第28話「格の違い」

 統一暦一二〇六年十二月八日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、シェレンベルガー伯爵邸。バスティアン・フォン・シェレンベルガー


 情報操作において、ラウシェンバッハに後れを取った。


(さすがは“千里眼のマティアス”だな。私のやることの先を見越して潰しに来る。ここまで私の評判を落とされるとは思わなかった……)


 ラウシェンバッハが流した噂により、私は家督相続のためには暗殺も辞さない男という評判が定着してしまった。

 そのため、当初予定していたマルクトホーフェン侯爵派に勧誘する策は、諦めざるを得なくなった。


(あの天才に挑むのだから、反撃があることは予想していたが、これほど早期に潰されるとは思わなかった。だが、グレーフェンベルク伯爵の健康不安の話は確実に広められた。侯爵閣下も私の能力に一目置いてくださったはずだ……)


 当初の目的であるマルクトホーフェン侯爵の支持を取り付けることは、ある程度できたと考えている。


(あとは兄を排除するだけだ。来年早々にも脅しをかけて自ら相続を放棄すると言わせればいい……)


 さすがにこの状況で暗殺はできないが、マルクトホーフェン侯爵の力を使えば、凡庸な兄フリデリックなら恐怖を感じて辞退する可能性が高い。


 父ヒーゼルも凡庸で、剛毅さの欠片も持ち合わせていない。下手に逆らって家ごと潰されるよりは、私に相続させて家を残した方がいいと考えるだろう。


 そんな状況の中、本日父から呼び出しを受けた。


(九月に王都に来たのに、こんなに早く王都に戻ってきただと? いつもより二週間以上早い……爵位継承の根回しに来たのだろうか……)


 父は宮廷政治に関わるのが嫌で、最低限の行事に参加するだけだ。そのため、年末年始の行事も必要なものにしか出席せず、十二月下旬に王都を訪れることが多かった。

 その父が十二月初旬に王都にいることに疑問を持ったが、あまり深く考えなかった。


 約二ヶ月ぶりに貴族街にあるシェレンベルガー家の屋敷を訪れた。

 父は挨拶出迎えの言葉すら掛けることなく、滅多に見せない厳しい表情で私を睨み付ける。


「お前がいろいろやっていることは聞いている。私はお前に家督を譲る気はないが、それでもフリデリックを排除するつもりなのか?」


「排除などいたしませんよ。父上が私を選んでくださるように力を示しているだけです」


「その割には評判が悪いのだが、どういうことなのだ? シェレンベルガー家では暗殺を奨励しているのかと、嫌みを言われるほどだが」


 父の耳にまで入っていることに驚くが、それを隠して頭を下げる。


「私の不徳の致すところです。ですが、それはラウシェンバッハが意図的に流した噂なのです。事実ではありません」


「聞いたところではマルクトホーフェン侯爵の派閥に入るそうではないか。我が家はどの派閥にも与するつもりはない。そのことはお前にも言ってあったはずだが、どういうことなのだ?」


 誰かが父に情報を流したようだ。いや、誰かではなく、間違いなくラウシェンバッハだ。

 そのことを確かめる。


「誰から聞いたのですか? 王都に関心を持たない父上が、このようなことを知っていることが意外なのですが?」


「お前が敵視しているラウシェンバッハ殿だ。あの若者はこのままでは我がシェレンベルガー伯爵家が潰されてしまうと警告してくれたのだよ」


「やはりそうですか……ですが、我が家が潰されるようなことはありませんよ。マルクトホーフェン侯爵閣下も我がシェレンベルガー家の価値を十分にご理解いただいていますし、グレーフェンベルク伯爵も余命幾ばくもないという話ですから……」


「何も分かっておらん!」


 父は私の言葉を遮って、バーンとテーブルを叩く。


「何が分かっていないというのですか? 王都にいない父上より、参謀として情報を扱っていた私の方が余程分かっていますよ」


 父は憤怒の表情で怒鳴り始めた。


「お前は本気でマルクトホーフェン侯爵が信用できると考えているのか! 侯爵はフリデリックを暗殺し、お前を伯爵にした上で、お前を兄殺しとして告発し、シェレンベルガー伯爵家を潰して領地を奪うつもりだ! ラウシェンバッハ殿から聞いたが、あの侯爵ならやりかねんぞ!」


「それは誤解です! 侯爵閣下は……」


 説明しようとするが、父は聞く耳を持たない。


「黙れ! 先代のルドルフが似たような手で、レベンスブルク侯爵家から領地の大半を奪っておるのだ!」


「そのことは知っていますが、ミヒャエル卿は先代とは違います。有能な部下を欲しているのです。参謀としての価値がある私を、使い捨てるはずがありません!」


 そこで父は分かっていないというように首を横に振った。


「お前は自分のことを何も分かっておらぬな。フリデリックを後継者にして正解だったようだ」


 凡庸な父にこき下ろされて頭に血が上る。


「どういう意味ですか!」


「確かにお前には私やフリデリックにない能力があるのだろう。それも侯爵が欲する能力が。だが、お前は今回のことで暗殺も辞さない悪辣な男というレッテルを貼られてしまった。そして、侯爵がそのような人物を身近に置くことはない」


 父の言っている意味が理解できない。


「なぜですか? アイスナー男爵は後ろ暗い噂が付きまとう人物でしたが?」


「侯爵はグレゴリウス殿下を王位に就けたいと考えている。しかし、アラベラ殿下のことがあるから、暗殺という話が出るような人物を身近に置けば、平民だけでなく、貴族の支持も得られなくなる。恐らくアイスナーも、今回のことがなくとも近々王都から排除されたはずだ」


 言わんとすることは理解した。


「それもラウシェンバッハからの受け売りですか?」


「そうだ。だが、彼の言うことは理屈が通っている。お前やマルクトホーフェン侯爵に、我がシェレンベルガー伯爵家を委ねることは滅亡を意味する。それが私の結論だ」


 父はラウシェンバッハに洗脳されたようだ。


「いいでしょう。ですが、父上は必ず後悔します。そして、私を後継に指名するでしょう」


 父は私の言葉に大きく頭を振った。


「それはない。既にフリデリックへの家督相続の申請は出してある。宮廷書記官長のメンゲヴァイン侯爵も年内には手続きを終えると約束してくれた」


 その言葉に私は動揺した。


「どういうことですか! 相続の手続きは来年と言っておられたではないですか!」


「お前が暴走したからだ。ラウシェンバッハ殿はメンゲヴァイン侯爵への根回しを済ませた上で、私に王都に来るよう連絡してくれたのだ。大急ぎでやってきたが、私やフリデリックがすることは何もなかったほどだ」


 私はその場で崩れ落ちそうになった。


「ラウシェンバッハに嵌められた……」


 落胆する私に父は止めを刺してきた。


「もう一つ付け加えることがある。お前を我がシェレンベルガー家から追放する。今後シェレンベルガーの名を使うことを禁ずる。これも既に宮廷書記官長が受理しておる」


「追放……」


「そうだ。お前に家督相続の権利が残れば、お前やマルクトホーフェン侯爵が私やフリデリックを殺そうとしないとも限らんからな」


 父に言い返す気力すら失った。


「お前は喧嘩を売る相手を間違えた。いや、味方にすべき人物を見誤ったというべきか。ラウシェンバッハ殿を味方に付けておけば、仮にグレーフェンベルク伯爵が亡くなったとしても、お前なら出世できただろう。それでは伯爵位は継げぬかもしれんが、騎士団で名誉ある地位には就けたはずだ」


 ラウシェンバッハを持ち上げる父が憎く思えてきた。そして、この理不尽な事実に頭が爆発しそうになっていた。


「ただ先に生まれただけの無能な兄が伯爵となり、この私は平民になり下がる。こんなことが認められるか! 父上! あなたが悪いのだ! 兄ではなく私を選ばなかったあなたが!」


 気づけば私は剣を抜き、父に斬りかかっていた。

 しかし、私の剣が父に届くことはなかった。

 なぜなら、いつの間にか黒装束の男が私と父の間に入り、短剣で受け止めていたからだ。


「やはりこうなったか……ラウシェンバッハ殿が念のため護衛を付けると言ってくれたが、私は不要だと断った。いくらなんでもお前が私を害しようとするはずがないと思っていたからだ……残念だ、バスティアン」


 それから先のことは記憶にない。

 気づけば、荒々しく縄を掛けられた上で、衛士隊の詰所の牢屋に転がされていた。


(どうしてこうなった……)


 そこで何がいけなかったのか思いを巡らす。

 そして、一つの結論に達した。


(私は最初からラウシェンバッハの掌の上で転がされていたのだな。これでマルクトホーフェン侯爵の工作もすべて失敗する。侯爵に取り入ろうと画策した私が、伯爵である父を殺そうとした大罪人になったのだから……彼は侯爵の策を潰すために、最初から狙っていたのだろう……さすがはすべてを見通す“千里眼のマティアス”殿だ……)


 そして父の言葉を思い出した。


(父上の言う通り、喧嘩を売る相手を間違えたようだ……謀略家としての格の違いを思い知らされた……ハハハハハ……)


 私は伯爵暗殺未遂犯として処刑されるだろう。

 その未来を変えることが不可能であることは明らかであり、自らの愚かさに乾いた笑いしか出てこなかった。

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