第25話「皇国軍への情報提供:後編」

 統一暦一二〇五年七月二十日。

 リヒトロット皇国皇都リヒトロット、皇宮内会議室。ライナルト・モーリス商会長


 リヒトロット皇国の皇都に到着し、すぐに伝手を使って皇国軍の指導者たちとの面談を申し出た。


 近衛騎士団長兼皇都防衛の総司令官エマニュエル・マイヘルベック将軍と皇都騎士団長のマルコルフ・ナイツェル将軍、そして、今回の目的である水軍の最高司令官、イルミン・パルマー提督との面談が叶った。


 グライフトゥルム王国の軍略家、グレーフェンベルク伯爵の言葉というふれこみで、マティアス様がお考えになった説明を始める。


「では、グレーフェンベルク閣下のお考えをお伝えいたします。まず帝国の狙いは水軍にあるとおっしゃっておられました……」


 その言葉でパルマー提督が表情を変えるが、それに構わず説明を続ける。


「自分が帝国のゴットフリート皇子なら、陽動作戦によって水軍を引き付け、その間に皇都に奇襲を仕掛けるように見せる。そうすれば、水軍は皇都に慌てて戻っていくから、そこで罠に嵌めるだろうと」


「罠に嵌める? 川の上で罠など掛けようがないぞ。グレーフェンベルク殿は水軍のことを分かっておらぬようだな」


 パルマー提督が少し馬鹿にしたような表情を浮かべていた。


「グレーフェンベルク閣下がおっしゃるには、下流から遡上する船団に対して、丈夫なロープを両岸から何本も張れば、船足を止めることはできると。そして、そこに焼き討ち船を突入させ、更に岸から投石器で攻撃を加えれば、水軍を壊滅させることは難しくないとおっしゃっておられました」


 この策略はマティアス様がお考えになったものだ。当初は投石器による攻撃だけを想定されていたが、六年ほど前に帝国軍がシュヴァーン河を渡ろうとした際、筏をロープで固定する方法を検討していたことを思い出されたそうだ。


 私の説明にパルマー提督は目を見開いている。それに気づかない振りをして説明を続けた。


「私は素人ですので、そのようなことは可能なのでしょうかと尋ねました。すると、伯爵は可能だと自信をもって答えられたのです。そして、自分ならある場所で罠を張ると具体的な地点まで教えてくださったのです」


「その場所はどこなのかの?」


 マイヘルベック将軍が興味深げに聞いてきた。


「ゼンフート村です。私も昨日通ってきましたが、確かに川幅が狭くなっており、流れが少し早くなっておりました。錨に使うような頑丈なロープを張れば、簡単には抜け出せぬのではないかと思ったものです」


「確かにゼンフートの辺りは川幅が三百メートルほどしかない。それに南岸は高台になっているから、投石器の攻撃が川幅一杯に届く……確かにその可能性は否定できんな……グレーフェンベルク殿は我が国に来たことはなかったと思うが、そこまで知っているのか……」


 パルマー提督が腕組みをして独り言を呟いていた。

 それを聞き流しながら説明を続ける。


「それにあの場所は皇都付近では、守備隊が最も少ない土地であり、帝国軍が渡河を強行した場合でも、水軍がいなければ阻止は難しいだろうともおっしゃっておいででした。私も通った際に見ましたが、確かに兵士の数は少なかったですし、城壁もありませんから、素人の私でもそんなものなのかなと思ったほどです」


「ナイツェル卿はどう考えるかの?」


 マイヘルベック将軍の言葉にナイツェル将軍が答える。


「ゼンフート村なら皇都から百二十キロ、最も近いベルリッツからでも二十キロはあります。ベルリッツには二千ほどしか兵はおりませぬから、占領される可能性は充分にあるでしょうな。だが、あの地は防御に適しておりません。皇都から兵を出せば、数日で取り戻すことができるでしょう」


「つまり数日は占領された状態になるということじゃな。水軍がどこまで出ていっておるかで変わるが、その部隊を倒そうと戻ってくる方が早そうじゃ」


「マイヘルベック閣下のおっしゃる通りですな。小官がこの話を聞いておらず、下流の都市に向かっていたら、迷うことなく半数は引き上げさせるでしょう。皇都の近くに敵をのさばらせておくわけにはいきませんからな」


 パルマー提督の言葉にマイヘルベック将軍は大きく頷く。


「グレーフェンベルク殿が稀代の軍略家であることは分かった。そなたは聞いておるか分からぬが、六万もの帝国軍が数日前にこの辺りを通り、西に向かったのじゃ。我らもその対応をどうすべきか検討しておったところじゃ」


「なんと! 僅か数日前に……」


 マティアス様の予想通りだったが、驚いた振りをする。


「何とも凄いことじゃな。それでグレーフェンベルク殿は帝国軍が攻めるのはどこか言っておらんかったかの」


「伺っております。恐らくナブリュック市であろうとおっしゃっておられました」


「ナブリュックか……これも十分に考えられる場所ですな。あそこを奪われるわけにはいきませんから、何も知らなければ、我が水軍のほとんどを派遣することになったでしょう。そうなれば、ゼンフートまで戻るのに早くて二日は掛かる。敵が罠を仕掛けるには充分な時間があるということです」


 パルマー提督の言葉にマイヘルベック将軍とナイツェル将軍が頷く。


「モーリスよ。よい話を持ってきてくれた。そなたには恩賞を与えよう。希望があれば、聞くが何かあるかの」


「可能でありましたら、皇国水軍と同等のグリューン河の優先的な通行権をいただければ幸いです。特に皇都付近では港に入ることもままなりませんので」


「そのようなことでよいのか? 今回の情報なら准男爵の爵位を与えることができるが」


 皇国で爵位を持っていれば商売でも有利になるが、マティアス様は皇国が滅亡することは時間の問題とお考えになっているので、そんな国の爵位をもらってもほとんど意味がない。


「私のような下賤な者が栄えある皇国貴族に叙せられることは、恐れ多いことです」


「よかろう。では、グリューン河の優先通行権をそなたの商会に与えることにしよう」


 褒美ももらい、これで話は終わったため、会議室を後にする。

 マティアス様のお考え通りにできたと思うが、あの三人がきちんと対応してくれるのか、若干の不安を覚えながら、皇都にある支店に向かった。


■■■


 統一暦一二〇五年七月二十日。

 リヒトロット皇国皇都リヒトロット、皇宮内会議室。イルミン・パルマー提督


 ゾルダート帝国の大軍が近くにいるというのに、会議ばかりでイライラしていた。そんなところに面白い奴がやってきた。


 商都ヴィントムントのやり手の商人、ライナルト・モーリスが皇都に来たのだ。

 モーリスとは何度か話をしたことがあり、若いながらも大商人と言われるだけの知識と大胆な投資を行う胆力に何度も感嘆していた。


 そんなモーリスが帝国の戦略に関わる情報を持ってきたというのだ。

 俺たちも帝国の司令官ゴットフリートの考えを読もうと、何度も話し合っていたが、下流の都市のいずれかを占領しようとしているのだろうとしか思いつかなかった。


 しかし、俺は引っ掛かりを感じていた。

 ゴットフリートがそんな当たり前の策で大軍を動かすのだろうかと。

 しかし、俺程度の頭では天才と言われている奴の考えが分かるはずもなく、モヤモヤとしていた。


 モーリスはマイヘルベック将軍の前では恭しい態度を取ったが、すぐにいつも通りの泰然とした雰囲気を醸し出した。

 そして、王国の天才グレーフェンベルクの考えを語ってくれた。


 その考えを聞き、俺はようやく腑に落ちた。

 言われてみれば、これまで帝国が我が国を攻めあぐねたのは水軍の存在が大きい。天然の要害と呼ばれるグリューン河があったとしても、守るべき範囲が広いから、機動的に防御が可能な水軍がいなければ、数年前に皇都は帝国に落とされていただろう。


 モーリスが出ていった後、俺、マイヘルベック将軍、ナイツェル将軍の三者で今後の戦略方針を検討した。


「水軍としては、帝国の目的が我が水軍の殲滅というグレーフェンベルク伯爵の考えに、全面的に賛同します。その上でどうすべきか考えてはどうかと」


「そうじゃな。儂も提督と同じじゃが、具体的にどうすべきかじゃ。本当にナブリュックに帝国軍が現れたとして、水軍を派遣せずに渡河を許すことはあり得ぬ。敵の渡河用の船舶の数にもよるが、少なくとも半数は送り出さねば、守り切れぬと思うが、どうじゃ?」


 俺が答える前にナイツェル将軍が話し始める。


「ナブリュックは守備兵五千に加え、軍船五十隻と二千五百の水兵が守っておりますが、皇都からは二百キロの距離があります。敵を発見してから、水軍が到着するまで五日は掛かるでしょう。水際で防げるのはよくて三日。残りの二日で敵は橋頭保を築き、後続を送り込むはずです。そうなれば、六万の敵兵のうち半数以上は渡河に成功しているでしょうから、それを追い払うには水軍のすべてを投入すべきでしょうな」


 ナイツェル将軍の考えは妥当なところだ。


「小官も同じ考えです」


「だとすれば、ナブリュックを奪われぬためには、水軍のすべてを送り込まねばならんということか。そうなると、ゴットフリートの作戦通りになるということじゃが、それではゼンフートが敵に占領されてしまう。ゼンフートだけならよいが、ダーボルナ城まで攻め込まれたら大ごとになるが、どうすべきだろうか」


「ゼンフートを占領されたとしても、こちらの方が兵力は多いのです。それに渡河するということは、騎兵は使えませんし、攻城兵器もほとんど運べますまい。ゼンフートが占領された後に皇都から兵を出し、ベルリッツとの間で敵を食い止めれば問題はないかと」


 ナイツェル将軍は自信をもって答えているが、騎兵がいないとはいえ、精鋭である帝国軍と地上で戦って勝てるのかという疑問が湧く。


「どれほどの戦力を投入するつもりじゃ?」


 同じ疑問をマイヘルベック将軍も持ったようだ。


「最低敵の二倍は用意します」


「敵が多ければ二倍という数は難しいのではないか?」


「別動隊の数が多ければ、ゼンフートに全軍を送り込ませた上で、ダーボルナ城から帝国側に出撃して南岸を占領し、兵糧攻めにすればよいだけです。グリューン河北岸の街道を封鎖することは難しくありませんから袋のネズミとなるでしょう。もっとも、このことはゴットフリートも理解しているでしょうから、一万以上の兵を投入することはありますまい」


 ナイツェル将軍の考えにマイヘルベック将軍が頷く。


「では、水軍はナブリュックに敵が現れたら全軍で防衛に向かう。皇都騎士団はいつでも出撃可能なように準備し、グレーフェンベルク伯爵の考え通りにゼンフート村が襲撃された場合は可能限り多くの兵力を投入して皇都への侵攻を阻止する。難しい場合は兵糧攻めに切り替えるということでよいな」


「「ございません」」


 俺とナイツェル将軍は同時に頷いた。


 これまで苦汁を呑まされ続けてきた帝国軍に、一矢報いることができるとほくそ笑んだ。

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