第13話「宮廷書記官長との交渉:後編」

 統一暦一二〇六年八月十六日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王宮内。ラザファム・フォン・エッフェンベルク


 私とシルヴィア・フォン・レベンスブルク侯爵令嬢との結婚について、貴族の婚姻等を管理する宮廷書記官長、メンゲヴァイン侯爵の協力を取り付けるべく、交渉にやってきた。


 交渉と言っても、ほとんどマティアスの独壇場で、私と父カルステンはほとんど役に立っていない。


 メンゲヴァイン侯爵からレベンスブルク侯爵家ではなく、自分を支援しろと言われ、どう答えていいのか困惑しているほどだ。

 それに対して、マティアスはゾクリとするような笑みを浮かべながら答えていく。


「その方法もございますが、そうなると閣下の安全が脅かされることになります。豪胆な閣下であれば、気にされないかと思いますが、マルクトホーフェン侯爵が閣下を亡き者にしようと暗殺者を送り込まないとも限りません」


「わ、私を暗殺だと!」


 胆力がない侯爵はマティアスの脅しに一気に蒼白になる。

 しかし、マティアスは侯爵を無視して話を続けていく。


「特に来年以降は注意された方がよいでしょう。マルクトホーフェン侯爵は王宮を管轄する宮廷書記官長に就任されるのですから、宰相となられる閣下の執務室に暗殺者を送り込むなど簡単なことでしょう。それにマルクトホーフェン侯爵家には前科がございます。王宮の最も奥で起きたマルグリット殿下暗殺事件のことをお忘れなきよう」


 正確には第二王妃のアラベラが独断で起こした事件だが、パニックに陥っている侯爵はマティアスの誘導にあっさりと引っかかった。


「た、確かにマルクトホーフェン侯爵ならやりかねん。だが、レベンスブルク侯爵を復権させることとどう繋がるのだ!」


 侯爵はマティアスのペースに乗せられていた。


「レベンスブルク侯爵閣下は妹君であったマルグリット殿下をこよなく愛しておられました。当然、マルクトホーフェン侯爵とは相容れませんし、アラベラ殿下の血を引くグレゴリウス殿下を認めることはないでしょう」


「うむ。それは分かるが……」


「つまり、閣下を裏切ることがない非常に強力な味方となり得るのです。そして、マルクトホーフェン侯爵は最も憎んでいるグレーフェンベルク伯爵閣下と繋がりが強いエッフェンベルク伯爵家とラウシェンバッハ子爵家を敵視するはずです。つまり、マルクトホーフェン侯爵の標的はレベンスブルク侯爵閣下ということになるのです」


「な、なるほど……確かにその通りだ」


 マティアスの巧みな言葉に、メンゲヴァイン侯爵は簡単に納得する。


「そのための方策でございますが、ここにいるラザファム・フォン・エッフェンベルク殿とレベンスブルク侯爵家の長女シルヴィア嬢を結婚させるのです」


「結婚だと……」


 突然話が変わり、侯爵は混乱しているが、私でも彼の立場なら困惑しただろう。

 そんな侯爵を無視して、マティアスは怒涛の説明を続けていく。


「ラザファム殿は王立学院を首席で卒業した英才であり、グレーフェンベルク閣下の信任も厚い人物です。そして、マルクス・フォン・レベンスブルク侯爵閣下は軍務卿に就任されておられます。つまり、レベンスブルク閣下とグレーフェンベルク閣下が王国騎士団を含む全王国軍を掌握し、宰相となられる閣下が宰相府を掌握すれば、宮廷書記官長であっても無謀なことはできないでしょう」


 軍と文官の両方を抑えることができると言われ、侯爵は大きく頷いている。


「確かにその策はよいかもしれん。しかし、時間がないぞ。マルクトホーフェンが宮廷書記官長になれば、婚姻を認めぬ可能性が高い」


「その点は問題ございません」


 そこでマティアスが私に視線を送ってきた。

 私は余裕の笑みを浮かべる努力をしながら、彼に代わって説明を始める。


「既に年内に結婚の式典を行う目途は立っております。あとは閣下のご助力をいただき、陛下のご裁可をいただければよいところまで、準備は終わっております」


「既にそこまで準備を進めているのか……」


「閣下のお力なくして、この策は成立し得ません。我が国の未来を明るきものにできるのはメンゲヴァイン侯爵閣下のみなのです」


 露骨なゴマすりだが、侯爵は機嫌をよくする。


「そうだな。私が動かねば、この国は悪しき方向に向かうだろう。よろしい。エッフェンベルク伯爵家とレベンスブルク侯爵家の婚姻については進めることにしよう」


 そこでマティアスが更に押し込む。


「それではすぐにでも陛下のご裁可をいただきたく思います。マルクトホーフェン侯爵が手を出してきたとしても、閣下が既に手を打っておられると知れば、悔しがることは間違いありませんから」


「それはよいな。あの傲慢な男を悔しがらせることができるのであれば、これほど愉快なことはない」


 侯爵はマティアスの口車に乗せられ、笑いながら頷いた。


「閣下にはもう一つお願いがございます」


 マティアスはここが攻め時と考えたようだ。


「何かな」


「近々軍務省の設立について、王国騎士団から提案が提出されると思います。その際に賛同いただきたいということです」


「軍務省? どのような組織なのだ?」


「軍務卿をトップとする行政組織です」


「軍務卿を宰相府から独立させるということか?」


 そこで不機嫌そうな表情に変わった。


「その通りです。これは閣下の権力を強化する策でもあるのです」


「私の権力を強化する? 宰相になる私から軍事に関する権限を失わせるのに、なぜ権力を強化することになるのだ?」


 侯爵は怪訝そうな表情でマティアスに聞く。


「軍務省を設立すれば、軍務卿は行政組織のトップとなり、御前会議で表決権を得られるようにすることができます。宰相となられる閣下に、王国騎士団長であるグレーフェンベルク閣下と軍務卿であるレベンスブルク閣下が味方される。つまり、マルクトホーフェン侯爵は御前会議の場において、お三方を敵に回すことになるのです。側近として事前に陛下の内諾を得ていたとしても、残りの三人の重鎮が反対すれば、陛下もお認めになることをためらわれるでしょう」


 御前会議は国王陛下と宰相、宮廷書記官長、そして王国騎士団長がメンバーだ。侯爵以上の爵位を持っていれば出席は可能だが、オブザーバーに過ぎず表決権はない。


「陛下は押しに弱いお方だ。このままではマルクトホーフェンが提案したことが自動的に決定となってしまう。しかし、陛下も重鎮三人が反対すれば、マルクトホーフェンが強引に賛成を迫っても頷かれまい。だが……」


 まだ宰相の権限が減ることに難色を示しそうな雰囲気があった。

 それを感じたのか、マティアスは止めを刺していく。


「王国軍に関しましては王国騎士団長に権限があり、宰相が軍事に関する提案を行うことは、不文律によって認められておりません。ですので、実質的には何も変わらないのです。そう考えれば、マルクトホーフェン侯爵を包囲するために味方を増やすということの方が、利はあるのではありませんか?」


 相変わらずマティアスは相手が何を求め、何を嫌っているのかを正確に読んでくる。


「君の言うことは一々もっともだな。今はミヒャエルを抑え込むことが重要だ。最近は父親のルドルフに似て狡猾に、そして大胆になりつつあるからな」


 メンゲヴァイン侯爵も危機感を抱いていたらしく、マティアスの誘導にあっさりと嵌った。


「軍務省の件は今月中にグレーフェンベルク閣下から提案があると思います。それまでは内密にしていただき、提案があった際に一度反対されてはいかがでしょうか」


「どういうことだ?」


 そこでマティアスはニヤリと笑う。


「閣下が反対されれば、宰相閣下は何も考えずに賛成に回るでしょう。そして、渋々という感じで賛成すれば、宰相閣下はしてやったりとお考えになります。ですが、それが本命だとすれば、いかがでしょうか?」


「ハハハハハ! それはよい! クラースを私の掌の上で踊らせるわけだ! 愉快な見物になるだろう!」


「ご賢察の通りでございます」


 その後、細々とした話をしたが、メンゲヴァイン侯爵は終始機嫌がよかった。


 王宮を出た後、屋敷に戻った。

 まだ正午にもなっていないが、思った以上に長く感じていた。


「マティアス君が一緒で助かった。私ではあれほど完璧に侯爵を踊らせることはできぬからな」


「踊らせるというのは、侯爵閣下に失礼ですよ。閣下は充分にお考えの上で我々に賛同してくださったのですから」


 マティアスがそう言って笑っている。


「私も父上と同じ感想だ。まあ、以前からメンゲヴァイン侯爵とクラース侯爵はマティにいいように操られていたから、今更という感じは否めんがな」


「ラズも酷いな。それでは私の方がマルクトホーフェン侯爵より悪役のようじゃないか」


「あなたがやっていることは正しいのだけど、傍から見ていると、狡猾な策士が悪辣な策を弄しているようにしか見えないのよね」


 妹にまでダメ出しを食らっている。


「何にせよ、メンゲヴァイン侯爵がやる気になってくれてよかったよ。もうそろそろ裁可が下りたという知らせが来るだろうから」


 彼の予想通り、昼食の後にメンゲヴァイン侯爵からの使いがきた。

 そして、私とシルヴィアの婚約が正式に認められ、十二月十日に結婚することが決まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る