第70話「皇国救援作戦発動」

 統一暦一二〇八年八月一日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、騎士団本部。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 本日、リヒトロット皇国救援作戦が発動された。


 一ヶ月前にゾルダート帝国の帝都ヘルシャーホルストで皇都攻略作戦が決定し、その情報が一昨日入ってきたという形にして、御前会議を開いた。


 私も参謀本部次長として出席したが、今回は宮廷書記官長のミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵も反対することなく、王国騎士団からの提案がそのまま承認された。


 これは事前に情報を流し、王国内の危機感を煽ったことが効いている。

 帝国軍が八万の大軍を動員し、更に二万以上の兵が王国に向かうという噂を流した。実際には一個軍団三万と分かっているが、帝国に情報収集能力と長距離通信の魔導具の存在を悟られないようにあえて数字を過小に偽っている。


 もっとも仮に二万であっても、王国騎士団の実戦部隊は一万五千でしかなく、ヴェヒターミュンデ騎士団を合わせて、ようやく同数になるほどの大軍であり、危機感を煽るのに不足はない。


 更にリッタートゥルム城の守備兵団は水軍を合わせても二千五百人しかおらず、二万の大軍に攻められれば陥落する恐れがあるという噂も流している。


 リッタートゥルムが突破されれば、王国南部に帝国軍がなだれ込み、王国が蹂躙されることは容易に想像できる。そのため、マルクトホーフェン侯爵ですら賛成に回らざるを得なかったのだ。


 更にグランツフート共和国軍に対しても援軍を要請することが決まった。ゲルハルト・ケンプフェルト元帥には事前に情報を流しているため、九月末にはヴェヒターミュンデに到着するはずだ。


 会議が終わった後、リッタートゥルム城に向かうラザファムと最終的な打ち合わせを行うため、騎士団本部に戻った。


「私は明日、船でリッタートゥルムに向かうが、君の連隊の方も準備はできているな」


 私の問いにラザファムは自信を見せる。


「もちろんだ。今月中にリッタートゥルムに到着できると確信しているよ」


 王都シュヴェーレンベルクからリッタートゥルム城までは七百キロメートルの距離があるが、今回は五百キロメートル先のヴェヒターミュンデまで陸路で行き、そこから水軍の船で約二百キロ南にあるリッタートゥルムに向かう。


 この時期なら陸路で二十二日、船で四日ほどの行程であり、明後日の八月三日に出発しても、大きなトラブルが起きなければ、今月中に到着できる。


「分かっていると思うけど、現地での指揮権は君にある。私はあくまで参謀本部の一員として助言するだけだ」


 実際には通信の魔導具を使って私が指示を出すが、指揮命令系統の関係で参謀本部次長である私に指揮権はなく、実戦部隊である連隊に情報を提供し、策を提案するだけだ。


「分かっているよ」


「今回はヴェストエッケでの後方撹乱作戦より情報の精度が低い。それに敵の警戒も強いし、人数も多いから隠れることが難しい。その分、現場での判断が重要になる。だから、君を直々に指名させてもらったのだけどね」


 五年前のヴェストエッケ攻防戦では、レヒト法国が無警戒であることをいいことに、詳細な地図を作成するとともに、カメラである撮影の魔導具で多くの情報を事前に得ていた。


 しかし、ゾルダート帝国は充分に警戒しており、シュヴァーン河流域には十個中隊、千人規模の国境警備隊が常時監視しているため、凄腕のシャッテンであっても容易に調査ができず、地図の作成と敵の哨戒部隊の行動パターンの分析しかできていない。


「その点も承知しているよ。君の指示は全面的に信用するつもりだが、千里眼のマティアスといえどもすべてを見通せるわけじゃない。状況の変化に対応できるのは現場だけだ。まあ、強いて言うなら連隊参謀を増やしてほしいとは思っているがな」


 王国騎士団の連隊の参謀は定数が三名だが、参謀本部設立の余波を受け、定数を満たしている連隊はない。


 ラザファムの第二騎士団第三連隊も参謀は一人だけで、それも一昨年に入団した若手だけだ。

 彼の副官も私たちの一年後輩であり、連隊の首脳部としては非常に心許ない。


「その点は何とかできないか考えてみるよ。と言っても参謀本部も手一杯だし、王国騎士団の参謀たちも出陣準備で忙しいから、難しいとは思うけど」


「まあ、君と連絡が取れるなら大きな問題ではないよ」


 その後、詳細な打ち合わせをし、騎士団本部を後にした。


 屋敷に戻るが、妻のイリスが憤慨した様子で待っていた。


「ジーゲル閣下から聞いたのだけど、私が士官学校を離れることは許可できないというのは、どういうことなのかしら?」


 腕を組んで私を睨み付けている。

 私はできる限り涼しい顔を作り、淡々と説明していった。


「リッタートゥルム付近での作戦は恐らく九月の中旬から十月の上旬になる。その頃は士官学校の最終試験で忙しいはずだよ。そんな時に主任教官が長期間職場を空けていいはずがないから、ジーゲル閣下に休暇を許可しないようにお願いした」


 士官学校の校長であるハインツ・ハラルド・ジーゲル元将軍に密かに依頼しておいたのだ。

 イリスも尊敬するジーゲル校長の言葉を無視することはできないからだ。


「それじゃ、私が一緒に行けないじゃない!」


「今回はリッタートゥルム城か、水軍の船の上から指示を出すだけだから危険はないよ。それに帝国軍の動きによっては、年明けまでリッタートゥルムとヴェヒターミュンデを行き来することになるかもしれない。そうなったら、士官学校の教育に影響を与えることになる」


「でも……」


 それでもまだ言い募ろうとしたので、先手を打つ。


「君も責任ある立場になったのだから、その責任を放棄してはいけない。そのことは分かっているのだろ?」


 士官学校の主任教官は三百人の部下を持つ大隊長と同格だ。それだけ重大な責任がある仕事であることは彼女も理解している。


「狡いわ。そう言われたら引き下がるしかないじゃない……」


 そう言って涙目で私を見てくる。思わず絆されそうになるが、それを堪えて冷静に説得する。


「今回帝国軍は積極的に攻撃してこない。ラズは危険だけど、私が危険な状況になることはあり得ないんだ。それに次世代を育てることは重要な仕事だ。特に指揮官も参謀も不足している状況で、君のような優秀な戦術家が指導することは前線で戦うより意義があると思っている。分かってくれるね」


 そういって彼女を抱きしめる。


「分かったわ。でも、絶対に無茶はしないでね。カルラとユーダには無茶をしそうになったら引きずってでも安全な場所に連れていくように頼んでおくから」


「分かったよ。それに黒獣猟兵団も連れていくから、私の安全は問題ない」


 エレンたちの後任であるファルコ・レーヴェら黒獣猟兵団は、シャッテンに半年間指導を受けていることから、実力的には前任に引けは取らない。むしろ護衛に特化している分、以前より安全だ。


「今回君をここに残していくのは士官学校のこともあるけど、あることを頼みたいからだ」


「あること? それは何かしら?」


 思いつかないようで窺うような目で私を見ている。


「今回ラウシェンバッハ騎士団は公式には要請を受けていないが、密かに出撃するという噂を流している。ヘルマンには一度リッタートゥルム街道を東に進み、直属の大隊だけをリッタートゥルム城に派遣し、その他の兵たちは密かに入植地に戻るように指示してある。こうしておけば、帝国の諜報員が騎士団の出撃を報告するから、その情報は第二軍団に入るはずだ」


 そこまで話したところでイリスがポンと手を打った。


「分かったわ。ラウシェンバッハ騎士団が出撃したという話を王都で広めればいいのね。それもさりげない形で」


「さすがは私の奥さんだね。その通りだよ」


「貴族家の茶会で何となく匂わせれば、マルクトホーフェン侯爵派に情報が入るわ。そこから帝国の諜報局に情報が届き、ラウシェンバッハでの情報の裏付けになる。当然、皇帝も軍団長もその情報を信じるということね」


 付き合いが長いだけあって私の情報操作のやり方も熟知している。


「ついでに士官学校の授業で、ラウシェンバッハ騎士団を分割して潜入させる戦術の演習をしてみてはどうかな。士官学校にもマルクトホーフェン侯爵派の学生はいるのだし、そこからも情報が流れるはず」


「それはいいわね。ヴェヒターミュンデ伯爵家のグスタフを中心に、課題として出してみようかしら。王国騎士団とヴェヒターミュンデ騎士団を皇都に向かわせるための陽動作戦として、ラウシェンバッハ騎士団をどう使うかという課題なら自然だし、伯爵家の嫡男の彼なら注目されそうだわ」


 イリスを王都に残すために思いついたものだが、意外に使えそうだと思った。


「それで頼むよ。分かっていると思うけど、不自然にならないようにね。特に士官学校では学生たちに情報管理の徹底をしつこいくらい言っておいてほしい。帝国に伝わる時に謀略だと気づかれたら元も子もないから」


「分かっているわ。千里眼のマティアスの妻として恥ずかしくない情報操作を行ってみせるから」


 こうして彼女もやる気になり、私に同行する話は有耶無耶にできた。


 翌日、私はシャッテンの護衛五名と黒獣猟兵団一班十名を引き連れ、王都を発った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る