第41話「懐妊」

 統一暦一二〇九年三月十五日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。イリス・フォン・ラウシェンバッハ


 ゾルダート帝国がリヒトロット皇国の皇都リヒトロット市を占領してから二ヶ月ほど経った

 皇帝マクシミリアンは一月下旬に第一軍団の二個師団と共に帝都ヘルシャーホルストに向けて出発し、先日凱旋したという情報が入ってきた。


 帝都はお祭りムードで、シュヴァーン河流域に展開していた第二軍団の帰還後に戦勝記念式典が行われると発表されている。


 第三軍団はリヒトロット市に残り、治安維持に奔走しているらしい。リヒトロット市の市民はマティの策で不満を募らせていて、レジスタンスに協力している。そのため、軍団長のガリアード元帥も手を焼いているという話みたい。


 国内ではマルクトホーフェン侯爵が大人しくしていて不気味。

 マティとも話しているけど、国外の勢力と連絡を取り合っている可能性があり、警戒を強めている。


 ヘルマン率いるラウシェンバッハ騎士団も子爵領に帰還した。私とマティは二月に領都を訪れ、彼らの活躍を称えている。

 獣人族はようやく役に立てたと涙を浮かべて喜んでいた。


 今回の戦いでラウシェンバッハ騎士団の能力がクローズアップされた。その結果、領都には多くの間者が入り込み、探りを入れている。暗殺者も十人ほど見つかったが、“ナハト”ではなく、二流以下の組織であり、獣人たちの手によってすべて排除している。



 そんな中、今日は人生でも一二を争うほど良い日。

 私に新たな命が宿ったことが分かったから。


 ここ数日、体調が悪かったため、休日を利用して叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの上級魔導師マルティン・ネッツァー氏の邸宅を訪れた。

 診察してもらった後、ネッツァー氏から祝福の言葉を聞いた。


「おめでとう。子供ができたようだよ」


「ほ、本当ですか!」


 結婚から五年近く経っており、子供ができないのではないかと諦めていたので、驚きの方が強かった。


「間違いないよ。魔導器ローアの反応があったから。それも双子らしいね」


 治癒魔導師としても優秀なネッツァー氏は、小さいながらも二つの魔導器ローアの反応があったと教えてくれた。


「ありがとうございます!」


「すぐにマティアス君に知らせてあげた方がいいよ。彼は自分が原因で子供ができないと思っていたから」


 マティは子供の頃に高熱を発しており、子供が作れない体質になったのではないかと言っていた。また、ほとんどの人が持つ魔導器ローアを持っていないことも関係しているかもしれないとも言っている。


「おめでとうございます!」


 護衛である虎人ティーガー族のサンドラが祝福してくれた。彼女とは一年以上の付き合いであり、私が悩んでいたことを知っているため、心から喜んでくれている。


 屋敷に戻ると、マティは書斎で本を読んでいた。

 彼は私の体調が悪いと聞くと、一緒に行くと言ったのだが、そこまで深刻な状況ではなかったので屋敷にいてもらったのだ。


「お帰り。身体の方はどうだった?」


「赤ちゃんができたの! それも双子みたい!」


 その言葉に彼にしては珍しくキョトンとした顔をした。しかし、言葉が理解できると、私を抱きしめてくれた。


「おめでとう! 本当に良かった!」


 彼の顔を見上げると、涙を浮かべている。心から喜んでくれたことが嬉しかった。


「おめでとうございます。奥様」


 メイド姿のシャッテン、カルラも祝福してくれる。

 普段は滅多に表情を変えない彼女が微笑んでいる。


 他にも執事姿のユーダ・カーンやフレディとダニエルのモーリス兄弟、マティの護衛である獅子レーヴェ族のファルコからも祝福される。


「父上たちにも知らせないといけないね。義父上には知らせたかい?」


「まだよ。一番にあなたに聞いてほしかったから」


「体調に問題がないなら、この後に報告に行こうか」


 使用人たちにも報告し、屋敷は祝福ムードで一杯だ。

 先触れを出した後、実家であるエッフェンベルク伯爵邸に向かう。本来なら叙爵している貴族の夫妻は馬車を使わなければいけないのだけど、今は少しでも早く知らせたいので歩いていく。


 実家に戻ると、父と母、兄と義姉が待っていた。


「懐妊したと聞いたけど、本当なの?」


 母インゲボルグが半信半疑という感じで聞いてくる。これまでの五年間、全く兆候がなかったから。


「ネッツァー先生に診てもらったから本当よ。双子らしいわ」


「それは目出たいが、双子だと大変そうだな」


 父カルステンが喜びながらも不安そうな顔をしている。私自身も同じ不安を持っているので頷いていた。


「イリスも母親になるんだな」


 兄ラザファムがそう言ってきた。兄の横には嫡男のフェリックスを抱いた義姉シルヴィアがニコニコと微笑みながら見ている。フェリックスは一歳半になったところで、私もちょくちょく顔を合わせている。結構やんちゃだが、とてもかわいい。


「酷いわ、兄様。兄様が父親になれたのだから、私が母親になってもおかしくないはずよ」


 そう言うと、全員が笑う。


「そういうところが子供っぽいんだ」


 兄の言葉に反論できない。


「ところで士官学校はどうするのかしら? 十月には出産するのだし、早めに辞めないと迷惑が掛かるわよ」


 母の言葉にマティが頷いている。


「ジーゲル閣下に相談に行かないといけないね。後任も探さないとゲゼル殿やレフラー殿に迷惑が掛かる」


 私は戦術科の主任教官で、エッフェンベルク伯爵家の騎士クリスティン・ゲゼルと元ヴェストエッケ守備兵団のボリス・レフラーが教官だ。


 ゲゼルは士官学校が発足してから教官をやっており、そろそろ騎士団に戻るという話になっていたし、レフラーはマティが参謀本部に移った時に就任したから、ようやく慣れてきたところだ。


「そうね。できる限り迷惑は掛けないつもりだけど、夏休みに入るまでが限界でしょうね」


「無理はしなくていいよ。後任は参謀本部の参謀の中から探すつもりだし、身体のことを一番に考えてくれたらいいから」


 そう言ってマティは私を軽く抱きしめる。


「私は毎日顔を出すわ。マティアスさん、ヘーデ様にも来ていただくようにお願いしておいてくださるかしら」


 母が義母ヘーデ様を呼ぶようにマティに依頼する。

 実家が近いとはいえ、子爵家としての付き合いもあるから、お義母様にいていただく方が心強い。


 エッフェンベルク伯爵邸で祝福された後、屋敷に戻る。

 まだ現実のことなのかと思ってしまう。


 二人きりになると、マティが私のお腹を触ってきた。


「ここに私たちの子供がいると思うと不思議だね」


「そうね。まだ全然分からないし、夢じゃないかと思ってしまうわ」


「これから大変だと思うけど、私にできることがあったら何でも言ってほしい」


 相変わらず優しい。


 翌日からいろいろなところに報告に行った。

 士官学校ではジーゲル校長から豪快な声で祝福される。


「それは目出たい! 君たちの子供ならさぞ優秀な子が生まれるだろう。将来が楽しみじゃ!」


 まだ生まれていないのに気が早いと思う。

 私もマティにも祖父母がいないため、もし祖父がいたらこんな感じなのだろうと微笑ましい気持ちになった。


 祖父母がいないのは三十年前の統一暦一一八九年に起きた疫病の影響が大きい。

 当時、王国の中部から南部に掛けて熱病が発生し、数万人とも言われる死者が出たそうだ。先々代のラウシェンバッハ子爵もその時に亡くなり、義父リヒャルト様が跡を継がれた。


 うちでも父方の祖母と母方の祖父母が病に倒れているし、先代のエッフェンベルク伯爵である祖父エグモントも二十五年前に亡くなっているから、祖父母の記憶はほとんどない。


「後任についてはマティが参謀本部で候補を探すと言っていますが、六月いっぱいは私も頑張るつもりです」


「うむ。無理だけはせぬようにの。教官の代わりはいるが、君の代わりはいないのだから」


 優しい言葉にうるっとなる。


 それから数日間はバタバタとしていたが、幸せすぎて実感がない。

 王国も平和だし、このまま何事もなく、出産を迎えられればいいなと思っている。

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