第6話「演習:前編」
統一暦一二〇〇年五月五日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク構外、騎士団演習場。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
イザーク・フォン・マルクトホーフェンの問題が解決した。また、マルクトホーフェン侯爵に接触されたが、その後は何事もなく、私たち四人は学院生活を楽しんでいる。
特にハルトムートは問題が解決すると、それまでの鬱屈した感じはきれいになくなった。そのお陰もあって、彼とは更に親密になり、私たちは彼のことを“ハルト”、彼は私のことを“マティ”、ラザファムのことを“ラズ”と呼ぶようになっている。
四月に入ると、気候も良くなったことから、学院の授業では座学より実技の時間も増えてきた。
実技は剣術などの武芸ではなく、軍隊を指揮する能力を身に着ける訓練が行われる。
具体的には王都シュヴェーレンブルクに駐屯する王国騎士団の演習に合わせ、そこで兵士たちと一緒に行動を共にし、更に臨時の隊長として指揮を学ぶのだ。
最初のうちは慣れるという意味もあり、行軍や野営のやり方、陣形の作り方などを学んだ。
そして、四月の半ば頃から実際に部隊の戦闘指揮を学ぶようになった。
私は今、グレーフェンベルク子爵率いる第二騎士団の精鋭、第一連隊の演習に参加する。
第二騎士団は結成されてまだ一年ほどしか経っていない。そのため、従来の編成のままの他の騎士団より演習が多く、王立学院の兵学部の実技を担当するようになった。
これには裏があり、私がグレーフェンベルク子爵に提案したことから始まっている。
兵学部の学生が今までの騎士団での演習に参加すると、この先の改革についていけなくなると懸念したことと、エリートである彼らを取り込むという意図があった。
この提案をした際に子爵にそのことを話すと、諸手を上げて賛成してくれた。
「さすがはマティアス君だな。これから騎士団に入る者たちを洗脳してしまおうということなのだろ?」
「そこまでは考えていません。まだ座学の方は昔ながらの教育ですから」
私がそういうと子爵はニヤリと笑った。
「聞いているよ。研究科の教授に教本を渡すようにネッツァー氏に依頼したそうじゃないか。座学の方も手を入れるつもりなのだろう?」
子爵の言う通りだが、そこははっきりと答えず微笑むだけにしておく。
「それはともかく、騎士団にもメリットはあります。改革による新しい運用については、今までの騎士や兵士はほとんど知りません。ですから、知識のない学生を相手にすることで、新たに配属された者にどう対応したらよいのかという、いい練習になるでしょうから」
「確かにそうだな。それ以前に我が騎士団の練度はまだまだだ。君が演習に出てくれるなら、率直な意見を聞きたいのだが」
冗談かと思ったが、真剣な表情でこちらを見ていた。
「私は兵学部で学び始めたばかりの学生ですよ。理論はともかく、実際の指揮などやったことはないのですから、意見を言うなどおこがましいです」
「君とラザファム、イリスの三人はエッフェンベルク騎士団の訓練を身近で見ていたのではないかね。それだけじゃなく、グランツフート共和国軍の英雄、ゲルハルト・ケンプフェルト将軍の指導を受けているじゃないか。それならうちの騎士団の隊長連中よりよほど訓練を受けているよ」
「エッフェンベルク騎士団の訓練は見ましたし、ケンプフェルト将軍にもいろいろと教えていただきましたが、夏休みの一ヶ月ちょっとだけですよ」
そう言って苦笑するが、子爵は納得しなかった。
仕方なく気づいたことは伝えると言って、ようやく納得してもらえた。
その後子爵は、第二騎士団が王立学院高等部兵学部の実技演習のサポートをするという話を宰相府の軍務部に持ち込み、すぐに承認されている。元々騎士団では学生を相手にすることを嫌がっていたためだ。
嫌がる理由はイザークのように実家の権力を振りかざす者が多く、平民だけでなく、騎士にも横柄な態度を取る者がおり、辟易しているという話があったからだ。
第二騎士団でも状況は変わらないが、第二騎士団では軍規が厳しく守られており、それを学生にも適用するということになっている。もし目に余るものがいれば、軍規違反で処分することも認められていた。
また、イザークの件が知れ渡っており、身分を笠に着ての行動を忌避する雰囲気ができつつあった。
ちなみに宰相府の軍務部は昨年の王国軍改革で新たに設けられた部署で、軍政一般を取り仕切る。防衛大臣に当たる軍務卿が長となり、人事や軍事施設の整備、物資の管理などを行っている。
それまで王国全体で軍政を行う組織がなく、各騎士団や守備隊が独自に行政府である宰相府と交渉し、予算の確保や人員配置を行っており、非効率的であった。
権限を奪われる宰相がごねるかと思ったが、大臣級の官職が増えることもあり、騎士団改革よりあっさりと認められた。
本日、五月五日から三日間にわたる演習に参加する。
これまでは王都のすぐ北にある草原で行われ、日帰りばかりだった。
しかし、今回は“
王都の西門から北西に三キロメートルほどの場所にあり、三つの丘を含め、雑木林が広がる場所だ。
距離的には充分に日帰りできる距離だが、今回の演習では夜襲に対する訓練も兼ねているため、二泊三日という日程が組まれていた。
今回は一年生のうち十六名が対象だ。
大隊と三つの中隊の指揮を任されるが、一人で指揮を執るわけではなく、二人で一つの隊を指揮する。もちろん、正規の隊長がお目付け役兼採点係として同行する。
私は首席ということで、第二騎士団第一連隊第一大隊約三百名を指揮することになった。相棒は指名できたのでハルトムートに頼んだ。私たちの指揮下に六人の一年生がそれぞれ中隊長として入り、対戦相手も同じ人数であるため、十六人となる。
私の対戦相手は次席のラザファムで、彼はイリスとペアを組んだ。彼らは第二大隊を指揮することになり、戦力的には互角である。
初日は行軍と野営の訓練に費やされることが決まっており、その日の夜には夜襲は行わないことになっていた。
私たちの第一大隊はシュヴェーレンブルクの北門を出て、最も東にある“糸杉ヶ丘”で野営するよう指示されたが、具体的な場所は指揮官に一任されていた。
「どこに野営するんだ?」
ハルトムートが少し不安そうに聞いてくる。
「地図で候補地は決めてあるけど、行軍と並行して偵察を行ってから決めるつもりだよ」
「敵の位置は分かっているんじゃないのか? それに攻撃は明日なんだろ」
ハルトムートは私の意図を掴み切れていないようだ。
「実戦を想定した演習なんだ。実戦なら当然敵の状況は適宜把握しないといけない。それに行軍中の襲撃や夜襲が行われないと決まっているわけじゃない」
「状況の把握については理解した。だが、今日は攻撃を許可しないというのは、連隊司令部の命令だろ。なら、必要ないんじゃないか」
「確かに連隊司令部の命令だが、相手も同じとは限らない。それに実戦を想定しているのだから、敵が油断しているなら攻撃は行うべきだ」
「それだと命令違反にならないか?」
ハルトムートは不安そうな表情を浮かべている。軍規違反は厳しく罰すると事前に言われているためだ。
「命令書をよく読んだら分かる。連隊司令部の命令には明日以降の作戦のため、十分な休養を取る必要があり、本日は夜襲を行うなというものだ。明日の作戦に影響が出るなら別だけど、この短い距離の行軍で疲労が溜まるわけもないし、現地の判断で攻撃することは間違いじゃない」
「そ、そうなのか……」
まだ納得できていないようだ。
「そもそも今回の作戦は明後日の正午以降に通過する本隊を守るため、宿り木ヶ丘に陣取る敵を無力化することだ。演習だから敵の規模が分かっているけど、命令書には敵は数百名規模としかない。つまり、我々の三倍に達する可能性もあるんだ。そんな状況で効果的な攻撃の機会を失うことは作戦の目的に合っていない行為だ」
「なるほど……」
そう言うものの納得した感じがない。
「この後引継ぎがあるから、大隊長に確認しようか。この命令書の前提条件が何で、どこまで裁量権が認められるか。それならいいだろ?」
「そうだな。分かったよ」
ケヴィン・ボッシュ大隊長から指揮権の引き続きを受け、その際にいろいろと確認した。その結果、ハルトムートも納得してくれた。
出発前に偵察の命令を出す。
「各中隊から一個分隊を偵察隊として抽出する。第一中隊は宿り木ヶ丘周辺を、第二中隊は糸杉ヶ丘周辺を、第三中隊は行軍ルートを確認せよ。但し、敵に悟られないように充分に注意すること」
中隊長たちにそう命じるが、彼らも意図が掴めず、ハルトムートへの説明と同じことを繰り返した。
「俺も偵察に行っていいか? 敵の状況をこの目で見ておきたい」
その要請を私は即座に断る。
「駄目だ。君と私は二人で一人の大隊長なんだ。行軍中に責任者である大隊長が偵察に行くことは考えられない」
ハルトムートは僅かに肩を落とすが、すぐに頷いた。
「確かにそうだな。今のは俺が間違っていた」
「実際に見ておくことは悪いことじゃない。但し、偵察隊の結果を待って、大隊長自らが実際に確認する必要があると判断したならだ。その時は私も一緒に行くよ」
糸杉ヶ丘までは北門から三キロメートルほどなので、何もしなければ一時間も掛からないうちに到着してしまう。
しかし、今回は行軍訓練を兼ねているということで一旦東に向かい、ギース河に到達した後、
このルートでは二十キロメートルを超えるので、小休止を入れれば六時間弱掛かる。十時前に出発したため、休憩を入れても午後四時頃には現地に到着する見込みだ。
大隊長である私は騎乗で行軍するため、馬に乗っているだけだが、行軍速度の調整や小休止のタイミングなどは一任されており、気が抜けない。
朝一番に渡された地図を見て休憩場所の候補は絞ってあるが、偵察隊の報告を受けてからしか決めるつもりはなかった。
グレーフェンベルク子爵が鍛えただけあって兵士の練度は高く、行軍は順調だった。
偵察隊からの報告も受け、敵が想定通りの一個大隊三百名であること、シュヴェーレンブルクの南門を出てから街道沿いに進んでいることなどが分かった。
「野営地は糸杉ヶ丘の北東側、宿り木ヶ丘の反対側の平原とする。丘の上には歩哨を一個分隊置き、周囲の警戒を行うこと。敵が奇襲を掛けようとした際の障害となるように丘と野営地の間の林の木々の根本付近にロープを張ること……」
思いつく限りの指示を出す。
各中隊が野営準備を始めたところで、ハルトムートが疑問を口にした。
「丘の上じゃなくて敵がいる場所の反対側にした理由を教えてくれないか。いろいろ考えてみたが、俺じゃ理由が思いつかなかったんだ」
「簡単なことさ。まず丘の上で調理用の焚火をすれば、夜なら炎の明かりははっきり見えるだろうし、日中なら煙が見えてしまう。そうなれば、こっちが何をしているのか丸分かりだ。私たちは敵に攻撃を掛ける立場だから、こちらの行動はできるだけ秘匿した方が有利になる」
「それは分かった。だが、敵が襲撃してきたら不利じゃないか? 戦いは高い場所を取った方が有利なんだ。丘の上なら撃ち下ろしだから矢の威力は増すし、上り坂だから敵の足も鈍るからな。ここだと林の中からの奇襲を防いだとしても柵も何もない。防御に適しているとは思えないんだが」
「敵より高い場所を確保した方が有利なのは常識だけど、今回は敵を誘い出すことも考えている」
「敵を誘い出す?」
「恐らくラズは宿り木ヶ丘の上に布陣するはずだ。そして定石通りに防御に徹しられたらかなり手こずるだろう。今回は敵の数がこちらとほぼ同じだと分かっている。だから誘い出して平地で戦った方が我々にとっては有利なんだ」
ラザファムは合理的な考えの持ち主であり、自分たちが有利だと判断すれば、防御に拘ることなく攻撃を仕掛けてくる可能性は充分にあった。
「そういうことか……俺は駄目だな。そんなところまで頭が回らないよ」
ハルトムートは気を落ちしたように小さく首を横に振っている。
「私の考えが正しいとは限らないよ。それにあのラズが有利な地点を捨てて攻撃してくるとは思えない。それならこちらの動きを見せない方が焦ってくれるかもしれない。指揮官が焦れば失敗する可能性も上がる。まあ、これは彼の性格と能力を知っているからできることなんだけどね」
優秀なラザファムが防御を固めるだけで無為に時間を過ごすとは考えられない。当然、偵察は行うだろう。その際にこちらの状況が分からなければ、私が何か仕掛けてくると考えるはずだ。
「いずれにしても分かったことがあるよ。お前の敵に回るのは絶対に嫌だということだ」
ハルトムートはそう言って笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます