第29話「ゼンフート村占領」

 統一暦一二〇五年七月二十六日。

 リヒトロット皇国中部グリューン河流域、ナブリュック市対岸。ザムエル・テーリヒェン元帥


 ナブリュックを攻略した翌日、グリューン河を遡上してきたヴィントムントの商人が衝撃的な情報を持ってきた。


 その商人は我が国が占領していることを知りながら入港し、皇国向けの物資を我が軍に売ろうと考えたらしく、聞いてもいないうちから知っている情報をぺらぺらとしゃべっていく。


「そう言えば、第三騎士団と第四騎士団だけではなく、エッフェンベルク騎士団とノルトハウゼン騎士団もヴェヒターミュンデに向かうようです。組合ツンフトのお偉方がパニックになっていましたから」


 それまでは大した情報ではなく、軽く聞き流していたが、思いもよらぬ情報に思わず声を張り上げてしまう。


「ま、待て! エッフェンベルク騎士団とノルトハウゼン騎士団もだと! それは真か!」


 エッフェンベルク騎士団は二千五百人、ノルトハウゼン騎士団は三千人と聞いている。第三騎士団、第四騎士団と合わせれば一万五千以上、更にヴェヒターミュンデ騎士団五千を加えれば二万を超える。我が国の国境付近にそれだけの王国兵が集まっていることになり、焦ったのだ。


「え、あ、あの……」


 商人は私の剣幕に怯え、まともな答えが返ってこない。


「事実だけを申せ! エッフェンベルク騎士団とノルトハウゼン騎士団がヴェヒターミュンデに向かうという話は本当か!」


「本当です! い、いえ、騎士団を直接見たわけではありませんが、数千人の兵士がヴィントムントの近く来ていました! それはこの目ではっきりと見ています! それに両騎士団のためにと、大量の食糧を発注していたことは本当です! どうか、命ばかりは……」


 最後には命乞いまでし始めたが、それを無視して考え込んだ。


(王都に近いエッフェンベルクはともかく、ノルトハウゼンは王都から北に数百キロ離れている。その騎士団が既に動いているだと……予言者でもいなければ不可能だ。だが、もしその予言者が我々の行動を見通しているなら不味いことになる……)


 王国騎士団は我が帝国軍を参考にした精鋭だ。そのことはレヒト法国との戦いで証明している。エッフェンベルク騎士団も王国騎士団と同様にレヒト法国軍との戦いでその能力を証明していた。


 ノルトハウゼン騎士団だが、まだ体制を変えたという話は聞いていないが、元々王国最強と言われていたし、ヴェヒターミュンデ騎士団も増強されているから王国騎士団に近い形になっていると考えた方がいい。


 精鋭である可能性が高い二万以上の敵兵が、シュヴァーン河近くに展開している。それも予言に導かれるように。


(ここに来るまでには時間が掛かるとはいえ、これは由々しき事態だぞ……)


 私は見えない敵に恐怖を感じていた。それは敵の兵力というより、その予言めいた先読みの能力にだ。


 これらの情報はすべてゴットフリート殿下に送った。私では判断が付かないこともあるが、殿下なら私の不安を払拭してくれると思ったからだ。


■■■


 統一暦一二〇五年七月二十七日。

 リヒトロット皇国中部グリューン河流域、ゼンフート村対岸。ゴットフリート・クルーガー元帥


 一昨日の夜遅く、テーリヒェンからナブリュック攻略成功の報告が来た。

 想定よりもずいぶん早かったため、無理をしたのではないかと思ったが、損害は軽微であり安堵した。


 作戦自体はケプラーが考えたらしいが、テーリヒェンがそれを受け入れる度量を見せた。そのことがナブリュック攻略よりも嬉しかった。これで別動隊として俺が自由に動くことができるからだ。


 更にテーリヒェンは商人組合ヘンドラーツンフトの商人から情報を得ていた。

 最新の情報では王国騎士団一万とエッフェンベルク騎士団二千五百がヴィントムントからシュヴァーン河に向かったというものだ。


 他にも後続部隊が東に向かっているという情報があった。彼は酷く気にしているようだが、王国がこのタイミングで大規模な攻勢を掛ける必然がなく、欺瞞情報を流して我が軍の動きを鈍らせようとするものだと考えている。


 テーリヒェンには当面フェアラート方面のことは無視し、ナブリュックの防衛に専念せよと命じている。第三軍団は優秀な師団長ばかりだし、一皮剥けた彼ならこの命令に充分対応できるだろう。


 そして本日、皇国水軍の全部隊がグリューン河を下っていく様子を確認できた。

 王国のグレーフェンベルクから情報を受けていたようだが、皇国軍はそれを生かしきれず、我が策に嵌まった。


 水軍が通過した後、満を持してゼンフート村に向けて渡河を行う。

 ここには五百艘の渡河用ボートがあるため、一気に二個連隊五千名を投入する。


 その指揮を俺自身が執り、投石器と補給線の確保を師団長であるカール・ハインツ・ガリアードに任せることにした。


 ガリアードが反対するかと思ったが、彼にも危険が少ないと分かったのか、あっさりと認めている。


 実際、渡河自体はあっけないほど簡単に終わった。

 ゼンフート村には五百名ほどの守備隊が駐在していたが、投石器や大型の弩砲がなく、ほとんど無傷で渡河に成功する。


 守備隊は一戦も交えることなく、村人を捨てて逃げ出した。

 追撃するつもりはなく、すぐに村の掌握にかかる。


 ゼンフート村はグリューン河を通行する船の避難所のような扱いらしく、港湾施設は小さく、漁船が数隻あるだけだ。

 守備隊の兵舎以外は民家が五十軒ほどあるだけで、周囲に柵すらない。


 守備隊が見えなくなったところで、住民たちを集めた。


「俺はゾルダート帝国軍の第二軍団長、ゴットフリート・クルーガーだ! この村は帝国の支配下に入った! この先、ここは戦場になるだろう! ここから逃げたい者は今日中に村を出ろ! 残る者は我が軍に敵対しない限り、危害は加えない!」


 俺の言葉を聞き、すべての村人が退避を選んだ。

 俺としても破壊活動を行う可能性がある者がいない方が、監視に人を割かなくても済むのでありがたいが、迷うことなく故郷を捨てる選択をしたことに若干の違和感があった。


 村長である老人にそのことを聞いてみた。


「故郷を捨てることにためらいはないのか? 他の土地の者なら半数程度は残るのだが」


「巻きぞいになるのはごめんですじゃ。それに帝国の兵士は気が荒いと聞いておりますのでの」


 まだ我が軍の兵士の素行が悪いという噂が残っていたようだ。


 村人たちは手際よく荷物をまとめ、西に向かった。東にはベルリッツという町があり、更に先には皇都があるが、そちらの方が戦場になると考え、避けたようだ。


 ゼンフート村はハルトシュタイン山脈の裾野の窪地のような場所で、北には五百メートルほどの緩やかな斜面がある。

 斜面にはワイン用のブドウ畑があるだけで遮蔽物はなく、伏兵を置くには適していない。


 東は皇都に繋がる道で、道幅は十メートルほどと比較的広い。また、北側は他の場所と異なり断崖ではなく、百メートルほどは人の移動ができる斜面だ。そのため、大軍が一度に攻めてこられるほどではないが、少人数で防げるほど防御に適したところでもない。


 西側も東側と同じような感じだが、皇国軍の主力は皇都にいるため、それほど警戒する必要はない。


 地形を把握しながら柵などを設置し、防御態勢を整える。

 占領の翌日の二十八日には柵の設置を終え、食料などの補給物資の搬入も終えている。


 これで準備は完了した。敵の水軍が西から戻ってくるのを待つだけだ。

 敵の水軍を殲滅したら、ここを奪還しに来る地上軍が叩き、この村を放棄して再びグリューン河を渡河し、ダーボルナ城に向かい、北公路ノルトシュトラーセを封鎖する。


 これで水上と陸上の補給路を完全に押さえることができるため、皇都が干上がるのを待てばいい。


(勝利は既に我が手にある。あとはグレーフェンベルクに踊らされないようにするだけだ……)


 勝利を確信した俺は、部下たちを労いにいった。

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