね。でも、明日はもう少しのんびり兄様たちを祝ってあげられるわ。明日ならハルトも一緒だしね」
明日は伯爵家と侯爵家の関係者だけで祝うことになっている。
平民ということで参加していないハルトムートも出席するので、今日のようなドロドロとした感じにはならないだろう。
「明日を楽しみにもう少し働くとするか」
そう言って私は会場を回り始めた。
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