第6話「魔導師の塔」
統一暦一一九四年三月三日。
グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、魔導師の塔。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
ここグライフトゥルム市に来てから約一年九ヶ月。私は今日、十歳の誕生日を迎えた。
ここは王家発祥の地とされ、王国の名を冠している町だ。但し、人口は二千五百人ほどしかなく、王都シュヴェーレンブルクや周辺の人口を合わせると二十万人を超える商都ヴィントムントとは比べ物にならないくらい規模が小さい。
規模は小さいものの、ここの価値はそれらの大都市に決して劣るものではない。
その理由は王国発祥の地ということもあるが、それ以上に三大魔導師の塔の一つにして世界最古の塔、
この他にも特筆すべき点がある。それはこの世界では
彼らが多く住んでいる理由は
そんな特殊な町で二年近く過ごしてきたが、“塔”と呼ばれる
“塔”と言っても、高さ二十メートルほどのそれほど大きくない塔があるだけで、基本的には大きめの屋敷という感じだ。もっとも塔には様々な機能があり、象徴としてあるわけではない。
施設に篭っていたのは私の健康が問題だったためだ。
二年前のような寝たきりの生活とまではいかないが、完全な健康体となるには時間が必要だったようで、ここに来てからも何度も高熱を発して寝込んでいる。
その度に大賢者マグダや
これほど高位の魔導師による治療は国王ですら受けられないらしく、もしここに来ていなかったら十歳の誕生日を迎えることはできなかったかもしれないと思っている。
この他にも大賢者から私の安全を優先するように指示が出ていたようで、安全な塔から出ることがほとんどできず、出る場合も
そんな凄腕の護衛が付くのは国王と
それどころか、ここに来た当初より更に待遇が良くなっており、日本にいる時には小市民に過ぎなかった私には胃が痛くなる状況だ。
待遇が良くなった理由だが、私が口にした“予言”が当たったためだ。
予言といっても質問されたことに対し、もらった情報から分析した結果を話しただけで“未来視”という超常的な力を使ったわけではない。
私は別の人格があると知られないため、大賢者の過大な評価に応えられるよう、塔の魔導師たちから得られる限りの情報を集め、様々な問いに答えられるように常に準備していた。
その頃から私は大賢者と同等の権限、つまりすべての情報にアクセスできる権限を有していた。もちろん膨大な量を有する
その結果、毎日数十枚の報告書が私の手元に回ってくるようになった。
この世界の情報を得るにつれ、思ったことは、想像より文明が発達しているということだ。
当初は中世欧州程度の文明と思っていたが、農業分野では機械化こそされていないものの品種改良の概念があり、土壌管理もきちんと行われていた。その結果、思った以上に農業生産力は高い。
一方で工業化はあまり進んでおらず、家内制手工業の域から出ていない。水車などは利用されているものの蒸気機関はもちろん、魔導具にも動力関係はなかった。
政治に関しても古くさい封建主義の国家が多い印象だ。その中で新興のゾルダート帝国とグランツフート共和国は近代国家に向けて、統治システムの効率化を進めている感じだ。
こんなことを調べていると、大賢者が気を利かせてくれたのか、わずか八歳の私に情報整理のための人員が配置された。
当初は三人だったが、今では二十人近い数の組織となっている。名目上のトップは塔内のランクで言えば上から三番目の“導師”が責任者だが、実質的には私がその数の魔導師に指示を出している。
そして、この組織には“情報分析室”という名がいつの間にか付けられていた。
元々は情報が持ち込まれる部屋、つまり私が使う部屋の名前を指していたのだが、気づけば組織の名前になっていたのだ。
情報分析室という名が定着する前、今から半年ほど前の昨年九月頃、大賢者から帝国がどう動くかという質問を受けた。
「皇帝が代替わりして二年近くになるが、帝国はどう動くかの?」
その当時、私が優先的に得ようと考えた情報は、世界の情勢に関するものだ。
大賢者、すなわち
世界情勢を見る上では現在飛ぶ鳥を落とす勢いの帝国に注目することは必然で、当然情報も多くあった。
しかし、その情報は膨大ではあるものの、
帝都ヘルシャーホルストの酒場で拾い上げられた単なる噂話と帝国の高官から直接得た情報が混在していたり、物流に関する情報なども役所のものと民間のものがごちゃ混ぜになっていたりと、読み解くだけでも一苦労といったものが多かった。
そのため、シンクタンク時代にやったように情報を分類・整理し、それに私なりの解釈を加えて文章化した。
その結果、帝国を含め、この世界の動きがある程度予想が付くようになっていた。
「そろそろ大きな動きがあると思います」
大賢者は興味深げという感じで更に聞いてくる。
「具体的には何をすると考えておるのじゃ? 皇国への再侵攻かの」
大賢者もある程度想定したらしく、皇国への侵攻作戦を挙げてきた。
「その通りです。恐らくですが、皇国軍を叩き、その後に南部鉱山地帯を奪おうと考えているのではないかと」
リヒトロット皇国とゾルダート帝国の戦争は皇都リヒトロット周辺で膠着状態だ。これは皇国側が周辺都市での防衛戦に専念し、攻城戦が得意ではない帝国軍が攻めあぐねているためだ。
「うむ……皇都を狙うのではなく、軍と南部鉱山地帯を狙うというのじゃな?」
私はその問いに頷き、説明を始めた。
「いただいた情報から考えると、皇都リヒトロットに直接攻撃はせず、皇国の財源である南部の鉱山地帯を狙い、それを阻止しようと出撃してきた皇国軍を撃破、その勢いのまま鉱山地帯に侵攻し、城塞都市側の心を折るのではないかと思います」
「野戦で叩きのめしてから都市を攻略していくと……なるほどの。確かにコルネリウスなら考えそうなことじゃな」
皇帝コルネリウス二世は皇子時代から大胆な用兵で有名であるため、大賢者もすぐに納得する。
「はい。これまで帝国軍が快進撃を続けてこられたのは得意の野戦に持ち込んできたからです。指揮命令系統の統一されていない皇国軍に対し、錬度の高い帝国軍なら大規模な野戦では圧倒的に有利になりますから」
封建国家であるリヒトロット皇国は貴族がその都度徴兵した領民兵を主体としているため錬度が低い。また、大規模な軍事行動の場合、その貴族軍の連合となるため、錬度だけでなく装備もまちまちで、まともな連携が取れない。
一方のゾルダート帝国は兵士こそ徴兵された民だが、定期的な演習への参加が義務付けられていることと、軍の組織が近代化され、指揮命令系統や装備が統一されていることから野戦での動きが良く、皇国軍を常に圧倒してきた。
その帝国軍でも手こずってきたのは攻城戦だ。
皇国の都市はほとんどが大規模な城塞都市であり、身長十メートルを超える巨人などの大型の
また、野戦と違い、自領の防御を行うことから単一の貴族軍が対応に当たることが多いため、連携の問題も少なかった。
ちなみにファンタジーな世界での火力担当である
これは名前にある通り、三つある魔導師の塔すべてが遵守しているもので、これまでの戦争では治癒魔導以外の魔導が使われたことはないらしい。
そのため、大砲などの火砲がないこの世界では、城塞で防御する方が圧倒的に有利だった。
そして、皇国が戦い続けられているもう一つの理由は皇国が大陸でも有数の富裕な国であるためだ。
リヒトロット皇国の主な財源は南部のベーゼシュトック山地にある金属資源と、中部から西部に流れる大河、グリューン河流域の農産物だ。
それをグリューン河の水運と海路を使ってグライフトゥルム王国にある商都ヴィントムントに運び、
穀倉地帯である皇国中西部は皇都を越えた先にあるため、南部の鉱山を攻略することは自然な流れであり、皇国の上層部も当然警戒している。だから、そこに兵を向ければ、皇国軍が反応することは容易に想像できた。
「うむ。確かに皇帝の思惑はそうかもしれぬが、根拠はあるのかの?」
「帝都ヘルシャーホルスト近郊では穀物と飼葉の価格が急騰しております。他にも南部への物資の流れが活発になっているという情報がありました。これは大規模な侵攻作戦がある時の特徴です。その一方で、攻城戦で使われることが多い木材や油、土木作業用の道具類などの価格は安定しています……」
最初に気づいたのは不作でもなかったのに、穀物の価格が例年の変動幅から大きく外れていたことだった。また、飼葉などの戦略物資の値段も軒並み上がっており、その理由を考えたのだ。
「うむ……」
大賢者は物資の価格が根拠と聞き、納得しがたいのか、眉を寄せて唸っている。
「それに加えて、南部のザフィーア湖に向けて多くの船がザフィーア河を遡上しているという情報もありました。他にも多くの兵士たちに長期休暇が与えられております。彼ら自身、近いうちに出征があるのではと酒場で噂しているという情報が多く上がってきています。また、帝国の文官たちの間ではある噂が……」
更に五分ほど細かな分析結果を示していく。
「……それらを合わせて考えると、皇国南部に近いザフィーア湖に物資を密かに運び、そこを起点に侵攻し、野戦を主体とした作戦が行われるのではないかという分析結果になりました」
私が根拠を説明すると、大賢者は納得したのか小さく頷いた後、質問してきた。
「なるほどの……で、いつ頃、軍を動かすと、坊は考えるのじゃ?」
その問いは想定していたのですぐに答える。
「時期は早ければ今年の十月初旬、遅くとも十一月初旬くらいには動くはずです」
「ほう。噂ではまだまだ動けぬ、早くとも再来年の半ばと言われておるがの。で、そこまで時期を限定できる根拠を教えてくれぬか?」
大賢者はそう言いながら興味深げな表情で私を見つめている。
「噂では国内の引き締めに時間を掛けているとありますが、そもそも皇帝は以前から軍を掌握しており、そこまで警戒する必要はないはずです。いただいた情報を見る限り、いくつかの軍団に不穏な動きがあるという噂だけで、具体的な情報は一切ありませんでした」
「うむ。確かに言われてみればその通りじゃの……」
大賢者も思い当たることがあったのか、小さく頷いている。
「恐らくですが、故意に情報を流し、皇国の油断を誘っているのではないかと思います。それに来年の一月には即位二周年の記念式典があります。それを大勝利で飾りたいと考えているはずです」
帝国内での混乱の話は結構広がっているが、あまりに広がっているため、逆に不自然さを感じていた。
「よく調べておるの」
大賢者はそう言って微笑む。しかし、すぐに表情を引き締めた。
「で、どの程度の戦力を動かすと、坊は考えておるかの?」
これも情報から想定済みだった。
「二個軍団六万人で間違いないと思います。一個軍団では少なすぎますし、三個軍団以上では皇国軍が援軍をためらい、攻略に時間が掛かって一月に間に合わない可能性が出てきますから」
帝国軍の構成は一個軍団三万人が基本となる。一万人規模の師団もあるが、これまでの戦いでも軍団に師団を加えた混成軍団という構成は、突発的な防衛戦などのイレギュラーな状況でしか使われていなかった。
そのため、罠を仕掛けるような緻密な行動が求められる作戦で混成軍とする可能性は少ないと考えた。
「皇国軍はそれ以上の兵を送るじゃろうが、それでも帝国の勝利は揺るがぬと」
「ええ、仮に皇国軍が倍の十二万人を動員できたとしても、野戦になれば帝国軍の勝利は疑いようがありません。集めた情報からは最大でも八万人程度しか動員できないでしょうから、皇国軍は惨敗するんじゃないでしょうか」
私の言葉に大賢者は頷くが、更に質問を重ねてきた。
「皇国軍が勝利するにはどうしたらよいかの?」
このことについても考えていたので、答えに窮することはなかった。
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