第14話「マルクトホーフェン侯爵の策略」
統一暦一二〇六年八月二十九日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、マルクトホーフェン侯爵邸。ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵
本日の御前会議において、グレーフェンベルク伯爵が軍務省設立について提案し、そして認められた。
宰相であるクラース侯爵が最初は反対したが、設立が来年の一月一日ということで、メンゲヴァイン侯爵の権力を削げると、賛成に回ったためだ。
その場に私もいたが、違和感が拭えなかった。
最初強く抗議したメンゲヴァインが、意外にあっさりと引き下がったためだ。
この件について、腹心であるエルンスト・フォン・ヴィージンガーと話し合っている。
「確かにメンゲヴァイン侯爵があっさりと認めたことが気になります。先日のエッフェンベルク伯爵家嫡男とレベンスブルク侯爵家令嬢との婚約も電撃的に決まっておりますし、レベンスブルク侯爵絡みということで、ラウシェンバッハが動いたのではないかと」
「確かにその可能性はあるな。グレーフェンベルクが巧みにクラースを誘導した気がする。こういった手口はラウシェンバッハの得意とするところだ」
マティアス・フォン・ラウシェンバッハは、新皇帝マクシミリアンが謀略の天才と警戒するほど、情報操作が上手い。また、人の弱みに付け込む策を弄すると、あのマクシミリアンが嫌悪感を示したほど巧妙だ。
今回もクラースとメンゲヴァインの反目を利用した形跡がある。
「グレーフェンベルクとラウシェンバッハを切り離す工作を行いましょう」
グレーフェンベルクと話をするようになってから、策略家というより武人の印象が強くなった。そのため、彼が複雑な工作を得意としていないのではないかと思い始めており、ラウシェンバッハを切り離すという策は一考の余地がある。
「具体的にはどうするのだ?」
「グレーフェンベルクはラウシェンバッハを高く評価していることは周知の事実です。参謀長たちはともかく、二十代半ばから三十代前半の参謀たちはラウシェンバッハに対し嫉妬していることでしょう。そこを突きます」
そこでこのまま話をしていいのか確認するかのように、私に視線を向けてきた。
「続けろ」
「はい。ラウシェンバッハは騎士団に入団せず、戦いの度にグレーフェンベルクに招聘されています。つまり、普段の雑務は免除され、美味しいところだけを持っていっているのです。そこにラウシェンバッハを王国騎士団の総参謀長にしようとしているという噂を流せば、参謀たちはグレーフェンベルクに対して強い不満を持つでしょう。そうなれば、グレーフェンベルクもラウシェンバッハばかりを優遇することはできなくなるはずです」
グレーフェンベルクは参謀本部なる組織が必要だと訴えている。そして、常々ラウシェンバッハを手元に置きたいと公言していた。
その二つの事実から、総参謀長にしたいという話には充分信憑性がある。
しかし、問題があった。
「考え自体は悪くないが、具体性に欠けるな。まず、そもそも参謀たちが不満を持っているという情報は正確なものなのか? それが正しいとして、誰にどのような手段で情報を流すつもりなのだ?」
ラウシェンバッハに対する嫉妬は参謀たちではなく、ヴィージンガー自身が感じているものだ。そのため、参謀たちが本当にそのように考えているのか疑問を持ったのだ。
「そ、それは……」
ヴィージンガーは私の問いに答えられない。
「認めたくはないが、ラウシェンバッハは情報を扱う天才だ。その天才の裏を掻くには、奴以上に緻密な情報操作を行うか、奴が想像もしていない奇想天外な策を用いるしかないだろう。奴の情報網を出し抜くには二年や三年では無理だ。だとすれば、奴が思いつかぬ策を実行するしかない」
「侯爵閣下にはお考えがおありなのですか?」
「ある」
私が断言すると、ヴィージンガーは目を丸くする。
「それはどのような……」
「奴の護衛である獣人たちだが、レヒト法国出身らしい。奴隷兵として虐げられていた法国の獣人たちを密かに脱出させ、王国内に住まわせたのだ。そのため、獣人たちはラウシェンバッハに強い恩義を感じ、死を恐れぬ護衛となっている。それを利用する」
最近になって掴んだ事実だ。
マクシミリアンが恐れる謀略家にしては、甘い考えだと思った記憶がある。
「具体的にはどのように利用されるのでしょうか?」
「獣人たちはラウシェンバッハ領に住んでいる者だけではない。そして、彼らのように品行方正な者たちばかりでもないのだ。ならず者の獣人を王都に引き入れ、獣人族の評判を落とす。ラウシェンバッハ領は三万以上の獣人がいる。その者たちがならず者と同じだと思われればどうなる?」
「な、なるほど……罪を犯した獣人族はすべてラウシェンバッハが引き入れた者たち。そんな者たちを集めているのだから、必ず国に害をなす。そのように誘導するのですね!」
ヴィージンガーもある程度誘導してやれば、理解できるだけの能力は持っている。
「その通りだ。平民どもに獣人族の見分けなどつかん。特に王都には獣人がほとんどいないのだ。殺人や強姦を繰り返せば、平民たちは獣人をそういった種族だと認識する。その話が貴族の間で広がれば、グレーフェンベルクもラウシェンバッハを重用するわけにはいかなくなるだろう」
獣人族は我が国にも比較的多く住んでいる。
そのほとんどが北部の森林地帯で、そこは王家直轄領か、政敵であるノルトハウゼン伯爵領だ。
しかし、我がマルクトホーフェン侯爵領にも獣人たちはいる。そして、そのほとんどが村から追い出された食い詰め者で、領都マルクトホーフェンに巣食うマフィアの構成員になっていた。
もちろん、その者たちをそのまま使えば、私が疑われる。しかし、王都に拠点を与えた上で、領都での取り締まりを強化すれば、奴らは必ず王都に向かう。
王都での拠点はアイスナーに任せれば問題はない。
そして、領都での取り締まり強化は領主が治安を守るために行うことであり、疑われたとしても非難されることはない。追い出したら勝手に王都に行っただけと言えばいいだけだからだ。
「アイスナーと連携して、この策を進めろ。そして、奴のノウハウを盗め。お前は将来、奴に代わって王都の屋敷を差配せねばならないのだ。私の期待を裏切るな」
「はっ! 必ずや成功させて見せます!」
ヴィージンガーは期待しているという言葉に感激し、頬を紅潮させている。
その姿を見ると、どうしても物足りなさを感じてしまう。
ラウシェンバッハであれば、そのような感情の変化を見せることはないからだ。
「もう一つ策を講じる」
「それはどのようなものでしょうか?」
ヴィージンガーは期待に満ちた目で私を見ている。
「レヒト法国にラウシェンバッハが獣人を逃がしていると情報を流せ。法国が何をするかは分からんが、少なくとも何らかの報復措置は取るだろう。運がよければ、暗殺者を送り込んでくれるかもしれん。それがなくとも、法国内にいる奴の協力者を処分しようと動くはずだ。嫌がらせには充分だろう」
つい先日、法王アンドレアス八世がレヒト法国の実権を握ったという情報が入ってきた。
その情報では、当面は内政に力を入れると言っているとあったから、ちょうどいいタイミングだろう。
ヴィージンガーは先ほどまでと違い、即座に了承しなかった。
「やれぬというのか?」
「そうではございません……」
そう言って首を横に振るが、まだ考えをまとめているのか、すぐに話を始めなかった。
「……確かにラウシェンバッハに対する嫌がらせにはなりますが、我がグライフトゥルム王国にとって良いことなのかと考えています」
「どういう意味だ?」
「三年前のヴェストエッケの戦いにおいて、グレーフェンベルクは信じられないほど早く情報を手に入れていました。恐らくラウシェンバッハの情報網に侵攻作戦の情報が引っ掛かったのでしょう。その情報網を潰すことにならないかと不安に思ったのです」
確かにその点は考えていなかった。
しかし、すぐに問題にならないはずだと思い直す。
「その可能性はあるが、ラウシェンバッハは情報網に関して既に手を打っているだろう。それだけの能力を持っているからな。逆に手を打っていなければ、いずれ法王に潰されるはずだ。ならば、問題はない」
「おっしゃる通りです……ですが、法国にどうやって情報を流せばよいのかが……法国には商人たちもあまり入っていませんし、支店を持っているのはモーリス商会だけだったはずです。モーリス商会はラウシェンバッハの手先ですので……」
「そのくらいは自分で考えろ」
「はい……」
しおれたような表情のヴィージンガーを無視して、今後のことについて考えていった。
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