第18話「陰謀の影」

 統一暦一二〇六年二月二十七日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、騎士団本部。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 王国軍士官学校が開校し、一ヶ月半が過ぎた。

 始まってみると小さなトラブルはいろいろと出ているが、順調といっていいだろう。


 王国騎士団もすべて王都に帰還し、国境付近も平和だ。この状態が長く続いてほしいと思っているが、ゾルダート帝国ではいろいろと動きが見え始めている。


 魔導師の塔、“叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”の情報分析室から情報では、捕虜たちが多くいる第三軍団は十日ほど前に帝都に帰還した。


 予定より十日以上遅れての帰還だが、捕虜となった者たちの規律が想像以上に緩んでいたことが原因だった。そのことを危惧した軍団長のテーリヒェン元帥や師団長のエルレバッハ将軍、リップマン将軍が引き締めを行ったため、十日以上の遅れになった。


 その努力の甲斐があり、第三軍団の規律はほぼ戻っているらしい。さすがは帝国軍の将たちで、私の堕落化作戦がある程度防がれた形だ。


 しかし、一度知った快楽は容易には消えない。特に帝都にも同じような施設ができたので、第三軍団の兵士たちが賭博や酒、女に溺れることは時間の問題だろう。

 実際、既にその兆候が見えているという報告もある。


 そして、一昨日ゴットフリート皇子率いる第二軍団が凱旋した。

 彼らは皇都攻略には失敗したものの、大量の賠償金を得たことが大々的に広められており、帝都に入った際には凱旋パレードと言えるほど、帝都民の祝福を受けている。


 ゴットフリート皇子は今回の実質的な敗戦で人気を落とすところだったが、皇帝たちは第三軍団の大失敗を糊塗するために、彼の人気を利用しようと第二軍団が大勝利を収めたという話を広めた。


 そうしなければ、王国に大量の賠償金を支払った事実がクローズアップされ、皇帝への支持が低下するためだが、それは諸刃の剣だ。特にマクシミリアン皇子にとっては。


 私は情報分析室や軍情報部に依頼し、ゴットフリート皇子の活躍を大きく広めさせた。これで彼が処分されれば、民衆は皇帝たちに対する不満を持つことになる。

 しかし、皇帝たちはそのこと重視しなかった。もしくは対処できると考えたようだ。


 先ほどゴットフリート皇子が第二軍団長を解任され、その後任にマクシミリアン皇子が就任したという情報が入ってきたのだ。


 その情報をどう扱うかについて、王国騎士団長のクリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵から呼び出され、士官学校の講義が終わった後に騎士団本部に立ち寄った。


 騎士団本部の中を歩きながら、イリスと話をする。


「ゴットフリート皇子が解任された影響だけど、結構あると思うわ。皇帝は何を考えているのかしら?」


「マクシミリアン皇子に皇位を継承させることを決めたのかもしれないね。面倒な元老たちを排除したから、今なら可能だと思ったんだろう」


 昨年の十月に元老、すなわち枢密院議員の半数を、マクシミリアン皇子を貶めた罪で排除している。その結果、皇帝コルネリウス二世に逆らう元老は一気に減り、皇帝は枢密院を掌握した。


「確かに枢密院は抑えたけど、マクシミリアン皇子にすんなりと決まるのかしら? ゴットフリート皇子に対する民衆や兵士の熱烈な支持は侮れないと思うのだけど」


 彼女の懸念は理解できるが、彼らが無策とは思えなかった。


「マクシミリアン皇子とシュテヒェルト内務尚書が、手を打っていないはずはないよ。マクシミリアン皇子が復権してから四ヶ月近く経っているのだからね」


 そう言うものの、どのような手を打っているのか、全く情報がない。こちらの情報収集能力に気づき、情報統制を強化しているようだ。


 そんな話をしながら、騎士団長室に入る。


 グレーフェンベルク伯爵の他に第三騎士団長のマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵と第四騎士団長のコンラート・フォン・アウデンリート子爵、第二騎士団参謀長のエルヴィン・フォン・メルテザッカー男爵が待っていた。


「話は聞いているな。君にしては珍しく予想を外したが、この後の帝国の動きについて、意見を聞きたい」


 グレーフェンベルク伯爵が単刀直入に聞いてきた。


「何らかの手を打ってくると思いますが、基本的には国内向けでしょう。ゴットフリート皇子を貶める情報を流すか、もっと直接的に反乱を企てたとして身柄を拘束するか、最もありそうなのはゴットフリート皇子を信奉する者たちを扇動して騒動を起こし、それをもって処断が正しかったとすることでしょう」


「確かにありそうだな。では、我々にできることはないと考えていいのかな」


「警戒は必要ですが、軍を動かすようなことはないでしょう。第三軍団の大敗のこともありますし、皇国から賠償金を得たと言っても、我が国に支払って帳消しになっていますから、軍を動かすための資金もないでしょうから」


 帝国は六万人という大軍勢を一年近く遠征させている。また、数千人の戦死者を出しているから、その弔慰金も必要なので、軍を動かせるようになるのは早くても二年後だろう。


「となると、やはり我が国に対する謀略か。これに関しては君とイリスに任せるしかない」


 グレーフェンベルク伯爵の言葉にメルテザッカー男爵が頷く。


「正直なところ、私を含め、各騎士団の参謀長では対処しきれません。能力的なこともありますが、権限もあいまいですから。情報部の扱いを含め、王国騎士団に謀略に対応できる部署を早急に作るべきでしょうね」


 男爵の言う通り、王国軍情報部に対する指揮命令系統は非常にあいまいだ。王国騎士団直属ではあるが、現在の騎士団は第一から第四までの騎士団がそれぞれ独立しており、情報部を統括していたのは、王国騎士団の実質的なトップであったグレーフェンベルク伯爵だった。


 現在は王国騎士団長に任命され、情報部の命令権も明確になっているが、本来なら国防省なり軍務省なりを作って、その下に情報部を置くべきなのだ。


 しかし、王国の政府組織は非常に未熟だ。宰相府が内政、財務、外交、軍事をすべて見ていることになっているが、部門としてあるわけではない。一応、軍務卿という役職は作らせたが、現状では権限がほとんどなく、役に立っていない。


「王国騎士団長という役職ができましたから、参謀本部を作ってもよいかと思っています。今回の帝国軍への対応などを考えれば、複数の騎士団を統括することになるので、説明はつきますから」


 私の言葉に伯爵は頷くが、表情は冴えない。


「確かにそうなのだが、組織を作るにしても人がいない。君ならその参謀本部長なり、総参謀長になれるのだろうが、爵位を持たぬ上に騎士団員でもないからな。ここにいる者には悪いが、候補者すら思いつかん」


「指揮官と参謀では資質が違います。メルテザッカー男爵も今は参謀長ですが、本来は指揮官です。ですので、ここにいらっしゃる方が総参謀長に向いていないというのは仕方がないことでしょう」


 そうフォローするが、確かに総参謀長に推薦できる人材がいない。今現在でやれるとしたら、私かイリス、ラザファムくらいだろう。ラザファムも指揮官向きだが、彼は万能だから参謀も十分に務まる。


「話を戻すが、謀略への対処は君たちに任せるしかない。情報部に対する命令は今まで通り、私の名を使って君が出してくれ。士官学校で忙しいと思うが、よろしく頼む」


「士官学校も落ち着いてきましたし、私かイリスで対応できることはやっていきます。問題はマルクトホーフェン侯爵です。領都は以前から真実の番人ヴァールヴェヒターの隠密が多数雇われていましたが、最近は王都の屋敷にも数名配置されたようです。帝都でマクシミリアン皇子と密かに話し合ったようですし、油断できません」


 マルクトホーフェン侯爵は魔導師の塔“真理の探究者ヴァールズーハー”の下部組織、“真実の番人ヴァールヴェヒター”の隠密を以前から雇っていた。


 その数は領都マルクトホーフェンでも十名程度で、侯爵家の館以外は“闇の監視者シャッテンヴァッヘ”の間者が入り込めていた。


 しかし、二年ほど前から隠密の数が増え、こちらの間者を引き上げさせている。実力的には闇の監視者シャッテンヴァッヘの方が上だが、万が一捕らえられると面倒なことになるため、安全を優先したためだ。


 それがここ数ヶ月で王都の侯爵邸も警備が厳しくなっている。隠密の数は確認できただけでも五十人ほどだ。それだけの数を雇うには年間五十億円以上掛かる。王国一の大貴族マルクトホーフェン侯爵家であっても容易く出せる金ではない。


 今のところ、他国や商人組合ヘンドラーツンフトなどの組織が関与しているという情報はないから、自前で出しているのだろうが、侯爵がそれだけ危機感を持っていることに警戒している。


「侯爵家については、私の方でも牽制しておこう。この時期にも関わらず、まだ王都に残っていることが訝しいからな。皆も警戒だけは怠らないようにしてくれ」


 領地持ちの貴族は年末年始を王都で過ごした後、領地に戻ることが通例だ。通常は一月半ば頃に王都を出発し、三月の半ば過ぎに戻ってくる。

 しかし、マルクトホーフェン侯爵は未だに王都に残っていた。


 理由ははっきりとしていないが、特に積極的に動いているわけでもない。

 とりあえず警戒することにしたが、そのマルクトホーフェン侯爵が先手を打ってきた。

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