第26話「ナブリュック攻略戦:前編」
統一暦一二〇五年七月二十三日。
ゾルダート帝国中部グリューン河南岸、ナブリュック市対岸。ゴットフリート・クルーガー元帥
昨日の夕方、今回の攻撃対象であるナブリュック市の対岸に到着した。まだ敵から見える位置には布陣せず、渡河用の舟艇の準備を命じた。
準備は今日一杯掛かる予定で、明日の夜明け前から作戦を開始する。
ただ、リヒトロット皇国の動きに不審な点があるため、当初の計画に固執するのは危険ではないかと考え始めている。この段階で作戦を変更することは危険だが、固執して敵の罠に掛かる方がもっと愚かなことだ。
しかし、こうなってくると、第三軍団長ザムエル・テーリヒェンの存在が悩ましい。奴に臨機応変の対応を期待することはできないから、第三軍団を一個の戦闘集団として運用することができないためだ。
それでもまだ悲観的な状況だとは思っていない。
皇国に見るべき将はなく、仮にグレーフェンベルクが策を授けているとしても、奴の思惑通りに実行できるとは限らないからだ。
念のため、我が国の勢力圏内であるグリューン河南岸の哨戒を密にするように命じているが、これまでのところ皇国軍の動きに目立った動きはない。相変わらず、偵察隊をほとんど出さず、水軍による哨戒にのみ頼っている状況だ。
師団長以上を集め、当初の作戦通りに実行することを告げる。
第三軍団第一師団長のウーヴェ・ケプラーが何か言うかと思ったが、彼に代わり第三師団長であるオラフ・リップマンが発言した。
「作戦通りということに否はございませんが、敵の動きが思った以上に鈍いことについて、閣下のお考えを伺いたいと思います」
リップマンは長身痩躯の文官のような雰囲気を持つ知将だ。私の下で何度も武勲を挙げており、私が信頼する将の一人でもある。
「王国からの情報を受け、逡巡している可能性が高いが、王国一の知将グレーフェンベルクが何らかの策を授けている可能性も否定できない。だが、仮にグレーフェンベルクの策が俺の予想を超えるものであっても、今の皇国軍にそれを実行できる将がいるとは思えない。よって、警戒はするものの、当初の計画通りに作戦を実行するべきと判断した」
「ありがとうございます。閣下のお考えは理解しました。小官も全く同じ考えです」
知将として名高いリップマンが納得したことで、他の師団長も俺の考えに賛同するように頷いた。
翌日の七月二十四日。空が白み始めたタイミングで組み立て終えた渡河用舟艇をグリューン河に運ぶ。対岸のナブリュックとは五百メートル以上離れており、灯りを使っていないため、敵はまだ気づいていない。
「第一陣五百艘、出撃準備完了です」
準備開始から三十分ほど経ち、周囲がぼんやりと見えるようになった頃、直属の第一師団長カール・ハインツ・ガリアードが報告する。ガリアードは攻守にバランスの取れた良将で、こういった緻密な準備作業も得意としており、全幅の信頼を置いている。
「よろしい。では、第一陣を出撃させよ」
「はっ!」
ガリアードが去ると、一列に並べられた小型のボートが、朝靄が掛かったグリューン河に向けて静かに岸から離れていく。
このボートは全長五メートル、最大幅二メートルほどで、一艘辺り十六名の兵士が乗っている。そのうち漕ぎ手は六名で一度に十名の兵士が上陸できる。五百艘ということは五千名、二個連隊分となる。
指揮を執るのはケプラーだ。
大胆ではあるが、状況に応じて対応できる柔軟性も持ち合わせているためだ。
「敵が気づいたようですな」
ガリアードの声が聞こえたが、俺にも対岸で慌ただしく松明が動く姿が見えていた。
「ケプラー殿のお手並みを拝見いたしましょう。このまま作戦を続行するのか、それともいったん中止するのか、なかなか難しい判断になりそうですな」
今回の作戦では完全な奇襲が見込めない場合は、一旦渡河を中止し、引き上げることにしていた。敵には五十隻のガレー船があり、渡河用ボートではその体当たり攻撃に対処しようがないためだ。
ガリアードが言う通り、このタイミングは微妙だ。
先頭を行くボートは既に川の半ばまで進んでおり、半数以上は敵の攻撃を受けることなく、対岸に辿り着ける。
ナブリュックには五千の守備兵がいるため、半数の二千五百では不利は否めないが、敵の守備兵も準備ができているわけではなく、橋頭保を築くことは可能だ。
「引き上げるようですな。さすがはケプラー殿、判断が早い」
「そうだな。このタイミングなら犠牲を出すことなく引き上げられるだろう。だが、ケプラーにしてはあっさり諦めたな。奴の性格なら二千の兵が残ると思えば作戦を続行したはずだが」
その答えは三十分後に分かった。
ケプラーが戻り、軍議の場で状況を報告する。
「敵はこちらの奇襲に警戒していたようです。軍船の出撃の手際が通常より早かったですし、守備兵の展開も予想を遥かに超えておりました」
「なるほど。皇都から連絡が来たのだろうな。この辺りに我々が攻撃を仕掛けるから注意せよと」
これは当然想定内のことであり、全員が頷く。
「作戦を次の段階に移行する! 第二軍団第一師団の分を除き、すべての舟艇を岸に並べよ! 投石器は敵に見えるように配置せよ!」
奇襲が無理になった場合、強襲となることは自然な流れだ。
しかし、単に強襲するだけでは渡河中に敵のガレー船に襲われ、無為に兵を失ってしまう。
そのため、千五百艘の小型ボートを分散配置し、数で押すように見せかけて渡河を行い、ガレー船を出撃させる。そして、ボートを引き返させ、追ってきたガレー船を投石器の射程内に引き込み、攻撃して沈める。
この戦法は今までも行われたことがあるが、大規模な攻勢と組み合わせる方法は初めてだ。
川幅が五百メートルであるため、ガレー船が渡河用ボートを攻撃できるのは半分以上渡った後だが、攻撃をためらえばためらうほど、渡河に成功するボートが増えることになる。
半分まで行ったところで引き返す行動を三度ほど繰り返せば、こちらがガレー船を射程内に引き込もうとしているだけだと判断し、おざなりで出撃するだけになるだろう。
そこで渡河を強行すれば、一万以上の兵が対岸に辿り着けるはずだ。そうなればあとは簡単で、敵の守備兵を蹴散らし、ナブリュックを占領すればいい。
占領後は補給物資をナブリュックに送り込む。
俺はこの攻撃の間に、直属の第二軍団第一師団を率いて、ゼンフート村に向かう。敵の水軍がナブリュックに向かったなら計画通りに攻撃を掛け、向かわないようなら第一師団を残して俺は本隊に戻り、ナブリュックで敵を待ち受けつつ、下流の都市を攻略する。
下流の都市を攻略できれば、我が軍の補給の問題も解決するし、皇国軍も兵糧攻めを恐れて決戦を選択せざるを得ないため、水軍を派遣してくるはずだ。
ナブリュック攻略後に時間があるなら、両岸に投石器を設置すれば目的である水軍殲滅は達せられる。
奇襲失敗から三時間後、千五百艘のボートが並べられた。先ほどとは異なり、広く分散しており、五十隻のガレー船で止めることは至難の業だろう。
「出撃準備完了です。ご命令を」
ガリアードの言葉に頷くと、俺は命令を発した。
「各隊長は合図の鐘を聞き漏らさぬよう注意せよ! 総攻撃開始!」
ドーン、ドーンという太い太鼓の音が響き渡る。
千五百艘のボートが一斉にオールを水に入れ、力強く進み始めた。
それを見届けると、テーリヒェンのところに行く。
「作戦通りに攻撃を繰り返してくれ。できればナブリュックを占領してほしいが、無理はするな。迷うことがあるなら、俺のところに伝令を送って確認してくれ。皇都攻略作戦の成功のカギは卿が握っているのだからな」
「お任せください。必ずや、敵の水軍を引きずり出してみせます!」
テーリヒェンは自信満々で答えた。
若干の不安はあるが、それを見せることなく、笑みを浮かべる。
「卿なら必ずやってくれると信じているよ。俺はゼンフートに向かう。頼んだぞ」
そう言いながら彼の肩をポンポンと叩き、後方で待つ第一師団に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます