第28話「王国軍の動向」

 統一暦一二〇五年七月二十五日。

 リヒトロット皇国中部グリューン河流域、ナブリュック市対岸。ザムエル・テーリヒェン元帥


 ナブリュックの守備隊のガレー船を焼き討ち船で排除した。敵のガレー船は五十隻中二十隻を沈めたところで、残りは上流に逃げていった。そのため、渡河の障害がなくなり、未明には第二軍団の二個師団二万名がナブリュックへの上陸を果たした。


 守備隊の陸上軍五千が水際で抵抗したが、元々皇国軍は我が帝国軍の敵ではなく、夜明け前に敵は降伏した。


 我が軍の損害は焼き討ち船作戦で約五百、渡河作戦で約二百名が戦死したが、五万の全軍からすれば軽微な損害と言っていいだろう。


 私は対岸で指揮していたが、占領の報が届いたため、すぐにゴットフリート殿下にナブリュック攻略成功の早馬を送った。


 占領したナブリュックの防衛強化のため、投石器を送り込む必要があるが、渡河用のボートでは小さすぎる。そのため、ナブリュックから脱出できずにいた商船を徴用した。


 その際、商人組合ヘンドラーツンフトの商人からある情報を得る。


「王国軍の第四騎士団がヴェヒターミュンデに向かったというのか?」


 その商人は笑みを浮かべて頷く。

 ヴェヒターミュンデは我が国と王国の国境であるシュヴァーン河近くにある要衝だ。


「私どもが出港する直前の七月十二日、アウデンリート子爵様率いる第四騎士団がヴィントムントに到着しておりました。子爵様はヴィントムント市長を表敬訪問され、演習のためにヴェヒターミュンデに向かうと話されたということです」


「演習だと……このタイミングで……どういうことだ……」


 私の疑問に商人はスラスラと説明していく。


「直接聞いたわけではありませんが、演習は元々計画されていたものらしいです。確かに四月くらいから食糧などの消耗品の確保などの準備が行われていました」


「そうか……それはよかった……」


 その言葉を聞き、安堵する。

 こちらの動きに合わせてシュヴァーン河を渡ってくるのであれば、リヒトロット皇国軍がこちらの思惑通りに動かないかもしれないと思ったが、偶然なら何も問題ない。


「そういえば、第三騎士団もリッタートゥルム城に向かうという話もありました。こちらは国境付近で不審な事件があったので、それの調査を兼ねての演習だということです。二つの騎士団が同時に東で演習を行うというのは珍しいなと思ったものです」


 国境付近での不審な事件は我が軍の偵察中隊が国境侵犯を行ったことだろう。時期的にもおかしくはないが、二個騎士団といえば一万の軍勢だ。弱兵揃いのグライフトゥルム王国軍とは言え、こちらに来るようなら厄介だ。


「それは真か?」


「私は見ておりませんが、私の後に出港した連中は見たと言っておりました」


 その後、別の商人からも聞き取りを行った。


「王国第三騎士団がリッタートゥルムに向かったという話は本当か?」


「はい。私自身が食糧の手配を行いましたので、間違いありません。私どもの商会が食糧調達を承ったのは四月の中旬頃のことでしたので、特にトラブルもなく引き渡しております」


 この情報で第三騎士団も計画的な演習であったことが確認できた。

 仮にグレーフェンベルクがこちらの情報を知って手を打ったとしても、王国軍がここに到着するには一ヶ月近く先になるから、大きな問題にはならないだろう。


 それでも情報の共有は重要であるため、ゴットフリート殿下にその情報も送っておいた。


 各師団長にも共有するため、軍議を開く。

 私が説明を終えたところで、意見を聞こうと各師団長の顔を見ていった。


 第一師団長のウーヴェ・ケプラーは猛将らしく豪快に笑い飛ばすかと思ったが、情報を聞いた後、考え込んでいる。


 第二師団長のホラント・エルレバッハはいつも通りの沈着冷静さを見せ、特に変わった様子はない。


 第三師団長のオラフ・リップマンは優秀な戦術家であり、敵の行動を確認するためか、地図を見ながら何度か頷いていた。


 ケプラーの様子が気になったので、彼に声を掛ける。


「何か気になることがあるのか?」


「王国軍の行動が、本当に偶然なのかと思ったのですよ」


「どういうことだ? 四月時点で計画が発表されている。そして、その時点では我が軍が皇都攻略作戦を発動する時期は決まっていなかった。それに情報漏洩の調査で我が軍の計画は延期になったのだ。そこまで読み切れるはずはないだろう」


「閣下のおっしゃることはごもっともなんですが、本当に偶然なのかと気になっているのですよ。今おっしゃった情報漏洩の件で、王国には恐ろしく頭の切れる奴がいることが分かっています。そいつがこちらの状況を正確に洞察した結果、騎士団が動いたと言うこともあり得ないわけじゃありませんから」


 ケプラーの懸念は理解できる。

 リッタートゥルムに派遣した偵察中隊が持ち帰った情報は、我が国を震撼させるものだった。皇都攻略作戦の概要が知られていたが、本当に漏洩したのが概要だけなのか未だに判明していない。


 それにケプラーが言う通り、王国の謎の将帥がこちらの作戦を完全に看破し、先手を打ってきた可能性は充分にある。その場合、ゴットフリート殿下が皇国軍の水軍を殲滅する前に、こちらが撤退に追い込まれるような事態に追い込まれることがないとは言えないのだ。


「その謎の将がヴェヒターミュンデとリッタートゥルムに、それぞれ五千の兵を送り込んだ。卿がその将ならその兵力をどう使う?」


 ケプラーは「そうですな……」と言ってから考え始めた。そして、十秒ほど沈黙した後、ゆっくりとした口調で話していく。


「小官が王国軍の将であるなら、リッタートゥルムに向かった第三騎士団はそこでシュヴァーン河を渡河させます。リッタートゥルム付近には国境警備隊しかおりませんから安全に渡河できますので」


「渡河してからはどうするのだ?」


「フェアラートに向かわせ、包囲します。フェアラートには三千の守備隊しかおりませんから、五千の第三騎士団で抑えておけば、ヴェヒターミュンデにいる第四騎士団は妨害を受けることなく渡河が可能ですから」


「なるほど。二つの騎士団が安全に渡河できるということだな……その後は一万の兵でフェアラートを攻め落とす。三千ではフェアラートの長い城壁のすべてを守ることは難しいからな」


「おっしゃる通りです。フェアラートを押さえておけば、補給路は確保できますから、北公路ノルトシュトラーセを東に向けて進軍が可能となります。一方、我が国はフェアラートより東には数百名の警邏隊程度しか置いておりません。無人の野を行くが如く、王国軍はこの辺りまで進軍してくることが可能です」


 ケプラーの言う通り、ほとんどの部隊を皇都攻略のために招集しており、対抗できるだけの戦略はない。しかし、恐れることもないと思った。


「だが、僅か一万では我が軍の一個師団で充分に対応できる。恐れることはないな」


「そうは思いませんな」


 それまで私たちの議論を聞いていたリップマンが口を開いた。


「どういうことだ?」


「フェアラートから素直にここに来れば確かに恐れる必要はありませんが、リヒトプレリエ大平原の南側を通り、エーデルシュタインに向かわれたら我が軍は補給路を失うことになります。皇都を締め上げるはずが、我が軍が兵糧攻めで締め上げられることになるかもしれません」


 リップマンの意見に頷こうとした時、エルレバッハがそれを否定する。


「それは机上の空論だな」


「それはどういう意味だ?」


 私の問いにエルレバッハは自信ありげに説明を始めた。


「リッタートゥルムからエーデルシュタインまで五百キロメートル近くの距離があります。仮にシュヴァーン河の水運が使えるとしても、土地勘がない王国軍が冒険してくる可能性は皆無でしょう」


 その意見にリップマンが反論する。


「王国軍単独ならそうだろう。だが、皇国が協力したら話は別ではないか? 南部鉱山地帯でもそうだったが、土地勘があり、我が国を憎む地元の戦士が多くいるのだ。奴らが密かに協力すれば、不可能ではない」


 その指摘にエルレバッハが答えを窮する。


「俺もリップマン殿の意見に賛成だ」


 その言葉にリップマンが満足げに頷き、エルレバッハが口を挟もうとした。

 しかし、ケプラーはそれを目で制して説明を続ける。


「あの後方撹乱作戦は、今までの皇国軍の戦い方とは一線を画していた。つまり、謎の将帥が関与していた可能性がないとは言い切れない」


 そう言った後、エルレバッハに対して笑みを向ける。


「まあ、エルレバッハ殿の言うことも理解できる。グレーフェンベルクは我が軍の戦術を研究している男だ。そんな奴が自軍を危険に晒す冒険的な策を承認するとは考え難い」


 ケプラーは二人の関係を拗らせないように配慮した。これは本来なら私がやるべきことだが、そんなことは頭に浮かぶことすらなかった。

 嫉妬を感じ始めたため、無理やり話題を変える。


「結局、卿はどう考えるのだ?」


「クルーガー元帥のご判断になると思いますが、元帥なら一万程度が蠢動しようが構うことはないとおっしゃられるでしょう。まずは皇国軍の水軍を殲滅すること。そして、その後は皇都攻略に専念すること。そのことを忘れなければよいのではないかと思いますね」


「では、フェアラートを失い、西部の各都市を奪われてもよいと、クルーガー卿はお考えになるということか」


 私の言葉に三人の師団長が頷いた。

 王国軍は気になるが、確かにゴットフリート殿下なら奪われたら奪い返せばよいとお考えになると納得した。

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