第10話「後方撹乱作戦:その六」

 統一暦一二〇三年七月二十二日。

 レヒト法国北部、クロイツホーフ城周辺の森林地帯。ハルトムート・イスターツ


 黒狼騎士団を翻弄して拠点に戻り、そろそろ休もうかと思ったところで、俺とラザファムにマティアスから通信が入った。

 極秘の話ということで、通信兵であるシャッテンと俺たち二人だけで話を聞いた。


『明日の作戦だが、午前中は私が指示を出すが、午後は私に代わってイリスが指示を出す。理由は別の作戦に参加するためだ。具体的には明日、黒狼騎士団の出撃後、クロイツホーフ城に攻撃を加え、鳳凰騎士団が到着後にカムラウ河に引き込み、奇襲を仕掛けることになった。その指揮の補佐をするように団長より命じられた。以上』


 俺は驚きのあまり言葉を失い、何も言えなかった。


「イリスに任せられるほど楽観できる状況ではないと思うのだが……以上」


 ラザファムが俺に代わって疑問を口にする。


『ラザファムの認識で間違っていない。だが、これは団長命令だ。命令に従うしかない。以上』


「待ってくれ。部下の命が掛かっているんだぞ……」


 そこで焦って「以上」と付けなかったため、数秒間沈黙する。


「マティも苦しんでいるんだ。それにお前も分かっているんだろ。団長命令に俺たちもマティも逆らえないということを」


「そうだな……」


 そこで通信の魔導具の送話器を持つ。


「済まなかった。命令には従う。イリスに伝えてくれ。俺はお前のことを信じている。だから、お前も俺たちを信じろと。以上」


『了解した。ここにはイリスもいる。今のハルトの声は彼女にも届いている。それにさっきは楽観できないと言ったが、君たち全員が無事に戻ってこられる手は考えておく。私を信じてくれ。以上』


 マティアスの最後の言葉は俺たちを安心させるためのものだと感じた。


「了解だ。しかし、これで本当に俺たち四人で戦うことになったな。なら、何も不安はいらないな。イリス、頼んだぞ。以上」


『そうね、ハルト。私を信じてくれて大丈夫よ。マティよりも完璧な指示を出してあげるから。以上』


 無理やり明るく話すイリスにラザファムが応える。


「信じているよ。父上にもよろしく伝えておいてくれ。以上」


 これで通信を終えるが、俺もラザファムも言葉が出ない。

 やはりマティアスとイリスでは安心感が違うからだ。


「部下たちには伝えられないな。イリスに代わったところでマティが何かとんでもない手を考えて実行しているとでも伝えよう。そうすれば、士気が落ちることはないだろうから」


「そうだな。それに本当に考えてくれるだろうし」


 不安が完全に解消されたわけじゃなかったが、そのことを見せないように部下たちのところに戻った。



 敵地での三日目の朝を迎えた。

 クロイツホーフ城の南東十キロほどの位置にある拠点Bで一夜を過ごし、夜明けとともに出撃の準備を整える。


 食事を終えた後、部下たちに訓示を行った。


「今日は黒狼騎士団の怖い騎士様と“かくれんぼ”を行う! 基本的には戦わないが、敵がイラつくように少数かつ孤立している場合は、エッフェンベルク隊と共同で敵を殲滅する! 目的は敵将リートミュラーを苛立たせることだ! 敵は四千くらい出てくるらしいが、あのマティアスが考えた策だからビビる必要はねぇぞ!」


「確かにそうだ! 覚えている奴も多いだろうが、あのマティアス様は模擬戦でもえげつない策をいろいろ使ってきたお人だ! 黒狼騎士団の連中に同情するぜ!」


 お調子者の兵士がまぜっかえす。


「気持ちは分かるが、俺の話はまだ終わっちゃいねぇんだ。最後までしゃべらせろ」


「すんませんでした! 隊長が長話するなんて思ってなかったもんで!」


 その言葉に兵たちが笑う。

 うちの隊は周りから規律が緩いと言われているが、俺はこれでいいと思っている。特に今日は途中からイリスが指示を出すため、士気を上げておくことは重要だ。


「まあいい! だが、ここを出発したら私語は厳禁だ! さっきも言ったが、今日は敵さんと命懸けのかくれんぼだ。もしかしたら“鬼ごっこ”になるかもしれんが、かくれんぼの最中に声を出すバカはいない。そのことを肝に銘じておけ!」


 うちの連中は緩く見えるが、第二騎士団でもトップクラスの精鋭であり、任務に就いたら目の色が変わる。


 ラザファムも少し離れた場所で訓示を行っていた。


「小隊長を通じて聞いていると思うが、今回の作戦の目的をもう一度説明する……」


 凛とした感じで兵たちに目的と注意点を丁寧に説明していた。その姿は既にベテランの隊長のようで、生まれた時から命令に慣れた貴族なのだとつくづく思う。


 一度マティアスにラザファムのようにやりたいのだが、どうしたらいいかと聞いたことがある。


『ハルトは今のままでいいと思うよ。兵たちとの間に垣根を作らないところが君の持ち味だし、部隊の士気を維持するいい方法だと思うから』


 言いたいことは分かるが納得できなかった。


『確かに中隊くらいならそれでいいかもしれないが、俺はもっと上を目指しているんだ。このやり方で騎士団長にはなれんだろう』


『いいんじゃないかな。ハルトみたいな騎士団長がいても。グランツフート共和国軍のケンプフェルト将軍も君に近い感じだしね。兵士のやる気を出すという点ではラズより君の方が上手いと思うよ』


 ケンプフェルト将軍に近いと言われて驚く。彼は実際に将軍と会い、話もしたと聞いている。そのマティアスが共和国の英雄に近いと言ってくれたことが素直に嬉しかった。


 マティアスが言うのだから今のスタイルがいいのだろうが、やはりラザファムのような隊長らしい隊長に憧れる。


 ラザファムも訓示と命令の確認を終えたようで、私のところにやってきた。


「午前中は可能な限り敵を攻撃したい。もちろん、無理をするつもりはないが」


「俺もそのつもりだ。リートミュラーを苛立たせるには見えるか見えないかというくらいでちょっかいを掛ける方がいい。まあ、敵も精鋭だろうから、昨日のように上手くはいかないだろうが、逃げ回るのは午後で充分だろう」


 マティアスからは無理をするなと言われているが、敵を引きずり回すという目的を達成するためには、リートミュラーが冷静にならないようにした方がいい。


 この点はマティアスも理解しており、攻撃を全面的に禁止しているわけではなく、現場の判断に任せると言われている。

 それにこう言っておけば、午後に逃げ回ることになっても部下たちは不安に思わない。


 午前八時頃に作戦を開始するが、まずは昨日と同じように敵を引き込むように敵の近くに移動する。これは今日も同じ作戦で来ると敵に思い込ませるためだ。


『クロイツホーフ城より敵の出撃を確認。すべて歩兵で、数は三千五百から四千程度。リートミュラー団長の出撃も確認。約一千がカムラウ河方面に向かい、残りは街道を南下。両中隊は西に移動し、8G中央付近で待機。そこで命令を待て。以上』


 マティアスからの情報が届く。

 昨日の戦いで騎兵が役に立たないと理解し、歩兵だけにしたようだ。但し、奴らは身体強化が使えるから、極端に機動力が落ちるわけじゃない。


 待機場所の8Gはクロイツホーフ城から南東に直線で約八キロ、街道からは約一キロの位置にあり、深い森の中だ。我々がいた拠点Bからは西に五キロほどで、出発から一時間ほどで待機場所に到着した。


『敵本隊は4D付近に到着後、約三十の隊に分離。それぞれ百メートルほどの間隔を空けて、街道沿いに展開、現在南下を開始した。作戦を変更し、敵への襲撃は中止する……』


 リートミュラーは渡河地点を抑えさせてから、街道沿いを左右一・五キロメートルの幅で索敵していくつもりのようだ。百メートル間隔ということで、こちらが襲撃を掛ければ、すぐに支援できるようにしている。


 猛将だと聞いていたが、僅か二日で対応してきたことに驚きを隠せない。

 マティアスも同じことを思ったのか、襲撃の中止を命じてきた。しかし、彼の指示はまだ続いていた。


『……イスターツ隊は敵本隊の東を迂回しつつ北上し、正午までにクロイツホーフ城南東約三キロの5D北東部付近に移動せよ。その後、城から送り出される伝令を阻止しつつ、可燃物を可能な限り確保すること……』


 俺の隊を名指ししての命令ということは、ラザファムの隊と分離するつもりらしい。


『エッフェンベルク隊はクロイツホーフ城南東約七キロの7G中央まで街道上を移動。敵に発見させた後、街道を南下し、9Jから東に向かい、10Jで待機せよ。以上』


 機動力の高いラザファムの騎兵中隊を街道沿いで囮として時間を稼ぎ、その間に俺たちは敵の索敵範囲の外を通って後ろに回り込み、敵の連絡手段を奪う。


 敵をできる限りクロイツホーフ城から離した上で更に森の奥深くに誘い込み、クロイツホーフ城が奇襲を受けたことを知らせないことが目的のようだ。ただ、可燃物を確保というのがよく分からない。


 聞いている時間がないので、命令に従って移動する。


「敵が僅か二百の俺たちに警戒しているらしいぞ! せっかくだからもっと踊ってもらおうか!」


 俺の言葉に部下たちが武器を上げて応えるが、命令を守って声は上げない。


「敵に見つからないように所定の場所まで移動する! 出発!」


 ラザファムに目で激励し、森の中に入っていく。

 街道から三キロほど離れると、鳥の鳴き声とセミの声、時折吹き抜ける風で木の葉がこすれる音以外に聞こえるものはなく、三千の敵兵がいるとは思えないほど平和だ。


 移動の間にも敵の動向が順次伝えられてくる。


『敵本隊は5E付近を通過。移動速度は一時間に三キロメートル程度……』


『エッフェンベルク隊、7G中央に到着……』


 午前十時頃、それまでの落ち着いていたマティアスの声が緊迫したものに変わる。


『エッフェンベルク隊が7G付近で敵と接触! イスターツ隊は周囲を警戒しつつ、5D北東部に向かえ! 今後、イリス・フォン・エッフェンベルクがイスターツ隊に指示を出す。以上』


 ラザファムの方の指揮に専念するようだ。


「イスターツ隊、了解。イリス、よろしく頼むぜ。以上」


 そこでイリスの凛とした声が通信の魔導具から響く。


『任せておいて。でも、当面はやることはないわ。そちらは煙の出やすい木や草を用意しておいて。以上』


「了解。時間があるなら目的を教えてくれ。以上」


『可燃物の目的は南東から来る白鳳騎士団に、クロイツホーフ城が襲われていると知らせることよ。そうすれば、騎兵部隊が先行するから、敵を分断できるわ。以上』


 白鳳騎士団は事情が分からないものの、城が燃えているなら騎兵部隊を先行させる。そして、クロイツホーフ城を襲う王国軍を見せて、攻撃させるつもりらしい。


 鳳凰騎士団の標準的な編成は騎兵が一千弱、弓兵が一千強、歩兵が三千程度、しかし、白鳳騎士団は騎兵二千、弓兵一千、歩兵二千だとマティアスから聞いている。

 つまり、その二千の騎兵を罠に掛けるということだ。


 無謀な攻撃を仕掛けてくれれば、その二千の騎兵に大きなダメージを与えられる。

 騎兵は攻城戦で役に立たないから意味がないように感じるが、鳳凰騎士団に限らず、法国の聖堂騎士団のエリート兵はすべて騎兵らしいので、敵の精鋭を倒せば後の戦いで有利になるはずだ。


 イリスとの通信を終え、森の中を早足で進む。

 正午前に所定の位置に就く。街道から森の中に少し入ったところで待機し、周囲を確認する。シャッテンからの報告にある通り、敵の姿はなかった。


「第一小隊は街道の監視。第二、第三小隊は木の枝、落ち葉、枯草など手当たり次第に集めろ。ある程度集まったら、森が切れているところに積み上げておけ!」


 俺の指示に部下たちが一斉に動き出した。

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