第8話「捕虜への謀略開始」

 統一暦一二〇五年十月八日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンベルク、マルティン・ネッツァー邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 学院から戻ると、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの上級魔導師、マルティン・ネッツァー氏から、大至急屋敷に来てほしいという連絡が入った。


 イリスと共に急いでネッツァー邸に向かう。


「何があったのかしら? マルクトホーフェン侯爵が帝都に到着した連絡にしては早すぎるわね。タイミング的には第三軍団の敗北に対応して、皇帝が何か発表したのだと思うのだけど……」


 帝都ヘルシャーホルストには三日前に第三軍団敗北の報告が届いている。まだ、正式な発表はないが、商都ヴィントムントでその情報を得た商人たちが到着し始めており、既に噂が広がり始めていた。


「そうだね。でも何となく、何があったか分かる気がしているよ」


「それは何?」


 そう言って小首を傾げる。


「恐らくだけど、元老たちを処分したのだと思う。皇帝が命じたリヒトロット皇国攻略作戦が失敗に終わることがほぼ確定したから、騒ぎ出す前に元老たちを処分したんだろうね」


 私の言葉で彼女も分かったようだ。


「それはありそうね。マクシミリアン皇子に無実の罪を着せたという理由なら、皇国攻略作戦の失敗とは関係ないし、ここで処分しておけば、大敗北の責任を追及されることはなくなるから」


 そんな話をしながら、ネッツァー邸に入ると、すぐに応接室に通された。

 ネッツァー氏は緊張した面持ちで私たちを待っていた。


「帝都から緊急の情報が届いた。マクシミリアン皇子が復権する。それに加えて、ゴットフリート皇子派の元老たち五名が解任の上、投獄されたそうだ」


 私たちが驚いた様子もなく頷くと、ネッツァー氏は不思議そうな顔をする。


「驚かないのかい? 私は全く予想していなかったんだが」


「こうなることは何となく分かっていましたので。恐らく皇帝はゴットフリート皇子が成功しても失敗しても、結果が出たところで元老たちを処分するつもりだったのだと思います」


「どういうことかな?」


 ネッツァー氏はまだピンと来ていない。


「ゴットフリート皇子が皇都攻略に成功すれば、ゴットフリート皇子派の元老たちは勢いづくでしょう。逆に失敗した場合は、皇帝の判断に誤りがあったとして糾弾したはずです。いずれにしても放っておくわけにはいかないですから、マクシミリアン皇子の潔白が証明できたとして、皇帝に楯突く元老たちを一気に排除すると思っていました」


「なるほどな」


 そう言って感心するが、すぐに懸念を口にする。


「驚かなかった理由は理解したが、この状況は不味いのではないかな? ゴットフリート皇子が皇位継承争いから脱落し、マクシミリアン皇子が再びリードすることになるのだよ。何か手を打っておいた方がよいと思うのだが」


「ライナルトさんが帝都にいてくれたらよかったのですが、今の段階でできることはすべて実行しています。マクシミリアン皇子のお手並みを拝見するしかないですね」


 モーリス商会の商会長ライナルト・モーリスは、皇国軍が無謀なことをしないよう皇都に残り、皇国軍の総司令官マイヘルベック将軍に情報を流し続けていた。


 九月下旬に第三軍団が敗北したという情報が皇都にも入り、皇国軍も無理をする必要がなくなったため、商都ヴィントムントへ戻ろうとしているところだ。


「やはり打つ手はないか……だが、マクシミリアン皇子がマルクトホーフェン侯爵との交渉に加われば、更に厳しい状況になるのではないか」


「それは今更ですね。相手はそもそもあの皇帝コルネリウス二世ですし、切れ者のシュテヒェルト内務尚書もいるんですから」


 そう言いつつも、マルクトホーフェン侯爵では荷が重すぎると思っていた。


「マルクトホーフェン侯爵はいつ頃帝都に到着するのかしら?」


「順調なら一週間ほど後の十月十五日頃だね。でもすぐには入港しないから、交渉が始まるのは早くても十七日頃かな」


 グライフトゥルム王国とゾルダート帝国は九年前のフェアラート会戦から国交断絶状態だ。帝国の属国であるオストインゼル公国が間に入っているから、交流が全くないわけではないが、外交使節団がそのまま入国できる状況ではない。


 そのため、沖合で停泊し、特使たちの安全が保障されてから入港することになる。その交渉に最短でも二日は掛かると見ていた。


「意外に早いわね。侯爵が引き延ばしてくれればいいのだけど」


「あの計画のために時間が必要ということかな?」


 その問いに私が答える。


「捕虜は既にラウシェンバッハ子爵領に入っていますが、最低二ヶ月は欲しいところですね」


 あの計画とは、捕虜の堕落化計画のことだ。

 捕虜たちは四日前の十月四日に、獣人入植地の東五キロメートルほどの場所に作った収容所に入っている。


 収容所と言っても、下士官と兵士のものは草原の草を刈った後に天幕が張ってあるだけの、キャンプのようなもので、これから開墾と整備を行う。


 但し、騎士以上、すなわち小隊長以上の士官の収容所は天幕ではなく、木造の割としっかりした建物だ。捕虜を解放した後で、王国騎士団の補給拠点にするつもりだからだ。


 建物は捕虜をラウシェンバッハに送ることが決まった九月上旬に早馬を送り建設を始め、僅か三週間ほどで十棟ほど建てている。


 これほど早く建設できたのは獣人族が全面的に協力してくれたお陰だ。彼らは入植地で建物の建設を行っていたため慣れているだけでなく、高い身体能力を持つため、通常の建設より短い期間で作り上げてくれた。


 まだ、これでも半分ほどだが、残りは捕虜である兵士に作らせるつもりだ。

 獣人たちに任せた方が早いが、これには別の目的もあるので、あえて兵士にやらせることにしている。


 この作業に加え、草原の開墾と道路の整備の仕事を与えることにしていた。

 これらの仕事に対し、適正な賃金を与える。


 そして、収容所内に酒場と賭博場を作り、更に商都ヴィントムントから娼婦を呼び、娼館の運営も始めている。


 賃金と言っても通常の通貨ではなく、収容所でしか通用しない軍票を渡している。そして、解放時にも貨幣に交換しないと言ってあるので、貯めることなく使うはずだ。


 いろいろと考えているが、規律正しい帝国軍の兵士を堕落させるには、一ヶ月程度では難しいと思っているので、少なくとも二ヶ月はほしいと思っていた。


「仮に侯爵が失敗したとしても、君のその恐ろしい計画が上手くいけば、帝国に痛手は与えられるということか。さすがのマクシミリアン皇子も君の計画までは読めないだろうし、時間を掛けてくれるかもしれないな」


「その可能性はありますが、即決してくることもあり得ます」


「九億マルクを支払うと即座に約束するということかな? 帝国がそれほどの金を持っているとは思えないんだが」


 ネッツァー氏の言う通り、帝国にそれだけの外貨はない。


「帝国自体は持っていませんが、別の国にはあります」


「リヒトロット皇国ね」


 イリスが即座に私の考えを口にする。


「皇国に支払わせるというのか……あり得なくはないな。皇国は帝国軍を追い払う術を持っていないし、帝国軍としても兵糧攻めを続けること自体は可能なのだからな。皇国がどの程度帝国の事情を知っているかで変わってくるということか。だが、皇国とはいえ、九億マルクもの借金は厳しいのではないかな?」


 ネッツァー氏は別の懸念を言ってきた。


「素直に支払えばそうなります。ですが、こちらから帝国の情勢を伝え、交渉を長引くように誘導すれば、交渉自体をうやむやにできるかもしれません」


「どういうことかな?」


「そもそも大国である皇国であっても九億マルクという金を即座に支払うことはできません。当然、商人組合ヘンドラーツンフトの商人から借りることになります。それだけの金額ですと、貸し手を探すだけでも時間は掛かることは帝国も分かっているでしょうから、時間を稼ぐことができます」


「時間が掛かれば帝国内で民たちが騒ぎだすから、皇帝ものんびりとはしていられないということか」


 ネッツァー氏も理解したようだ。


「その通りです。このくらいのことは皇帝やマクシミリアン皇子も分かるでしょうから、何か別の手を打ってくるのではないかと思っています」


「別の手? 具体的には?」


 その問いに苦笑する。


「さすがにそこまでは分かりませんよ。ただ、こちらからも手を打つつもりですが」


「つまり皇帝やマクシミリアン皇子なら民衆が騒ぎ出さないよう捕虜解放を急ぐ。そのために何か別の手を打ってくる。それなら皇国が賠償金を支払うこともなくなると……だが、そうなると、時間稼ぎができなくなるね」


「その点が懸念ですね。ですが、既に収容所では別の手を打っているので、士官と兵の間に不穏な空気は流れ始めています。想定される最短であっても、ある程度の効果は出るのではないかと思っていますよ」


「それはどういうことかな?」


 再びネッツァー氏は分からないという表情をする。


「士官は建物の建設や開墾などの作業に直接は従事しません。ですが、作業の監督という名目で王国騎士団の兵士たちと共に捕虜の監視を行っており、それに対して賃金を支払っています。ただ見ているだけの士官と実際に作業している兵がほぼ同じ金額を受け取り、それを同じ場所、つまり酒場などで使うのです。兵士たちに不満が溜まっても仕方ないでしょう」


 私の説明にネッツァー氏は引き気味だ。


「堕落させるだけじゃなく、士官との間にも楔を打ち込んでいるのか……」


「ええ。それに士官たちは酒場と娼館には入れますが、士官用と兵士用は明確に分けています。これは無用なトラブルを防ぐためと説明していますが、本当の目的は疑心暗鬼を生じさせるためです」


「……」


 ネッツァー氏は無言で聞いている。


「それに帝国軍の軍規には、行軍中及び兵舎内での賭博行為は禁止と、明確に書かれていますから、士官学校で教育を受けた士官たちは賭博場に入らないでしょう。ですが、賭博場は酒場の近くにありますから、兵士たちが入る姿は見えます。当然、士官たちはそれを咎めるはずです」


「それだと兵士たちがギャンブルに手を染めないのではないか?」


 その問いにかぶりを振る。


「収容所に入ったところで、第三軍団の組織は解体し、王国軍の指揮下に入ったと宣言しています。それに伴って帝国軍の軍規ではなく、王国軍が定めるルールに従うよう命じています。それを繰り返し兵士には言っていますし、ギャンブルを行っても士官たちが罰を与えることはできませんから、時間が経てば手を染める者が増えると思っています」


「なるほど。だから時間が必要だということか……それにしても君を敵に回したくないと久しぶりに思ったよ」


 そう言って苦笑する。


「私もそう思います。この話を彼から聞いた時には、なんて悪辣なことを考えるのかしらと思ったほどですから」


 イリスにもダメ出しを食らう。


「そうは言うけど、こうでもしないといつか帝国に呑み込まれてしまうんだ。それに兵士たちには肉体的にも精神的にも一切苦痛は与えていない。まあ、帰国してから後悔することになるかもしれないけど、処刑されても文句は言えなかったんだ。我慢してもらうしかないね」


 そんな話をしてから、帝都のモーリス商会の支店長にある指示を出し、屋敷に戻っていった。

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