第7話「帝国の動向」

 統一暦一一九五年三月三日。

 グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、魔導師の塔。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 一年半ほど前の一一九三年九月頃、大賢者マグダにゾルダート帝国の今後の動きについて聞かれた。


 その中で帝国軍が陽動作戦を行い、得意の野戦でリヒトロット皇国軍を打ち破ると説明すると、大賢者から更なる質問が来た。


「皇国軍が勝利するにはどうしたらよいかの?」


 想定内の質問であり、即座に答える。


「この状況で大勝利は難しいですが、敵の戦略目的を封じる方法ならあります」


「それはどのような方法じゃ?」


「持久戦です」


 私の端的な言葉に大賢者は首を傾げた。


「持久戦? 具体的にはどうするのじゃ?」


「南部の主要都市エーデルシュタインには一万ほどの兵力がありますし、市民からも義勇兵が集まるでしょう。それに物資の備蓄も抜かりなくされているでしょうから、六万という大兵力とはいえ、攻城兵器をあまり持たない帝国軍に対してなら、二ヶ月くらいは耐えられるはずです。そこで皇国軍としては直接救援には向かわず、補給線を叩き続けるのです」


「補給線? 輜重兵を潰すということかの?」


 この世界の戦争でも補給線を攻撃した実績はあるが、基本的に城塞に篭る防御側を侵攻側が攻撃するという図式が多い。そして、城塞は先に説明した通り、防御力が高く、積極的に打って出ることは少ない。それで大賢者も戸惑ったのだろう。


「はい。帝国の遠征軍もある程度の物資は持っているでしょうが、六万という大軍です。長期戦になれば本国からの補給に頼らなければなりません。補給線を失えば、帝国軍といえども敗北は必至だからです。帝国軍の上層部は無能ではありませんから、兵站維持のためにエーデルシュタインの包囲の一部を解くことになります」


「皇帝も元帥たちも補給の重要性は理解しておろうから、当然ではあるの」


「一方の皇国軍ですが、彼らには地の利がありますから、出てきた敵を森林地帯で分断しながら少しずつ叩き、敵の戦力を消耗させることができます。それに業を煮やした帝国軍が包囲を解いて決戦を挑んできても相手にせず、更に補給線を叩き続ければ、帝国軍も引き上げざるを得ません」


 私が考えたのはいわゆるゲリラ戦だ。

 エーデルシュタイン周辺は森林地帯であり、街道も森の中を走っている。また、地元民しか知らない抜け道は無数にあるらしい。皇国の勢力圏内であり民衆の支持もあることから、動きの鈍い輜重兵を攻撃することは難しくない。


「もっとも皇国軍の将軍たちが私の考えたこの作戦を採用することはないでしょうけど」


 そう言って微笑むと、大賢者が頷く。


「うむ。あの国の将はプライドだけは高いからの。つまり、皇国の敗北は決まっておるということじゃな。では、注意深く見ておくかの」


 そう言って大賢者は私の下を去った。



 私自身、その話を忘れていたが、三ヶ月ほど経った一一九三年十二月に、私の予想とほぼ同じことが実際に起きたと知らされた。


 その時の概要は以下のようなものだ。


 皇帝コルネリウス二世率いる帝国軍六万が南部の主要都市エーデルシュタインを急襲した。


 皇国は直前まで帝国軍の行動に気づかず、慌てて八万人の軍を編成し、エーデルシュタインを囲む帝国軍に襲い掛かるべく、街道を南下していく。

 コルネリウスは当然想定しており、直ちに包囲を解き、軍を北に向けた。


 皇国軍は斥候を放って帝国軍の動きを探っていたが、コルネリウスはそれを予想し、斥候隊を潰していく。また、エーデルシュタインと援軍の間の伝令も徹底的に狩っていった。


 そのため、皇国軍には情報が届かなかったが、将軍たちは漫然と軍を進め、ヒルシュフェルトという村の近くで帝国軍の待ち伏せを受けてしまう。


 さすがに六万人もの大軍であるため、帝国軍も完全な奇襲とはできなかったが、ここで皇国軍の弱点である指揮命令系統の不備がもろに出た。


 軍議を開く時間もなく、総司令官の命令が上手く届かない。そのため、二十近い数の貴族軍がそれぞれ勝手に陣を構え、いびつな陣形を作るしかなかった。


 一方の帝国軍は二つの軍団が見事な連携で突出した部隊を叩いていく。

 それに対し、皇国軍も反撃を行ったが、全体の数では勝っていたものの、そのほとんどが遊兵と化しており、攻撃を受けた部隊はなすすべもなく各個撃破されていった。


 わずか半日で勝負は決し、皇国軍は壊走に近い状態で撤退していき、それを帝国軍が追撃。皇国軍は半数近い損害を出し、ほぼ壊滅した状態となる。


 それだけでは終わらなかった。

 皇帝コルネリウスはあえて情報が入るようにエーデルシュタインを包囲しなかった。その結果、皇国軍壊滅の情報がエーデルシュタインに伝わる。


 援軍が期待できなくなったエーデルシュタインは抵抗を諦め、コルネリウスの降伏勧告を受諾し、あっけなく開城してしまった。


 そして、コルネリウスはヒルシュフェルトの戦いで勝利した後、全世界に向けて高らかと勝利を宣言した。


『将無き皇国は余と忠勇なる我が兵士たちの敵ではない! 皇国の命運はこれで尽きたのだ!』



 戦闘が起きる三ヶ月前に私が大賢者に言ったことと、ほぼ同じことが現実に起きた。

 この事実に、それまで懐疑的な目で見ていた導師や上級魔導師たちも、「さすがは大賢者様の愛弟子」と手の平を返すことになったのだ。


 私に言わせれば、帝国と皇国の情報、それも確度と鮮度の高い情報を得てくる叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの情報収集能力の方が賞賛に値する。彼らが得た情報があれば、そして、ある程度の整理・分析能力があれば、充分に予測できるはずだ。


 そのことを大賢者に話すと、彼女は私に人を付けることを決め、“情報分析室”なる組織がいつの間にか出来上がっていた。


 それだけならまだよかったのだが、もう一つやらかしてしまった。


 大賢者に帝国の侵攻の可能性を話した後、商人組合ヘンドラーツンフトに属するライナルト・モーリスという二十歳を過ぎたばかりの若手の商人を紹介された。


 モーリスは気のいい商人という感じで話しやすく、思わず金属素材を買い占めては、と言ってしまったのだ。


 帝国が皇国の鉱山を占領すれば、敵国であるシュッツェハーゲン王国やグライフトゥルム王国、グランツフート共和国に輸出せず、自国に回すことは必然だ。


 その結果、大陸公路ラントシュトラーセ沿いの各国に一時的に鉄を始めとする金属が品薄になり高騰することになる。


 私の助言を信じたモーリスは帝国が侵攻する前に金属素材を買い占め、莫大な儲けを得た。


 これ自体は世間的にはモーリスが自らの才覚で行ったことで、私とは関係ないと認識されているが、ここ魔導師の塔の中だけは別だった。私には軍事だけでなく商才まであると思われてしまったのだ。


 今思えば我ながら危機感がなかったと思うが、モーリスの話術は人を引き込むものがあり、気づいたら話していたという感じだったのだ。


 そんなこともあり、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの人たちは更に私を天才だと思い込むようになってしまった。


 私としては“大賢者の弟子”という虚名が“後光ハロー”となっているだけで、非常に居心地が悪い。


 幸いなことに塔の関係者にしか知られていないため、まだ何とかなるのではないかと思っているが、感嘆される度に苦笑いを浮かべるしかない状況に戸惑っている。


 そんな中、帝国に関して気になる情報を得た。

 それは皇帝コルネリウス二世の次男、マクシミリアンが帝都にあるヴォルフガング士官学校を首席で入学したという情報だ。


 ヴォルフガング士官学校は初代皇帝とされるヴォルフガングの名を冠した学校で、帝国軍の将帥や参謀は必ずここを卒業している。


 完全な実力主義であり、帝室関係者であっても点数の上乗せなどはなく、入学はもちろん、進級に必要な成績に達していないと、皇子であっても容赦なく退学させられる。


 それほど厳しい教育機関に皇子が首席で合格した。それも十六歳で受験する者が多い中、わずか十四歳で受験し、首席を取っているのだ。


 十四歳というのも長男であるゴットフリート皇子は前年の十二月まで在籍しており、それと被らないように遅らせたらしく、兄がいなければ更に早い段階で入学したのではないかという情報まであった。


 ゴットフリートも首席でこそなかったが、優秀な成績で士官学校を卒業しており、またカリスマ性もあると聞いている。


 これらの情報を気にしているのは、ゴットフリート、マクシミリアンという次世代を担う皇子たちが優秀であり、英雄である現皇帝コルネリウスの死後も油断ができないということもあるが、それだけではない。


 現在帝位継承権一位のゴットフリートは妾腹の生まれであり、第二位のマクシミリアンが皇妃の第一子だ。この事実と士官学校の成績を上手く利用すれば、帝位継承争いを引き起こし、帝国に混乱を与えられるのではないかと考えているのだ。


 もっとも帝国では皇帝の座も実力主義が浸透しており、現皇帝が気に入った子を皇太子に指名しても、枢密院という皇帝の諮問機関が認めなければ、帝位継承ができないことになっている。


 そのため、生まれだけでどうこうなるものではないが、火種にすることはできるのではないかと思っている。


 私は叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの情報分析室にマクシミリアンとゴットフリートの情報を優先的に入手するよう依頼した。

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