第30話「ラザファムの結婚:前編」

 統一暦一二〇六年十二月十日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 今日は朝から冬の澄んだ青空が広がっていた。


「結婚式には絶好の天気ね」


 寝室の窓を開けたイリスが軽やかな口調で話し掛けてきた。

 今日は親友ラザファムの結婚式の日だ。


「私たちも準備をしなくてはいけないね。親族が遅刻するわけにもいかないから」


 武の名門エッフェンベルク伯爵家の嫡男と五侯爵家の一つレベンスブルク侯爵家の令嬢との結婚ということで、午前中から夜まで予定が詰まっている。


 私は義理の弟ということで、そのすべてに出席しなければならないし、親族側の事務方として、仕切りもしなくてはならない。


「今日は一日ドレスか……それだけが憂鬱ね……」


 普段動きやすい服装が多い彼女にとって、息苦しいドレスを着ることは気が滅入ることなのだ。


「美しい妻を自慢したいから我慢してくれるかな」


「分かったわ。愛しい旦那様のために我慢する」


 そんなことを言いあって二人で笑った後、朝食を摂りに食堂に向かった。


 父リヒャルトと母ヘーデは既に食堂で待っており、護衛でもある執事姿のユーダとメイド姿のカルラの給仕で朝食を摂っていく。


「十時から結婚の誓約式、その後に昼食会と園遊会、夜の舞踏会……これでよかったかしら? 陛下もご出席になられるし、こんなに盛大な結婚の式典で、皆さんの注目を浴びる場所にいなくてはならないのは不安で仕方ないわ」


 母が不安そうにイリスに話していた。

 今回は我がラウシェンバッハ子爵家もエッフェンベルク伯爵家の縁戚ということで、普段より主役に近い場所にいる。そのため、こういった行事を苦手としている母は不安なのだ。


「大丈夫ですわ、お義母様。最前列に近いとはいえ、私たちにすることはないのですから」


「そうね。インゲボルグ様に比べたら気が楽だわ」


 ラザファムの母インゲボルグは花婿の母親として挨拶を受ける立場だ。元々三男に過ぎなかったカルステンに嫁いできたことから、うちの母と同じく大きな行事を苦手としており、今回も胃が痛いと訴えていた。


「マルクトホーフェン侯爵も出席するのだろう。問題は起きないのか?」


 父リヒャルトが聞いてきた。


「大丈夫ですよ。国王陛下がご臨席されるところで問題を起こすほど、愚かな方ではないですから」


 この点は自信を持っている。但し、この機会を利用していろいろと動いてくる可能性は否定できず、シャッテンに監視させる予定だ。


 そんな話をしながら朝食を摂り、準備を行う。

 私は金糸をふんだんに使った飾り紐が特徴的な深い緑色のジャケットに白いスラックスだ。派手な衣装だが、貴族の嗜みとしてこの程度は仕方がない。


 イリスは銀色の飾り布が付いたブルーのシンプルなドレスだ。

 フリルなどはほとんどなく、アクセサリーも最低限しか着けていないが、彼女自身が絶世の美女であるため、それだけで存在感がある。


「もう苦しくなってきたわ」


「きれいだよ。だから我慢して」


 一時間ほどで準備を終え、馬車に乗り込んだ。

 馬車の前後にはエレンたち“シュヴァルツェベスティエン猟兵団イエーガートルッペ”が周りを固めている。


 彼らは磨き上げられた鎧やブーツ、糸くず一つ付いていない漆黒のマントを纏い、颯爽と立っていた。


「ご苦労さま。今日はいろいろと面倒を掛けるけどよろしく頼む」


「「「はっ!」」」


 全員が一斉に敬礼する。


 黒獣猟兵団はエッフェンベルク騎士団と共に会場の警備を担当する。王宮内で行われるため、近衛騎士である第一騎士団も警備当たるが、帝国が放つ暗殺者を阻止できるほどの実力はないため、実質的な警備を黒獣猟兵団が担当するのだ。


 王宮に向けて馬車を走らせるが、王宮の城門前では渋滞が起きていた。


「さすがに百家以上の貴族が参列するとこうなるな」


 父が窓から外を見ながら呟いている。

 出席するのは王都にいるすべての子爵家以上の貴族と一部の男爵家だ。そのすべてが馬車で王宮に入るため、渋滞が起こったのだ。


 ゆっくりと王宮に入り、馬車を降りる。

 そのまま控室に向かうが、私とイリスは別行動だ。


「メンゲヴァイン閣下に挨拶に行ってまいります」


 今回の式典の責任者である宮廷書記官長のオットー・フォン・メンゲヴァイン侯爵に挨拶に行くのだ。


 本来なら侯爵家と伯爵家の結婚であり、宮廷書記官長が出てくる必要はないのだが、国王が出席するということと、自らの派閥になると思い込んでいることから出しゃばってきたのだ。


 責任者と言っても名前だけなのだが、何度も無駄に口を出してきたので大変だった。その都度、私がなだめすかして計画通りに進めたが、その結果侯爵の腹心のような形になってしまい、最初に挨拶に行っておかないと面倒になると思ったのだ。


「面倒ね」


 イリスは心底面倒くさそうに呟いている。


「ラズのためだから我慢だよ。愛想笑いの一つでスムーズにいくなら安いものだと割り切って」


「分かっているわ」


 そう言いながらもまだ機嫌は直っていない。

 それでもメンゲヴァイン侯爵の前では満面の笑みで挨拶をする。


「ラウシェンバッハ夫人はまことに美しいな。マティアス卿が羨ましいぞ」


「もったいないお言葉です。それよりもさすがは閣下ですね。これほどの式典を滞りなく準備を終えております。感服いたしました」


 そう言ってヨイショしておく。


「宮廷書記官長として慣れておるからな。この程度は大したことではない」


 そんなことを言っているが、彼は邪魔しただけで何もしていない。

 メンゲヴァイン侯爵に挨拶した後、ラザファムの控室に向かった。


 ラザファムは騎士服に似た純白の上下に金銀を散りばめた鞘の長剣を佩いている。その姿は白馬の王子様という感じで、時々通りかかる侍女たちが目を奪われていた。


「緊張しているようだね」


「似合っているわよ、兄様」


 そう言いながら入っていくと、ラザファムはそれまでの硬い表情を崩した。


「こんなに緊張するとは思っていなかったよ。これなら初陣の方がマシだった。何かいい助言はないか、“千里眼のマティアス”殿」


「今日一日我慢すれば、あとは楽になるんだ。そう思ってやることだけを考えるんだね」


「我らが軍師の助言にしては陳腐ね。そう思わない、兄様?」


 イリスが笑いながらからかう。


「こう言った時は奇をてらうより、陳腐な策の方がいいんだよ」


 そう言った後、それまでの笑みを消して真面目な表情を作り、彼に近づく。


「こちらでも注意しておくが、レベンスブルク侯爵閣下にマルクトホーフェン侯爵を刺激しないよう釘を刺しておいてくれ。マルクトホーフェン侯爵が挑発する可能性があるからな」


「分かっているよ。国王陛下がいらっしゃるところで問題を起こせば、取り返しがつかないことになることは閣下も理解しておられる」


 マルクス・フォン・レベンスブルク侯爵は第二王妃アラベラに暗殺された第一王妃マルグリットの兄だ。また、先代の時代にマルクトホーフェン侯爵との政争に敗れ、大きく領地を失っており、深い因縁があった。


 ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵もそのことを理解しており、挑発することでレベンスブルク侯爵を軍務卿から引きずり下ろし、宮廷内での優位を保とうとする可能性は十分にある。


「しつこいようで悪いけど、これは君の結婚式だけど戦いなのだということを肝に銘じておいてほしい」


 ラザファムはまじめな表情で頷いた。


「了解だ。義父上にも君の言葉を伝えておく。マルクトホーフェン侯爵に勝ちたいなら、千里眼のマティアスの言葉を信じて行動すべきだと」


「それで頼むよ」


 私の虚名も随分使えるようになったと苦笑が零れそうになるが、それを我慢して頷いた。

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