第29話「残った懸念」

 統一暦一二〇六年十二月九日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 元第二騎士団参謀バスティアン・フォン・シェレンベルガーによる騎士団の混乱は、とりあえず収束した。


 彼が動き始めた直後、私はバスティアンの父親であるヒーゼル・フォン・シェレンベルガー伯爵に使者を送り、このままでは伯爵家がマルクトホーフェン侯爵によって潰されると伝えた。


 伯爵は私からの脅しに近い伝言を受け、強い危機感を持った。そして、嫡男フリデリックと共に馬を飛ばして王都にやってきた。


 王都に到着したことを知ると、バスティアンと会う前に面会し、マルクトホーフェン侯爵派に入ることの危険性を丁寧に説明した。


『私もマルクトホーフェン侯爵家は危険だと思っておる。当代のミヒャエル卿のことはよく分からぬが、先代のルドルフは自らの権勢を誇るためには手段を択ばぬ男であった』


 伯爵も同世代である先代のマルクトホーフェン侯爵とは因縁があったらしく、すぐに理解してくれた。

 その上で家督相続を早急に進めるよう提案した。


『ミヒャエル卿が宮廷書記官長に就任する前に、ご嫡男であるフリデリック様に家督を譲るべきだと考えます』


『確かにそうだ』


 更にバスティアンに止めを刺す提案を行った。


『バスティアン殿が爵位継承権を有したままでは、フリデリック様のお命が狙われる可能性があります。彼の爵位継承権を剥奪することも併せて、ご検討いただければと思います』


『そこまでせねばならんのか……』


『バスティアン殿は元々優秀な方です。その彼が手段を択ばなくなれば、危険度は格段に上がります。その点も考慮いただければ』


『うむ……仕方あるまい。バスティアンの身から出た錆でもあるからな』


 少し迷ったものの、私の提案を飲んでくれた。

 これはバスティアンを追い詰めるための策でもあったが、そのことは告げていない。


 伯爵は私の勧めに従って家督相続とバスティアンの継承権剥奪の手続きを行った。

 既に私は現宮廷書記官長であるメンゲヴァイン侯爵に根回しを終えていた。


『マルクトホーフェンの顔を潰すことができるのか! それは愉快だ! 私にできることがあれば何でもいいたまえ! ハハハハハ!』


 メンゲヴァイン侯爵は終始ご機嫌で、私の要請を聞くと、すぐに協力を約束してくれた。


 あとはバスティアンがマルクトホーフェン侯爵と共闘する前に追い詰めるだけで、家督相続の申請が受理されたところで、即座にバスティアンを呼び出し、その事実を突きつけてもらった。


 いずれ暴発させて完全に潰すつもりだったが、簡単に逆上してくれたため、思っていた以上に楽に終わった。


 バスティアンが暴発した時、彼は貴族としての身分を既に剥奪されており、伯爵に斬りかかったことで死罪は免れない。


 また、この事実を大々的に広めたため、マルクトホーフェン侯爵が勧誘し、靡きそうになっていた貴族家の次男や三男も、侯爵に与するのは危険だと離れていった。


「見事に決まったわね」


 妻のイリスは結果を聞くと、ご機嫌な顔でそう言ってきた。


「運がよかったよ。シェレンベルガー殿があれほど簡単に暴発するとは思っていなかった。まあ、乾坤一擲の勝負に出て失敗したのだから、仕方がないのかもしれないけど、もう少し冷静な人物だという印象だったからね」


 正直な感想だ。

 バスティアン・フォン・シェレンベルガーは参謀として非凡とは言えなかったが、戦場では常に冷静さを保っており、このまま経験を積めば、参謀長にまで上り詰めると思っていた。


 しかし、勝負に出て失敗すると、逆上して我を失った。

 性格的なものなのだろうが、もしマルクトホーフェン侯爵に与せずに参謀として残っていたら、逆に禍根を残すことになったかもしれない。


 私自身に人を見る目がないのかもしれないが、功名に走り、冷静さを失うような指揮官や参謀は必要ないから、よかったと思うことにした。


「僅か一ヶ月でやることなすこと全部潰されたのだもの、絶望して暴発してもおかしくはないわ。あとはマルクトホーフェン侯爵がどう動くかね。クリストフおじ様の健康不安の噂が広まっているから、それを利用してくるはずよ」


「そうだね。その点は考えておいた方がいい」


 そう答えたものの、侯爵がどこまでグレーフェンベルク伯爵の病気のことを知っているのかで変わると思っている。


 しかし、彼女にはまだ伯爵が不治の病に冒されていることを伝えておらず、伯爵が王国騎士団長を退任するタイミングで何か仕掛けてくる可能性について相談できていない。


 健康不安の噂が広がったことで彼女に本当のことを話そうとしたが、伯爵から止められている。


『イリスが普通に振る舞ってくれる方が噂を打ち消しやすい。それに彼女の悲しい顔はできるだけ見たくないからね』


 実際、親族に近いイリスが普段通りに接していることで、伯爵の病気は軽いものではないかという話になっている。これは私が積極的に流させたものだが、彼女の存在が大きいことは事実だ。


「いずれにしてもマルクトホーフェン侯爵が動くことは間違いない。特に参謀本部設立に横槍を入れてくることは確実だ。あとは私の家督相続にも何らかの妨害をしてくるだろうね」


「そうね。でもよかったの? シェレンベルガー家のように今のうちに家督を相続しておいた方がよかったのではなくて?」


 彼女の言う方法も考えたし、実際父リヒャルトからも同じ提案があった。しかし、私はあえて来年以降に家督の相続を申し出るように伝えている。


「私のことは侯爵に対する一種の罠だからね」


「どういうことかしら?」


「私に対して謀略を仕掛けてくるなら対応しやすいからね」


「何となく分かったわ。敵をこちらの思惑通りに誘導できれば、攻撃が想定しやすいから防御も楽だし、罠に誘い込むこともできるということね」


 さすがに付き合いが長いだけあって、簡単なヒントで私の考えに辿り着く。


「その通り。それに私という餌をチラつかせておけば、視野が狭まるから想定外のことが起きにくくなる。まあこれは、こちらにも言えることだから、警戒を緩めるわけにはいかないけどね」


「そうね。全く想定していないところに手を出されると、後手に回る可能性があるし、思った通りの対応ができないこともあるわ」


「そう考えると、今回はシェレンベルガー伯爵が物わかりの良い人でよかったよ。頑固な人ならまだ混乱は続いていただろうし」


 シェレンベルガー伯爵は為政者として優秀とは言い難いが、王国貴族として家の存続のために何が必要か理解している人物だった。

 そのため、私の無茶な要求にも即座に応じてくれ、混乱を最小限に抑えることができたのだ。


「マルクトホーフェン侯爵に対しては、まだ手を緩める気はないのでしょ?」


「ああ。今回のことで侯爵にダメージはあまりないからね。このままにはしておきたくないよ」


 マルクトホーフェン侯爵はバスティアンと無関係だと当初から主張しており、今回の暴挙に対しても“あの者ならやりかねぬと思っていた”と自分の判断が正しかったと公言している。


 騎士団の若手の引き抜きには失敗したものの、グレーフェンベルク伯爵の健康不安説が広がった恩恵だけを受けている形だ。


「一応手は打っているけど、どこまで効くかは微妙だ。それよりも私に対する嫉妬が思った以上に強いことが気になっているんだ。侯爵がそこに付け込んでくることは明らかだけど、これに対しては手の打ちようがないからね」


 今回のことは貴族制度の弊害とも言えるが、私に対する嫉妬も大きな要因だと思っている。


 ヴェストエッケとヴェヒターミュンデで功績は挙げているが、まだ二十二歳という若造に過ぎないし、剣も碌に持てず、騎士団に相応しくない軟弱な男と見られている。


 それが王国きっての軍略家であるグレーフェンベルク伯爵や宿将であるジーゲル将軍から評価され、初代総参謀長になるという噂が流れている。


 総参謀長は第一から第四騎士団の団長と同格で、王国騎士団長が不在の場合、全軍を指揮する権限を持つことになる。


 私がグレーフェンベルク伯爵と知り合いであったから策を採用してもらえる機会が得られ、偶然に助けられて成功したと言っている者もいる。


 若手の隊長や参謀にしてみれば、自分にも同じようにチャンスが与えられたら、私にとって代われたと考えてもおかしくはない。


「難しい問題ね。あなたの実力は本物だけど、理解できる人は少ないから」


 そこまで言ったところで、表情を明るくする。


「この話はとりあえずやめましょう。明日は兄様の結婚式なのだから。今はそちらに集中すべきよ」


 明日十二月十日はラザファムの結婚式が予定されている。


「そうだね」


 そう言って私たちは明日のことを話し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る