第20話「大平原侵攻:中編」

 統一暦一二〇四年二月一日。

 リヒトプレリエ大平原東部。ヒンメル族戦士長ソルム・ヒンメル


 ゾルダート帝国の奴らが攻めてきた。

 数は一万ほどで、その半数以上は全身を鎧で覆われた徒歩かちの兵士だ。騎兵は騎士も馬も重そうな鎧を着けており、動きは鈍そうだ。


 ただ、歩兵は恐ろしく長い槍を持ち、小さくまとまっているから、あれを切り崩すのは難しそうだなと、ちらっと思った。


 奴らの言い分を聞けと族長である親父トルゲが言っていたから聞いてやったが、一方的に従えという話にもならないことを言ってきやがった。


 やっぱり無駄じゃないかと思いながら、親父たちのところに戻ろうとしたら、帝国の奴らが帝国万歳、ゴットフリート殿下万歳と叫び始める。その声は馬がビクッと驚くほどで、思わず振り返ってしまったほどだ。


 仲間のところに戻ると、うちの戦士たちがやる気を見せていた。ただ、親父だけは渋い顔で帝国軍を見つめていた。


「攻めるならいつでも言ってくれ。俺が先陣を切る」


 俺の言葉に戦士たちが槍を振り上げて賛同していることを示す。


「待て。あのような陣形に突っ込んでいっても無駄に死ぬだけだ」


「ならどうするんだ? このまま見ていても敵は逃げていかないぞ」


 俺は少し苛立ち、親父に詰め寄る。


「そんなことは分かっている……」


 そう言うものの、それ以上何も言わなくなった。


 更に言い募ろうとした時、俺たちから少し離れたところで鬨の声が上がった。

 俺たちと一緒に来ていたヴォルケ族の戦士たちの声だ。


 ヴォルケ族はうちと友好関係にある部族だが、血の気が多い。親父のようにためらうことなく、帝国軍に攻撃を仕掛ける気だ。

 ヴォルケ族の戦士約千人が雄叫びを上げながら、一斉に馬を駆けさせた。


「このままじゃヴォルケ族に手柄を奪われてしまうぞ」


 せっついてみたが、親父は俺をギロリと睨むだけだ。


 俺も親父の煮え切らない態度にイラっと来ているが、うちの戦士たちはもっと苛立っている。このままではこいつらが我慢しきれず勝手に攻め掛かることになりかねないと、もう一度親父に意見を言おうとした。


「ヴォルケ族がぶつかるぞ!」


 戦士の一人が叫ぶ言葉で、帝国軍の方に目を向けた。

 ヴォルケ族は全速力で馬を駆けさせており、五十メートルほどの距離にまで近づいている。


 その時、帝国軍の歩兵は長槍を水平に構えており、槍衾を作っていた。さすがにそこに突っ込むことは無理だと思ったのか、ヴォルケ族は歩兵たちの前で左右に広がり、次々と矢を放っていく。


 その動きは見事なもので、よその部族であったが賞賛の念が湧いたほどだ。

 前面の歩兵に矢を放ち終わったヴォルケ族は、そのまま帝国軍の左右の側面を駆け抜けようとしている。


 敵を見たが、攻撃を受ける前と全く変わっていなかった。あの分厚い鎧を相手にするには短弓では威力が足りないようだ。


 ヴォルケ族の戦士も同じことを思ったのか、威力を上げるためにギリギリまで接近しようと馬を寄せていく。しかし、帝国軍も黙ってやられる気はなかった。

 歩兵の陣形の隙間から、重装備の騎兵が突撃してきたのだ。


「あれはヤバいぞ」


 思わずそう口にしたが、すぐに俺の懸念通りになった。

 帝国軍に向けて矢を放とうとしていたヴォルケ族は、突然現れた帝国軍の騎兵に対処できず、横っ腹から帝国軍に飲み込まれる。


 帝国の騎兵がヴォルケ族の隊列を抜けた後に残されたものは、無数に転がる戦士の死体と、乗り手を失った空の馬たちだけだった。帝国の騎兵は歓声を上げることなく、そのまま弧を描いて回り、歩兵たちの間に戻っていった。


 俺はその様子をただ見つめていることしかできなかった。そして、もし親父が止めていなかったら、打ち捨てられているヴォルケ族の戦士と同じ運命を辿ったと気づき、戦慄する。


「どうするんだ、親父……」


 自分でもはっきりと自覚するほど声に力がない。


「あれに闇雲に突っ込むのは死にに行くだけだ。騎兵を引きずり出せればよいが……まずは当たってみるしかないか……」


 そこで親父は腹を括ったのか、俺の方を見た。


「千人ずつの三つの隊に分ける。一隊目はヴォルケ族と同じように歩兵に矢を射込め。それから敵の騎兵が出てくる前に敵陣から離れるように馬を走らせろ。二隊目は槍を構えて一隊目の後ろを行き、出てきた騎兵の横っ腹に突撃だ。三隊目は弓で敵を牽制しつつ、二隊目を援護だ」


 長年、戦士長・族長とやってきただけあり、この短時間で見事な策を思いつく。

 一隊目は俺、二隊目は親父、三隊目は副戦士長が指揮することになった。


「作戦は聞いているな! 無暗に突っ込むな! 俺の命令に注意を払っておけ! 俺たちは敵の騎兵を引きずり出す役目だ!」


 俺の言葉を聞き、ヴォルケ族がやられたことで気落ちしていた戦士たちの意気が上がる。


「行くぞ!」


 そう叫ぶと、馬の腹を蹴った。

 僅か二百メートルほどしか離れておらず、すぐに敵の目前に到達する。

 敵が近づくにつれ、その陣形の異様さに恐怖を感じた。


(ヴォルケ族の連中もこれを見て怖気づいたんだろうな。この中に突っ込むくらいなら、裸で狼の群れに突っ込んでいく方がよっぽどマシだ……)


 そして、矢を放とうと弓を構えた時、敵の歩兵に殺気を感じた。


「攻撃中止! 敵から離れろ!」


 俺はそう叫ぶと、手綱を大きく動かし、右に馬を向けた。

 部下たちは俺の突然の命令に一瞬戸惑ったものの、即座に従って馬を右に向ける。


 その直後、敵陣から何かが飛んでくるのを視界の端に感じた。顔を向けると、長槍の奥に弩弓を持った兵士がいることに気づいた。

 後ろでは多くの部下が太矢を受けて落馬している。


 敵の攻撃はそれだけではなかった。

 ヴォルケ族と同じように敵の騎兵が突撃してきたのだ。


「敵の騎兵が出てくるぞ! 全速力で逃げろ!」


 叫びながら馬の腹を激しく蹴る。普段なら大事な馬にこんなことは絶対にしないのだが、命には代えられない。


 戦士たちも俺の声に気づき、大きく迂回して敵の騎兵から距離を取る。

 敵は陣から離れる気がないのか、すぐに手綱を引いて馬の勢いを止め、こちらを見ていた。


 それから無我夢中で本陣に戻ったが、振り返ると帝国軍は何事もなかったかのようにそこにいた。


 俺の隊では百人近くが戻らなかった。一太刀どころか、一本の矢すら放っていないのに、一割もの戦士を失ったのだ。そのことに背筋に冷たいものが流れるのを感じた。


 親父も戻ってきたが、その顔は蒼白になっており、俺と同じように恐怖を感じているのだと気づく。


「どうするんだ? このままでは手も足も出んぞ」


 勝てる気は全くせず、撤退しかないと考えていた。


「確かにあれには手も足も出んな」


 親父も同じ考えのようだが、その目には力があった。


「一度仕切り直しだ。なあに、奴らも一日中あの状態を続けるわけにはいかんのだ。夜襲を仕掛ければ、こちらにも十分勝機はある。何と言ってもここは我々の土地なのだからな」


 親父の言葉に戦士たちの引き攣っていた表情が緩む。


「宿営地に戻るぞ! 敵の追撃はないと思うが、斥候には注意しろ! こちらが夜襲を仕掛けられたら目も当てられんからな」


「分かった。俺が敵を見張っているから、親父は一旦戻ってくれ」


 親父は俺の言葉に頷くと、戦士の大半を引き連れ、西に向かった。


 俺は残された五百ほどの戦士と共に、距離を取りながら帝国軍を牽制する。装備を見る限り、敵の騎兵は全速力で長距離を走ることは無理だ。近くに寄らせなければ、逃げるだけなら問題ないだろう。


 そうやって距離を取りながら敵を観察していると、陣形を解き始めた。

 追撃に移るのかと思ったが、その動きはゆっくりとしたもので、再び行軍を始める気らしい。


 敵がどこに野営するのか確認しようと、一定の距離を保ちながら帝国軍に付いていく。敵も俺たちを鬱陶しいと思ったのか、千騎ほどの騎兵が俺たちに向かってきた。今度は少し離れたくらいでは諦めず、しつこく追いかけてくる。そのため、撤退するしかなかった。


 宿営地に戻ると、親父が主だった者たちを集める。


「敵の居場所はだいたい見当がつく。目のいい戦士を出して、見つからないところから敵を見張らせろ。あれほどの奴らだ。夜襲に対する用心を忘れるとは思えんが、どんな準備をしているのかを確認して、明日以降に繋げる」


 今夜のうちに仕掛けると思ったが、このくらい慎重な方がいいだろうと納得する。


「他の部族に連絡する」


「なぜだ? ここは俺たちの土地だ。よその連中に手を借りる必要はないだろう」


 俺の言葉に他の者たちも頷いている。


「俺たちだけじゃ、精々追い返すくらいしかできん。それではまた同じようにやってくる。今度は更に大勢の兵を連れてな。だから最初に完膚なきまでに叩き潰してやる。千年前と同じように」


 そう言ってニヤリと笑った。


「一族は南に移動させる。明後日の朝には出発するから準備をさせておけ」


 この場所は冬の宿営地で、春まで移動する予定はなかった。そのため部族の者たちから反発があったが、親父は方針を変えなかった。


「帝国の奴らに捕まれば奴隷にされてしまうのだ。奴らはゾンネ族の宿営地を目指すはずだ。ならば、少しずれるだけで一族の安全は確保できる」


 帝国軍の位置からここまでは奴らの速度なら三日ほど掛かる。明後日に出発すれば間に合うだろう。


 他の者たちが去った後、親父に真意を確認した。


「帝国は皇国とは違う。恐らくだが、全部族が一丸となってもゴットフリートには勝てぬ」


「全部族が一丸となっても勝てないだと……それはあり得んだろう」


 百の部族があり、それぞれ多くの戦士を有している。

 すべての部族が集まったことなどないから、どのくらいになるかは分からないが、少なくとも五万以上にはなるはずだ。


「無理だな。まずすべての部族が集まることなどあり得ん。精々五大部族と近隣の部族が二十ほどだろう。それでも二万から三万の戦士がいることになるが、総大将が決まらねば烏合の衆に過ぎん」


 親父が言いたいことが何となく分かった。

 五大部族はヒンメル族、ゾンネ族、ボーデン族、ヴィント族、ドンナー族だが、それぞれ自分たちが一番だと思っている。


 だから、総大将を決めるだけでもすんなりいくはずもなく、あの帝国軍相手にバラバラで戦うしかない。


「恐らく負けるだろうが、奴らもずっとここに居続けるわけではない。今回の戦いではできるだけ、うちの一族から戦死者を出さぬようにする。その上で、帝国に恭順したことにすれば、今までと同じ生活が続けられるからな」


 親父の考えは現実的なのだろうが、戦士長としては納得しがたい。

 しかし、あの帝国軍に勝てる見込みがあるのかと言われれば、答えに窮することは間違いなく、親父の考え通りが一番のような気がしていた。

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