第12話「モーリス商会本店」

 統一暦一二〇四年八月八日。

 グライフトゥルム王国中部ヴィントムント市、モーリス商会本店。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 領地であるラウシェンバッハ子爵領に向かう途中、商都ヴィントムント市に立ち寄った。

 今回の目的の一つである、ライナルト・モーリスの子供を預かるためで、モーリス商会の本店にやってきた。


 商会長であるライナルトは現在帝国の支店に長距離通信用の魔導具の設置を行うため不在であり、彼の妻マレーンが本店の前で私たちを出迎える。

 マレーンは三十歳くらいのややふくよかな感じの女性で、優しげなグレーの瞳が特徴的だ。


「ようこそおいでくださいました」


 ゆっくりとした口調で挨拶をすると、彼女の後ろにいる二人の少年を紹介する。


「長男のフレディと次男のダニエルです。二人とも、マティアス様にご挨拶を」


 やや背が高い方が少し前に出る。父ライナルトによく似た、人当たりのよさそうな素朴な顔の少年だ。


「は、初めまして! ふ、フレディと言います……」


 緊張しているのか、声が上ずっている。

 彼に代わって、弟らしき少年が前に出る。彼は兄とはあまり似ておらず、なかなかハンサムな少年だ。


「ダニエルです! よろしくお願いします!」


 ダニエルの方は緊張している感じはなく、元気いっぱいだ。


「立ち話もなんですから、中に入りましょう」


 マレーンの案内で本店の中に入っていく。

 モーリス商会の本店はヴィントムントで一二を争う大商会にしては小さく、中堅どころの商会とほぼ同じ大きさしかない。


 狭いながらも中では、従業員たちが忙しそうに働いており、商売が順調であることが窺えた。


 すぐに応接室と書かれた部屋に到着する。

 品のいい調度品が並び、座り心地のいい革張りのソファにイリスと一緒に座った。護衛であるカルラとユーダは私たちの後ろに立っている。


 マレーンと二人の息子が対面に座った。

 挨拶だけでどちらか一人になると思ったので少し意外な感じを受けた。


「それで私と一緒に来るのはどちらでしょうか?」


 私の問いにマレーンが僅か苦笑した後、答えていく。


「もし可能でしたら、二人ともお願いしたいのですが」


「二人ともですか?」


 私と共にイリスも驚きの表情を浮かべている。


「どちらも譲らなかったのです。夫ライナルトが崇拝するマティアス様の下で学びたいと言って、掴み合いの喧嘩になるほどでした」


「それほど来たいのですか……ここには年に一度か二度しか戻ってこられないけど、その点はどうかな?」


 フレディとダニエルは十歳そこそこの少年であり、親元を長期間離れることをどこまで理解しているのか、疑問があったため確認した。


「僕は全然かまいません! 王都にはいつか行ってみたいと思っていましたし」


 弟であるダニエルが元気に答える。


「僕も同じです。王都の王立学院を受けてみようかとも思っていましたから」


 フレディの方が兄だけあって、しっかりと考えていたようだ。


「二人が来たいというなら、別にいいんじゃないかしら。一人でも二人でも変わらないでしょ」


 イリスが暢気な感じで私に言ってきた。


「大事なお子さんを預かるんだから、軽い気持ちでは駄目だよ」


「弟と一緒でもよければ嬉しいんですが……僕たちどちらも諦めたくないんです……」


 フレディがおずおずという感じで言ってきた。


「二人ともお母さんと別れて暮らすことになるけど、本当にいいんだね」


「「はい!」」


 二人同時に元気よく答える。


「分かったよ。でも、とりあえずはラウシェンバッハまで行って戻るまでの二週間、様子を見させてもらう」


 ホームシックの不安の残るため、とりあえずラウシェンバッハ子爵領までの往復で様子を見ることにした。


 簡単な打ち合わせを行い、明日の朝、ラウシェンバッハに向けて出発することを伝える。

 話が終わったので父たちと合流しようと思ったが、モーリス商会の支配人が入ってきた。


「商会長からお時間があるようでしたら、例の魔導具を使っていただきたいと聞いております」


 そう小声で告げられる。長距離通信用の魔導具は従業員にも秘密であり、聞かれないようにしているようだ。


「構いませんよ」


 ライナルトは現在ゾルダート帝国の中部、エーデルシュタインにいるはずで、予定通りなら、数日前に長距離通信用の魔導具の設置を終えているはずだ。


 商会長室と書かれた部屋に入り、更に奥にある二メートル四方ほどしかない小部屋にイリスと二人で入る。

 中には操作要員であるシャッテンが待機しており、受話器を持っていた。


「既に繋がっております」


「ありがとうございます」


 そう言って受話器を受け取った。


『こちらライナルト・モーリスです。マティアス様、聞こえますか?』


 明瞭な声が聞こえてきた。


「よく聞こえます。今はエーデルシュタインにいらっしゃるのでしょうか?」


 この魔導具は小型の物と違い、電話と同じように双方向で通話ができる。そのため、一々“以上”と付ける必要がない。


『はい。エーデルシュタイン支店におります。まずは息子を二人とも預かってくださるそうで、お礼申し上げます。至らぬところが多いと思いますので、ものにならないと判断されましたら、いつでも放り出していただいて構いません』


 私たちがこの部屋に入る前に息子たちのことを聞いたらしい。


「まだほとんど話はできていませんが、歳の割にはしっかりしていますから、問題ないと思いますよ、ライナルトさん」


 これまではモーリスさんと呼んできたが、二人の息子を預かるため、ややこしくなるのでファーストネームで呼ぶことにした。


『よろしくお願いします。では、本題に入らせていただきます……』


 息子たちを預かることに対する礼を言いたいだけではなかったようだ。


『……マクシミリアン皇子について追加で情報が昨日入りました。皇子は第二軍団の斥候隊にシュヴァーン河流域の調査を命じたようです。実際、調査隊は本日、西に向けて出発しております』


「噂だけでなく、実際に調査隊が出発したことを確認できたのですか?」


 こういった調査は通常、秘密裏に実行されるものだが、その情報を既に入手していることに疑問を持った。


 エーデルシュタインは帝都と違い、シャッテンの数が少なく、積極的な情報収集は行っていない。


 これは帝国軍が雇っている間者集団、真実の番人ヴァールヴェヒターが警備に当たっているためで、シャッテン以外の従業員が集めた情報を定期的に送るようにしているほどだ。


『その通りです。軍と取引のある商人のほとんどが知っていました。はっきりとは分かりませんが、意図的に情報を流している可能性があるのではないかと考えています』


 その言葉に何が目的かを考えた。


「マクシミリアン皇子が意図的に情報を漏洩した……ゴットフリート皇子の耳に入れるつもりか……」


 私の独り言を聞いたイリスが加わってきた。


「ゴットフリート皇子を焦らせようということかしら? だとしたら、目的は何なの?」


「二つ考えられるね。一つはマクシミリアン皇子が王国への侵攻作戦を提案する前に、ゴットフリート皇子に提案させ、結果として皇都リヒトロット攻略の指揮権を奪うこと」


「それはあり得ないのではないかしら。王国に攻め込むのはヴェヒターミュンデ城を攻略して、皇国への支援拠点を潰すためよ。つまり皇都攻略作戦の牽制に過ぎないわ。その作戦のために、主目的である皇都攻略を譲るのは本末転倒だわ」


 彼女の指摘はもっともなことだ。


「そうだね。なので、二つ目が本命だと思う」


 そこでイリスはポンと手を打つ。


「分かったわ。マクシミリアン皇子がヴェヒターミュンデ城を攻略すれば、大きな手柄になる。そして、こちらの作戦は皇都攻略より成功率が高いと考えているはず。今の皇都攻略作戦は行き詰っているから、ゴットフリート皇子も打開策を考えているのでしょうけど、マクシミリアン皇子が戦功をあげる前に動かざるを得なくなって失敗する。それを狙っているということね」


 我が妻ながら、私の考えをしっかりと理解していることに内心で驚いていた。


「ご名答。王国との国境を調査することは、帝国軍にとっても利益になることだし、ゴットフリート皇子も止めようがない。実際に動くかは別として、ゴットフリート皇子の焦りを誘発するにはいい手だと思う」


 私たちの声が聞こえたのか、ライナルトも話に加わる。


『私もそうではないかと考えます。まだ噂に過ぎませんが、第三軍団が動き出したという話も耳に入ってきました。マクシミリアン皇子の第二軍団が到着するのは九月初旬という噂もあります。それまでに皇都を攻略しようとしているのではないかと』


 可能性はあるが、戦争の天才であるゴットフリート皇子が成功率の低い作戦を実行するのか、疑問が残る。


「第三軍団については、情報分析室で調査してもらうように依頼します。ライナルトさんはマクシミリアン皇子が到着する前にエーデルシュタインを離れてください。問題がなければ南に向かい、シュッツェハーゲン王国に入るルートがいいでしょう」


 未だにシュトルムゴルフ湾の魔獣ウンティーアは落ち着いておらず、海路を使うことができない。また、マクシミリアン皇子がシュヴァーン河に部隊を派遣したのなら、ゴットフリート皇子も同じように動くはずで、国境の監視が厳しくなる。


 使えるルートはベーゼシュトック山地とツィーゲホルン山脈を越える南ルートしかない。

 険しい山道と途中にあるフォーゲフォイヤー砂漠という難所が続くルートだが、旅慣れたライナルトなら比較的安全なはずだ。


『分かりました。野宿が続くのでヨルク親方たちには悪いですが、可能な限り早く帝国から退避します』


「その点は大丈夫でしょう。トイフェルハウゼンには小人族ツヴェルクが多く住んでいますから、親方好みの酒もあるでしょうし」


『確かにそうですね。そこで大量に購入することにします』


 私の言葉でライナルトの声にも明るさが戻る。


 ライナルトとの通信を切った後、イリスが質問してきた。


「帝国軍は動くのかしら?」


 その問いに、私は肩を竦めるしかなかった。


「ゴットフリート皇子が焦ったとしても無謀な作戦を実行するか疑問だね。このことはマクシミリアン皇子も理解しているはず。何を狙っているのか、調べてみないと何とも言えない」


 その後、長距離通信用の魔導具を借り、王都にいるマルティン・ネッツァー上級魔導師に、シュヴァーン河流域、特にリッタートゥルム城周辺の警備強化を騎士団に伝えてもらうよう依頼する。


 また、帝国軍が動く可能性があるため、リヒトロット皇国とグランツフート共和国に情報を送ることも併せて依頼した。

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