第46話「梟(オウレ)」
統一暦一二〇六年五月十日。
ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。ヨーゼフ・ペテルセン特別顧問
皇宮に出仕し、皇帝陛下の執務室で酒を飲みながら仕事を始めようとしたところで、慌てた様子のヴァルデマール・シュテヒェルト内務尚書が入ってきた。
「ゴットフリート殿下のお姿が見当たりません」
陛下は見ていた書類を放り出して問い質す。
「兄上が見当たらぬだと? どういうことことだ?」
「昨日の朝、軍団本部に一度入られ、すぐに皇宮を出られたそうです。その際、馬車は使わずに歩いて門を出られ、そこから先の足取りがつかめておりません」
説明を終えたシュテヒェルト殿に陛下が鋭い視線を送る。
「諜報局が見張っていたのではないのか? それとも卿が逃がしたのか?」
「見張っておりましたが、その時の監視役は御者でした。また、ゲルリッツ元帥の屋敷に歩いて向かうとおっしゃられた際にも慌てて追いかけましたが、どこかで馬車を用意されていたのか、姿を見失ったようです」
「それにしては報告が遅いが、どういうことだ?」
陛下は鋭い視線でシュテヒェルト殿を睨みつける。
シュテヒェルト殿はその視線を受けても表情は変えず、淡々と説明を行っていった。
「ゲルリッツ元帥を見張っている者から、ゴットフリート殿下らしき方が元帥と談笑しているという報告があり、それで初動が遅れたようです。そのため、帝都内をくまなく探しましたが見つからず、今朝になって小職のところに報告がきました」
「ゲルリッツが関与していたのか……」
「それについては監視していた者の勘違いだったようです。元帥の屋敷の使用人たちに聞いても、ゴットフリート殿下が訪問されたという事実はなく、元帥の元部下が訪問していたということで、それで勘違いしたのではないかと……」
勘違いという説明に陛下は一瞬目を光らせる。
私もシュテヒェルト殿の部下がそのような勘違いを起こすとは思えなかった。
「何をしているのだ! 兄上に手玉に取られるようでは、ラウシェンバッハの手の者に対抗できるはずがない! その者らを厳しく処分せよ!」
陛下は怒りをぶちまけているが、目は冷静だ。恐らくシュテヒェルト殿が関与していると確信し、その証拠を見つけるために芝居を打っているのだろう。
シュテヒェルト殿が関与していることは私も確信している。帝都にゴットフリート皇子がいる方が帝国にとって不都合が多いと考え、あえて脱出させたのだろう。
シュテヒェルト殿は陛下に頭を下げた。
「申し訳ございません。ですが、もう一つ報告したい儀がございます」
「何だ」
「軍務府にこのような書状がありました」
シュテヒェルト殿がそう言いながら、封書を差し出す。
「ゴットフリート殿下からバルツァー軍務尚書宛ての退役届です」
ゴットフリート皇子にしては手際が良すぎる。やはりシュテヒェルト殿が手を回したのだ。
現在、皇子は無役であり、更に先帝陛下から謹慎処分を受けたが、マクシミリアン陛下から新たに謹慎処分が出されたわけでもなく、自由に行動できる。
その皇子が退役届を軍務府に出したのであれば、咎めることは難しい。
「なかなかゴットフリート殿下もやりますな。陛下、どうなさいますか?」
私にも考えはあるが、まずは陛下の考えを聞いておきたいと話を振った。
「船を使って海か川を移動しているはずだ。そうであるなら、一日の遅れは致命的だ。早馬でも追い付けまい……」
そうおっしゃると考え込まれた。
「行き先は大平原だろう。
「陛下がゴットフリート殿下を捕らえたいとお考えなら、やりようはいくらでもあります。グライフトゥルム王国の手の者に拉致されたことにしてもいいですし、元部下に唆されたとしてもいいでしょう。捕らえる理由など何でもよいのです。何のためにどうするのかが重要でしょう」
「卿の言っていることは正しいな。兄上が大平原に向かっているとして、何か影響はあるか?」
「こちらから手を出さなければ問題はないでしょう。仮に草原の民が大平原を出て、我が国に襲い掛かってきたとして、旧皇国領の一部が被害を受けるだけです。彼らに補給の概念はないですから、放牧ができない大平原以外で長期間行動することは難しいですので。問題が起きるとすれば、王国と手を結んだ場合です。牽制に使われるだけでも厄介です」
草原の民は強力な騎兵集団だが、大平原から大きく離れることは基本的にはない。
「王国と手を結ぶか……兄が王国と手を結ぶとすれば、余が義姉たちを害した時だろう。ならば卿の言う通り、こちらから手を出さなければ、大きな問題にはならんな。感情的に動けば王国に付け込まれる。それだけは防がねばならんな」
陛下の言う通り、王国さえ絡ませなければ、草原の民は基本的には無害だ。また、ゴットフリート皇子も同様で、逃げたいなら逃がしてやればいい。
問題があるとすれば、それをどう公表するかだ。
「殿下が出奔された事実と、陛下及び帝国政府はそのことに関係がなく、追手を差し向けることはしないと宣言してはいかがでしょうか?」
シュテヒェルト殿が提案するが、これは私の考えと一致する。
「シュテヒェルト殿の考えに加えて、グライフトゥルム王国の手の者が我々の仕業に見せかけた上で、ゴットフリート殿下のお命を狙っていると公表してはどうでしょうか。殿下の行方を探る者は王国の手の者であるとすれば、民や兵も我々だけに疑念を持つことはなくなると思います」
私がそう提案すると、シュテヒェルト殿もその通りだというように頷いている。
「なるほど。我々は兄上を放置する。その上で探ろうとしている者がいれば、それは王国の手の者であり、その情報がこちらに入れば、奴らを捕らえる手にも使えるということか……悪くはないが、兄上を帝都から出したことと相殺することはできんな」
「ですが、シュテヒェルト殿を罰することはできませんよ。受理されていないとはいえ、ゴットフリート殿下は軍に退役届を出しておりますし、そもそも軍の役職に就いていないのです。自宅での謹慎も自主的なものですから、帝都を出たからといって何ら問題はありません。つまり、追及すべき責任がないということです」
私はシュテヒェルト殿に恩を売るつもりで庇った。
「そんなことは分かっている。だが、兄上を見張るように命じてあったのだ。そして、シュテヒェルトの能力なら脱出されることはなかった。あえて脱出させたと言われた方がしっくりくるのだ」
そこで陛下はシュテヒェルト殿を見つめる。
「私にゴットフリート殿下を逃がす理由がありません。今回は殿下にしてやられたという感じです。油断していたつもりはありませんが、侮っていたと言われれば、そうかもしれません。罰については、陛下のなさりたいようにしていただければよろしいかと」
シュテヒェルト殿はいつもの飄々とした感じだ。
陛下は彼を見つめるが、そこで軽く溜息を吐き、笑みを浮かべられた。
「ペテルセンの言う通り、卿を罰する理由がない。それに兄上が帝都にいない方が何かと都合がいい。ここにいれば、民や兵が不満を持つたびに旗頭にされかねんからな」
陛下も本気で罰するつもりはなかったようだ。
シュテヒェルト殿に対し、今後は自分に忠誠を尽くせという意味を込めて牽制したのだろう。
ゴットフリート皇子が自ら軍を辞め、帝都から去ったと公表した。
更に皇子の行動の自由を保証し、グライフトゥルム王国が危害を加える可能性があることも付け加えている。
その発表後、ゴットフリート皇子が暗殺されたのではないかという噂が帝都に流れた。
しかし、すぐにゴットフリート皇子が身の危険を感じて帝都を脱出し、大平原に向かったという噂が流れ、民衆はどちらを信じていいのか混乱する。
また、暗殺されたという噂を流した者に対して、摘発や噂を禁じるような行動は採らなかった。
これまでなら酒場などで政府に不利な噂が流れれば、すぐに摘発したのだが、大声で話をしても逮捕されることもなく、民衆は暗殺されたという噂の信憑性を疑った。
ちなみに身の危険を感じて脱出したという噂を流したのは、シュテヒェルト殿の命令を受けた諜報局だ。英雄視されているゴットフリート皇子なら、捲土重来を目指して大平原に向かったという方が民衆は受け入れやすい。
また、その後、大陸中部に向かうザフィーア河流域の町でゴットフリート皇子の姿を見たという噂も流される。実際には目撃情報はないのだが、これも民衆を操作するためだ。
その結果、帝都で大きな混乱が起きることなかった。
この辺りの情報操作は私とシュテヒェルト殿で考えたが、参考にしたのはラウシェンバッハの手法だ。
人は自分が信じたいことを事実だと思い込みたがる。また、否定すればするほど、不都合な事実を隠しているのではないかと考える。
ラウシェンバッハはその習性を利用し、事実の中に人々が望むような情報を入れて流すことで、人心を上手く誘導していた。
今回我々はそれを真似たのだ。そして、それが上手くいった。
今回のことで、シュテヒェルト殿を始めとした官僚たちは私に一目置くようになった。更に有力な商人たちも私に注目し始める。
帝都では新参者のガウス商会は、私に対して積極的なアプローチを行ってきた。シュテヒェルト殿はモーリス商会と懇意だが、士官学校の教官に過ぎなかった私には親しい大商人がいないためだ。
この商会は“
商会長のカール・ガウスはそのうちの何本かを手土産に私に会いに来た。
彼が私をどう利用しようとしているのか分からないため、警戒は解いていないが、今のところ特に要求もなく、定期的に酒を持ってくるので話をしている。
美味い酒をくれるだけでなく、
今後、皇宮に酒を納入させようかと考えているところだ。
それとは別にあることも考えている。
それは皇帝直属の諜報部隊の設立だ。
今のところシュテヒェルト殿は信用できるが、先帝陛下と違い、絶対の忠誠をマクシミリアン陛下に誓っているとは思えない。
そのため、帝国の耳目となる諜報局を、無条件に彼に預けていていいのかという問題があった。
このことを陛下に伝えると、全面的に賛同してくださった。
「確かにシュテヒェルトは有能だし、帝国に対する忠誠心はある。しかし、余に対しては父ほどに信用してはおるまい。今回の兄のことで疑問を持ったが、すべての情報が余に届いていない可能性がある。ならば、余の直属とした方がよい」
「しかし、諜報局をそのまま陛下直属にすると、シュテヒェルト殿が忠誠を疑われたと考え、辞任するかもしれません」
「それはあり得るな」
「ですので、諜報局とは役割を変えます。諜報局は広く国内外の情報を集め、王国の謀略に対抗するという今の役割のままとし、陛下直属部隊は陛下のご命令で謀略を行う専門部隊とするのです。現状では諜報局の謀略は機能していませんので、それに特化すると説明すれば、シュテヒェルト殿も納得するのではないでしょうか」
「なるほどな。王国に対する謀略だと言っておけば、いろいろとできる。万が一シュテヒェルトが裏切ろうとしたとしても、その部隊に調べさせることができるということだな」
陛下は私の考えを完全に理解しておられた。
「その通りです。ですので、私が指揮するのではなく、陛下が直接指揮する部隊としていただきます」
陛下の猜疑心がどの程度強いのか分かっていないが、こう言っておけば、私が疑われる心配は少ないだろう。
「よかろう。設立は卿に任せる。シュテヒェルトと調整せよ」
こうして私は皇帝直属の密偵部隊、“
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