第27話「ナブリュック攻略戦:後編」

 統一暦一二〇五年七月二十三日。

 ゾルダート帝国中部グリューン河南岸、ナブリュック市対岸。ザムエル・テーリヒェン元帥


 ゴットフリート殿下が直属の師団を率いて東に向かわれた。

 これで私がこの戦場を差配することになる。


 最初の渡河は敵水軍が投石器の射程ギリギリで遊弋し、射程内まで追いかけてくる気配がないため、引き返させた。

 午後になり、二度目の渡河を開始したが、同じように敵に油断はなく、引き返させている。


 殿下から言われた通り、直属の部下である第一師団長のウーヴェ・ケプラーに意見を求めてみた。


「敵に油断は見えない。我らの策を見破っている可能性がある。一度強引に突入させてもよいのではないかと考えるが、卿の考えを聞かせてくれんか?」


「元帥のおっしゃる通り、敵はこちらの作戦を看破している可能性が高いですな。しかし、強引に突入させれば、損害は馬鹿になりません。もう少し様子を見るべきでしょう」


 ケプラーの言うことが正しいだろう。だが、私は殿下のために成果を挙げなければならない。


「敵の水軍を引きずり出すには、ナブリュックの守備隊に危機感を与えねばならん。今のままでも問題ないと皇都に報告すれば、水軍を派遣しない可能性が高くなる」


「ならばこうしてはいかがか。明るいうちは今まで通り渡河を行うように見せかけ、暗くなったら、太鼓だけを鳴らすのです。それを何度か繰り返せば、敵は疲労が溜まりますし、そのうち出撃すらしなくなるでしょう。そこで渡河を強行すれば、成功率は上がりますし、損害を抑えることもできます」


 ケプラーは猛将という印象が強いが、なかなかに策士だ。こういった点が殿下に気に入られているところなのだろう。

 自分でも不愉快な嫉妬心が沸き上がるのを感じたが、それを抑え込んで笑顔で了承する。


「それはよいな。では、卿に作戦の立案と実行を一任する」


「お任せを」


 ケプラーは軽く頭を下げてから立ち去った。


 夜になり、作戦を実行する。


 ケプラーの言う通り、一時間おきに太鼓を鳴らして出撃したように見せると、敵はそれに引っかかり、その都度ガレー船を出港させた。日付が変わる頃まで繰り返すが、敵は油断を見せることはなかった。


「なかなか油断しませんな」


 ケプラーが軽い口調でそう言ってきた。

 その口ぶりが癇に障った。


「卿の発案であろう。その言い方は無責任に聞こえるぞ」


「小官は事実を言っているだけですよ。それに油断してはいませんが、疲労は確実に溜まっているはずですから、このまま繰り返せば、必ず音を上げます。もし、明日も同じ状況なら、別の策を実行することも可能です」


「別の策だと……」


「ええ。朝まで繰り返しても出港してくるなら、恐らく船員の数を減らし、交替で対応しているのでしょう。ならば、明日の夜も同じように何度か太鼓だけを鳴らして疲労を誘っているように見せかけ、焼き討ち船を用意するのです」


「焼き討ち船……どういうことだ?」


 ケプラーが何を考えているのか、すぐには理解できなかった。


「そうですね。具体的には千五百艘のうち、五百艘ほどに可燃物を乗せ、泳ぎの達者な兵に漕がせます。そして、敵のガレー船が接近してきたら、鉤付きのロープを投げ入れて接舷させ、火を着けるのです。そうすれば、敵を減らすことができますし、残りのボートを突入させても安易に体当たりをしてくることはなくなりますから、渡河に成功する可能性が一気に上がります」


 身振り手振りを加えて説明し、何となく彼の言っていることが理解できた。

 そして、その策が有効であることも理解できたが、素直に頷けない。


「だが、それでは明日の夜までこのままということではないか! ゴットフリート殿下は既にゼンフートに向かっておられるのだ! 無為に時を掛けるわけにはいかぬことは卿も理解していよう!」


 ケプラーは呆れたという表情を浮かべる。


「ゼンフートまでは八十キロメートルもあるんですよ。クルーガー元帥が到着するのは三日後です。そして、敵が我々を見てから救援を求めていたとしても、皇都に到着するのは二日後。救援を送る決定をするには一日程度は必要でしょう。そして、ゼンフート村を越えるのは更に一日。合計四日は掛かるということです。つまり、クルーガー元帥も到着してすぐに、ゼンフートに攻撃を掛けられるとは思っておられなかったのです。一日や二日遅れることは想定の範囲内でしょう」


 理詰めで言われ、頭では納得できたが、感情がそれを拒否する。


「だが、焼き討ち船も失敗すれば、更に時間が掛かる。少々強引でもすぐにでも総攻撃をかけるべきだ」


 私の言葉を受け、ケプラーは大きな溜息を吐く。


「ゴットフリート殿下がそれを望まれると本気で思っておられるのか? 殿下は兵を無為に失うことを嫌っておられることは、閣下もご存じだと思うが」


 私はその言葉に反論できなかった。

 しかし、素直に認めることもできず、彼を睨み付けることしかできなかった。


■■■


 統一暦一二〇五年七月二十四日。

 ゾルダート帝国中部グリューン河南岸、ナブリュック市対岸。ウーヴェ・ケプラー将軍


 俺は目の前にいる頭が固く無能な上官、テーリヒェンに辟易していた。

 以前から師団長という地位ですら相応しくないと思っていたが、あろうことか軍団長に昇進した。


 帝国軍は実力主義だと思っていたが、皇帝陛下やゴットフリート殿下はその伝統を蔑ろにするつもりなのだと、大きく落胆した記憶がある。


 それでも殿下からテーリヒェンのフォローを頼むと言われため、我が国の勝利のためにと、第一師団長の権限を逸脱することも厭わずに全力でテーリヒェンを盛り立てきたつもりだ。


 しかし、この無能は殿下の戦略すら理解せず、ひたすら目の前の勝利だけを求めている。この場にいる我々が成すべきことが何なのか、くどいほど説明したにもかかわらずだ。

 更に有効な策を提案しているのに、感情に走って認めようとしない。


 最初は軍の正式な呼び方である“クルーガー元帥”と呼んだが、奴がゴットフリート殿下のことを敬愛しているから、それを思い出させるためにわざわざ“殿下”という呼び方に変えた。


 それでもこいつは目的を見失ったまま、頑なだった。

 これ以上こいつのお守りをするのは無理だと匙を投げようかと思ったが、最後の手段に訴えてみた。


「小官はゴットフリート殿下の策を成功させるために最善と思われることを提案した。それが認められぬというのであれば、元帥閣下の権限で小官を解任していただきたい。無為に死んでいく兵士には悪いが、小官はそのような愚行の片棒を担ぐ気はないので」


 ここまで言えば考え直すかと思ったが、完全に頭に血が上っているらしく、殴りかからんばかりの勢いで詰め寄ってくる。


「愚行だと! ナブリュックを力攻めすることが愚行だというのか!」


「我々の目的はゴットフリート殿下の策を成功させるため、敵の水軍を皇都から引き離すことであって、ナブリュックを占領することではない。確かに現状では敵が危機感を持つことに至らないかもしれないが、俺の策を実行すれば、少ない損害でナブリュックを陥落させ、敵水軍を出撃せざるを得ない状況に持ち込める。そのこと自体は理解されておるのでしょう?」


 俺の言葉にテーリヒェンは睨み付けるだけで口を噤んでいる。

 睨み合いが十秒ほど続いたところで、向こうが折れた。


「……よかろう。卿の策を実行せよ」


 それだけ言うと、踵を返して天幕に入っていく。

 俺は肩を竦めながら、部下に指示を出していった。


 結局、朝まで続けようと思ったが、敵のガレー船はいちいち戻ることをしなくなり、睨み合いが続いた。


 日が昇ってからも愚直に昨日と同じ出撃と引き上げを繰り返した。

 敵は同じことの繰り返しでも油断することはなかった。


(王国のグレーフェンベルクが事前に策を授けていたようだな。こうなると焼き討ち船も予想していそうだが、敵兵の体力と気力には限界がある。そこを突けば勝機は見いだせるはずだ……)


 偽装攻撃の合間に焼き討ち船の準備を行っていく。

 可燃物自体は用意してあったので問題はなかったが、泳ぎの上手い兵士を探すのに手間取った。それでも何とか数を揃えることに成功する。


 そして、夜の帳が下りた後、焼き討ち作戦を実行することにした。

 昨夜と同じように出撃の合図である太鼓を鳴らすだけを三度続けた後、焼き討ち船五百艘と兵士を乗せた一千艘の渡河用舟艇が出撃する。


 俺がいる岸からは見えないが、敵はこちらが本当に出撃したことと知ると、得意とする体当たり攻撃を仕掛けてきた。


 突然川面が数百の炎に照らされる。焼き討ち船が自らに火を放ったのだ。

 一隻のガレー船のマストが松明と化した。焼き討ち船の炎が移り、油を塗ったロープを伝って畳んである帆に火が着いたのだ。


 更に数隻のガレー船が燃え上がる。

 焼き討ち船と燃えるガレー船が水面をゆらゆらと照らし、幻想的な光景を作っている。

 その中を兵士が乗ったボートが進んでいく。


「上手くいきそうだな」


 俺は独り言を呟いた後、テーリヒェンに視線を向けた。


「後続の渡河部隊への命令をお願いします」


「分かっておる。第三師団に命令! 第一陣のボートが戻り次第、渡河を開始せよ!」


 ナブリュックでは激戦が繰り広げられたが、夜が明ける前に占領が完了したという報告が入った。


 テーリヒェンはその勝利の報告を聞きながらも表情を一切変えなかった。

 作戦は成功したが、これから先もまだこいつのお守りがあるのかと思うと、暗澹たる気持ちになった。

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