第13話「ラウシェンバッハ子爵領到着」
統一暦一二〇四年八月十一日。
グライフトゥルム王国南部ラウシェンバッハ子爵領、領都ラウシェンバッハ。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
商都ヴィントムントを出発してから三日目、ラウシェンバッハ子爵領に無事到着した。
領都ラウシェンバッハは五メートルほどの城壁に囲まれた簡易的な城塞都市だが、城門が見える遥か手前から、領民たちが街道沿いに立って出迎えてくれた。
私たちが到着することは昨日の間に早馬で伝えられているため、代官であるムスタファ・フリッシュムートが手配したのだろう。
私たちは窓から手を振ってそれに応えている。
「凄いですわね」
母ヘーデが手を振りながら、驚きの声を上げている。
「そうだな。これほどの歓迎を受けたことは今までなかった」
父も同じように驚いているが、半ば呆れている感じだ。
私とイリスはエッフェンベルク伯爵領で同じような光景を見ているため、それほど違和感はないが、私はその数の多さに驚いていた。
「人口が増えているのは知っていたけど、これほどとは思わなかったな」
統計データを見ているため知っているが、十年ほど前の統一暦一一九〇年代初頭の人口は、領都と周辺の村を合わせても五千人ほどに過ぎなかった。
一一九六年頃にモーリス商会が支店を出し、紡績工場を作った頃から人口が増え続け、更に一二〇〇年頃から獣人族が入植するようになったため、人口が爆発的に増えている。
今年一月時点のデータでは、領都ラウシェンバッハの人口が旧市街の城塞都市と新市街のエンテ側東岸を合わせて約一万五千人、周辺の農村が約八千人、獣人入植地が約三万人の合計五万三千人ほどになっている。約十年で人口が約十倍になり、規模で言えば伯爵領と同等だ。
そのお陰もあって、ラウシェンバッハ子爵家は裕福になった。しかし、人口の膨張に行政が付いていけず、モーリス商会からの派遣によって何とか回している状況だ。
また、もともと騎士団がなかったことから治安の悪化も懸念され、こちらも近隣の村から出てきた若者とモーリス商会を通じて雇った傭兵によって、何とか対応している状況だ。
「す、凄いですね……」
「こんなの初めて見た……」
ヴィントムントから同行することになった、ライナルト・モーリスの二人の息子、フレディとダニエルが窓からの光景を見て絶句している。
この二人とはこの三日間でいろいろと話をし、少しずつ彼らのことが分かってきた。
生真面目な兄フレディと奔放な弟ダニエルという組み合わせだが、二人とも大商人の息子ということもあってよく躾けられており、若い従者と言っても違和感がないほどだ。
また、自ら望んだだけあってやる気があり、私の話を真剣に聞く姿勢に好感を抱いている。
領都ラウシェンバッハに到着すると、城門でフリッシュムートら家臣たちの出迎えを受ける。
「出迎え、ご苦労。それにしても驚いたぞ。これほどの歓迎を受けるとは思っていなかった」
父が笑顔でそう言うと、フリッシュムートも相好を崩す。
「動員を掛けたわけではないのですよ。民たちが自主的にお館様をお出迎えしようと集まったのです」
「ならば、これはお前たちの手柄だな。善政を行っている証拠だ」
父の言葉に私も大きく頷く。
先ほども述べたが、ラウシェンバッハ子爵領は僅かな期間で大きくなった。そのため、税収は増えたものの、官僚機構は不完全であり、不正がまかり通ってもおかしくはなかった。
しかし、フリッシュムートら家臣たちは海千山千の商人たちからの賄賂攻勢にも屈せず、公平な行政運営を行っている。そのため、民たちの不平も少なく、今回のようなことになったのだろう。
「もったいないお言葉です」
そう言ってフリッシュムートらは大きく頭を下げた。
領主館に入ったのは午後三時頃で、町の主だった者たちが館を訪れる。
「ご結婚、おめでとうございます」
「これほどお美しい奥方様を娶られたこと、心よりお祝い申し上げます」
もともと地元にいた名士や新たに進出してきた商人たちが祝いを述べていく。
二時間ほどで挨拶が終わり、今日のイベントはこれで終了だ。
私は結構疲れているが、もう一人の主役であるイリスは疲れを見せていない。
翌日は朝からオープンの馬車に乗っての本格的なお披露目だ。
真夏ということもあり、比較的涼しい午前八時頃から一時間かけて、旧市街と新市街である商業地区を回る。
ここでも大勢の人たちが詰め掛け、屋台を出しているところも多くあった。
パレードが終わっても子爵家から酒や料理が振舞われるので、それを狙っているのだが、夏祭りのような趣になっている。
領主館に戻ったものの、私は夏の日射にやられて休んでいる。しかし、イリスはドレス姿のまま、館の外に出て、領民たちと触れ合っていた。
「いつかここに住むことになるのだから、顔を見せておかないとね」
疲れている私に代わり、領民たちの印象を良くしようと考えたようだ。
ただ、ここに住むかは微妙だ。帝国との戦争がどうなるかで変わるが、ここラウシェンバッハが最前線になる可能性があり、終の棲家とするか不透明だからだ。
礼服の首元を緩め、ソファに身を委ねていると、フレディとダニエルがやってきた。
「マティアス様、これをどうぞ」
フレディがよく冷えた濡れタオルを差し出す。
なかなか気が利くと感心する。
「助かるよ」
濡れタオルを首に当てていると、ダニエルがグラスの載ったトレイを差し出す。
「これもいかがですか?」
そのグラスには氷で冷やされた果汁が入っていた。
我が家には冷蔵の魔導具があるが、厨房にしかない。
いつの間に厨房の者と仲良くなったのだろうと思ったら、私が聞く前にダニエルが説明してくれた。
「昨夜のうちに厨房の方とお話しておきました。帰ってきたらお疲れでしょうし、汗を掻かれているでしょうから、冷たい飲み物を用意しておいてくださいと、お願いしたんです」
二人とも物おじしない性格なのか、初めて入った貴族の館の使用人たちと、僅かな時間で打ち解けている。
「本当に気が利くわ。我が家の執事になるつもりがあるなら考えるわよ」
母ヘーデもダニエルが差し出した冷たいハーブティーを飲みながら、満足げな顔をしている。
昼頃には体調も戻ったので、家臣たちと昼食を摂る。
夜には近隣の貴族がやってくるため、家臣たちと触れ合う時間は今しかないためだ。
いろいろな話を聞いていくと、領地の経営は順調であることが窺えた。但し、人手不足は解消されていないようで、フリッシュムートは気が利くフレディとダニエルを本気で勧誘しようとしていた。
夜になると、近隣の貴族や騎士が祝いに駆けつけてきた。
この辺りで最大の家は我がラウシェンバッハ子爵家であり、客は男爵と騎士爵だけだ。
それも没落しつつあるレベンスブルク侯爵家の配下が多く、我が家に鞍替えしようと考えている者が多かった。
「貴家のご嫡男は素晴らしいですな。是非ともこれからも懇意に願いますぞ」
「我が家はここから僅か二十キロと近いのです。今後は更に緊密に連携していただければと」
爵位が低いこともあるが、これほど我が家に近づきたいと思う理由は経済力だ。
ラウシェンバッハ子爵領が目まぐるしい発展を遂げており、経済的に繋がれば、自領の発展に繋げられる。
また、獣人入植地の噂も知っており、
王国南部は
しかし、
そのため、
「
「それは素晴らしい!」
これはリップサービスではない。
帝国軍に対する備えとして、ラウシェンバッハに駐屯地か、補給基地を作るつもりでいる。そのため、騎士団が安全を確保するために動くことは間違いない。
晩餐会がお開きになった後、私はイリスと共に庭に出た。
「風が気持ちいいわね」
「そうだね。エンテ河から風が流れてくるから、夜は過ごしやすいらしいよ」
「ここの人たちもいい人ばかりね。でも、帝国軍が攻めてきたら、ここも戦場になるかもしれないのね」
「そうならないように努力するさ。帝国への謀略が上手くいっているから、当面は動けないだろうし、今回の件で補給を考え直さざるを得ないから、すぐに軍を動かすようなことはないと思う」
穀物の輸送停止の影響については、ヴィントムントで最新情報を聞いている。
輸送が停止してから二ヶ月以上経ち、帝都の小麦の価格は三倍以上にまで跳ね上がった。そのため、帝国政府は小麦の配給を始め、民衆の不安を解消しようとしている。
現状では暴動が起きるような事態にはなっていないが、帝国政府の文官たちは軍事一辺倒の政策を改め、内政の充実に力を入れるべきだと主張し始めている。
その声に皇帝コルネリウス二世も耳を傾けているらしいという情報まで入っていた。
「あとはマクシミリアン皇子を何とかするだけだ。彼が力を持てば突拍子もない手を使ってくるかもしれないから」
マクシミリアン皇子に対する謀略も行っている。こちらは噂を流す程度のことしかできないため、まだ効果は出ていないが、皇子が帝都を離れているこのタイミングを利用し、攻勢を掛けている。
「そうね……この幸せな時間が少しでも長く続けばいいな……」
イリスはそう言って私に身を預けてきた。
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