第19話「大平原侵攻:前編」

 統一暦一二〇四年二月一日。

 リヒトプレリエ大平原東部。帝国軍第一軍団第二師団長ゴットフリート・クルーガー


 俺は今、寒風が吹きすさぶ平原に立っている。

 俺の後ろには第一軍団第二師団の精鋭が控えており、こいつらと一緒ならどれほどの大軍であっても勝てる自信がある。


「将軍、そろそろよいでしょう! 出発の合図を!」


 そう言ってきたのは第一連隊を指揮する騎士長のウーヴェ・ケプラーだ。

 顔の半分が隠れるほどの髭と分厚い胸板、割れ鐘のような大声で話す蛮族のような男だ。だが、俺の最も信頼する将でもある。


「そうだな。進軍を開始するが、斥候隊との連携はいつも以上に密にせよ。何と言っても敵は騎兵だけだ。あっという間に接近されるからな」


「分かっております! では参りましょう!」


 早く戦いたくて逸っているようだ。そのことに苦笑するが、俺自身も同じ気持ちなのですぐに出発を命じた。


「進軍開始! 遊牧民どもを叩きのめすのだ!」


 俺の命令で一斉に動き出した。



 今回の作戦は俺が提案したものだ。

 マクシミリアンがベーゼシュトック山地にいるネズミどもを駆逐するという作戦を上申し認められたため、それに対抗するために考えた。


 戦略的にはマクシミリアンの方が正しい。それは分かっている。

 エーデルシュタインへの補給線の安全は、リヒトロット皇国攻略のカギとなることは明らかだからだ。


 そして、奴なら必ずそれを成し遂げる。そう確信している。

 だから、奴以上の戦果を挙げる必要があった。


 そうなると、皇都リヒトロットを陥落させるか、我が帝国に服属しない遊牧民を平らげるしかない。


 皇都は堅牢な城塞であり、時間が掛かる。ならば、野戦で片が付く遊牧民たちの方が手っ取り早いと考えたのだ。

 懸念は遊牧民の実力に関する情報が少なすぎる点だ。


 もちろん情報収集は行っているが、遊牧民たちは皇国の一部の商人としか接触せず、実際にどの程度の実力を持っているのか、未だに不明だ。

 そのため、父である皇帝は俺の提案を一度却下している。


 父の考えも分からないでもない。

 情報不足のまま、強敵に突っ込んでいくのは愚か者でしかなく、確実に勝利を得られるという算段もなく、認められないというのは素直に頷ける。


 だから、情報を掻き集めて策を練り直した。

 掻き集めた情報から分かったことは、遊牧民には百近い部族があること、その中の五部族が大きな力を持ち、ゾンネ族と呼ばれる部族が指導的な立場にあるということだった。


 更に彼らの戦法についても情報を探し出した。

 千年前のリヒトロット皇国の前身の国家が残した文献に書いてあったものだ。


 そこには抜群の機動力を生かし、短弓で攻撃を加えて陣形が乱れたところで、騎槍による突撃で陣をズタズタに斬り裂いていくというものだった。


 千年以上前の情報を信じても大丈夫なのかと思わないでもなかったが、調べてみたところ、奴らは千年前と同じく、簡単な鎧を身に纏い、短弓と騎槍を使うことが確認されている。


 また、部族同士の抗争でも基本的な戦い方は機動力を生かしたものであり、他の戦い方を使うとは考えられないということだった。


 確かに千年以上も前の情報だが、遊牧民たちは大平原から出ることなく、戦い方を変える必要性がなかったことは明らかだ。


 その情報を基に作戦を練り、第一軍団としての案として御前会議に提出した。その際、第三師団長であるマクシミリアンが反対するかと思ったが、奴は俺が失敗すると思っているのか、反対することはなかった。そして、御前会議でも原案通りに承認されている。


 何となく不気味だが、戦場に出てしまえば、こちらのものだ。

 それから準備を進め、年明け早々に帝都を出発した。同じ頃にマクシミリアンの第三師団も出発しているが、向こうの作戦は手堅いが時間が掛かる。奴より早く戦果を挙げることができるだろう。


 大平原に突入する前にも情報収集を行った。

 現地に近い場所の方がより正確な情報が手に入ると思ったためだ。


 商人組合ヘンドラーツンフトに属するモーリス商会という大手の商会が遊牧民と取引をしていると聞き、情報を提供させた。

 これが思った以上に当たった。


 モーリス商会は大平原の詳細な地図を持っていたのだ。また、どのような部族がいるか、部族間の関係はどうか、それぞれの部族の特徴は何かなども教えてくれた。


 組合ツンフトの商会であるため、一千万マルク(日本円で十億円)という巨額な対価を求められたが、兵士たちを失うことに比べたら安い物だと割り切った。


 大平原に入って思ったことは、思いの外、起伏に富んでいるということだ。大平原というから、だだっ広い平坦な土地かと思っていたが、三十メートルほどの高さの丘が連なり、時には五十メートルを超すような丘もあった。


 そのため、思ったより視界は狭く、我々の目である斥候隊に期待する部分が大きくなった。調べた情報では、遊牧民たちは一時間に三十キロメートル以上移動できるらしく、気づかぬうちに後ろに回り込まれる危険をはらんでいるのだ。


「そろそろ敵が出てきてもおかしくはありませんな」


 横にいるケプラーが話し掛けてきた。


「そうだな。この辺りを縄張りにしているのはヒンメル族かヴォルケ族であったな。どの程度の戦力で襲い掛かってくるのか、楽しみだ」


 モーリス商会から得た情報では、ヒンメル族は五大部族と言われ、一族の総数は一万人近い。もう一つのヴォルケ族は千人程度の小さな部族であり、連合したとしても戦士の数は五千人を大きく超えることはないだろう。


 そんな話をしていると、西に向かった斥候隊が上げた狼煙が見えた。


「距離二キロ! 色は青! 敵は三千から五千と見られます!」


 狼煙は使われる標準的なものだ。着火の魔導具と煙を出す素材を薄い金属の筒に入れ、火を着けることで煙を出す。素材を変えることで、色を変えることができ、ある程度の情報は遠めでも分かるようにしている。


「全軍停止! 陣を作れ! 急げ!」


 俺の命令を受け、連隊長である騎士長や大隊長である上級騎士が、命令を怒鳴りながら走り回る。その命令に兵たちは即座に反応し、所定の位置に走っていく。


 歩兵は百人からなる中隊単位で一辺十メートルほどの方陣を作り、十隊で一辺を作る大方陣を形成する。隊同士の間隔も十メートルほどであるため、大方陣の一辺は二百メートルほどになる。


 その内側に騎兵隊が隊ごとに並び待機する。予備の歩兵中隊と輜重隊は中心部に配置し、陣形が完成した。

 この間、僅か十分ほど。訓練で繰り返しやっているため、これほど短時間で済むのだ。


 歩兵たちは通常より頑丈な鎧を身に纏い、長さ五メートルという長槍を立てている。馬上から見る光景は壮観で、城塞と見紛うほどの布陣になっていた。


「敵が来たようですな」


 ケプラーが西に手を向けている。


 彼が指し示している先に視線を向けると、斥候隊が全速力でこちらに向かっており、その後ろに数百騎の遊牧民が歓声を上げながら追いかけていた。

 遊牧民たちも俺たちを見つけたようで、斥候隊を追うのをやめ、速度を緩めていく。


「あのまま突っ込んでくるかと思いましたが、愚かな蛮族というわけでもないようですな」


「このような陣形は初めて見るだろうから驚いたのだろう」


 そんな話をしていると、敵の本隊が見えてきた。

 こちらは丘の間にいるため、全貌は分からないが、三千騎は優に超えているように見える。


「命令があるまで槍はそのままだ! 騎兵隊はいつでも突撃できるように準備しておけ!」


 敵は最前列から二百メートルほどの場所で停止した。

 そして、数騎がゆっくりと近づいてくる。

 何か言うつもりだと感じ、俺も前線に向かった。


「閣下が出る必要はありませんぞ。某にお任せあれ」


 ケプラーがそう言って俺を止めるが、馬を進めていく。


「最初の口上くらい聞いてやらねばならんだろう。それに方陣の外には出ぬから問題はない」


 遊牧民たちは方陣から五十メートルほどの場所で止まった。


「ここは我らヒンメル族の土地だ! 素直に立ち去れば見逃してやる! 直ちに立ち去れ!」


 まだ二十代半ばほどで族長というには若すぎるが、堂々とした態度に上位の者であると感じた。


「俺はゾルダート帝国第一軍団第二師団長のゴットフリート・クルーガーだ! 皇帝陛下に忠誠を誓うなら攻撃はせぬ! 大人しく我らに従え!」


「帝国に従う気はない! すぐに立ち去れ!」


 我々が帝国軍であることは分かっていたのか、すぐに言い返してきた。


「ならば交渉決裂だ! 死にたい奴から掛かってこい!」


 そう言って挑発する。


「俺たちに手を出してきたことを後悔させてやる!」


 それだけ叫ぶと、その若者は仲間を引き連れて本陣に戻っていく。


「敵の突撃には長槍で対応せよ! 騎兵隊は中隊ごとに崩れた敵の中に突撃し蹂躙せよ!」


 そう命じた後、俺はもう一度叫んだ。


「帝国万歳! 我らに勝利を!」


 俺の声に兵たちが応える。


「「「帝国万歳! ゴットフリート殿下万歳! 我らに勝利を!」」」


 万雷の声が響き、遊牧民たちも驚いたのか動けないでいた。

 歓声が止むと、遊牧民の戦士たちが一斉に馬に鞭を入れた。

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