第31話「皇国軍行動開始」

 統一暦一二〇五年七月二十八日。

 リヒトロット皇国中部グリューン河流域、ナブリュック市付近。イルミン・パルマー提督


 我が祖国、リヒトロット皇国は厳しい状況に追い込まれている。

 皇都リヒトロットの西二百キロメートルにあるナブリュック市がゾルダート帝国軍に占領され、グリューン河が封鎖されたことにより、最大の補給路が遮断されてしまったのだ。


 元々間に合う可能性は低いと思っていたが、帝国軍は焼き討ち船を使い、僅か二日でナブリュックを陥落させた。その手際の良さに、ゴットフリート皇子が率いる帝国軍の実力を垣間見た。


 我々皇国水軍はナブリュック解放のため、占領軍を攻撃することになっている。しかし、これは部下たちへの建前であって、本気で攻撃するつもりはない。


 ナブリュック市内には二万にも及ぶ兵が配置され、対岸には更に三万もの兵がいるから、水軍だけでは解放することが不可能なのだ。


 我々の目的は帝国軍を倒すことではなく、撤退させることだ。

 悔しいが、我ら水軍では敵を防ぐことはできても殲滅することはできないし、陸軍も六万もの大軍に勝てる見込みは全くない。


 そこで我々が考えたのは、総大将であるゴットフリートを討ち取ることだ。


 グライフトゥルム王国の天才軍略家、グレーフェンベルク伯爵からの情報と、ゴットフリートの性格に基づけば、奴自身が別動隊を指揮する可能性は非常に高い。


 ゴットフリートをゼンフート村に誘い込むため、我々水軍はあえて皇都から離れる。

 奴が考えているのは、ゼンフート村を占領されたという情報を聞いた我々水軍が、慌ててゼンフート村に向かうことだ。


 しかし我々は奴の思惑に乗らず、ナブリュックに留まり続ける。

 我々がナブリュックに留まっていれば、ゴットフリートも守りに適していないゼンフート村で我々を待ち続けることになる。


 そこに陸軍の大軍が攻め込み、奴を討ち取るのだ。総大将を失えば、帝国軍も撤退するしかなくなる。

 これが今回の作戦の骨子だ。



 ナブリュックが見えてくると、帝国の国旗が高々と掲げられているのが目に入った。

 部下たちが憤りを見せているが、俺は冷静さを保ちながら命令を発した。


「帝国の奴らは大量に投石器を持ち込んでいるぞ! 船足を落とすな! 出てくる敵の小型ボートは焼き討ち船の可能性が高い! 体当たりはご法度だ! 分かったな!」


 ナブリュックを通過しながら、弩砲と弓で攻撃を加えていく。

 しかし、遠距離からの攻撃では敵に有効なダメージは与えられない。


「右舷注意! 敵が攻撃を開始!」


 ナブリュックから大量の石が打ち上げられる。

 山なりに飛んできた石が水面に落ち、大きな水柱を何本も作っていく。

 しかし、命中弾は皆無で、一度目の攻撃を終えた。


「投石器は百程度! 命中弾なし! 至近弾もありませんでした!」


「我が軍の攻撃もほとんど効果なし!」


 マストの上にいる観測員からの報告が聞こえてきた。


「了解だ! 何度か攻撃を繰り返して突破口がないか探るぞ!」


 その後、同じように攻撃を繰り返したが、双方に大きな損害はなく、日没を迎えた。


 夜は衝突の恐れがあるため、大型船による攻撃は行わない。

 その代わり、小型船を使い強襲上陸部隊による奇襲を行うこととしていた。


 深夜になり、辺りが静まり返った頃、静かに千名の上陸部隊がボートで漕ぎ出していく。

 三時間後、上陸部隊が帰ってきた。


「敵が篝火を焚いて警戒を厳重にしておりましたので、襲撃を断念しました」


 恐らくそうなると思っていたので特に不満はなく、深夜に攻撃に向かった部下を労う。


「ご苦労だった。よく無理をせずに戻ってきてくれた。これでいい」


 部下たちは不満そうだったが、俺としては満足している。

 翌日も同じように攻撃を加えたが、やはりどちらも決定打がなく終わった。


 ゼンフート村が占領されたという情報が届いた。これで陸軍が派遣されるはずだが、皇都から新たな命令が来ない限り、我々にできることはナブリュックを愚直に攻撃することだけだ。


 部下の一部が皇都近くに一万近い帝国兵が現れたことに驚き、直ちに戻るべきだと進言してきた。


「陸軍だけでは不安です。我々も戻るべきではありませんか」


「確かに不安はあるが、ここにいる五万の帝国兵が皇都に向かえば、更に危機的な状況になる。だから我々がここにいる敵を足止めしなければならないのだ」


「足止めですか? しかし、水軍だけでそれが可能なのでしょうか?」


 その問いに「可能だ」と自信満々に答えた後、理由を説明していく。


「ナブリュックを攻撃し続ければ、市内にいる二万の兵は動くことができん。下手に川沿いの街道に出れば、一方的に攻撃されることは奴らも分かっているだろうからな。それに対岸にいる三万の兵も容易には動けん」


「それはなぜでしょうか?」


「対岸の軍がいなくなれば、補給線が分断されることになる。ナブリュックは人口三万の都市だが、二万もの大軍を養い続けられるほどの物資はない。補給線を失えば、それほど時を置かずに飢え始めるはずだ。それを嫌って撤退しようにも、我々を突破しなければ渡河はできん。つまり、対岸も押さえておかなければ、二万の兵を失うことになるということだ」


 俺の説明に部下たちは納得した。


 夜になる前に、二十キロメートルほど上流にある町に退避する。川の上で待機することも可能だが、帝国軍が奇策に出てこられると面倒だからだ。

 彼らのボートでは二十キロも上流に遡上することは難しいので、ここなら問題はない。


 但し、油断はしない。

 ゴットフリートは思いもよらぬ手を考えることがあり、この状況も想定している可能性がないわけではないからだ。


 幸いなことにここまで退避したお陰で敵の襲撃はなく、補給も十分に行えた。

 不完全燃焼だが、陸上軍がゴットフリートを討ち取ってくれると信じて、ナブリュック攻撃に向かった。


■■■


 統一暦一二〇五年七月二十九日。

 リヒトロット皇国中部、皇都リヒトロット。マルコルフ・ナイツェル将軍


 ナブリュックの陥落に続き、ゼンフート村が占領されたという情報が入ってきた。ゼンフート村には第二軍団の第一師団が派遣されており、ゴットフリート皇子の姿もあったと報告を受けている。


「敵はこちらの思惑通りに動いている。元凶であるゴットフリートを倒し、帝国軍を追い払うのだ」


 皇王テオドール九世陛下が気怠そうな表情で命じられた。

 陛下は私より若い四十代半ばだが、いつも疲れたような表情を浮かべておられる。皇都が危険な状況では仕方がないが、もう少し覇気があってもよいのではないかと思ってしまう。


「御意。直ちに精鋭を送り込み、必ずやゴットフリートを討ち取ってみせましょう。ナイツェル将軍、貴官にこの栄誉を得る機会を与える。頼んだぞ」


 皇都防衛の総司令官エマニュエル・マイヘルベック将軍の言葉に、私はその場で片膝を突き、陛下に頭を下げる。


「ありがたき幸せ。ゴットフリートの首を必ずや持ち帰ってみせましょう」


 軍議を終えると、マイヘルベック将軍がやってきた。


「どれほどの戦力を連れていくのかの」


「敵は五千と聞いておりますので、一万の兵で充分でしょう」


「敵はあのゴットフリートじゃ。もう少し連れていった方がよいのではないか」


 この老将は戦場経験がないから、数が多ければ勝てると思っている。

 もっとも私も戦場に立ったことは数えるほどしかないが、それでも全くの未経験とは大きな差があるはずだ。


「数は二倍ですが、こちらには二千の重装騎兵がおります。騎兵は歩兵の五倍の攻撃力を持ちます。つまり、敵の四倍ということです。それにあの地でこれ以上の大軍は邪魔になるだけです」


 少し大げさに伝えると、実戦経験のないマイヘルベック将軍は簡単に信じた。


「なるほどの……ならば、将軍に任せることにしよう。朗報を待っておるぞ」


 そう言って立ち去った。


 その日の午後、一万の兵と共に皇都を出発した。

 内訳は重装騎兵二千、重装歩兵五千、軽装歩兵二千、弓兵一千だ。


 帝国軍は騎兵による突撃を得意とするが、今回はその戦法をこちらが行うため、虎の子の重装騎兵をすべて投入する。


 重装歩兵は王国から譲ってもらったレヒト法国軍の鎧を身に纏った部隊だ。敵は水軍を相手にするつもりで来ているから弓兵が多いはずで、矢が貫通しない頑丈な鎧を身に纏い、大型の盾を持った歩兵を前面に押し立てるつもりでいる。


 ゼンフート村までは約百二十キロメートル。出発から四日目、八月二日の夕方に、村の東十キロメートルの場所に到着した。

 そこで野営した後、八月三日の朝に満を持して出陣する。


 ゼンフート村までは幅十メートルほどの比較的広い道が続く。しかし、南側はグリューン河、北側はハルトシュタイン山脈が迫り、隊列は思った以上に長い。


(ここで奇襲を受けたら厳しいかもしれん。まあ、この険しい山に入ろうとする奴がいるとも思えんし、いたとしても大した数ではあるまい……)


 北側の斜面は崖というほど急峻ではないが、岩が露出した急斜面で大規模な部隊を展開することは難しい。また、岩場と言うことで遮蔽となる木も少なく、伏兵を隠す場所もほとんどない。


 ゴットフリートも分かっているのか、進軍中に奇襲を仕掛けてくることもなく、ゼンフート村が見えてきた。


「敵が村の入り口で待ち構えております」


 私にも敵が見えてきた。

 防護柵を山の斜面にまで設置し、恐ろしく長い槍を持った歩兵がその柵の後ろで待ち構えていた。

 しかし、その数はそれほど多くない。恐らく反対側の西にも兵を回しているのだろう。


「敵は少ない! 力押しで殲滅する! 重装歩兵隊前進せよ! 弓兵隊はその後ろに続け! 騎兵隊は柵が引き倒されたら突撃する。それまでは待機せよ!」


 私の命令で兵たちが動き始めた。

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