第27話「謀略戦」
統一暦一二〇六年十一月十一日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
士官学校から帰ってくると、“
「第二騎士団の参謀バスティアン・フォン・シェレンベルガー殿が騎士団を辞めました。その際、グレーフェンベルク伯爵の健康に不安があるという話をしております」
シェレンベルガーが昨日マルクトホーフェン侯爵と会っていたという報告を受け、昨日のうちにグレーフェンベルク伯爵にも知らせているが、先に手を打ってきたらしい。
「先に手を打たれたみたいね」
イリスが悔しげな表情で呟く。
私も同感だが、まずは詳しい話が聞きたいと思い、ユーダに先を促した。
「その他の情報はありませんか?」
「メルテザッカー参謀長や参謀らがその場にいたそうで、不安を隠しきれていないようです。また、伯爵の健康問題については、騎士団本部内で一気に広がりました。伯爵は否定していますが、シェレンベルガー殿が根拠を示して説明したらしく、払拭できておりません」
「シェレンベルガー殿なら、その程度のことはやれるでしょうね……」
シェレンベルガーは参謀として突出した能力を持っているわけではないが、頭の回転は速く、第二騎士団の参謀を二年以上勤めていたことから、情報操作のやり方も心得ている。
「でもクリストフおじ様はまだお若いわ。最近お疲れのようだったけど、ネッツァーさんの診察では問題ないということではなかったかしら?」
グレーフェンベルク伯爵との約束もあり、イリスには伯爵が不治の病に冒されていることをまだ伝えていない。
「そうだね。でも、トップの健康問題は噂でも致命傷になり得るんだ。注意しないといけない」
伯爵本人から許しを得ていないので誤魔化すしかなく、すぐにユーダに視線を向けた。
「閣下から何か伝言はありませんでしたか?」
「特にはございません。騎士団にいる
この状況で私を呼び出さなかったのは、噂が本当だと認めることになりかねないと考えたためだろう。
「シェレンベルガー殿の監視をお願いします。彼くらいの能力があると、掻き回されかねませんから」
シェレンベルガーは無能ではなく、私のやり方を熟知しているから放置できない。
「承知いたしました」
そう言ってユーダは優雅に礼をしてから立ち去った。
「それにしても、このタイミングでマルクトホーフェン侯爵派に鞍替えしたのはなぜかしら?」
イリスの疑問はもっともだ。
しかし、シェレンベルガー伯爵家は中立派であるが、伯爵家という割には注目されておらず、積極的な情報収集対象とはしていなかった。
その理由だが、ノルトハウゼン伯爵家やエッフェンベルク伯爵家のような力を持つ家ではないし、王都から遠く離れた北方に領地を持つため、王都にいる期間も短く、貴族への影響力が少ないからだ。
「シェレンベルガー伯爵家で相続の話が出たのかもしれないね。それに今、マルクトホーフェン侯爵には腹心がいない。上手く立ち回れば、侯爵の覚えもめでたくなるから、爵位を継承で力添えしてもらえるかもしれない。それに腹心になれれば、騎士団の参謀より自由に力を振るえるから、彼くらいの能力ならやりがいはあるからね」
情報が少ないため想像に過ぎないが、大きく外していないと思っている。
「だからと言って、マルクトホーフェン侯爵にすり寄るなんてあり得ないわ。あなたを敵に回しても勝てると思ったのかしら?」
「どうだろうね……」
そう答えるものの、彼が私に対してよい感情を持っていなくてもおかしくないと思っている。
グレーフェンベルク伯爵を始めとする王国軍の重鎮が私を持ち上げ、参謀本部が立ち上がれば、初代総参謀長にしたいという話は騎士団では知らぬ者がいない。
私より五歳も年上で、更に騎士団での経験も豊富であることから、嫉妬してもおかしくはないだろう。
「そんなことより、騎士団の若手の隊長や参謀に手を打たなくてはいけない。貴族家の次男、三男が爵位欲しさに裏切らないとも限らないからね」
「そうね……私はあまり考えたことはないのだけど、貴族としての身分を失うというのは辛いものなんでしょうね。ディートリヒはどう考えているのかしら……」
イリスの弟であるディートリヒは昨年十二月に高等部の兵学部を首席で卒業し、今年の一月に第二騎士団に入団している。ラザファムほど切れるという感じではないが、堅実な指揮と緻密な組織運営を行う優秀な指揮官だ。
そんな彼でもラザファムが爵位を継げば、騎士爵になるしかない。
兄のことを尊敬していることから不満を口にしたことはないらしいが、内心ではどう考えているのか気になるところではある。
「それを言ったらうちのヘルマンも同じだね。ラウシェンバッハ子爵家を継ぐに相応しい能力を持っているのだし」
弟のヘルマンは昨年の一月に第二騎士団に入団し、ヴェヒターミュンデの戦いでも活躍している。
「今回のことでマルクトホーフェン侯爵が揺さぶりを掛けてくる可能性が高いわね。どう対処するつもりなの?」
「難しいね。それぞれの家で事情が異なるだろうし、簡単に対処できるものでもなさそうだから」
「でも手を拱いているわけにもいかないわ。シェレンベルガーが手柄欲しさにこちらに手を出してくることは明らかなのだし」
「そうだね。まあ、シェレンベルガー殿には対処できると思うよ。少し悪辣だけど、彼がマルクトホーフェン侯爵と同じ野心家であり、兄を暗殺するために侯爵に近づいたという噂を流せば、割と信じてくれそうだから」
マルクトホーフェン侯爵家は第二王妃アラベラの行いのせいで、暗殺を平気で行うと思われている。
そのため、爵位を継ぐのに暗殺という手段を使うという噂は信憑性を持つ。
そして、この噂が流れれば、普通の神経の持ち主ならマルクトホーフェン侯爵に近づけない。仮に嫡男が死ねば疑われるし、嫡男が死ななくとも現当主から疎まれるからだ。
確実さを求めるなら、シェレンベルガー家の嫡男をこちらで暗殺するという方法もあるが、そこまでする気はないし、彼女に言うつもりもない。
「その手はいいわね。そのことを知れば、嫡男側も嫌悪感を示すわ。自分を暗殺して爵位を手に入れるつもりなのかと。それにシェレンベルガー家はノルトハウゼン伯爵家と領地が近いから、ノルトハウゼンで噂を流せば領民の支持も失うわ。裏切ったことを後悔させてやりましょう」
彼女の言うことはもっともだが、あまりやりすぎると過剰反応されるため注意が必要だ。
「私としてはあまり派手にやるつもりはないよ。貴族家の相続の問題はデリケートだからね。貴族に対しては、あくまでシェレンベルガー殿とマルクトホーフェン侯爵が暗殺も辞さない人物だという噂を流すだけに留める。あとはそのような人物の血を引くグレゴリウス殿下は大丈夫なのかという噂も付け加えれば、侯爵も苛立つだろうね。上手くいけば、シェレンベルガー殿に派手に動くなと命じるだろう」
アラベラの一人息子第二王子のグレゴリウスは、現在マルクトホーフェン侯爵領で暮らしている。先代の侯爵ルドルフは孫であるグレゴリウスのことを可愛がり、次期国王にすべく現当主のミヒャエルの尻を叩いていた。
そんな噂が流れれば、ルドルフが介入してくるのは間違いなく、ミヒャエルもシェレンベルガーの好きにやらせられないだろう。
完璧を期すため、シェレンベルガーに対しては、もう一つ手を打っておくことにした。
その後、それらのことを“
シェレンベルガーは騎士団退団の日から精力的に動き始めたが、噂が広まるにつれて面会を断る者が多くなる。
効果がないと考えたシェレンベルガーは、グレーフェンベルク伯爵の健康問題を積極的に広める方針に切り替えた。
それに対してもこちらでも情報操作を行って打ち消しているが、伯爵の体調は徐々に悪くなっており、完全に打ち消すことができない。
十二月に入ると、伯爵の健康不安は事実として受け入れられていた。
マルクトホーフェン侯爵は自ら積極的に勧誘を始め、数名の中隊長が侯爵派に入りそうだという報告が
「上手いものだな、侯爵たちも」
私の呟きにイリスが反応する。
「どういうことかしら?」
「評判の落ちたシェレンベルガー殿はグレーフェンベルク閣下の健康不安説の流布に専念し始めた。一方で、侯爵自身はシェレンベルガー殿とは関係ないと明言した上で、勧誘を行っている。二人で役割を分担しているけど、連絡を取り合った様子がない。恐らくシェレンベルガー殿が誘導したのだろうが、それに無言で連携できる侯爵もさすがだと思うね」
シェレンベルガーの監視は
事前に打ち合わせていたとしても、この状況を想定できる洞察力は侮りがたいし、無言の連携なら最終目的のすり合わせが完璧だったことになる。
「確かにそうね。でも、これで終わらせるつもりはないのでしょ?」
微笑みながら聞いてきた。
「ああ。シェレンベルガー殿が思った以上に優秀だった。これ以上侯爵に接近されると厄介だから、早々に退場してもらうつもりだよ」
そして、具体的な策について彼女に説明する。
私の説明に彼女は目を見開いた。
「いつの間に動いていたの? でも、その手は有効ね」
私は微笑みながら頷いた。
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