第6話「後方撹乱作戦:その二」

 統一暦一二〇三年七月二十日。

 グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 ヴェストエッケ城に到着して二日経ったが、レヒト法国軍に動きはなく、三日目の夜を迎えている。


「今日は来るのかしら?」


 護衛として一緒にいるイリスが聞いてきた。彼女はいつでも戦えるよう、夕食後も鎧を身に纏ったままだ。

 昼間ほど暑くはないが、よく身に着けていられると感心する。


「どうだろうね。シャッテンからの報告では鳳凰騎士団の到着が少し遅れているようだから、明日の可能性もあるけど」


 南方教会の鳳凰騎士団だが、当初は明日二十一日に到着するという噂が流れていた。


 しかし、慣れない北方への長距離行軍ということで補給が追い付かず、現在はクロイツホーフ城の南五十キロメートルほどの位置にいるという情報がクロイツホーフ城に潜入させたシャッテンからもたらされた。


 そのため、トラブルがなければ、二日後の二十三日の午後三時頃に到着する可能性が高い。


「今日くらいに来てくれる方がいいのだけど。そろそろ守備兵団の兵士たちも疲れ始めているみたいだから」


 七月十二日の最初の夜襲から千五百名の兵士が常に待機している状態だ。常備兵は三千名であるため交替制なのだが、それでも疲労は徐々に蓄積していた。


「確かに守備兵団は大変そうだね。でも君まで一緒に装備を整えたまま休む必要はないと思うんだけどね」


「駄目よ。あなたを守ることが私の役目なのだから」


 私が前線に出る可能性はほぼなく、護衛である彼女が戦う機会もほとんどないため、装備を解いて休むように何度も言っているが、聞き入れてくれない。マルグリット王妃を守れなかったことが心に引っかかっているのだろう。


 夜が更け、日付が変わる頃、城内が騒がしくなった。


「敵の夜襲だ! 城壁を守れ!」


「潜入した敵兵がいるぞ! 城門を守るんだ!」


 切迫した声が響いている。

 私は寝台から起き上がると、特に急ぐことなく服を着替えてから、司令部に向かった。


 私の前をイリスが、後ろを護衛兼メイドのカルラ・シュヴァイツァーが軽装の革鎧を身に纏って護衛している。


「もう少し急いだら」


 イリスにせっつかれるが、私は走り回る兵士たちとは裏腹に、笑みを浮かべながらわざとゆっくりと歩いていた。


「軍師が慌てると兵士の士気に関わるからね。それに今回私たち第二騎士団に出番はないんだ。ジーゲル閣下と守備兵団が上手くやってくれることを祈るだけだよ」


 守備兵団の司令部に行くと、伝令が頻繁に駆け込み、状況を報告していく。しかし、そこにヴェストエッケ守備兵団の将、ハインツ・ハラルド・ジーゲル将軍の姿はなかった。


「予定通りに将軍は陣頭指揮に向かったようだね。あとは敵がこちらの芝居に引っかかってくれるかどうか……」


 私の横にシャッテンのユーダ・カーンがスッという感じで唐突に現れた。


「敵兵が五名城内に入りました。すべて監視を付けております」


「報告ありがとうございます。対応は守備兵団に任せて、シャッテンの皆さんは守備兵団が敵を見失った時だけ対応してください」


 私の指示にユーダは頷き、今度は煙のようにフッと消えていった。


 王国第二騎士団の団長、クリストフ・フォン・グレーフェンベルク子爵も装備を整えて司令部にやってきた。その後ろには参謀長のベルトホルト・フォン・シャイデマン男爵と副官が付き従っている。


「状況はどうだ?」


「今のところ計画通りですね。城壁の一部が占拠され、五名の敵兵が城内に入ったところでそれ以上の潜入を阻止しています。その五名にはこちらで監視を付けていますので、問題は起きないでしょう。あとはジーゲル閣下が上手く相手をだましてくれれば成功ですね」


 子爵は満足そうに頷くと、近くの椅子に座る。


 それから三十分ほど経った頃、外が騒然となる。


『将軍閣下が負傷された! 治癒魔導師を大至急呼んでくれ!』


『閣下をお守りしろ!』


『敵兵を逃がすな! 殲滅するんだ!』


『治癒師はまだか! 血が止まらないんだ! 早くしてくれ!』


 遠くからそんな声が聞こえてくる。

 ジーゲル将軍には適当なところで服の下に仕込んだ赤い染料が入った袋に矢を突き刺し、倒れ込むようにお願いしていた。


 それからしばらくは慌ただしい足音が響くが、徐々に落ち着きを取り戻していった。

 再びユーダが現れ、報告を行う。


「城内および城壁上の敵はすべて排除したようです。城外にいる敵本隊が撤退の準備を始めました」


「分かりました」


 ユーダにそう答えると、グレーフェンベルク子爵に向き直る。


「エッフェンベルク隊とイスターツ隊の出撃が可能となります。ご命令を」


「ではこれよりエッフェンベルク隊とイスターツ隊は、参謀長代理の指揮下に入る。両中隊長に作戦開始を伝えてくれたまえ」


 最後は副官への命令で、副官は復唱後、早足で司令部を出ていった。


「では、私も指揮に専念いたします」


 そう言って司令部から退出し、今回の作戦で使用する物見塔の一室に向かう。

 二十メートルの高さの城壁の更に五メートルほど上ということで息が切れるが、何とか到着する。


 中に入ると、そこには映写の魔導具と通信の魔導具、私が作った地図が用意され、操作要員のシャッテンが一人待機していた。


 物見塔で指揮を執るのは通信の魔導具を最大限活用するためだ。

 叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの通信の魔導具ヴェルクツォイクは平地でも二十キロメートルほどの通信距離を持つが、高所であれば更に距離を延ばすことができる。


 また今回の作戦地域は丘陵地帯になっていることから、低い位置からでは通信が途絶える可能性があり、ヴェストエッケ城で最も南にあり、より高い場所にある部屋を選んだ。


「二人とも装備を外してもいいと思いますよ。敵は排除されましたし、まだまだ時間は掛かりますから」


 私の言葉にイリスは首を横に振る。


「このままで構わないわ。兄様やハルトはもっと大変なのだから」


わたくしもこのままで護衛として待機させていただきます。装備を外した女性がいるのも不自然ですので」


 二人ともそのまま私の護衛を続けるらしい。


「私もラズたちが渡河したら休むつもりですが、二人はいつでも休んでいいですから」


 それだけ言うと、通信の魔導具でラザファムたちに連絡を入れた。


■■■


 統一暦一二〇三年七月二十一日。

 グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城南。エーリッヒ・リートミュラー


 俺は黒狼騎士団と共にクロイツホーフ城に向かっている。

 俺も兵たちも作戦が失敗したとは思えないほど意気揚々としており、明るい表情の者が多い。


 夜襲は失敗したが、敵将ハインツ・ハラルド・ジーゲルに深手を負わせることに成功したためだ。


 奴は慌てていたためか鎧も着けずに城壁の下に現れ、そこで流れ矢を胸に受けた。真っ赤な血が服を染めていく様子を、俺自身が城壁の上から見ているから間違いはない。


 ジーゲルは俺たち神狼騎士団にとって宿敵というべき存在だ。実際、奴が指揮するここヴェストエッケで、多くの同胞が殺されている。


 さっきはジーゲルが負傷したと知った敵兵が必死の反撃を行ってきたことと、城壁に上り切れた味方の数が少なかったから、引き下がることにしたが、ジーゲルがいないヴェストエッケなど簡単に落とせるはずだ。


 問題は我が黒狼騎士団だけでは兵力が少ないことだ。

 南方教会が横やりを入れず、俺たち北方教会の神狼騎士団に任せてくれていれば、今頃二万の兵がここにいたはずだ。


 しかし、今回は鳳凰騎士団が主力であり、更に到着が予定より遅れており、この機を生かすことができない。


(まあいい。ジーゲルは深手を負った。いや、あの血の量なら既に死んでいる可能性も充分にある。治癒魔導師が治療したとしても、あれほど血を流したのなら陣頭で指揮することは難しいだろう。鳳凰騎士団の奴らは俺たち黒狼騎士団をヴェストエッケ攻めに使わんだろうが、奴らが攻め落としたとしても一番の手柄は俺たちのものだ……)


 クロイツホーフ城に戻ると、すぐに兵たちを休ませる。

 朝になり、斥候隊をヴェストエッケに向かわせ、状況を確認させた。


「城壁の上の兵たちがいつもより落ち着きがないように見えます。兵士同士で話をしている者が多く、指揮官に何度も叱責されているように見えました」


 ジーゲルが死んだか危機的な状況であることは確実のようだとほくそ笑む。

 昼食後、兵たちを集めて状況を説明する。


「みんなよくやった! ジーゲルが深手を負った! 鳳凰騎士団の連中がヴェストエッケを落とすだろうが、ジーゲル無きヴェストエッケを落としても何の自慢にもならん! つまり俺たち黒狼騎士団の手柄ということだ!」


「「「オオ!!」」」


 兵たちは歓声を上げて喜ぶ。


「鳳凰騎士団が来るまでゆっくり休め!」


 兵たちはその言葉にも喜びの声を上げ、兵舎に戻っていく。俺も気分よく休息しようかと思ったが、そこに不愉快な報告が舞い込んできた。


「輜重隊が正体不明の騎兵部隊の襲撃を受けた模様! 装備からグライフトゥルム王国所属と思われます! 被害は荷馬車三十輌以上! 馬車馬が多数殺されたため、後続の荷馬車が動けないようです。ご指示をいただきたいとのことです!」


「王国軍が襲ってきただと! それは真か!」


「旗はなかったとのことですが、鎧の形状が王国軍の物に酷似していたとのことです」


 鳳凰騎士団が補給に手間取ったため、神狼騎士団が先行して輜重隊を送り込むと連絡を受けていた。しかし、王国軍が我が国の領土に入り込んでいるとは思わず、護衛はほとんどついていなかったらしい。


「敵の規模は!」


「走り抜けるように攻撃してきたため、正確な数は分かりませんが、数十騎程度とのことです」


 ジーゲルの弔い合戦のつもりで決死隊を送り込んできたようだ。

 数十騎という数に俺は危機感を全く抱かなかった。


「カムラウ河を見張らせろ! 敵を逃がすな!」


 この周辺には隠れる場所が多くあるが、魔獣ウンティーアが出没する森が広がっているだけで休める場所はない。必ずカムラウ河を渡ってヴェストエッケに戻ろうとするはずだ。


「輜重隊には馬を回してやれ」


 カムラウ河に二千の兵を回し、網を張った。

 しかし、敵は更に輜重隊を狙って攻撃を掛けてきた。


「止まっている荷馬車を狙って火を掛けてきました! その火に馬車馬が怯え、街道は大混乱に陥っております!」


「たかが数十の騎兵に何をしている!」


 敵は油を用意しており、それを使って食料や飼葉を焼いたようだ。敵の手際の良さと我が方の不甲斐なさに苛立ちが募る。


 一千の兵を輜重隊の下に送り、混乱を収めさせた。

 最終的に五十輌の荷馬車が焼かれ、百輌以上が損傷した。予備の荷馬車を送り込んで無事な荷物を運び込んだが、輜重隊が城に入ったのは深夜になってからだった。


 敵がヴェストエッケに逃げると思ったが、河を渡ることなく、完全に見失っている。恐らくこちらが警戒の手を緩めるのを待っているのだろう。


「夜間も警戒を続けろ! 絶対に逃がすな!」


 昨夜のヴェストエッケの夜襲に続き、二千の兵がカムラウ河を警戒することになった。

 兵たちに疲れは残っているだろうが、不満の声は聞こえず、逆に休めなくなった原因である敵に対して怒りを見せており、士気は高い。


「夜に現れなければ、明日の朝から敵を炙り出すぞ!」


 ジーゲルを倒したのにケチが付いたと、誰もが不満を感じていた。

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