第7話「演習:中編」
統一暦一二〇〇年五月七日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、騎士団本部。ケヴィン・ボッシュ大隊長
シュヴェーレンブルク王立学院高等部兵学部の学生たちの実技演習が終わった。
俺は第二騎士団第一連隊第一大隊長として彼らの評定を行うことになっているが、どうしたものかと悩んでいる。
指揮官であるマティアス・フォン・ラウシェンバッハ様は天才として名高く、一年半前までただの平民の兵士に過ぎなかった俺でも知っているほどだ。
そのマティアス様が俺の大隊の演習に参加すると、騎士団長であるクリストフ・フォン・グレーフェンベルク子爵閣下から直接伝えられた。
最初は断ろうと思った。
いくら天才とは言え、子爵家の嫡男という甘やかされた貴族の子供の相手したくなかったからだ。
俺はグレーフェンベルク子爵家に代々仕える従士の家に生まれた。そして、昨年の王国軍改革で三百人もの部下を持つ大隊長に大抜擢されている。お館様が俺を高く評価してくれた結果だ。
そのお館様の頼みということで、断りの言葉を飲み込んだ。
その表情がお館様の目に映ったのだろう。笑いながら私にこう言った。
「マティアス君がどんな指揮をするのか、私自身が見たいくらいなのだ。あの天才がその実力通りにやってのけるのか、それとも若さを曝け出して失敗するのか。その辺りを含め、ケヴィン、お前に頼みたいと思ったんだよ」
お館様は王国軍改革を提案し、国王陛下に認めさせたほどの俊英だ。そんな方がまだ十六歳になったばかりの少年に期待している。そのことが気になり、思わず疑問を口にしてしまう。
「ラウシェンバッハ子爵家のご令息はそれほどの逸材なのでしょうか?」
「そうだな。千年に一人の逸材と言っていいだろう。すぐにでも私の幕僚にしたいくらいなのだ。まあ、こちらから誘ってはいるが、断り続けられているのだがね」
最後は苦笑を交えておられたが、俺にはその言葉に衝撃を受けていた。
王国第二騎士団は名門シュヴェーレンブルク騎士団が前身だ。その幕僚ということは能力だけでなく、実績も求められる。戦場に出たことすらない少年にそこまで期待していることに驚きを隠せなかったのだ。
それから数日後の五月五日、実技演習の日がやってきた。
俺は大隊
マティアス様は申し訳程度の軽装の鎧を身に纏い、軍馬には見えない大人しそうな牝馬を引いてやってきた。
柔らかな笑みとほとんど日に焼けていない白皙の顔に、本当に演習に参加するつもりなのかと疑いの目を向けてしまうほど、場違いな雰囲気を醸し出していた。
彼の後ろにはやや背は低いものの、実戦向きの金属鎧と二本の剣を腰に差した少年が付き従っている。こちらの方は足運びから相当鍛錬していることが分かった。
「マティアス・フォン・ラウシェンバッハと申します。ケヴィン・ボッシュ大隊長でいらっしゃいますか?」
子爵家の嫡男であり、エリート校の首席であるにもかかわらず腰が低い。
「ケヴィン・ボッシュと申します。ラウシェンバッハ様に一時的に指揮権を引き継がせていただきます」
「私は学生に過ぎませんので、マティアスとお呼びください。言葉遣いも部下の方にするようなものでお願いします」
意外な申し出に驚くが、貴族の言うことをいちいち真に受けるわけにはいかない。
「では、マティアス殿と呼ばせていただきます。口調は同格の大隊長ではありますが、貴族であるマティアス殿に対するものとして、このままとさせていただきます」
マティアス様は少し首を傾けるが、笑みを浮かべて頷いた。
それから引き継ぎが行われた。
驚いたことに大隊について異常に詳しかった。分隊長クラスの名と経歴、最近実施したばかりの長期遠征訓練の結果まで把握していたのだ。
「よくご存じですな。我が大隊の指揮を執ると知らされたのは三日前だと記憶しているのですが」
この時俺はマティアス様が不正に情報を手に入れ、事前準備を行ったと思っていた。
「聞いたのはおっしゃる通り三日前ですね。第二騎士団についてでしたら、他の連隊でも下士官以上であれば、経歴や能力の概略は把握しているつもりです」
「第二騎士団のすべてを把握……」
思わずそう呟いてしまう。
「すべてではありませんよ。私が知っているのはあくまで書類上のことですから。今からいろいろと話をして、知っていかなくてはならないと思っていますので」
貴族の子供が平民の下士官について名を知っていること自体が異常だ。普通は自分の家の騎士ですら名を覚えようとしない。
それからマティアス様に今回の作戦について説明した。
命令書に従い、五分ほどで説明を終えると、彼が質問してきた。
「命令書について質問は可能でしょうか?」
質問の意図が分からなかった。
「どのような意味でしょうか?」
「今回の実技演習の想定が命令書を受け取るだけということもあり得ると思ったのです。例えば遠隔地にいる連隊長から伝令が送り込まれ、敵に奪われても困らないような命令書だけしかないということはよくある話ですから」
彼は実戦を想定して質問していたのだ。
「そういうことでしたら、質問は可能です。もっとも連隊長が知りえる情報であればですが。詳細な敵の情報などはお答えできません」
「分かりました。では、質問させていただきます。まず今回の作戦の目的ですが……」
そこから怒涛の質問責めにあった。
作戦の目的と演習で想定している周辺状況について、こと細かく聞かれたのだ。
作戦の目的も敵の殲滅といった単純な話では済まず、何のために敵を殲滅する必要があるのか、それはいつまでに必要か、敵を殲滅せず撤退させるだけでは駄目なのかなど、答えられないことも多くあった。
私が言葉に詰まると、彼は微笑みながらフォローしてくれる。
「……なるほど、それは連隊長にも知らされていない情報というわけですね」
質問を終えた後、最後に確認してきた言葉が印象的だった。
「騎士団の演習では実戦に準じて軍規を適用すると聞いております。仮に命令に対する不服従があった場合にも軍規に従って処分してもよいということですね」
「無論です。我が隊にそのような不届き者はいないと確信しております」
そう言いながらも一抹の不安があった。
学生の実技演習の場合、舐めた態度を取る兵士が一定数以上いる。もちろん、明確に馬鹿にするわけではなく、わざと失敗して面目を潰すことなどは何度もあった。
「そうであることを願いましょう。私も我が国の兵士を罰したいわけではありませんから」
優しげな表情とは裏腹に、もしそのような事態が起きた場合、彼は迷うことなく処罰するだろうと確信した。
これまでの話はマティアス様とペアを組むハルトムート・イスターツも聞いていたが、彼はマティアス様の話についていけないのか、自己紹介以外では一度も口を開かなかった。
マティアス様との話が終わると、ディモ・オピッツ軍曹に命令を出した。
「各隊の軍曹に伝えておけ。あの方は軍規違反を見つけたら迷わず処分する。あの見た目に騙されて手を抜こうとする阿呆が出ないよう、しっかり手綱を握っておけと」
「了解。俺も同じことを思ったすから」
ディモは潰れた鼻に鋭い目つき、頬にある複数の傷からならず者のように見えるが、優秀な兵士で俺が新兵の時から数えて十五年以上の付き合いがある。
そのディモが女に見える子供を馬鹿にすることなく警戒している。それを見て、俺の直感が誤っていないと確信した。
それからが更に大変だった。
通常ならすぐに行軍に入るのだが、マティアス様は敵の状況と行軍ルートの安全を確保するということで斥候隊を出したのだ。
やっていることは正しいが、たかが学生の、それも初めて本格的に参加する一年生の演習で、ここまでやる奴は見たことがなかった。
野営地に到着すると、すぐに隊長たちを集め、軍議を開く。
「敵は一個大隊約三百人。宿り木ヶ丘の頂上付近に野営しているようです。既に周囲に簡易の柵を設け、塹壕も掘り始めているという報告がありました」
そこでマティアス様は一同を見まわした。
「今夜、夜襲を掛けようと思います。但し、敵も警戒しているでしょうから、最初のうちは攻撃を仕掛ける振りだけにします」
その作戦に中隊長の一人が質問する。
「そもそも命令では、今夜は攻撃してはいけなかったはずだ。命令に違反してまで攻撃する振りだけの行為に意味があるのか?」
その質問にマティアス様は丁寧に答えていく。
「命令書には明日以降の攻撃に備え、戦力を温存することを優先し、初日の夜襲は行わないこととあります。つまり、戦力を温存する戦いであり、明日の攻撃に支障がなければ問題ありません。仮に多少の支障が出たとしても、敵により多く支障が出るような作戦なら命令違反ではないと言えます……」
俺が説明したことだが、その時は拡大解釈に過ぎると思った。
他の学生たちもハルトムートを除いて同じように思ったらしく表情が険しくなる。しかし、マティアス様はそれに構わず説明を続けていく。
「攻撃する振りに意味があるのかということですが、これを朝まで定期的に続けるとどうなるでしょう? 敵は休むこともままならず、一睡もできずに夜が更けていきます。一方でこちらは半数以上が休んでいますから疲労度合いは格段に違います……」
場の空気が冷えていくのを感じていた。
「……そして、そんなことが何度か続けば、敵も慣れるでしょうから警戒は必ず緩みます。そこで一気に攻勢を掛け、敵を殲滅するのです」
聞いていて恐ろしくなる作戦だった。
暗闇で襲撃の音を聞けば不安になるし、思った以上に精神的に消耗する。そんなことを何度も続ければ、音を聞いても眠ることを優先しようとするだろう。
そんな時、本当の攻撃があれば、初動が大幅に遅れる。防御施設があったとしても敵の懐に入り込むことができるはずだ。
「問題があるとすれば、第二騎士団の兵士が優秀なことでしょう。一晩くらいの徹夜で参るような柔な方々ではありませんから」
その通りだと思った。
うちの騎士団は改革案に従って厳しい訓練が行われている。一日五十キロメートル移動した後に夜襲訓練を行うことは何度もやっており、今日のピクニックのような行軍であれば全く問題ないだろう。
同じ疑問を持ったのかは分からないが、学生の一人が質問した。
「なら、どうして実行するんだ?」
「兵士は耐えられても指揮官が耐えられません。まあ、ラザファムとイリスなら大丈夫そうですが、中隊長の六人は使い物にならなくなっているはずです。勝利を得られる可能性は高いと思います」
「俺が言うのもなんだが、学生である中隊長が使い物にならなくても、小隊長は健在なんだ。あまり意味がないんじゃないか」
それは違うと言いたかったが、この場で口を挟むことはできない。しかし、俺が言いたいことをマティアス様が伝えていく。
「確かに本職である小隊長が健在なら問題ないように見えます。ですが、戦いは局所で勝っても仕方がないのです。中隊長が指示を出せなければ、小隊単位でしか対応できません。その場合、ごく狭い範囲での抵抗にしかならず、必ず遊兵が生まれます。そうなれば、あとは各個撃破していけばいいだけですから、勝利は揺らぎません」
学生たちは彼の言葉に納得し、夜襲が行われることになった。
しかし、その後にトラブルが起きた。
夕食前にマティアス様が歩哨に立っている者以外の全員を集め、今夜の襲撃について説明した。その時、俺は兵士たちの列の横に立ってその様子を見守っていた。
ほとんどの者は学生の気まぐれで睡眠が削られることに不満を感じていたが、口には出さなかった。
しかし、一人の若い兵士が公然と反対した。
「夜襲はやらねぇっていうのが団長からの命令だったはずだ。命令違反までしてやる気はねぇぞ」
マティアス様はその意見に先ほど学生たちに話したことを繰り返して説明する。
しかし、その兵士は納得した様子もなく、反抗的な態度を隠そうともしなかった。
「嫌なものは嫌なんだよ。貴族のボンボンの遊びに付き合う方の身にもなってくれって言ってるんだ」
マティアス様はいつもの笑みを浮かべながら、ゆっくりとその兵士に近づいていく。
「あなたの所属と名前は?」
「第二中隊第三小隊所属の槍兵、ミルコ・トムゼンだ。何か文句があるのか?」
ふてぶてしい表情で言い放つ。
俺の記憶では、トムゼンは第二騎士団の創設時に志願して兵士になったはずだ。
槍戦士としての能力があり、最近では増長気味だと中隊長が言っていたことを思い出す。
「今の言葉は上官の命令に対する不服従に当たりますが、取り消すつもりはありませんか?」
トムゼンはペッと唾を地面に吐き出した後、マティアス様に顔を近づける。
「ねぇな」
俺は不味いと思い、介入すべく走り出した。
「ま、待て!」
しかし、マティアス様の行動の方が早かった。
彼は腰に差してあった細剣を引き抜くと、トムゼンの首に突きつける。
「軍規では戦闘中の不服従は斬首と決まっています。私の剣の腕では首を刎ね飛ばすことはできませんが、あと五センチ動かせば頸動脈を切り裂くことができます。幸い、この剣は
そして、更に剣を近づけ、トムゼンの首から一筋の血が流れる。
「ほ、本気で俺を殺すつもりなのか……」
「軍規を守れぬ兵士など野盗と変わりはないですから」
そう言ってニコリと微笑む。その笑みに今まで感じたことがない恐怖を覚えた。
「私は未熟な隊長ですから、あなたが理解できるように説明できなかった可能性があります。ですから、もう一度だけ聞きます。命令に従って作戦に参加しますか?」
そこで沈黙が流れた。
トムゼンも脅されて頷くことに抵抗があるのか、マティアス様の迫力にビビって声が出なくなったのかは分からないが、すぐに答えない。
「わ、分かりました! 大隊長の命令に従い、作戦に参加します!」
そこでマティアス様は剣をゆっくり下した。
「分かってくれて助かりました。私の筋力ではこれ以上あの位置で剣を留めておくのは限界でしたので。もう少し遅かったら剣の重みで動脈まで切っていたかもしれません」
そう言って笑った後、元の場所に戻っていく。
一方、トムゼンは緊張の糸が切れたのか、ガックリと膝を突いていた。
「では、夕食後に作戦開始とします。各小隊長は中隊長からの命令を聞いて準備をお願いします。解散!」
夜襲作戦はマティアス様の説明通りに推移し、敵の拠点を奪取した上、ほとんどの敵兵を戦死判定か、捕虜判定にして無力化した。
俺はこのことをお館様にどう報告していいのか困惑した。
マティアス様の指揮官としての行動に間違いはない。むしろ行軍の最中から周囲の状況の把握を徹底するなど、俺たち本職ですら感心するほどだ。
しかし、命令書に従うことなく独断で戦端を開いた。また、反抗的だとは言え、トムゼンに対する行動は演習という枠を大きく超えている。
俺は評定部分を空欄にしたまま、お館様の部屋に向かうことにした。
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