第9話「後方撹乱作戦:その五」

 統一暦一二〇三年七月二十二日。

 グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 本日の作戦を終え、報告のためにヴェストエッケ城の最上階にある司令官室に入った。


 そこでは第二騎士団長のクリストフ・フォン・グレーフェンベルク子爵と参謀長のベルトホルト・フォン・シャイデマン男爵、ヴェストエッケ守備兵団の司令官、ハインツ・ハラルド・ジーゲル将軍、カルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵が今後の協議を行っていた。


「ずいぶんと敵を痛めつけているようだね」


 私に気づいたグレーフェンベルク子爵が笑いながら話しかけてきた。

 状況は適宜共有していたことと、エッフェンベルク伯爵が直接見ていたので、だいたいのところは知っているのだ。


「それにしても見事なものだ。僅か二百名の兵で黒狼騎士団を翻弄すると聞いた時には正気を疑ったが、一兵も損なうことなく二百五十もの敵を倒すとは驚きだ」


 ジーゲル将軍が呆れているという雰囲気を醸し出して、そう言ってきた。


「私としては戦果よりも、将軍が戦死されたという情報が敵に伝わったことの方が重要だと考えています。明日には鳳凰騎士団が到着しますので、これで反目しあってくれれば成功と言えると思っています」


「相変わらず慎重ですな」


 シャイデマン男爵がそう言って笑っている。


「懸念点は何かあるかな?」


 グレーフェンベルク子爵が笑みを浮かべながら質問してきた。


「懸念点ではありませんが、策を思いつきました」


「ほう。それはどういった策かな」


 興味深げに聞いてくる。


「敵はエッフェンベルク隊とイスターツ隊に対して三千の兵を使っています。明日は鳳凰騎士団が到着するまでに何とかしようと、更に多くの兵を投入するでしょう。つまり、クロイツホーフ城の守備兵は千名程度になるのです」


「なるほど。そこに付け込むというわけか」


 ジーゲル将軍は私の考えを理解したようだ。


「おっしゃる通りです。エッフェンベルク隊とイスターツ隊を探すために、クロイツホーフ城から五キロメートル以上離れ、更に森の中に入っていきます。もし、クロイツホーフ城で何かがあっても鐘の音などでは連絡できませんし、伝令を出しても辿り着くまでに時間が掛かります……」


 クロイツホーフ城にも緊急連絡用の鐘楼があり、敵襲の際には鳴らすことになっているようだが、数キロメートル先の深い森の中まで音が届くことはない。


「つまり、一旦森の中に入れば、全軍が戻ってくることは事実上不可能だということです。ですので、黒狼騎士団が城を出た後、守備兵団が出陣し、クロイツホーフ城を攻略するように見せかけます」


「攻略するように見せかけるだけなのか? 一千しか残っていないなら攻略は可能だが」


 グレーフェンベルク子爵が疑問を口にした。


「クロイツホーフ城は守りに適した城ではありませんが、半日で攻め落とすことは難しいでしょう。それに仮に陥落させても鳳凰騎士団が到着しますから、取り戻されるだけです」


「確かにそうだな。なら目的は何かな?」


 子爵の疑問に答える。


「明日の夕方には鳳凰騎士団が到着します。ですから、黒狼騎士団が重要拠点であるクロイツホーフ城を守らずに、エッフェンベルク隊とイスターツ隊に翻弄されているところを見せることで、黒狼騎士団を侮るように誘導します」


 今までクロイツホーフ城が攻撃を受けたことはなかった。そのため、レヒト法国側に防衛が必要という意識が少なく、以前から隙はあった。


 それでもグライフトゥルム王国側が攻撃しなかったのは、仮にクロイツホーフ城を陥落させても維持することが難しいためだ。


 クロイツホーフ城は北にカムラウ河が流れているが、南に障害となる地形がなく、高さ五メートルほどの城壁だけで防御することは難しい。

 このことは法国側も当然理解しており、仮に城を奪われてもすぐに奪い返せると高を括っている。


「更に鳳凰騎士団が到着したところで撤退します。強固な城塞から出てきた我々を見て、鳳凰騎士団は撤退する王国軍を追ってくるはずです」


「確かにそうだが、守備兵団のほとんどは歩兵だ。すぐに追いつかれて背後から攻撃を受けるのではないか」


 ジーゲル将軍が懸念を口にする。


「出撃するのは守備兵団に加えて、第二騎士団とエッフェンベルク騎士団の騎兵以外とします。その際、総数が八千人になるように調整します」


 そこでグレーフェンベルク子爵が私の意図に気づいた。


「守備兵団と義勇兵のすべてが出てきたように見せるのだな。敵が義勇兵と侮って突撃を掛けてきても、こちらは王国軍の精鋭が待ち構えている。油断した敵に矢を降らせて打撃を与えてやると」


「おっしゃる通りです。鳳凰騎士団は義勇兵がどのような装備か知らないでしょう。ですので、数が同じなら騙される可能性は高いと思われます。万が一、気づかれてもそのまま引き上げればよいのですから問題はありません」


「敵が騙されたら、カムラウ河北岸に戻って待ち構え、渡河中の敵を攻撃するということか」


 ジーゲル将軍が誰に言うでもなく呟く。


「その通りです。新たな敵に驚き、慌てて逃げだしたが、歩兵だけでは逃げ切れないと諦め、決死の反撃をするかのように北岸で待ち受けます。そこには予め弩弓を隠しておき、敵が川を渡り始めたところで、水に入り機動力を失った敵騎兵に長弓と弩弓の一斉射撃を行います……」


 全員が私の説明に聞き入っている。


「……敵は奇襲を受けて混乱するでしょう。そこで弓による攻撃で損害を与えれば、鳳凰騎士団は無理な突撃は控えてクロイツホーフ城に入っていくはずです」


「その混乱には付け込まないのか?」


 エッフェンベルク伯爵が質問する。


「大混乱に陥っているなら追撃は可能ですが、敵は一万七千の大軍です。千や二千を倒したところで、遠距離攻撃ではすぐに立ち直るでしょうし、一旦下がった後、別の渡河地点から迂回してくる可能性もあります。そうなると、歩兵が主体のこちらは不利になりますし、城に残っていた騎兵隊と残りの歩兵隊を出撃させたとしても乱戦に持ち込まれてしまいます」


「なるほど」


「目的は黒狼騎士団と鳳凰騎士団を仲違いさせた上で、安全な城壁から敵を攻撃することです。ですので、無駄な損失は避けるべきでしょう」


 子爵が大きく頷いた。


「確かにそうだな。鳳凰騎士団のロズゴニーはリートミュラーに激怒するだろうな。少数の敵に翻弄された挙句に重要拠点を危機に曝したことに。自分の騎士団が大損害を受けているなら、なおさらだろう」


 鳳凰騎士団の筆頭騎士団である白鳳騎士団の団長、ギーナ・ロズゴニーは秩序を重んじる性格らしい。そのため、抜け駆けをした上にクロイツホーフ城を危険に晒したリートミュラー団長に対してよい感情は持たないはずだ。


「これを理由にリートミュラー団長を叱責できますし、黒狼騎士団をヴェストエッケ攻撃から排除しやすくなります。リートミュラー団長からすれば、自分たちに確認することなく、勝手に攻撃した挙句、奇襲を受けて大損害を受けても自分に責任はないと思うでしょうから、反目しあってくれるはずです」


 私の説明にジーゲル将軍が頷く。


「面白い。それにこちらの士気も上がるはずだ」


 参謀長のシャイデマン男爵が疑問を口にする。


「エッフェンベルク隊とイスターツ隊にはどのような指示を?」


「明日は森の奥に潜ませ、こちらから積極的な攻撃は手控えます」


「リートミュラーを討ち取れる可能性もあるが、なぜかな?」


 参謀長の言っている通り、リートミュラー団長は冷静さを欠いているだろうから、森の奥に引き込めば討ち取れる可能性はある。


「一つにはリートミュラー団長を討ち取れば、黒狼騎士団の兵士たちが弔い合戦ということで士気を上げてしまう可能性があることです」


「それはあり得るな。そうなれば、鳳凰騎士団と反目させて戦力を低下させるという策に反することになるか」


 私は参謀長の言葉に頷き、更に説明を続ける。


「もう一つ理由があります。それはできる限りリートミュラー団長を引きずり回し、クロイツホーフ城が危機的な状況にあったことを知らせないようにするためです。森の中を駆けずり回った挙句、城に戻ってみたら攻撃を受けた後だったというのが最も理想的な状況ですので」


 私の説明に子爵は頷いた。


「僅か二百の兵に五千の騎士団が翻弄されたと鳳凰騎士団の連中が知れば、更に侮ることになるということか……マティアス君は意地が悪いな。だが、黒狼騎士団が多数捜索に当たれば、ラザファムたちは発見されてしまうのではないか?」


「五千の兵がいるといっても森全体の広さから見れば、大した数ではありません。それにこちらはシャッテンの監視と通信の魔導具がありますから、敵の位置を常時把握しておけば、逃げ続けることは難しくありません」


 街道を外れると深い森と緩やかな丘が連なっていることから、百メートルほど離れるだけでも見つからない可能性が高い。また、敵が索敵隊を出したとしても、シャッテンが先に敵を発見し、通信の魔導具で連絡することから出し抜くことは容易だ。


 また、敵には通信の魔導具がないため、森の中で情報を伝達するには伝令に頼るしかなく、万が一見つかったとしても、情報伝達の隙を突いて逃げることは難しくない。


「作戦については理解した。今回も第二騎士団とエッフェンベルク騎士団の存在を隠すのは敵の切り札に対応するためと考えてよいのだな」


「その通りです。敵の切り札については情報が少なすぎて対処方法がありません。ですので、こちらも第二騎士団とエッフェンベルク騎士団の存在を隠しておき、敵の油断を誘うべきだと考えます」


「分かった。では、二人の意見を聞きたい」


 参謀としての私の役目は終わった。

 ここからは指揮官による決断だ。


「私としては奇襲案を推したい。ラウシェンバッハ参謀長代理の考えを聞く限り、リスクはそれほど大きくない。叩けるうちに叩いた方がよいと思う」


 エッフェンベルク伯爵が奇襲案を推した。恐らくだが、弓兵が主役の籠城戦では差が見えにくいため、より練度の差が出る野戦の方が騎士団の能力を見ることができると考えたのだろう。


「小職としては当初の案としたいですな。伯爵のおっしゃる通り、リスクは確かにそれほど大きくない。だが、我が兵団と第二騎士団、エッフェンベルク騎士団は連携して戦ったことがない。それに一つ間違えば、籠城戦で重要になる弓兵を失うことになりかねん。防衛が目的なら冒険は慎むべきだと考える」


 ジーゲル将軍は慎重論を展開する。


 二人の意見を聞き、子爵が考え込む。

 こうなると、誰も口を開かず、総司令官の決断を待つしかない。


「明日の作戦は奇襲案でいく。ジーゲル殿の言う通り、冒険は慎むべきだが、みすみす有利な状況を見逃すことはないだろう。但し、ラウシェンバッハ参謀長代理は後方撹乱作戦ではなく、こちらの作戦に専念してもらう。彼ならば突発事態が起きても最適な策を献じてくれるからだ」


 その言葉に私は思わず口を挟んでしまう。


「後方撹乱作戦は誰が指揮を執るのでしょうか?」


「イリスに任せればよい。彼女は君の指揮を見ていたのだ。兵学部次席であれば、やり遂げられるだろう」


 こうなると想定していなかったため、内心で焦るが、冷静さを失わないように反論する。


「イリス・フォン・エッフェンベルクは私の護衛として騎士団参謀部付となっています。指揮命令系統の観点で問題があるのではありませんか?」


「確かにそうだな。では、騎士団長の権限でイリス・フォン・エッフェンベルクを臨時の参謀に任命する」


「実績のない臨時の参謀が失敗すると、二百の兵が無為に失われますが」


「その責任は私が負うことになる。しかし、二百の兵が犠牲になることで一万五千の兵が安全になり、戦略目的を達成できるなら、私に迷う余地はない」


 そこでエッフェンベルク伯爵に視線を向ける。


「ラザファムを失うことになるかもしれないが」


「息子も武人として騎士団に入ったのだ。国のために戦って命を落とすのであれば本望だろう」


 そう言っているものの、苦悩している様子がありありと伝わってくる。

 ラザファムに危険が及ぶとは考えていなかったが、戦略目的を達成することが重要だと繰り返し教えられているため、否定できなかったというところだろう。


 しかし、父親である伯爵にまで言われると反論できない。


「了解しました。ですが、午前中は後方撹乱作戦の指揮を執ります。こちらが失敗すれば、奇襲作戦の前提が崩れますので」


「それで構わん。だが、奇襲作戦もしっかり考えてくれよ。全軍の命が懸かっているのだからな」


 こうして私は二つの作戦で実質的に指揮を任されることになった。

 作戦会議が終わった後、まずイリスに明日の作戦のことを伝える。


「私があなたに代わって兄様たちの指揮を執るの! できないわよ、そんなこと! それに私はあなたを守るために一緒にいるのよ! あなたが戦場に出るのに私が城に残るなんておかしいわ!」


 イリスは泣きそうな表情で抗議してきた。


「いや、君ならできるよ。それに戦場に出ると言っても危険は少ないから」


 イリスはそれでも納得せず、口を開こうとした。


「でも……」


 私は彼女が口を開く前に説明を行う。


「やることは今日と大して変わらないんだ。ただ、敵が多くなるから、移動する方向を見極めて指示を出すだけだ。それに午前中は私が一緒にいる。それでコツを掴んでほしい」


「無理よ……」


「冷静さを失わなければ、難しくはないよ。それにラズとハルトを信じてやるんだ。彼らなら苦境に立っても何とかしてくれる。それにこれは君にしかできないことなんだ」


 イリスは私の言葉に頷いた。


「そうね。元々私は第二騎士団を志望していたわ。もし第二騎士団に入っていたら、今回のように人の命を預かることになっていたはず。それを今になって怖がるなんておかしいわね」


 私はイリスを抱きしめる。


「そんなに気負わなくても大丈夫。自信を持って」


 その後、ラザファムとハルトムートにも連絡を入れた。

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