第30話「欺瞞情報」
統一暦一二〇五年七月二十五日。
グライフトゥルム王国南部ラウシェンバッハ子爵領、領都ラウシェンバッハ。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
本日の午後、私に対する疑惑が晴れた旨の通達が届いた。
通達を持ってきたのは、王国第二騎士団長クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵の部下としてやってきたラザファムだった。
「謹慎中だというのにずいぶん楽しそうじゃないか。私とハルトは訓練漬けだというのに」
リッタートゥルム城に行ったことや、ヴィントムントからリヒトロット皇国を支援したことを言っているのだ。
「伸び伸びとやらせてもらったことは否定しないよ」
そう言って微笑んでおく。
「そうね。マティは学院で先生をしているより、こういったことの方が楽しそうに見えるものね」
イリスがそういうと、ラザファムが笑いながら大きく頷いた。しかし、すぐに真面目な表情になる。
「グレーフェンベルク閣下も不安を感じておられたが、皇国はどうなるんだ? マティの策で何とかなりそうなのか?」
「どうだろうね。とりあえずできることはしたつもりだけど」
「そういえば、エッフェンベルク騎士団やノルトハウゼン騎士団、それに第二騎士団と臨時に招集した軍まで出陣したという噂が流れていたが、あれも全部お前が流したものなのか?」
ラザファムの問いに小さく頷く。
「そうだよ。国境に三万近い王国軍がいるとなれば、帝国軍ものんびりと長期戦をやっているわけにはいかなくなるからね。それにグランツフート共和国軍の出撃の噂ももうすぐ流れるはずだ」
「共和国軍まで……それにしてもどうやって商人たちを信じさせたんだ? ヴィントムントを通過したのは第三騎士団と第四騎士団だけだが」
ラザファムの言う通り、第三、第四騎士団しか動いておらず、エッフェンベルク騎士団など他の騎士団は実際には動いていない。
「第三騎士団に少し面倒を掛けたんだ。ヴィントムントを出た後、一旦南に向かってもらって、そこから西に移動して、あたかも王都から来たように偽装してもらった。その時には王国騎士団の旗は見せないようにして、どの騎士団か分からないようにしてもらっている」
そこでイリスが楽しげに口を挟んできた。
「その後、私が第三騎士団の騎士と一緒にヴィントムントに入ったの。昔の家臣と話をしているように見せかけるためにね」
彼女の言う通り、エッフェンベルク騎士団に偽装するために、エッフェンベルク伯爵家の元令嬢として、イリスが旧知の騎士にあったように見せかけた。
彼女はどこにいても目立つから、エッフェンベルク騎士団だという噂を流しさえすれば、誰も疑うことはなかった。
「なるほど。あとは後続の騎士団が次々とやって来るという噂を流しておけば、噂が本当だと思い込むという算段か」
さすがはラザファムで、私のやったことをすぐに理解する。
「最初に流した噂が本当だから、次も同じようになると思い込みやすい。それに噂は十日ほど信じてもらえれば充分だ。それ以降は帝国軍が攻め込んできたという情報が届くから、皇都に向かう船はいなくなるからね」
私がやったことは帝国軍に危機感を抱かせることだ。
距離があると言っても、九年前のフェアラート会戦時と同じように王国と共和国の連合軍数万が攻め込んでくると聞けば、不安になるからだ。
そう説明すると、ラザファムが疑問を口にする。
「しかし、ゴットフリート皇子はこの程度の噂では動じないんじゃないか?」
「確かにそうだね。彼なら皇都攻略後に各個撃破できると逆に喜びそうだ」
そう言って笑う。
「だとしたら、あまり意味がないんじゃないか?」
そこでイリスが再び笑顔で加わってきた。
「この人はそれを分かった上で、手を打っているのよ」
「何をやったんだ?」
イリスが楽しげに笑いながら説明する。
「この人は王国軍情報部の
帝国軍の伝令は、命令が確実に届くように戦場近くでは二名一組で最低二組が派遣される。しかし、グリューン河の南側は帝国の勢力圏内であり、恐らく一組しか派遣されない。そのため、凄腕の
「情報を遮断……なるほど。ゴットフリート皇子に情報が届かないようにして焦りを覚えさせるのか。やるな」
「それもあるけど、別のお願いもしている。まあ、こっちは身の危険がなければという条件付きだけど」
「それは何なんだ?」
「もし、ゴットフリート皇子とテーリヒェン元帥が別行動をとっているなら、伝令に成り代わって偽情報を届けてもらうということだよ。まあ、テーリヒェン元帥はともかく、ゴットフリート皇子が油断しているとは思えないから、危険がない範囲でというお願いだけど」
偽情報のサンプルも渡してあり、上手くいけばテーリヒェンが混乱してくれるはずだ。
「相変わらずだな」
ラザファムは呆れた表情で私を見ていた。
「そろそろ第四騎士団がヴェヒターミュンデから渡河するように見せるから、その情報がどう作用するかだね。皇都の近くに長距離通信の魔導具がないからもどかしいのだけど」
皇都付近の情報には大きなタイムラグがある。
皇都からエーデルシュタインまでは約三百キロメートルの距離があり、
そのため、帝国軍が皇都近くを通過したという情報は入ってきたが、今現在どこにいるのかすら分からない状況だ。
これでも商船を使う情報伝達より遥かに速いのだが、長距離通信の魔導具を使っているため、リアルタイムでの情報がどうしても欲しくなる。
「まあ、これから王都に戻ることになるから、ここよりは情報がタイムリーに入りやすいし、グレーフェンベルク閣下にも相談しやすくなるから楽にはなるんだけどね」
私の疑惑が晴れたことで、王都に帰還することが決まっている。
「それで私たち第二騎士団の出陣の可能性はどのくらいあるんだ? それが聞きたくて今回の任務に手を上げたんだが」
第三騎士団と第四騎士団が出陣したことで、自分たち第二騎士団にも出番があるのではないかと考えているようだ。
「どうだろうね。帝国軍がフェアラートに向かうという情報が入れば、ヴェヒターミュンデに行くことになるけど、ゴットフリート皇子なら認めないだろう。だから、テーリヒェンが別行動していて
私としては、可能性は低いと考えている。
ゴットフリート皇子がテーリヒェンと別行動をとっているとしても、みだりに動くなという命令は必ず出しているから、皇子に忠実なテーリヒェンが独断で王国に向かうことはないと見ているからだ。
「そうか……なら、テーリヒェンが踊ってくれることを期待するしかないか」
翌日、私はイリスたちと一緒に王都に向けて出発した。
イリスの提案を受けたからだ。
「彼らの将来のことを考えたら連れていくべきね」
理由が思い浮かばない。
「どうしてかな? せっかく家族と安心して暮らせるのに、離れ離れにするのはどうかと思うんだが」
「彼らはもっと外を見るべきだと思うの。レヒト法国にいる時は生きることに精一杯で仕方がなかったことは分かるけど、今の生活ならある程度余裕があるから、外の世界を見ることができると思うの」
確かにその通りだ。
今の入植地は農業こそまだ安定していないが、
「なるほど。それは考えなかったね。エレンたちが一緒に来たいというなら構わないよ」
希望者を募ったが、全員が手を上げたため、五十名すべてが同行することになった。
また、彼らはラウシェンバッハ守備隊に編入していたため、その欠員を埋める必要があり、入植地から新たに百名の獣人戦士が領都に来ることも決まった。
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