第32話「ゼンフート村殲滅戦:前編」

統一暦一二〇五年八月三日。

 リヒトロット皇国中部グリューン河流域、ゼンフート村。ゴットフリート・クルーガー元帥


 七月三十日に西部の都市フェアラートから王国軍に不審な動きがあるという報告が来た。そして、昨日、第二報として王国第四騎士団が渡河の準備を始めたという報告が入る。


 しかし、この段階でできることはなく、テーリヒェンにも過剰に反応するなと伝え、俺自身も目の前の敵に集中する。


 午前十時頃、リヒトロット皇国軍が攻めてきた。

 俺は柵の後ろに設置された櫓の上に立ち、敵の動きを見ている。


 ここに俺がいることがはっきりと分かるように、帝国の国旗と第二軍団長を示す軍旗を立ててある。これで敵は真っすぐここに向かって攻めてくるだろう。


 敵は大きな盾を持った重装歩兵を前進させてきた。その数は二百ほどで、十五名の横隊を十五段ほど作っている。その後ろには弓兵が数百おり、更にその後ろには兵士の列が続いている。


 重装歩兵の歩みは慎重で、盾を掲げて矢による損害を受けないように注意していることが分かる。


 直属の第一師団長、カール・ハインツ・ガリアードが部下たちに命令を出している。


「第一連隊第一、第二大隊は敵の突撃を食い止めよ! 第三、第四大隊は前線のフォローを行え……」


 ガリアードはフェアラートの英雄、名将ローデリヒ・マウラーの下で戦術を学び、攻守のバランスに優れた指揮官だ。俺個人に忠誠を誓っているわけではなく、マクシミリアン派というわけでもないが、国に対する忠誠心が強く、安心して指揮を任せられる。


 我が軍の前衛の装備は長槍だ。その長さは四メートルを超え、防護柵の間から穂先が出ている。その後ろには一個中隊百名ほどの弓兵が待機している。


 敵の重装歩兵が弓の射程に入った。


「射撃開始! 命令があるまで継続せよ!」


 その命令と共に、百本の矢が一斉に放たれた。

 敵は矢を防ぐべく、一斉に盾を上げる。


 第一射はすべて盾に阻まれた。敵はそれに気を良くしたのか、前進する速度が僅かに上がった。


「槍を繰り出せ! 敵を止めろ!」


 前線の指揮官の叫ぶ声が聞こえてきた。

 敵は盾を前方に構え直し、更に速度を上げる。


 敵兵が「ウォォ!」という雄叫びを上げながらぶつかってきた。

 複数の悲鳴と共に、“ガン”、“バキッ”という音が戦場に響く。

 しかし、倒れた敵兵の数は少なく、防護柵に取り付かれた。


「第三列、第四列! 槍を打ち下ろせ! 敵を叩き潰すんだ!」


 その命令に従い、兵士が長槍を振り下ろし、先ほどとは異なる“ガンガン”という音が戦場を支配する。


 槍自体に重量があり、振り下ろすだけでも大きな衝撃がある。敵の最前列の兵は前方から突き出される穂先と上からの振り下ろされる衝撃に対応しなくてはならない。しかし、盾では両方に対応できない。そのため、複数の敵兵が膝を折っていた。


「第一列、第二列! 後退せよ! 第三列、第四列! 前進しつつ槍を突きだせ!」


 最前列の槍の損傷が激しいため、兵を入れ替える。本来、このような動作は敵に付け入る隙を与えることになるのだが、精鋭である第一師団は敵の前線指揮官が前進を命じる前に、兵の入れ替えを終えた。


「これなら敵を抑えておくことは難しくないな。さて、敵はどう出てくるかな」


 横にいるガリアードに軽い感じで話し掛ける。


「迂回もできませんから、愚直に押すしかないでしょう。いずれにしても一時間ほどはこの状態で揉み合うだけだと思います」


 彼の考えに全面的に賛同するため、大きく頷いた。


「では、予定通りで問題なさそうだな」


 俺がそういうと、ガリアードはニヤリと笑って頷いた。


■■■


 統一暦一二〇五年八月三日。

 リヒトロット皇国中部グリューン河流域、ゼンフート村。マルコルフ・ナイツェル将軍


 午後一時過ぎ、戦いが始まって三時間が経った。真夏の太陽に焼かれ、汗が止まらない。将軍用の純白のマントを外したいが、威厳に関わるので我慢している。しかし、そろそろ我慢の限界で、従卒を呼ぼうか迷っているところだ。


 我が軍はゼンフート村へ突入しようと攻撃を続けているが、ゾルダート帝国軍の抵抗が激しく、未だに膠着状態のままだ。

 それでも何箇所かで防護柵を破壊し、少しずつだが押し込んでいる。


「敵はこちらより少ない! その分疲れているはずだ!」


「一箇所でいい! 突破できれば、敵は必ず崩れる! もう一押しだ!」


「敵の総大将、ゴットフリートは目の前だ! 前衛を崩せば我らの勝利は確実だ!」


 声を枯らして鼓舞する前線の指揮官の声が聞こえてくる。


「山に向かわせた部隊はまだ到着せんのか」


 二時間ほど前、埒が明かないと考え、ハルトシュタイン山脈の裾野を登って柵を迂回するよう命じた。軽装歩兵が主体であり、そろそろ到着してもよい頃だ。


「まだのようです。上の地形が分かりませんので、手こずっているのかもしれません」


 ゴツゴツとした岩肌の急斜面を登っていくのは見た目以上に厳しいのだろう。

 そのことを口にしようとした時、後方から騒がしい声が微かに聞こえてきた。


「何があったのか確認せよ」


 副官に命じるが、この待機時間に飽き飽きした兵士が騒動を起こしたのだろうとしか思わなかった。

 副官は待機している兵士たちを掻き分けるようにして走っていく。


 しかし、後方から聞こえてくる声は静まる気配がなく、悲鳴のようなものも聞こえてきた。

 周囲にいる兵士たちも気になるのか、前方ではなく、後ろを気にしている者が多い。


「戦いに集中しろ!」


 私が命じると、兵士たちは渋々という感じで前を向く。

 それでも後ろの混乱は収まらない。


「何をしておるのだ!」


 怒りを爆発させながら、後方に視線を向けると、副官が焦りを含んだ顔で走り込んでくる。


「敵の別動隊です! 後方に多くの敵兵が迫っております! その数は不明ですが、味方は総崩れの模様です」


「何! どこから現れたのだ……」


 副官は分からないという表情で首を横に振る。


「分かりません。ですが、斜面に登って確認した限りでは、数百という規模ではありません。恐らく対岸にいた残りの部隊が渡河したのだと思われます」


 いつもなら水軍が警戒しているため、このようなことはないのだが、今回はその水軍が出払っている。そのことを完全に失念していた。

 今更ながらその事実に気づき、愕然とする。


「閣下、ご命令を! このままではここにも敵が押し寄せてきます!」


 そこで我に返った。


「後方にいる重装歩兵は防御に徹しよ! 前方はこのまま攻撃を続行! ここを突破せねば、我らは敵に押し潰されてしまうぞ!」


 私の最後の言葉は余分だった。

 敵に押し潰されると聞いた兵士たちの顔に恐怖が浮かぶ。


「死に物狂いで攻めよ! ゴットフリートの首を獲れば助かる! ゴットフリートを討ち取るのだ!」


 この時、私は気づいていなかった。

 先ほどまで前線に立っていたゴットフリートの姿がないことに。


「ゴットフリート皇子の姿が見えません!」


 そこで私はゴットフリートに嵌められたことに気づいた。奴は自分の姿を我々に見せつけた上で囮となり、後方への注意を疎かにするよう誘導したのだ。


「構うな! とにかく前方の敵を突破するのだ! 村に入って防御態勢を構築すれば、まだ立て直せる!」


 命令を発した後、副官が大声で叫んだ。


「ゴットフリートが川の上にいます!」


 その声を聞き、川面に視線を向ける。

 そこには渡河用の小型ボートに乗り、こちらを見つめるゴットフリートの姿があった。


「矢を射かけろ! 奴を射殺すのだ!」


 逆上した私は明らかに射程外にいるのに攻撃を命令してしまう。


「届きません!」


 弓兵隊の隊長が事実を告げ、私もようやくそのことに気づいた。


「ゴットフリートは無視せよ! 後方は防御! 前方は何があっても前進だ! 味方ごと押し込め!」


 この命令も失敗だった。

 兵士たちは味方の背中を押し始め、最前列の兵士は敵の槍衾の中に否応なく押し込まれていく。


 そのため、最前列では多くの兵が傷付き倒れていくが、その兵士を踏みつぶしながら次列の兵が敵に向かって押し出されていく。


 更に倒れた兵に足を取られて転倒し、それが起点となって後ろの兵士も将棋倒しのように倒れてしまう。


「押すな! 味方が押しつぶされているぞ」


「落ち着け! 無理に押しても敵は倒せん!」


 前線の隊長たちの悲痛な叫び声が聞こえてくるが、兵士の苦痛に満ちた悲鳴に掻き消され、兵士たちの動きは止まらない。

 そこでようやく私の命令が失敗だったことに気づいた。


「前進停止! 突破口を開け!」


 その命令は兵士たちの耳に届かない。


 突然川から矢が降り注いできた。

 そこには弓兵が乗ったボートが無数にあり、その後ろでゴットフリートが指揮を執っている。


「弓兵は川にいるボートを狙え! これ以上矢を放たせるな!」


 混乱が続く我が軍に私の命令は届かない。

 僅かに気づいた弓兵が応戦するが、焼け石に水だった。


「どうしてこうなった……」


 私は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

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